映画時評(1) 05/06/2011
2006年の三月だった。あるユダヤ人のおばさんが見せたい映画があるからいらっしゃいと言ってきた。六十歳過ぎで離婚の手続きを進めていて、不幸な時期の人だった。離婚する相手は離婚のアドバイスを職業とする人だった。弁護士を介在しないで安く離婚する方法ができている。新聞記事にはなりにくい人間模様である。断るのも失礼と思い出かけた。
一本のVHSテープがプレーヤーに入れられた。画面に「楢山節考」のタイトルが白黒で跳びだす。ドキッ。原作は深沢七郎。エッ。主人公は緒形拳、こんなところに。そしておどろおどろしい映画が始まった。
朝日新聞でなんどもカンヌ映画祭で最優秀賞をとったと枕書きをつけて記事になった映画だ。それまで見たことはなかった。深沢七郎は出版社の社長夫人が殺された原因となった悪徳小説を書いたとして有名だった。そんな人間の小説を原作とした映画に緒形拳が出演する。俳優は金のためならなんでもするのか。監督は今村昌平。
最後まで見たが、見るに耐えない気持ちの悪い映画だった。舞台は東北の寒村、農家だけの村で、年取った母を主人公の緒形拳が山奥に捨てに行くのがクライマックスだ。延々と母を背負って険しい山道を歩いていくと窪地があって、骸骨が諸所に転がっている。以前に捨てられた老人たちだ。そこが母の捨て場である。雪が降っている。母親は着物を着ているのだが骸骨群の周辺には布地が見当たらない。縄文時代の布だって保存されうる。嘘っぱちの場面だとわかる。
洋画に出てくる、ライ病者の谷を真似している。村では一家惨殺がある、泥棒、夜這い、老人虐待、ありとあらゆる悪徳を詰め込んで、不気味な醜悪感を醸し出している。ゾーッ。
日本は聖武天皇の時代から火葬が標準である。何体もの骸骨がゴロゴロしている場所はない。明治というより徳川時代から親でも子でも遺棄したら犯罪だ。普通の家庭の主人が母親を捨てるか?さすが殺人事件を惹起した深沢なにがし。こんな汚穢極まりない映画が金賞とは。カンヌ映画祭とはなんなのか。
頑丈な造りの家の中に神棚や仏壇はなかった。異様だった。それは人が生きる時の心の中の規範と拠り所がないことを意味する。唯物論とはよく云ったものだ。日本人をウサギや豚のような肉の塊と観ている。食って寝て罵り合い殴り合うだけの人間を日本人だと描いている。大和精神と大乗仏教を除いたら牛や鹿のような動物と大きな違いはないかもしれないが。
田舎を舞台にした映画ではよくお寺や神社が出てくる。子供達が境内で遊ぶ。自然と伝統の中で成長するのが日本人だ。ところがこの映画には本が映らない、読書や書き物をする動作もない。読み書き算盤がない明治の田舎なんて日本にあっただろうか。
立派な構造の日本家屋はふだんに掃除と修理が必要だが、そのための道具、職人、人の和が見られない。古事記に描かれているような笑いがない。こんな日本はない。背筋に薄ら寒いものを感じた。
終わってから、暗闇を除いた気分覚めやらないままに、「これはフィクションだよ、事実とは程遠い作り話だからね。」と念を押した。すると彼女は、「何を言うか、これが日本だ。お前は日本を知らないのだ。」と言い返してきた。日本語も解らず日本へ行ったこともないのに。
江戸時代の古文書を読む会に参加したことがあった。四国の片田舎の庄屋の土蔵にしまってあった手入れの行き届いた文書群に囲まれた数日間だった。大阪から講師を呼んで村人に話した内容が達筆で記録されていた。大半は親に孝に、兄弟仲良く、隣近所協力しあってという道徳物だった。中央に先生がいて、地方人が呼んで人の道を学ぶ江戸時代の仕組みが理解できた。往来と情報の交換は、人が日本列島に住み着き始めたとき以来、想像できないほどの密度とスピードでなされていたのだ。
松前藩ではアイヌについて、貧窮者の無いように、独り住まいの寡婦の無いようにと出先機関が指導していたという。姥捨、一家惨殺などあれば大問題になったはずだ。教科書にも乗っていただろう。
現実の明るいまともな日本人を憎んで、頭の中で邪悪な人間像を拵えるのが芸術なのか。2011年三月十一日の東日本大震災、大津波で世界に放映された被災者の姿こそありのままの日本人だろう。映画監督に代表されるインテリは世界が賞賛する日本人を憎むのが仕事らしい。インテリとは人間嫌いの別名だろうか。
どうしてこんなことになるのか。一つは唯物論、つまりマルクス主義共産主義を信仰しているからだろう。もう一つは対極に位置しているようだが、戦後のアメリカの洗脳だろう。洗脳工作を仕掛けたのは共産主義者ルーズベルトの手先なので、ともに唯物論者ではあった。
文芸春秋一月号2011、に弔辞の特集があって、俳優北村和夫が今村昌平に弔辞を送っていた。映画仲間の腐れ縁か。「うなぎ」なる映画でもカンヌ映画祭で金賞を取ったという。監督の作風がガラリと変わることはないだろうから、やはり醜い反日映画だろう。機会があれば、自説を確かめるために一度だけ見たい。正体は分かっているから論評する価値はないだろうが。
同じ号に民芸に所属していた女優北林谷栄に黒井千次が弔辞を読んでいる。彼女は老け役が得意だったという。文才があって「楢山節考」を脚色し舞台で自らおりん婆さんを演じてはまり役だったそうだ。若いけれど老けて見える女性が才能の限りを尽くして人間の暗闇をほじくり出し言葉を紡いでいた。情熱をかける場を間違ったのじゃないか。骸骨が散在する姥捨山など日本にないのにあえて妄図を作り上げる。醜悪汚穢のネタを探し出そうとする真面目な探究心は形容のしようがない。普通の日本人がそんな舞台を見たいだろうか。