天皇は天照大神の臣

’王座のゲーム’ というテレビドラマがイギリスで放映されている。大国、小国、砂漠の国、極寒の地、海洋国から宗教専制など七つの国が攻防する。イギリス人はイデオロギーでなくリアルな人間性から発想するので臨場感がある。
1455年 から1485年の薔薇戦争にヒントを得たドラマで、王侯貴族が絡みあって登場人物が多い。1シーズンで 10話、 5シーズンのうち半分を見たが、主役と準主役合わせて100人ほどか。金をかけているのは一目瞭然で、イギリスの知力が伝わってくる。
20話、30話とみていくと、女王、王女を中心としたドラマの組み合わせになっているのがわかってきた。貴女が居なくなる国は動乱の末滅亡する。孤児になった王女でも、生き延びれば次の展開で覇権を握ることができる。
初めはテレビ映りが良い女優重視の物語かと思った。しかし制作する側に立ってみれば、百人百様の心理と人間関係を構築するには深い人間性の理解を求められる。ドラマはフィクションだが、現実世界の真実を抜きにしては視聴者を納得させられない。
この重厚な物語は、人間社会が安定的に維持されるには女性を守ることが本質だと教えてくれる。歴史を振り返ってもビクトリア朝やエリザベス朝は国が繁栄する時代だった。エドワード朝やリチャード朝もあったけれど権力闘争で殴り合っただけの印象だ。第二次大戦後もエリザベス女王だから保っている。
マハーバーラタという古代インドの叙事誌では壮大な最終戦争が演じられる。五人のパンダヴァ派が100人のカウラヴァ派に打ち勝つから男の戦闘物語ではある。しかし勝者である新王のそばには王妃が座っていなければ絵にならない。王妃を守り通したから王になれた。王妃をめぐるトラブルを解決したから周囲から実力を認められた。数千年前から語り継がれてきた物語でも、表に立つ王様より王妃の存在の方が影響力が強く本質的であるようだ。
なぜ天照大神が女神で天皇が男系男子なのかは日本人にも理解し難いところがある。イギリスやインドの物語を参照すると、天皇はもともと女王、王女を守る中心的役割を果たしたのではないかと思われる。それが社会を安定的に維持する最良の方法だった。時代が下がって古事記では王妃が天照大神となった。だから天皇が天照大神を守護尊崇敬礼する役目は当たり前の義務であり必要条件だ。
天皇家は日本一の名家であり、大和王朝は二千年以上続いているのは事実だし誇りでもある。しかし王朝と一括りにすると、ルイ王朝のような絶対王朝と同じになる。そこでは王様が最高位に座る。一番偉いから何でもできる。王様本人も一番偉いと思って言説行動する。わがままな施策が続けば迷惑困窮するものが出てもおかしくない。
天皇ご自身にとって御祖先、最終的には天照大神が尊崇対象であるということは、皇祖皇宗の意思を継ぐことがその存在意味になる。一番偉いのは自分ではなくつねに天照大神である。庶民は伊勢神宮や橿原神宮に参拝して当然のごとく頭を垂れる、天皇皇后はより深くもっと真剣に祈りを捧げ尊崇されていると信じて。
天皇とて生身の人間である。障害を持ったり病気になったり悪思想に染まったりする可能性はある。洗脳もあるし表側からは見えない利害関係もできるかも。現行法では摂政が補佐するとなっているが、それでも間に合わないほどひどいことが起こる可能性はある。
そんな時、絶対王朝と考えていては身動きできなくなる。何事も天皇の命令だから従うとか、老人の愚痴を玉音だとか持ち上げて大騒動することになる。この世に聖人はいない。天皇も完全ではない。天皇の思想や肉声も玉音とは限らない。天照大神の意思から逸脱するなら玉音ではない。
絶対王朝は安定した強固な体制である。しかし標的にされると唯一であるだけに脆い。一番偉いトップの王様が倒れるとおしまいだ。大和王朝は表面的には絶対王朝の体裁をとりながら、中身は天皇がもっと偉い天照大神に仕える、重層的な構造を持っている。一番偉いと天皇や皇后が思ったら、それは勘違いだ。
イギリス人は中世を舞台にして国や社会の安定を模索している。インド人は何千年もの昔に理想の社会構造は王妃が立てられる王国だと結論した。日本は二千年前には女神の神性を守護する天皇の存在を明確に意識した。二万年の蓄積がある縄文文明の賜物であろう。

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