‘大山倍達正伝’ の感想 04/12/2007
’大山倍達正伝’ を読んだ。六百ページを超す大著で、拳聖をめぐる社会情勢、国際関係、空手の歴史からアメリカでの興行内幕まで書かれめっぽう面白い。少年マガジンの ’空手バカ一代’ を学問的に研究した成果だという。漫画は学問として研究しても面白くなるものらしい。本書を元にして多くが語られる気がした。この本の面白さとエネルギーに触発された最近の関心事を記したい。
大山倍達は第二次世界大戦が始まってから日本に密入国した。当時の日本社会の詳しすぎるほどの描写は正確を期すため必要だったのだろう。敗戦後、日本は進駐軍に占領された。占領軍が治安を維持することになって、日本の警察は捜査権、逮捕権を剥奪された。拳銃所持も禁止され警察官は何もできなくなった。暴徒の方が旧軍の倉庫を襲って武装する始末だった。実質占領はアメリカ一国だが、他の参戦国も極東委員会を作って事細かに日本を監視した。
マッカーサーの憲法原案には日本には自衛権も認めないと書いてあった。殴られても殺されても抵抗してはならないと云うことだ。正当防衛も許さない憲法など、たとえ植民地であってもあるわけない。しかし民族絶滅を狙うなら当たり前の思考法だ。アメリカインデアンはそれで事実上滅ぼされた。さすがに酷すぎると云う部下の進言で憲法九条に落ち着いた。極東委員会のメンバー国の中にはその変更にも反対したのがある。憲法は英文で外人が読める。もし原文が発表されればアメリカでも大問題になっただろうとは思うが。
日本はドイツが消滅した後も律儀に世界中と戦った。停戦できる理由が見つかるまで戦い続けた。九月二日のミズーリ号での終戦の儀式では五十以上の国が署名した。戦争は講和条約の調印をもって終了するが、最後はカネでかたをつける。その時スイスや同盟国だったはずのイタリアまで賠償金を取った。溺れていると思って叩かれた。世界中から踏んだり蹴ったり、いいように弄ばれた。
敗戦後一番威張っていたのは進駐軍、次が三國人と共産党だった。三國人は戦勝国、敗戦国のカテゴリーに入らない国の人々で、おもに朝鮮、台湾出身者で、闇市場を取り仕切るなどやりたい放題だった。縄張りを巡って抗争が頻発した。争いが起きると真っ先に駆けつけて喧嘩するのが大山倍達だった。一人で二十人を相手にするのは普通だったというからその強さには舌を巻く。プロの喧嘩屋となんども渡り合うことで大山は文字通り実戦空手を磨いていった。
普通の日本人はどうしていたのだろうか?軍隊は解散、警察も活動停止、日本国は’非武装中立’を実現していた。それでどうなったか。占領終了までに占領軍兵士に三千人が殺されたという。犯人が処刑されたという話はない。警察は捜査できない、犯人を特定することは難しい、起訴もできない。戦後の大事件が未解決なのは警察の機能を封殺した占領政策に起因するところが大きい。強姦は約二万件だそうだ。敗戦国としては当然の状態だったかもしれない。これが国が負け独立を失った現実だった。
日本人は程度の差はあれ上から下まで全員が地獄を見た。公職追放、教育劣悪化、不景気への誘導、放置された治安の乱れなど。にもかかわらず我々が占領政策の酷さを知らないのは、報道機関が検閲を受けていたからだ。広島への原爆投下を一般国民が知ったのは講和条約成立の後、昭和二十七年四月二十八日以降だった。
占領軍に都合の悪い情報は一切報道されなかった。敗戦までの大本営発表より内容は厳しく、しかも独立までは確実に言論封殺されていた。報道される情報が偏っていると国民の思考も偏る。これを洗脳というが、江藤淳氏が ’閉ざされた言語空間’で 指摘して、八十年代に日本人は洗脳なる攻撃方法があることを知った。ローマ時代から行われた人心変更術だが、日本人には歴史上初めての経験だった。
冷戦が激しくなってくるとアメリカは戦う相手を間違えたことに気がついた。占領政策が180度変わって協力を求めるようになった。飴を与えて歓心を買うことが政策になった。陽気なアメリカ人からチョコレートをもらった思い出を語る人もいるが、占領後期の出来事であろう。チョコレート代は日本人の税金から政府が払った。かくして多くの日本人はアメリカを好きになった。占領政策は前期も後期も成功した。
百四十三ページにあれっと目を引く文章があった。無法時代で警察も頼りにならない時、日本人を守るために立ち上がったのはヤクザやぐれん隊だった。山口組や松田組の名が見える。三國人が縄張りを作り、お互いもせめぎ合う。暴力が支配している日本に安全地帯を作り秩序を保ったのがヤクザだった。警察も自由に動けるヤクザに武器の使用法を教えたり治安維持を期待した。ある市長は無法者の排除を依頼した。ヤクザは熱かった。
阪神大震災で五千人以上が亡くなった原因を検証した報告書がある。村山首相は増大する犠牲者数を前にして終始冷淡だった。救援に駆けつけた自衛隊は革新首長から現場に近づくことを阻止された。ヘリコプターの使用も制限されて早期鎮火できなかった。タイムには前近代的な救助方法に驚きの文章が載った。
この時山口組は率先して炊き出しなどした。朝日新聞は右翼が同情を期待する行動だと冷笑的に報道した。この時朝日と村山富市との共通項に気付くべきだった。冷笑、冷淡はサヨクの特徴なのだ。
村山富市が属した日本社会党は非武装中立を唱えた。未来を見据えた政治理念だと思っていたが、終戦直後に存在した状況だった。彼らは被占領下の昔に帰ろうと言っていたわけだ。だからか前向き建設的な政策はなかった。非武装だと自立も独立もできない。日本が曲がりなりにも自衛隊を持ち安全を確保できたのは綱渡りのような駆け引きを経た結果である。
独立するなと強硬に主張したのがまた朝日新聞だった。南原繁東大総長を担いで全面講和論を押し立て独立に反対した。言葉の上では理想的に聞こえるが、ソ連が反対する以上実行できない案だった。当時国家予算の三分の一は占領軍の経費として支払われた。東大総長の意図は外国に貢ぎ続けようというものだった。一人占領下で甘い汁を吸っていたのか、日本の現況も未来も眼中になかった。
しかし日本は独立した、国と社会の体制が変わった。独立に反対した東大総長は独立した国に住むべきではないだろう。独立に反対した朝日新聞は日本の中に存在理由はない。アメリカ独立戦争の時反対派もいた。彼らは独立派が勝った後、カナダやイギリスに亡命したという。
東大総長はけじめをつけなかった。肝心なところは曖昧にして逃げている。講和条約で解決済みの戦争責任とやらを屁理屈をつけて蒸し返すのも、捏造報道がバレても訂正しないのも、けじめをつけなかったと同じパターンを繰り返している。しかし本屋に朝日新聞の犯罪を糾弾する本が並んでいるのを見ると、一世紀かかろうが因果応報を逃れることは不可能なようである。
金属バット殺人事件があった。渡部昇一氏の文章で知ったのだが、バットを振り下ろした父親は左翼出版社に勤める左翼人だったという。非武装、無抵抗、理想主義を頭に入れている人物像が眼に浮かぶ。美しい理想と現実との矛盾は、心理的にも肉体的にも耐えきれなくなった。中途半端な理想はどこかで破綻する。理想という妄念もあり、理想なる邪見もある。左翼新聞が報道しない情報はおびただしい。
悪見邪見をやめて正しい考え方をすれば惨事は防げた可能性がある。それには教育勅語を読むのが第一歩だろう。善悪の道理を学ぶためにお寺に通って仏教を学ぶのも良かった。あるいは多方面から問題を議論し尽くす方法も考えられる。隠蔽と逃避とごまかしだけでは問題は解決しない。朝日の偽報道では災難がはびこるだけだ。