表絵文字(1)

 

日本語(2)表絵文字       11/09/2008

大学卒業したばかりのアンドルーという若者が泊りにきたことがあった。サービスついでに紅白歌合戦のビデオを見せた。こんなお祭り騒ぎアメリカにはないよと言いながら興味深そうに鑑賞していた。音感が良いらしく、どの歌手がうまいとか的確な批評をする。英語の発音について聞くと違和感はないという。一流歌手の英語はこなれているようだ。
そのうち「なぜ日本語のあいだに英語が入るのだろう?」と質問してきた。いつから始まったのか知らないが、テレビでは歌と一緒に字幕が映る。その中には単語ばかりでなく短い英文が出てくることがある。それが驚きだったようだ。日本人には当たり前すぎて答えようがなかった。日本のテレビを普段に見る環境にないものにとっても当たり前なのだ。それが日本語なんだよとだけ返答した。
指摘されてみれば盲点だった。あらためて週刊誌のタイムを見直すと、文章は全部英語と数字である。写真とイラストが多くなって読む部分が少なくなったと感じていたけれど、文章は英語だらけだ。店頭に並んでいる雑誌も同じ。ページ数の多いロマンス小説も売れているが全部英語だ。英語の国だから文章は英語で書かれていて当然ではないか、何が問題なんだと言われそうであるが、一種類のアルファベッドだけで書かれている事実に気づいたのが驚きだった。
日本語だったらどうか。漢字ばかり、カタカナばかり、ひらがなばかりの新聞や週刊誌など想像できないであろう。写真やイラストを挿入する以前から文字そのものが多様性を持っているのが日本語だ。小説家なら漢字とひらがなの割合、カタカナやローマ字を使った場合の視覚効果などを計算に入れて文章を書いているだろう。論理や心理、情景描写だけでなく文字そのものをいかに見せて買わせるかを考えるに違いない。読者の心をつかめるならば、文字の代わりに漫画や挿絵を利用する人が出てくるのも当然である。
あるとき香港を旅したアメリカ人から小さな経典を送ってもらった。観音経と般若心経が入っているのだが、とにかく読みづらい。漢字文化圏からの贈り物だから当然ではあるが、漢字ばかりで全体の印象が硬く暗い。眼に優しくない。わざわざ読みづらく印刷してあるのかと思った。
難読本を前にすると自分の学力不足をまず嘆くのが常であったが、アンドルーの発言以来見方が変わった。なぜ読みにくいのか日本語の経本と比べてみた。日本語版にはふりがなが打ってあるのを”発見”した。漢字自体にしても、小さくても読みやすいように工夫されている。印字の太さ、線の曲がり具合、隣の字との間隔など、多方面から気持ちよく読めるように配慮されてある。小説家の苦心を推し量ったけれども、印刷社も同じように苦心しているのだ。経典でさえ、読ませないではおかないという心構えで。
アメリカに進出している日本の本屋はアニメや漫画のコーナーを広くとっている。そこに若いアメリカ人が群がって夢中になっている。彼らや彼女たちに日本文化が理解できるはずはないと決めつけるのはたやすい。しかし何が彼らや彼女たちを夢中にさせるのか。それは漫画家やアニメ作家たちのサービス精神だろう。作家たちは読者や観客たちを楽しませるための物語を創作しようと試みる。絵で性格や動き、喜びや悲しみまで描き尽くそうとする。そんな作家魂に引き込まれる若者たちが足を運ぶのではないか。
売れっ子の有名漫画家が若い貧乏時代に”トキワ荘”というアパートに集まって住んでいた話はよく知られている。なぜ漫画家は集団生活したのか。彼らはそこでサービス精神を磨き上げたのだろう。容易なことではない。最後には精力を使い果たして往く人が多い。喧嘩でもなく闘争でもないのにボロボロになるまで生命を燃焼させる。その凄まじい情熱が、見られ読まれるに堪えうる絵を産み出した。彼らは絵を通してひとびとの感情を揺さぶった。その心意気はアメリカの若者にも届いている。

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