表絵文字(2)

日本語(2)表絵文字         11/09/2008

書き言葉には表意文字と表音文字があると教わった。漢字は表意文字で英語は表音文字である。表音文字は音を書き表す。現代ではアルファベットが一番効率が良いようだ。音は変わりやすい。発音が変われば書き方も変わる。発音が主、文字は従である。文字が音を真似る。文字は音を記録するための道具だ。だからだろうか、アメリカ人は文字よりも音を信頼しているように見える。
アメリカ人からはよく英語の綴りを教えてくれと頼まれた。みんな大学卒業生であるが、自国語を正確に書けないことを恥じる気配がない。日本人が外国人に日本語の書き方を教わることはまずない。漢字の間違いを見つけられたら恥ずかしく思う。この辺りが英語文化と日本語文化とは根本的な違いがあるらしいと気付いた初めだった。問題の捉え方がまるきり違うらしい。スペリングの間違いだけを取り上げて教育劣化、学力低下とかんたんに片付けられないのではないか。当初は気づかなかったが、彼らは文字が間違っても、もっと大事な物、音を理解できているのだから平気だったのだ。
小さな事務所で働いていた頃の話である。ボスは普通のアメリカ人だった。日本人の奥さんから習ったのだろう、日本語を不自由なく話した。私とは、日本語、英語のどちらでも通じた。ただし日本語を読むことはできないと言われていた。読めなくても流暢に外国語を話せる人物の存在は驚きだった。相当数の単語を記憶しているはずだが苦労して覚えているようにも見えなかった。
あるとき日本語の手紙を持ってきた。翻訳ですかと聞くと、自分の耳を指差して読んでくれという。アナウンサーのように声を張り上げて読んだ。一回読むとサンキューといって立ち去った。一回の音読で全て分かったようだ。訓練されていない私の声音でどうして文章が理解できたのかわからない。音だけで外国語を理解する人がアメリカにはいるのだ。
ワシントンでFBI本部を見学したことがある。公開講座を開いて射撃や逮捕の実演を見せたりする。会場に入ると、小学六年生の修学旅行と思しき集団が着席して説明を聞いていた。百人くらいか。説明が終わって担当者がでは次の部屋に行きますと言った。その瞬間全員がさっと立ち上がった。小魚の群れが瞬時に向きを変えるような感じだった。集団としての見事な身のこなしに唖然とした。左右を見回したり、動作が遅いグズがいてもよさそうなのに。兵隊の訓練を受ける前に、行進、停止、反転などができる感覚が身についているようだった。
その時思い出したのは最初の大きなハイジャック事件だった。イスラエル航空機が乗っ取られエンテベに着陸させられた。犯人との交渉はリアルタイムで報道され世界中が固唾をのんでいた。三日目にイスラエルの特殊部隊が突入して乗客をほぼ全員救出した。
特殊部隊は突入すると煙幕弾を投げると同時に、「伏せろ!」とヘブライ語で叫んだそうである。ヘブライ語を理解しないものが立っている。鮮やかな事件収束に感嘆した。どうして民間人がぱっと身を伏せられたのか想像できなかった。「えっ」と見回しているうちに射殺されてしまう。頭にも耳にも体にも音を信頼する感覚が身についていればこそ可能な作戦だったはずだ。
十冊ほど本を出版している人に英語の原稿を直してもらったことがある。なんでも手伝うからと言われたので頼んだのだったが、一箇所しか直してくれなかった。がっかりしたけどなんとか完成しなければならない。原稿を読み進めて行くと、最後に註がついていて、「だいたい良いから、あとは自分で声を出して読んでみて、文章の調子が自然になるように修正しなさい。」とあった。図らずも英作文の基本を教えてもらった。
英語では書くにも読むにも発声が基本になる。彼のインストラクションなら自分自身で下手は下手なりに勉強向上できる。同じ方法で練習していけば、文章作法も洗練していくに違いない。最後はセンスの良さが決め手になるだろう。ベストセラーを書くほどの人は文章と音読と身体のリズムの関係まで知悉しているはずだ。夢中で読んだ本は、考えてみれば文章にリズムがあった。
アメリカ人は演説が上手い。なかでもクリントン大統領は飛び抜けてうまかった。鮮やかな記憶として残っているのは、大統領候補受諾の演説だ。その前夜にゴア副大統領候補が素晴らしい演説をした。もうクリントンの出番はないのではないかと思いながらテレビを見た。終わってみれば期待以上の見事な出来だった。政策や人格は別として、超一流の演説だった。
超多忙な政治家である。原稿をひとつひとつ書いている暇はないからスピーチライターの職がある。他人が書いた原稿だが、壇上では見事な演技をする。テーマの並べ方、間合いの取り方、声量、身振り、笑わせ方、そして聴かせ方まで、これでもかこれでもかと惹きつけられた。音に価値を置いた文化、表音文字文化の頂点を極めた演説だった。

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