ロチェスターの朝 (1) 01・18・2008
1986年の初夏だったと記憶する。突然電話がかかってきた。
「引越し荷物が動かなくなった、助けて欲しい。」
「どこからお電話ですか。」
「ロチェスターからです。ボストンのアパートで荷造りして、業者に運送を頼んで転地先に来ました。ところが業者は引き取らないというのです。」
重量を量ってないとかオーバサイズとか些細な点が引っかかったらしい。少しくらいの不備は日本では業者が代行して始末する。それが商売と誰もが思っている。
ところがアメリカでは運送業者は文字通り運送するだけである。壊れないように梱包するのはもちろん、保険をかけるところから個々の荷物のサイズまできちんと書類を作成するのはお客の責任である。規則に合わないからと言って、お客が怒鳴りつけられていた場面を目撃したことがある。商習慣が違うと言えばそれだけなのだが、異なる文化圏の慣行に慣れるのは容易ではない。
何とかしましょうと返事してアパートまで行って見た。大家の老婦人がどうしていいかわからず困惑している。荷物はトラック一台分だった。地図を開くとナイアガラの手前にある町なのでそんなに遠くない。夜通しドライブすれば着く距離だ。ロチェスターにはコダックの本社があって、貿易摩擦で大騒ぎしたことで有名だった。週末に届けますと電話した。
金曜日の午後早くに荷物を積みテントをかけた。途中で眠くなると道路際で仮眠をとった。夜中に若い者の声がする。盗賊団でないことを祈った。
目的地に着いたのは午前九時頃だった。すぐに帰る予定だったので大急ぎで荷物をおろした。よくよく考えると業者よりも早く正確に仕事を終えたのだった。
出発前にお茶を一服ということになった。
「アメリカへ来て何をしているのですか。」
「経済学を勉強しています。」
「経済学といえばマルクス経済学と近代経済学があるそうですね。どちらですか。」
「近経です。近代経済学はアメリカの経済学です。」
「するとマルクス経済学を勉強したい人はモスクワに留学するわけですね。」
「いえ、ソ連でマルクス経済学を研究している人はいません。」
「マルクス経済学でないとすると、ソ連では何に基づいて経済政策が決められているのですか。」
「彼らは近代経済学を応用しています。」
「ではソ連でも研究していないマル経の名前を私はなぜよく聞いたのでしょうか。」
「それはマルクス経済学を研究する学者が一番多いのが日本だからです。そのほかイギリスに少し居ります。あとは世界中近代経済学ばかりです。」
急いでいたので意味のある会話は以上だった。助教授になる年齢かと見えたが、名前は聞き流し、大学名も聞かなかった。
印象的だったのは、当時の私の常識と正反対の答えばかりが帰って来たことだった。私にはマル経の方がかっこよく耳に響いた。確たる理由はないが、資本論を読んだことは一因になるだろう。近代経済学は難しいという話も聞いていた。両方とも有効ならやさしいマル経の方がよいかなという程度の認識であった。だから立ち入った内容の話は、しようとしても質問する材料は頭の中になかったのである。
経済についてはどう考えたらよいのか。当時は内山老師が言われた通り、’カネには頭を下げない。’’生活はごまかしごまかしでよい。’を文字通り信奉していた。でなければコネも芸もないのに異国で一文無しになってやって行けるはずがない。’ただ座っていればいいんだ、’とも言われた。このような言葉が私の基本知識だった。結論が出ているのだから改めて勉強する必要はない。結論とは要するに、どうでもいいということだった。これでは勉強する動機も起こらず手がかりもない。