1980年代に「閉ざされた言語空間」(江藤淳)が出版された。読んだのは21世紀初頭だった。朝日新聞の書評欄を読んで注文していたので、本の存在を長く知らなかった。本書を読んでマッカーサー洗脳のものすごさに愕然となった。
広島の原爆投下を大人たちが話していたのを聞いた記憶がある。戦後生まれなのになぜだろうと思っていたが、原爆関連ニュースは占領下では禁止だった。日本が独立した後で新聞が報道した、その記事について話していたのだ。占領軍の悪行は聴いたことなかったしマッカーサーは偉大な統治者だった。ベトナム戦争ではアメリカを応援した。洗脳された結果の判断だった。
善悪や価値判断の多くが洗脳によって、じつは思わせられていた。洗脳はウソや偏見を信じ込ませることだ。戦争の影響を身体では感じなかったが、洗脳という形で敗戦を引きずっていた。
コロリと洗脳された経験から、人の心は操作されうること、洗脳の方法があることを知った。日本人には未経験の文明の衝撃だった。洗脳だったとわかるのは洗脳が解けるときだけだ。
手も無く洗脳され、洗脳とも思わず生きていたことには日本人の感性が影響している。広告宣伝は巧言令色鮮し仁に反する、誇張、偏見、嘘はダメの国柄だ。是非善悪も価値の上下も最後は事実、実徳が決める。人が他人の真偽観や価値観を変えられるなんて思いつかない。
数人でインドの恋愛映画を見ていた時、突然アメリカ人の宣教師が立ち上がり、「日本人は南京大虐殺を認めたくないんだ。」と喚き始めた。映画のセリフに触発されて思わず出た本音のようだった。「証拠を見せて。」の一言で大人しくなった。
それで、客観的事実よりも自我の認知認識の方を重要視する考え方があると知った。我見、我愛とも言われる。アメリカが目指した世界征服を日本の陰謀にしようとした東京裁判。大統領選挙では票数では無く敗北宣言で決着がつく。いまだに違和感がある。
塩野七生女史の「ローマ人の物語」の中に記録抹消罪があった。無能暴虐などひどすぎる皇帝や独裁者が出ると全ての記録を抹消する。最高の厳罰だという。コインや彫像の破壊ならまだしも、すべての記録がなくなれば罪悪の事実も抹消される。逆効果に思えるのはローマ人ではないからか。記録や情報を都合よく操作するのは洗脳の始めだ。洗脳が歴史を創る?評価や認否が事実に優先するのはローマの昔からの伝統だった。認識の伝統なら言語が密接に関係する。20世紀に至れば洗脳の仕方が洗練されて当然だ。
あれから15年、当初のショックが落ち着き、歴史や社会を洗脳をキーワードにして見る癖がついた。多くの疑問が解けた。歴史や思想において唯洗脳論も成立する。仏教では夢から醒めると言われる。
マッカーサーの洗脳は明治維新以来の欧化政策の延長とも言える。憲法改正や核保有が白昼語られるまで洗脳は解けてきた。明治以来の西欧文明との衝突を総括する日は意外と近いかもしれない。
日本人は洗脳から醒めれば大和心に帰ることができる稀有の民族である。三種の神器に象徴される大和魂は共有されている。縄文文明の様式美を伝える伊勢神宮がある。釈尊が見出された因縁の法は血肉と化している。歴史も言葉も失った民族が多い中で、問題は覚醒するか否かだけなんて幸せすぎる。