正順解脱の法門
ある授戒会に随喜したとき、戒は正順解脱の法門であると戒師から説明があった。後日その典拠を尋ねたところ失念したという返事であった。
曹洞宗では得度するとき、大乗菩薩戒、具体的には三帰三聚浄戒十重禁戒を受ける。戒は得度以後の人生の道標となる。
得度式で読み上げられる教授戒文は明峰素哲禅師のとき現在の形に編纂された。明峰素哲禅師は瑩山紹瑾禅師の法嗣で大乗寺を中心に道元禅を挙揚され、行持綿密、厳しい宗風で知られた。坐禅修行を究めて編まれたのが教授戒文で、坐禅と戒は切っても切れない関係にある。
受戒は第一に懺悔文を唱える。過去の身口意の業を懺悔すれば罪が消える。懺悔は人生をやり直す契機である。反省と懺悔がなければ出直しはできない。
三帰は三帰依で仏法僧に帰依する。確かな理想像である仏、間違いのない教えである法、仏の教えを学び修行する人々である僧に帰依する。中途半端な理由ですがる帰依ではなく、真の依りどころとして深く仏知に裏打ちされた三帰依だ。
三聚浄戒は摂善法戒、摂律儀戒、摂衆生戒で世間的社会的に善行を積む。大乗菩薩戒では自己の修行と社会的な善行は衝突しない。
十重禁戒は不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不酤酒戒が最重要で、さらに不説過戒、不自讃毀他戒、不慳法財戒、不瞋恚戒、不謗三宝戒がある。
大乗菩薩戒を要約して正順解脱の法門と言われた。正は正しい、順は自然、道理、仏法の理りに従うの意。解脱はサンスクリットで Vimoksa 、また Pratimoksa という用語があり波羅提木叉と音訳され、別々解脱と意訳される。惑業の繋縛を解き三界の苦果を離れて自在を得ることは同じだが、前者は一括解決し、後者は具体的に一件一件解脱する。
正順解脱の法門は、正しく道理と仏法に従って惑業を離れ苦果を脱する法門という意味になる。釈尊は明けの明星を見られた時に一切の煩悩から解脱されたと言う。詳しく見ると、解脱することが繋縛から脱する法だと悟られた。
友人が中国を旅行した際に、土産だと言ってお経を送ってきた。般若心経と観音経が一冊になったもので見慣れた経本の体裁だった。さっそく開けたのだが読めなかった。なぜ読めないのか分からず手持ちの経本と比べてみた。中国製のお経は漢字がびっしり並んでいるだけだった。目に優しくなかった。
日本製の経本は行間が広く線が細く白地が多い。目に優しく読みやすかった。字体、紙の質、インクの色など、日本では何世紀もの間、読みやすい経本を作るための功夫がなされてきたのだと判った。日本語は表絵文字だった。
経本にひらがなが振ってあることは、日本人にはあたりまえすぎて気が付かない。漢字ばかりで行間のスペースが取りにくいにもかかわらず細字が施されている。かな字のおかげで意味を取りやすく文法を確認できる。中国ではお経が読めないそうだが、文法が決まらないからかと推測する。
時期の記憶が曖昧なのだが 1980 年代だったと思う。月刊文藝春秋に台湾で国字改革運動が起こった記事が載った。日本人学者はかな字の導入をアドバイスした。ところが台湾人学者はかな字の採用を断乎として拒絶した。台湾には日本語ペラペラの人が多い。彼ら自身が成功例なのになぜかな字を拒否するのか。
われわれは漢字を使用すれば楷書から行書、草書へと進み、かなの発明へと進化すると当たり前のように考える。しかしじつは、漢字文明圏を見渡してもかなが発明されたのは日本だけだ。深く日本文化に浸った台湾人もかな字を拒絶する。なぜか。
日本人だけが漢字を絵と見た。物事を絵を通して理解してきた人々が、たまたま目にしたのが漢字だった。すぐに漢字は意味と音を表すと気が付く。子供が漢字を習い始める過程と同じ戸惑いと逡巡があった。大事なところは、漢字を絵の一種として学習するのは従来の認識方法と矛盾しなかったことである。
紙が貴重な古代から源氏物語絵巻や錦絵が制作された。鳥獣戯画は漫画の元祖で、瓦版や浮世絵は産業になった。アニメや絵文字が世界を席巻しているのは表絵文字文明発だからであろう。数枚の絵では飽きる。山を桜で飾ったらどうかと発想する者がいた。川の流れを紅葉で覆いたいと提案する芸術家が現れた。綺麗な絵を見たい、全身で感動したい好奇心が表絵文字文明を推進してきた。
葛飾北斎は七十歳超えて富嶽三十六景を完成させた。有名な神奈川沖の大波はその一景である。生きた猫を七十歳過ぎてから描けるようになった、それ以前の猫は死んでいたと語ったそうである。九十歳で天井画である「鳳凰の図」を描き上げたが、さらに五年も十年も描き続ける創作意欲に満ちていた。北斎は文明を創ったのか、それとも表絵文字文明が後押しした人生を生きたのか。
漢字については錯覚が多い。はるかに進んだ大陸の表意文字を野蛮未開の日本が輸入したと歴史学者はいうが、日本人は二千年以上漢字の存在を知らなかったのか。漢字は日本語の背骨であるとか同文同種だとか論じる人も多い。インテリの項羽はなぜ文盲の劉邦に敗れたのか。白川静博士の字統では祭祀用語という解説が多い。事実なら庶民の識字は置いてけぼりだった。当時の日本人には漢字の有用性は疑問だった。
聖徳太子は仏教という智慧の宝庫を発見された。漢訳経典を学習するには漢字の習得が必要だ。かくて漢字の摂取が国策となった。朝廷が寺を建て、庶民も参加して百万巻の写経を納め、外国文化の輸入に勤しんだ。
百年後、長編の歴史書である古事記が編まれた。物語の創作表現ができるまでに漢字の使用は自由になった。古事記は万葉仮名で書かれた。万葉仮名は漢字表記であるが日本語の文法に則る。漢字輸入以前に、日本人は日本語で思考し和歌を作り交歓し交易しあっていた。
日本語はどこまで遡れるか。縄文時代を通して日本語は確立されていた。「土偶を読む」(竹倉史人著)によると、縄文時代の土偶には栗や稲や貝などが刻印されていたという。縄文人は土器や土偶に絵を描いていた、漢字よりずっと古くから、たぶん石器時代から。
多様性は多くの絵を見ることであり絵を読むことだ。田畑も野原も家屋敷も絵だ。砂浜も磯も火山も断崖も絵だ。絵には八百万の神が見える。心の中に絵を観ることもあり忘れられない絵もある。絵を見たい者が居り見せたい者が居り絵に成る者がいる。芸術的な縄文土器や漆の生産使用は表絵文字文明の創造活動を明示している。
日本語の型は絵を見て感想を述べることから始まった。絵という題材について語るから主題と述語の文法ができた。絵や色を形容する言葉が多い。鼠色には江戸時代に五十種近くの区別があったそうである。「BBの覚醒記録」赤色は?紀貫之が女手を使用したのは、かなが便利というだけではなく美的センスが刺激されたからであろう。絵を見ることにおいて文盲はいない。言葉の教育を通して人を差別する発想も湧かない。
表音文字文明圏では文字を絵と見る感覚が少ないようである。故人となったアメリカ人上司の日本語は完璧で、私とは日本語で話した。あるとき手紙を一枚持ってきて読んでくれと云った。やさしいビジネス日本語なので朗読の必要性が感じられなくてまじまじと彼の顔を見た。すると耳を指差して、音を聞いて理解していると云った。文字を読まなくても、外国語である日本語を聞き分ける人が居た。
アメリカ人はまず音声を通して聞き、会話する。文字よりも音が始めにくる。アルファベットは表音文字だが、二番手に位置付けられるせいか綴りの間違いを気にしない人が多い。発声、歌謡、リズム、ダンス、オペラと辿ると肉体の能力や魅力が強調される意味が分かる。古代ギリシャの都市にはかならず野外劇場があり歌舞音曲演劇が上演された。音声は文明を代表する芸術へと洗練された。
表音文字言語では肉声の出所 が意識されて主語、動詞、目的語の文法ができた。主語の主張や思想が発達する。お互いに論理的な整合性で演説し合い説得し合う。二十六文字の組み合わせだけで絵画的要素にかけるためか論理の追求に没頭しやすい。煉瓦で積み上げられた家のようなイメージで思想の完成度が測られる。煉瓦一つが欠けると建物全体が崩れる。完璧な思想を構築することが思想家のゴールになる。
主語の主張は表音文字文明圏の基本である。自分がしたいことを自らの意志で実現しようと発心するから能動的活動的になる。そして現在から未来を予想する。二十歳代ではあれもしたいこれもしたい、あれもできるこれもできると夢を語り理想を披露する。バラ色の未来が訪れそうだと高揚し、笑いとともにアルコールが入り踊り明かす。人生で最も幸福な時間だ。
指導者は常に論理的で明快な発言が求められる。演説のうまさだけで大統領になった人物も居た。彼らには夢を未来に向けて提示できる才能が要求される。引退しても未来を語る。老齢を意識する頃には、未来にあるのは死である。死後は天国に行くか地獄に落ちるか、終末論が語られる。
表音文字圏と表絵文字圏との相互理解は難しい。1990年 のころ国ごとの観光ガイドを検索したことがあった。どの国も観光スポットが淡々と紹介される。ところが日本の項では、あなたの先入観は現地では裏切られることが多いと予期してくださいと注意書きがあった。不思議の国があった。
表絵文字言語圏にある日本人は絵を観たあと静かに感懐に浸ることが多い。受動的情緒的である。絵を見るのは現在で、次に意識されるのは過去に見た絵だ。日本語に未来形がないのは理にかなっている。未来に向けて思想を構築するのは苦手で、終末論や末法思想と聞いてもピンとこない。
日本では質の高い絵を見るのが教養の基本で、青壮年時代は多くの絵を見るのに忙しい。学習も体験も絵で、未来を語るより現在の精進努力が先だ。未来は現在の修行が切り開く。研鑽を重ね、還暦すぎて子供は巣立ち孫が遊びに来る。家庭を作り子供を育て奮闘した努力が報われる。初老で感じる静かな喜び。
沢木老師が手伝いに行かされた寺で、永平寺で見た修行僧の格好で坐禅していたところ、同じく手伝いに来ていた女性が仏像より丁寧に深々と礼拝した話はよく知られている。坐相に遭って感動が生まれ、無心に観て赤心と誠意が通じた。正身端坐には敬礼される何かがあると確信され、沢木老師は一生を坐禅に捧げられた。最初の坐禅で奥の院まで突き抜けられた。
われわれは健康な体と濁りなき心を持って生まれる。されば健康な身心で一生を送るのが理想的な人生だ。少悩少病で日々精勤するのが健康だ。それぞれ体を鍛え心を正し、大安楽の法門に倣うのが正順である。健常者が仏に帰依し法に帰依すれば仏道修行者となる。
大安楽にも難事は起こるが、坐禅が定力で解脱に導く。仏への帰依、法への帰依を思い出すだけで自己に立ち帰ることは多い。戒は人生を正順な方向へ導く。表絵文字は未来形がないため一生を見通す道標としては不十分かもしれない。サンスクリット語圏で成立した大乗菩薩戒を受けることは、漢字の輸入に勝るとも劣らない一大事である。
池田永晋
令和五年二月二十四日 (2023)