糖病記(2)

糖病記(2)     02/17/2019

Stroke (鼓動、打撃)の原因はわかりやすい、図に書いて理解できる。突然の発症も、機械的な破裂や閉塞の可能性を明示する。
血管の中を血が滞りなく流れていれば問題はないが、血瘤が生じて流れを塞きとめることがある。その先は血の養分が届かないため失血で難症が起こる。血管が狭くなるケースもある。血管が破裂すると脳溢血になる。
Stroke の予防策は、血が清流のように滞りなく流れるようにすること。血管を丈夫に健康に保つ。血を薄くする、血瘤を溶かす。閉塞まで行ったら管内掃除やバイパスをする。血管は意外に強くてめったに損傷しない。しかし生体だ、老化、劣化は考えなければならない。応急手当ての遅れは致命的である。

糖尿病については病院から解説書をもらったが何度読んでも理解できない。病気の原因が書いてない。原因がわからなくてどう治療するのか。症状に第一、第二、第三段階とあるが境目が判然としない。血糖値の高低も朝晩、食事の前後で変わる。平均値が正しいという根拠も薄弱だ。インシュリン注射とか大きな話に持っていかれる。
小学五年生のとき同級生が糖尿病になった。見舞いに行くと暖かくして静養するよう指示されて寝ていた。病気のように見えなくて自覚症状もないという。痛みや体の変化がないまま病気だと言われる。六十年後も同じ。
今は世にあふれて錯覚しているけれど、砂糖は自然界に存在しない。砂糖、メイプルシロップ、コーンシロップなどは人が樹液を煮詰めてできる。純化しすぎた精製糖は自然物ではないので毒物と分類されてもおかしくない。目安が血糖値でわかるように、多過ぎる糖分摂取が糖尿病の原因であるのは間違いない。
酒も過ぎれば毒となる。二千年前から不飲酒戒とて酒の毒性に気づいた人々がいた。砂糖も同じように摂取過多になると毒性が顕著になるのだろう。米や芋や果実も甘いが精製されてないものは毒ではない。
糖尿病が進行すると悲惨な状況になる。肉体的にも精神的にも制御不能になって薬漬けで生きる。不自由な食生活、検査と投薬の日々、足や膝の手術、松葉杖の生活。症状が多様すぎて何が原因だったかわからなくなる。
砂糖産業は絶大な金と力を持っているので、医者も研究者も砂糖が毒だとは言えない。代わりに血糖値が原因だとのたまう。

糖分はどこで吸収されるか。小腸であろう。砂糖液は米や豆や栗や肉などに比べて真っ先に吸収される。血糖値がぐんと上がる。加齢で弱くなった脳の神経の特定部位が小腸から送られる高血糖に耐えきれなくなる。異物、毒物である精製糖分が大量に入ってくるときの生体反応の一つが Stroke だ。健常体を精製糖が内側から攻撃する。糖尿病が文明病である証拠だ。
神経は強い大きな神経鞘に保護されているからなかなか破損しない。ダメージは神経細胞の連結部であろう。また神経は血管が通っていない。栄養の供給はリンパ液を通してされる。なかなか後遺症が治らないのはリンパ液による修復が遅いからだ。
リンパ液は血液の二倍半あり全身に水分と養分を供給する。全身を巡ったリンパ液は腎臓を通って血管に戻り循環を繰り返す。
血管から滲み出たリンパ液は心臓の圧力では流れず身体の動きに沿って移動する。跳ぶ、走る、歩くなど運動するとリンパ液がより速く流れる。養分や老廃物の新陳代謝が進む。血の巡りもよくなり怪我や傷が治りやすくなる。脳卒中のリハビリには運動が欠かせない。四マイルほど坂道を頻繁に歩くことにしたのは理にかなっていた。

ガンの研究は進んで、原因と治療法はほぼわかった。簡単にいうと低体温が大敵のようである。薬をやめて運動することでガンが消滅するケースが多い。また胃がんは痛みが少なく食欲が細って死ぬだけだから理想的な死に方だという人もいる。
それにひきかえ糖尿病は原因が特定されない。それどころか血糖値を適当に定めて病人を作り出しているように思われる。健康な人でも血糖値の高いときに検査されたら抑制剤の投薬が始まる。病人になる第一歩だ。苦痛や不具合の自覚がありませんというと、自覚がないのが糖尿病だと決めつける。
精製糖が Stroke と糖尿病の原因ではないかと推理したが、タバコが肺癌の元と主張するように抽象的であいまいだ。実際には例外がたくさんある。コレステロールも心臓病の原因ではないそうである。逆にコレステロール抑制剤の方が怖い。
では精製糖と Stroke やコレステロールが引き起こすと言われる心臓病との間に共通する現象はなんだろうか。それは Inflammation (炎症)らしい。あらゆる細胞は必要だから存在するので、健康ならば体液が滞りなく流れる。流れが滞ると炎症、腫れが生じ、そこが弱点になる。そこから血管が破れたりガンが発生したりする。
蜂に刺された時皮膚が赤く腫れ上がる。白血球が集まって異物や毒を攻撃し損傷部位を修復する現場だ。掻いたら血が出る、血管破損になる。個人差があって二日三日治らない人もいる、リンパ液が滞り皮膚は脆弱なまま。
同じような腫れが体内の血管や細胞でも起こる。蜂の毒と同じことを精製糖が行う。塩を摂ればシャキッとするのに反して甘い砂糖だとだらっとする。砂糖が腫れを作りやすい体質に身体を誘導し炎症を多発して糖尿病へと導く。
終わり

糖病記(1)

糖病記(1)       02/17/2019

2018年九月九日、日曜日は接心中だった。午前中坐っていると右腕が突然締め付けられて冷たくなった。何かがおかしい。坐禅を切り上げて参禅者に参考意見を聞くことにした。お茶を入れようとすると手が震えて茶碗が持てない。すぐに救急病院へ行くことに決まり、運転してもらった。自分で運転する自信はなかった。
病院では血圧と血液の検査があり、血糖値が315で糖尿病と言われた。平均値は150だそうで、異常を認めざるを得なかった。一泊して様子を見ることになり、右足、右顔面、発声、瞳孔、握力や腕の力などを試された。看護婦が交代するごとに同じ質問が繰り返され記録に取られる。対応がマニュアル化されている。
周囲の騒ぎとは裏腹に、リンゲル液が注入され始めると不快感はスーッと消え去り、震えもなくなり血糖値も170に下がった。いつでも退院できる状態になった。ひどい時は半身不随になる。軽症で幸運だった。
CT スキャンと心電図は異常なかった。翌朝の MRI 検査で Stroke と診断された。頸動脈内に血瘤が写っていた。年取って動脈が狭くなったと解釈できる。日本語では脳卒中であろう。Aspirin, Lipitor と血瘤を溶かす薬 Clopidogrel をもらって帰った。

薬の効果は抜群で、一年間何となくすぐれなかった気分がシャンとなった。視力が回復し気力も回復した。ふだん薬を飲まないから余計効くのかもしれない。効きすぎるのではないかと不安になった。頭は冴えるが考える気にならないのは薬の限界か。
ときどき頭がフラーっとなる気がした。気のせいかどうかわからない、病気中かもしれない。膝がカクンと力を失う感覚もあった、小さな小さな後遺症だろうか。事故は起こさなかったが用心することにし、重いリュックを背負って速歩すると決めた。
2マイル先にバス停があるので坂道を下る。街まで行って小さな用事を済ませ、リュックを満杯にしてバス停から登り坂を歩く。合計3時間ほど、週一回は歩いた。クルマ文明の行き着く先にきてしまった。生きるためには歩くしかない。
退院して一週間後チェーンソーの研ぎ師にあったついで、Stroke で病院へ行ったと言ったら、
「俺の親父はひどい Stroke で頚動脈の内側を掃除した」とのこと。それが死因か聞くと、
「Strokeは治った。二年前に死んだが、癌だった。」
Stroke はありふれた病気で、一昔前は死因の上位だった。半身不随で十年以上苦しんだ人も多かった。今の自分は医学の進歩の恩恵を受けている。
九十日で薬が切れた。薬断ちで二週間ほど過ごして血液検査の後、十二月十九日に主治医に会った。糖尿病だからと新薬を勧め長々と説明する。運動も食事療養も大切だが、新薬は血糖値を下げるという。糖尿病だから血糖値が高いという見方だ。
新薬は拒否した。血糖値は生体が決める、特に肝臓の役割が大きい。コレステロールも肝臓がコントロールするので似ているが、人工的に血糖値をを抑圧するのは肝臓を攻撃することに等しい。本当の病人になってしまう。酒が飲めないくらい弱い肝臓がますます弱くなる。肝臓の重要な機能の一つは解毒作用である。全ての薬は毒でもある。解毒作用も抑圧される。
医者と喧嘩ばかりで済むわけもないし不安でもある、Aspirin と Clopidogrel を買って帰宅し、三日に一回飲むことにした。アメリカ人は三倍の質量だから、小さい体には三分の一の服用が適当だろう。
二日後に気分が悪くなりまた発作かと疑った。どうやら病院で風邪をうつされたらしく、大事には至らなかった。その頃からめまいはしなくなり、完治したという手応えを感じた。四ヶ月かかった。

思い返してみると、前の年一年間は気分の優れない日が多かった。曇天が多く小雨の日が続いた。カラッと晴れた日と乾いた空気が特徴だった天候が、紳士がいつも傘を持って歩くロンドンのような気象に変わった。地球温暖化の影響と思われる。鬱になり運動量が減った。
三月のある日、地下室で薪を割っていると軽いめまいがした。手すりを伝ってソファーにたどり着き一時間ばかり座った。怖くて立ち上がれない、どこか気分が悪い。気分の悪さは一週間ほど続いたが快方に向かった。そして明るい春を迎えめまいも気分も忘れ外で働くようになった。
気分の悪さの質が同じなので、半年かけて症状が進んだということであろう。三月に病院へ行っても、気分が良くなる薬を処方されて終わりだったであろう。それほど軽症だった。病気も外見から症状が見分けられるくらい悪化する方が本人も周囲も納得できるというところがある。
春も夏も曇天と小雨が続いた。外の作業は計画通り進まない、イライラが募った。なぜかアイスクリームが欲しくなり、三十年食べなかったのに大量に買って食べた。蒸し暑い時にはオレンジジュースやりんごジュースをがぶ飲みした。果物だから体に良いと思ったのだが、これら三者には砂糖が大量に入っていた。砂糖が九月の発作を引き起こした主要原因ではないかと思われる。

論壇時評(3)

論壇時評(3)           03/10/2011

平川祐弘氏は一高で不破哲三と同室だったそうである。同室になると何故同じ思想に染まるのかわからないが、同級生で共産党の活動家になったのは少なくなかったという。熱心な活動家の一人はのちに共産党に除名されて不遇な一生を送ったと書いてある。除名したのは不破だろう。
だいたい日本共産党に除名されて何が不遇なのか。もっけの幸いではないか。ソ連や中国のように殺されるわけじゃなし、不毛な思想団体から解放されればあとは好き勝手なことをすればよい。二十世紀に一億人を必要もなく虐殺した政治思想にそこまで恋い焦がれるとは。複雑に悩む問題だろうか。
東大生には不立文字や以心伝心などという言葉は届かないのかな。資本論や共産党宣言に書いてあることは偽りではないかと想像することはできないのか。製本されている書物にはすべて正しいことが書いてあると思い込んでいるのだろうか。正法眼蔵と仏典以外はどれもこれも疑わしいと解ってくると、文字を信仰する人物とその心構えがあほらしくなってくる。
プラトンはなぜ偉大なのか?それは彼がアカデミアという学校を作ったからだ。アカデミアは九百年続いた。その間多くの学生が巣立ち、プラトンの学説なるものを伝えた。プラトン哲学や論理を学んだのだが、卒業したら教師となって教えた。創立者であるプラトン、学校を作ったプラトンは褒め称えられた。
アカデミアは教師資格を授与するところであった。学生は真理よりも就職に関心が強かっただろう。真理の根拠そのものは深く追求されなかった。普通の学校教育は真理の発見と伝達とは関係が薄いように思われる。プラトン自身が得たものは真理の影だと自ら言っている。
真理を本気で追求し解明に成功したのは、インド文明と日本文明だ。坐禅と仏教、古事記と万葉集、そしてサンスクリットと日本語だ。
東大信仰と朝日信仰、その信仰心を利用して赤旗が「世界」を通して朝日新聞に食い込んだ。朝日は戦後、マッカーサーが日本解体を目標にしていることを察知して、いち早く社是を変更した。旧経営陣が去った後に復員した社員が赤旗を振って幅を利かせた。岩波書店と同じだ。ところが朝鮮動乱でマッカーサーは、本当の敵は日本ではなかったと悟った。解体弾圧の標的が一夜にして反転した。それ以来朝日新聞社は反米なのだそうである。
この頃やっと、世の中の動きが見えてきた気がする。その最大の理由は朝日新聞を読まなくなったことだ。この新聞を読んでいる間はいつも頭痛がしたし、いくら読んでも物事の解決策は見つからなかった。世界とは、社会とは、国家とは、人間とはなど幾多の設問があるが、朝日からは混乱しか得なかった。真理の報道を明言しながら実は真理の探究を邪魔していた。
朝日新聞が推奨する総理大臣は例外なく愚劣だった。朝日が反対する政治家には見識ある人物が多い。強力に支援されて首相になった鳩山由紀夫氏の末路は明らかだ。応援する内閣がいずれも短命なのもわかる。破壊思想を振り回すばかりで長期的な建設目標はない。まず破壊!全共闘の同級生が絶叫した。
四十年間の愛読、精読、熟読の結論として、朝日は何事ももっともらしく扇動するのはうまいが、その結果としてトラブルが起こった時に解決策は持ち合わせない。都合が悪くなると逃げ回りごまかすばかり。せいぜい「話し合え」というだけだ。北朝鮮に渡った人の九割は朝日新聞の地上の楽園宣伝を信じて帰還を決断したという。それは済んだ話かもしれない。現在は、引きこもりや、登校拒否や、家庭内暴力が問題か。暗い問題で悩む家庭を訪問すれば、朝日新聞が積んである可能性は高いだろう。
終わり

P/S ; 2019年から振り返れば、なぜ朝日新聞に入れあげたのか不思議に思われる。それは世界や人生の見通しがついたからだ。何が大切で何が価値がなく、虚偽と偽物か解ってきた。敗戦の影響や西洋思想の侵略が問題を複雑にした。情報を得て勉強しなければならないが、何を追求すればよいかもわからない青春時代だった。朝日は身近にあって少し上の理想を示しているように見えたので食いついた。
ときどき他紙を読む機会があったが、朝日の文章は抜きん出ていた。他の新聞はアジビラや明からさまな宣伝が多かった。文章の質の高さで信用していた。
「中国の旅」が連載されると朝日新聞は読めなくなった。生活環境が激変したのも手伝って数年間新聞から離れた。悪意ある偽物は読まないと直感が拒否したとしか言いようがない。読書も新聞もほんとうは客観的な真理を伝えるものではない。
現今は朝日の文章の質は低下した。朝日の主張の反対が正しいと言われるまでになった。ネットの普及が朝日の嘘を完膚なきまでに暴いた。社是が間違っていると最後は嘘ばかり垂れ流し文章の質まで低下する。間違った人生観から始まると個人の人生も同じような道をたどる。しなくてよい回り道をしてしまった。