仏教の結論と始源 B

仏教を考える上で一般的な理解は小中学校の教科書から得られたものでしょう。その影響は想像以上に大きく、倫理や社会の教科書を覚えればことさら勉強しなくても一生社会生活に支障はきたさない。深く勉強するとなると教義や歴史や儀式に取り組むことになるから変わった奴になりやすい。新興宗教に入らない限りはいわゆる宗教には触れないのが社会生活を送る上では無難だ。
教科書にはなんと書いてあるか。五十年以上前の記憶を辿りながら記すのだが、仏教は世界宗教とあったはずだ。それは民族宗教に対する概念で、インドには民族宗教であるヒンズー教があって、それはインド人しか信仰しない。ヒンズー教から仏教が誕生したのだが、世界宗教である仏教はインド以外のアジア諸国にも多くの信者を獲、本国ではかえって消滅してしまった。
また開祖宗教という言い方もあった。ヒンズー教や神道は誰が作ったかわからない。キリスト教やイスラム教、そして仏教は創始者が分かっている。一番最初の人物がイエス キリスト、モハメッド、仏教ではゴータマ シッダルタという具合。太古の昔に自然発生的にできた神道、道教、ヒンズー教などは古臭くて近代社会に適合できず、遅かれ早かれ消えていくだろうという雰囲気で記述されていた。開祖とはいえ人であろうが、一般人とは比較にならない偉大な存在だったとされている。多くの奇跡や超常現象が語られた。新しく創られた方が旧来型の宗教より進歩していると決まっている。
世界宗教とは云われるものの、ふつう大乗仏教と小乗仏教は区別される。内容はといえば共通するものが多くて何が大で何が小か明らかでない。インド人は大乗小乗の区別はしないように見える。何が行われているか知ると大小の区分は必要か疑わしい。
日本仏教はインドから支那を経由して正当に引き継がれた仏法を伝授されたと考えられている。特に禅宗ではその傾向が強い。本当に支那禅は仏教の正統な教えなのか、また日本の禅は支那禅と同じなのかについては、まだ包括的な検証はなされていないようである。
開祖宗教といっても、聖書の中でイエスの言葉はごくわずかだと云われている。大乗経典は仏教典の中で最大であるが、全て後世の創作である。釈尊が聞いたらびっくりするような内容が大乗経典には満載されている。小乗経典は肉声を聞いた人の記憶通りに経典が結集されたと云われる。それだけでも稀有なことだと感謝すべきなのかもしれない。
世界宗教でも開祖宗教といっても、経典に基づくといっても正統だといっても、少し参究すれば問題点が露わになる。そこで一番最初に何があったか、何が初めの教えか知る必要がある。最初が教えの最高到達点だという保証はないが、判るところまでは調べる必要はあるだろう。
幸い仏教には出発点が書き残されている。釈尊の初転法輪である。それが仏教の始源にほかならない。膨大な教えだからそこまでたどり着くのも大変だったが、やはり原点に帰り原点から全体を見直すのは大切であろう。

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