1980年代、昭和天皇が「日本の復興には二百年かかる!」と語られたという記事に出会った。文藝春秋だったと思う。聞いたことのない考え方で、決意とも願望とも予言とも歴史観ともとれるお言葉だった。表題は敗戦から二百年後の年に当たる。
当時のアメリカはレーガン大統領、日本の自動車生産台数がアメリカを抜き、三菱地所がロックフェラーセンターを買った。世界の銀行のランキングは日本の銀行のランキングとほぼ同じだった。Japan as No. One が話題になった。50年で復興は遂げた、何故に二百年?
90年代に入ると日経平均が4万円から4 分の1に暴落、不況に突入した。銀行関係の犠牲者が新聞に載った。80年代に死んだ人は戦後の繁栄に満足した人が多かったに違いない。90年代には10年も経たないのに少なからぬ人が地獄を見た。十年単位で見る世の中はどこへ向かっているかわからない。世の動きを知るにはもう少し長いスパンで観察思考する必要がある。
1972年、連合赤軍が浅間山荘事件とその後判明した榛名山リンチ殺人事件を起こした。岩波書店の日本史年表を開くとリンチ事件がない。岩波の歴史捏造偏向体質は指摘されて久しいが、これも証拠の一つだろう。銃撃戦で死亡した警察官は二名だったか、リンチ事件では10人以上が犠牲者だ。兄弟三人がリンチさせられた例もある。
世代が近いので彼らの気持ちがわかる位置にいた。彼らは理想の社会を共産主義に則った革命によって実現しようとした。全員若くて大学卒、頭が良くて純粋だった。悲劇は彼らが若くて未熟だから起きたのか、時代の必然だったのか、偏った思想を奉じたからか。他人事ではなかった。
共産主義者はよく歴史の必然と言った。人類史は原始共産社会から資本主義を経て必然的に共産主義社会に至る。それは科学的に証明された真理である、無駄な抵抗はやめて共産主義社会を実現しようと説く。そのために唯物論と階級闘争史観も語られた。
世に歴史と言われる物語は多いが、いずれも太古の昔から始まる。大昔というだけでなく始めを検証しようがない。天地創造やビッグバンとか見た人はいない。無始である。そのような昔から一定方向に歴史が進むとする考え方がどこでも支配的だ。
天地創造を再現しようとする人はいない。しかし原始共産社会は、見た人はいなくても実在したようにも思える。それで再現しようと試みる人が現れやすい。疑問を持つものは粛清される。歴史において始源は重要だ。
歴史は検証不可能な大昔の始源から一定方向に進歩するものと決まっているのだろうか。80年代の繁栄と90年代の不況を見れば一定方向の進展も疑わしくなる。人は健康だったり病気になったり、事故も不運も幸福も強運も経験する。一定方向に進む方が稀だ。複雑な人生と社会を説明する歴史の見方は可能だろうか。