歴史の忘れかた(2)
2001 年 9 月 11 日、私はボストンにいた。また月曜日かと思いながら出勤の準備をテレビをつけながらしていた。静かなスタジオに突然外部から電話がかかり女性の緊迫した声が放送され始めた。五分しないうちに炎を上げる貿易センタービルが映し出された。キャスターが映画みたいと言った。誰も実感がわかないうちに二機目のジェット機が南ビルに突っ込んだ。大事件だと思ったのはその時で、遅刻覚悟でテレビを見続け、二棟の崩落を確認した。
出社するとみんな大騒ぎで仕事にならない。ボスが、「おい、犯人の二台の車が見つかったぞ、車内にアラビア語の操縦マニュアルがあったそうだ。」と教えてくれた。ニ機のジェット機はボストン空港発だった。その時には前日泊まったホテルも確認されていた。警察の迅速な初動捜査と一般人への情報伝達の速さに驚いた。
出勤したときには全米の空は閉鎖されていて、飛行機は全部最寄りの空港に着陸していた。日本で同じことができるかなあ。全空域が閉鎖された四日間の重苦しい気分を思い出す。一月後、ニューヨークからジャマイカへ向かう飛行便が離陸後ドボンと海中に突っ込んだと報道があった。やっぱり誰かが見張っているんだと感じた。数ヶ月後でも飛行機旅行は無条件に怖かった。
911事件以後、アメリカは急速に鎖国し始めた。飛行場に行くたびにデータを取られる。出入国管理の厳しさは日本の比ではない。Eメールまで収集されるようになって自由の国ではなくなった。あたりまえのようにできたデモができなくなった。若者も自由奔放は許されなくなった。
911事件は謎が多い。事件の全貌が解明されないままに怒りの矛先がイラクに向けられた感じがする。この流れはアメリカ方式になっているのかもしれない。1898年の「Remember Maine」ではスペイン人水兵の仕業といわれて米西戦争にもっていかれた。 「Remember Pearl Harbor」では日本が悪者にされた。911ではなぜかイラクが標的にされた。一世紀の間に三回の大戦争が同じパターンで起った。このペースでは、50年後、同じような大事件がアメリカ国内で起こるのかも知れない。
二日後の水曜日に予定されていた会に出席した。アメリカ全体がお通夜みたいに静まり返っていた時である。ドアをノックするとニコニコしながら女主人が現れた。
「ああ無事だった。よかったね、おめでとう。」
「えっ、みんな暗い顔してるのに何がいいの。ニューヨークのビルの崩落知ってるでしょ。』
「これからは真珠湾奇襲攻撃のこと言われなくなるからいいじゃない。」
「どうして?」
「国際貿易センタービルで亡くなった人数はパールハーバーでの死亡者数より多かったのよ。」
終わり
hagre