衝撃と吸収(4)

 

 

衝撃と吸収(4)          09/01/2008

それは健康のための本だったから、自然の間接光をたくさん摂取するようにと指導されていた。あらためて気づいたのだが、曹洞宗の僧侶には長生きする人が多い。鎌倉時代に道元禅師の後継者となられた方々は80歳、90歳の長寿を全うされた。いまも老僧と呼ばれる人は少なくない。釈尊も2500年前のインドで80歳の寿命を生きられた。仏道修行、面壁打坐は寿命を延ばす効果があるようだ。眼の生理を合わせ考えると蓋然性は高い。
僧堂では面壁して間接光をふんだんに吸収するので体中の栄養がムダなくエネルギーに励起される。その活動が蓄積されて長寿という結果につながるのではないか。壁が修行者の、僧侶の生命力を強健にしたのではないか。
ただし直接光を避ける目的でサングラスをかけるのはまた弊害があるそうである。それは必要な自然光を遮ってしまうからだという。全身の無数無量の微量要素が活性化するには豊富な光エネルギーを要する。光の量が少なくなると体内を十分に活性できない。雨や曇りの日々が続くと元気を失ったり陰気になったりするのも同じ理由による。昼寝て夜働く生活が不自然なのも当り前だと分かる。偉大な自然光の恩恵に浴さないからだ。
深編笠を発明したのは誰だろうか。普及したのは日本だけのようだ。炎天下で間接光を摂取するのには理想的である。雲水も編笠をかぶって歩く。若い女性が夏の日に日傘をさして野原を散歩するのは健康の面からも美容の面からも素敵な生活様式だ。田植えの季節には大勢が集まって仕事していたが、全員が幅広の帽子を被り、手ぬぐいで顔を覆っていた。最適のスタイルが確立されていた。日本人はお互いに伝統的な知恵を学習し合いながら長寿社会を実現してきた。
逆に引きこもりとて部屋の中に閉じこもっているのは自殺に等しい。苦を逃れて楽を求めているつもりが、じつは緩やかに自らの命を殺している。生きている限りはどんなことをしても燦々と輝く日の下に出て行くしかない。それがじつは救いだ。しかも簡単なことだ。マラソンはどうか。直接光が過ぎて寿命を縮めるかもしれない。
朝、ほとんどの人は寝ぼけ眼で起きる。子供も初めから元気はつらつではない。のろのろと歯を磨いたり顔を洗ってトイレに行ったりする。急いで朝食をとって身だしなみを整える。その間に動作が機敏になりだんだん眼が輝いてくる。会社や学校に向かって駆け出すまでが四十分だろう。それはすべての血が眼底を通る時間だ。
学校や職場を意識するからシャキッとすると思っていたけれど、じつは十分な光を吸収するから背筋がピンと伸びるという方が当たっている。寝ぼけているのは光エネルギーを十分に受け取っていない間だ。血液内の成分が十分に働き始めるまでには時間がかかる。その間に朝食をとる儀式がある。朝食は粗食軽食が良い。目を開いていることが根本だから、腹具合によっては大食してもよし、コーヒーだけでも良い。相撲取りは朝食をとらないで稽古する。朝食の力より光の力の方が強いということだろうか。
澤木老師は宇宙とぶっ続きの坐禅と言われた。内山老師は天地いっぱいの自己と言われた。論理的にも感情的にも倫理的にもその通りだ。限定された肉体を持つ個人がどうして無限とぶっ続きになれるのか?小さな自己がいかにして天地いっぱいと言えるのか?もうひとつピンとこなかったというのが正直な感想だ。
宇宙にみなぎっている光の衝撃を眼を通して受け取ることで身体が活性化するとすれば、宇宙と自己とは分け隔てがない。光エネルギーの正しい受容の仕方は道元禅師が示された。生理的、生物学的に見ても面壁坐禅は自己の修行であり、同時に生命の修行だ。修行はまた生命増長でも安楽増進でもある。
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