広島に新型爆弾投下 昭和27年
団塊世代が諸悪の根源と言われるのは何らかの理由があるのだろう。批判や非難の声が挙がるのはかえって自己反省のヒントになりうる。われわれの思想や行動がどのようなものだったか検証はすべきだ。考えられるのはマッカーサー占領軍の洗脳である。それから価値観の激変だ。街には傷痍軍人が佇み、ラジオからは青い山脈を聞きながら育った。混乱に翻弄された世代だと思う。
昭和27年の夏、ある日の昼下がり、近所の大人たちが飲みながら話し合っていた。その中で「広島に新型爆弾が落とされたらしい。」の言葉が耳に残った。小学校入学前で、「ビーニジュークが来たー。」と叫んでかくれんぼしていた頃である。B29がいかなる爆撃機か知らなかったが、爆弾が空から降ることがあるのは知っていた。飛行機の姿が見えるとおもわず身構えた。爆弾、新型の単語に子供なりに反応したのだろう。
小学生になって広島に原爆が落とされたことを習った。それは昭和20年8月6日だった。新型爆弾は原子爆弾だった。広島に投下されたのだから同じ爆弾のことだ。しかし自分が耳にしたのは7年後のこと。ど田舎の親父たち、情報が伝わるのも遅いんだな、古くさい話をしていたんだ、とろくさい、だから戦争に負けたんだよ。小学生の身で大人たちを見下した。
真相を知ったのは50年後、21世紀に代わったあとだった。岡崎久彦氏の新聞投稿で、江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」が格別に重要な書であると推奨された。さっそく文春文庫を手に入れたが、読んだ時の衝撃は忘れがたい。
マッカーサー占領軍は報道統制を行っていた。憲法には検閲は行ってはならないと規定しながら、また本国向けには検閲していないと発表しながら、個人の私信まで開封して読んでいた。だれが罪に問われるかわからない、いつ引っ張られるかわからなかった。新聞雑誌ラジオでは30項目の報道不可項目が通達された。重大なニュースも、むしろ重大であればあるほど報道には占領軍の許可が必要だった。都合の悪いことは国民に知らされなかった。30項目の中に広島原爆投下があった。
昭和27年4月28日の日本独立まで、日本の報道機関は原爆投下について触れることはできなかった。うすうす原爆について気付いた人は少なくなかっただろう。広島へ旅行する人は多い、噂話はすぐ広がる。しかし堂々と紙面で発表されなければ確信を持てないと感じる人は多い。新聞を読んだ友達が集まってお互い原爆投下を確認した。その場にたまたま幼い私が居合わせた。
偏向、捏造、そして無報道の環境下に置かれると知識認識が歪む。それが洗脳だ。朝日新聞は日本独立後も占領軍コードを守り続けたと言われる。その新聞を私は精読熱読した。洗脳されない方がおかしいだろう。
洗脳、Brain-Washという言葉を知らずに洗脳されていた。真理を追究しようとしたし正義を実現しようとした。しかしじつは真理も正義も、追究も実現も洗脳された後の言葉だった。正義も真理も洗脳された自己の判断なのだ。真であるはずがない、正義であるはずがない。洗脳下では真も正もない。真の自己もない。
「閉ざされた言語空間」が世に出る前は反日自虐売国という概念も希薄だった。全共闘がいくら暴れても成田闘争がいくら長く続いても、多くの人は「青年の熱気だ、間も無く静まるだろう。もともと純粋な動機から始まった運動なのだ。」と思っていた。彼らもまた洗脳されて暴動破壊を行っていたとは気付かなかった。