肩(5) 04/28/2008
アメリカで驚くのは膝を手術している人の多いことである。四十代を越えるとわれもわれもと手術をする。手術の詳細は知らないが、膝の痛みを薬で抑えられなくなったというケースが多い。しばらくは手術してよかったと言っている。新品の間は故障が少ない。しかし医者の会話を聞いたことがある。「あの患者もとうとう右膝の手術をした。次はバランスが悪くなるから左膝だね。その次は腰になるだろう。」
なぜアメリカで膝の故障が多いのか考えると、椅子と車の生活が原因ではないかと思う。椅子に座ると楽だ、しかし膝は半分もストレッチしない。どこへ行っても椅子に座るから膝を伸ばしきる機会がない。膝が悪いのは、膝が弱いというよりも膝を使わないからだ。
自動車は便利すぎる。誰しも旅行好きだが、車に乗れば千キロ先でもすぐ行ける。どこにもガソリンスタンドがあり、モテルもホテルも待っている。大きな移動であるが、足も膝も使わない。膝を使わないことが一番膝に悪いのだ。ほとんどの膝の不具合は歩けば治る。膝や腰に負荷を掛けるのが根本的な治療法だ。百歳でもせっせと歩けば足腰を心配する必要はない。
日本間で正座すると膝の表側は伸びきる。立ったり座ったりするたびにストレッチする。これは理想的な生活様式ではないか。一銭も使わないで、堂々と、しかも行儀よくストレッチできるのだ。正座は太ももの裏も伸ばしている。ダンスに比べると十分ではないけれど、柔軟体操にはなっている。
日本はなんでも遅れていると思う人がいて、宮沢元首相などは娘に正座しないようしつけたそうである。そういえば足が曲がるから坐禅しないと言った人が居た。どちらも浅慮偏見と言わねばならない。西洋人の足がすらりと伸びているのはダンスをするからだ。どんな田舎町にも二つや三つダンス教室がある。逆にダンスに関心がない人は女性でも足が曲がっている。原因結果は逆かもしれないが。
坐禅修行と膝や軟骨の故障に問題はないだろうか。正身端坐を長時間、何年も実践すると身体の重さで脊椎の軟骨が押しつぶされる恐れはないだろうか。潰れなくとも特定部位だけが圧迫されて変形するとか。じっとしているのだから筋肉の伸張どころか支持筋肉の強さが減衰しないか。膝だって使わない、まともに負荷をかけられない。悪くするとまっすぐ座れなくなるかもしれない。坐禅修行が原因で坐禅できなくなる可能性がある。
というわけで身体機能の面から作務の役割を見直すべきではないかと思うようになった。坐禅は仏教にとって最重要で理論的にも掘り下げられている。しかし作務はインドの経典には出てこない。シナで、寺院の中で集団生活するようになってから出てきた。生活のため、必要に迫られてする労働である。
作務が大事だと強調する人は、坐禅の真理より生活の方が大事だと言っているように聞こえる。坐禅ばかりした人もいたが、そんな人には作務は付随的な意味しか持たないだろう、労働するだけなら出家する意味はないわけだし。労働するのはいいのだが、坐禅より低くみられて当然ではあった。
しかしまともな坐禅の姿勢をとるためには背筋も腹筋も肩や膝の筋肉も適正な強さを維持するのが前提条件になるとすれば、身体を使って働くことは坐禅修行の必然的な要素になる。仕事をするとか金を稼ぐとかが目的ではなく、健康な体を作ることが作務の目的になる。貧弱な土台の上では坐禅も神経障害者の知見に終わるかもしれない。衰弱した体で坐った時はいくら坐っても気分が晴れなかった。慧日破諸闇の坐禅は健康な身体がなければできない。
してみれば、作務は伝統的な農作業だけで終わらない。身体の正しい動き方、正しい座り方を実践するためにはストレッチや、ダンスや、ヨガなどの知識や動きを研究するのもありかも。空手、柔道、合気道などもおすすめだ。重労働する必要がなくなった都会人は特に心すべきだろう。坐禅修行は身体運動を除外しては成立しない。
(肩) 終わり