日本のテレビでは司会者や評論家が「真実は一つです。」とよく言う。真実は日本語の最高価値を表す。抽象的概念のように聞こえながら、不思議なことに具体的事実に繋ぎ止められている。
真実は抽象的価値概念の真と具体的な事実とを組み合わせている。嘘八百や絵空事を言うと、事実はなんですか、実証してくださいと返される。実事から逃げられない。日本語がウソを許さない。
真理と対比すればわかりやすい。真理 Truth は英語では普通語で学術用語で、真も理も同意義の抽象語である。欧米ではもっぱら真理が最高価値として使われる。
幼馴染が再開したある映画での会話:
「2年間留学の間に手紙も電話もない。何してたの?話しなさい。」
「勉強してましたなんてウソが聞きたい?それとも本当のこと?」
「あなたのウソはホントより好きよ。』
ウソとホントに Lieと Truth を代入すると簡単な語順で使いまわしていることがわかる。つまり正反対の意味の真理とウソは論理的に等価だ。正邪善悪も同じで、これが印欧語族圏で討論や演説が流行り重視される一つの理由である。事実認識や間違いを指摘されてオロオロするのではなく、どんな言葉でも対立概念を持ち出して反撃できる。頭の体操になるうえ勝った時、笑わせた時の快感といったら。あれっ、論理を支えているのは自我なのか。
西欧文学では神の話だと悪魔が当然のように出てくる。ファウストとかカラマーゾフの兄弟とか。一応読んだけれども長編で頭痛がして印象が薄い。なぜ悪魔が神様と対等の位置で出てくるのか?対立概念は等価だとする文法の上で発想するからだろう。神は全能完全だから悪魔は反対側だが全能だ。その間に自我を置くと何が起こるか。
文法的に未完結な日本語は、自我や観念ではなく具体的な事実に随いながら変容発展する。歴史は研究成果に従って修正されるのが道理で、カイゼンは現場で工夫する態度だ。日本語がトヨタを作り、歴史認識を守る。国土、民族、歴史に加えて、言葉も国体護持の大きな要素になる。
生前退位放送の後で出来た有識者会議では、摂政否定はインチキだと言う人まで現れた。道理を外れたら天皇の権威も一夜で崩れ去る。日本人は天皇制ではなく天皇でもなく天皇性を信頼している。言葉では定義しにくいが、肌感覚でわかっている天皇性あるいは天皇らしさに違背することは天皇にも許されない。
長らくミッチーブーム以来の美智子さま擁護派だったが、子供心にも天皇を支え皇室を守護されると思ったから応援した。敗戦で痛めつけられた皇室での美しい皇太子妃の出現は、占領の終焉と同義だった。もう大丈夫。
ところが40年経っても後継ぎが生まれないので日本中が不安になった。不安の元が美智子皇后にあるとしたら信頼感情はたちまち失せる。いざとなったら日本人は、旧皇族復籍でもなんでもして天皇性を護持しようとするだろう。それが日本人の真実性だから。
悠仁天皇のお孫さんの御代になるであろうが、時の天皇陛下が昭和天皇陵で復興成就の報告をされることを祈念する。