映画時評(2)

映画時評(2)          05/06/2011

学生時代は黒沢明作品が次々に発表された。その都度朝日新聞はかならずケチをつけてこき下ろした。そのせいもあったのだろう、日本で見たのは「椿三十郎」だけだった。とても面白かった。いまでも仲代達矢と三船敏郎が酒を酌み交わす会話が蘇ってくる。最後に抜き打ちで勝負をつける場面の迫力は他に類を見ない。
しかし朝日新聞の映画時評では「用心棒」より一段劣るとなっていた。それで映画を素直に楽しんだだけの自分はやはり鑑賞眼なるものはないのだと劣等感を増幅させた。自分に芸術は解る訳ないと言い聞かせた。額にしわを寄せしかめ面で見る映画が芸術だろうと思った。
ところがアメリカに来てみるといたるところで黒沢映画祭があった。スクリーンに三船敏郎の名前が出るとパチパチと拍手が起こる。おおっぴらに楽しんでいる。人気の在りようにびっくりした。日本にいながら日本の宝物を見過ごしていた感じがした。話のネタにしようとできるだけ見に行った。おかげでだいたいの作品を見た。そして鑑賞するごとに黒沢明のファンになっていった。アメリカで、頭でっかちだった芸術観が溶解していった。
知識とは厄介なものである。アメリカ文明の恩恵を享受しながら、同時に彼らは朝日新聞を読むインテリではないと内心で見下す面もあった。知識と事実との間のねじれだが、認識の問題は複雑かつ深いものがある。何万巻の仏典を読んでもわからないことばかりだ。
高尚な芸術を理解する能力はないと思い続けた偏見が崩れたひとつの契機には次のようなこともあった。遠藤浩一氏が「正論」に「福田恆存と三島由紀夫の戦後」を連載されていた。2009年七月号に「文学座」の杉村春子とふたりの偉大な作家との確執が書かれていた。福田恆存は文学座のための劇作家だったが退座して劇団「雲」を創った。彼のあとに三島由紀夫が劇作家として入ったがまもなく辞めた。遠藤氏はその経緯を忠実に書き記していて、当時何があったか知るのが楽しかった。自分が生きていた時代のことだが全く知らなかった。
文学座や福田恆存氏の劇団に関する断片的な事件は朝日新聞で読んだことがある。芸術音痴の下々にとって重要なことは、杉村春子は常に”大女優”と冠されていた。だから舞台は見たこともなく演技とは何かを知らない素人でも、杉村春子と聞けば大女優だと想起した。あとで小津安二郎映画に出演しているのを見たが、自信と貫禄があって上手な役者だった。問題は大女優の評価が観客どころか一般人にまで常に刷り込まれていたことだ。
278 ページに、ある退座する俳優と話し合ったこととして次のような言葉が記されている。「団体を取れない時の切符をさばく苦労は知っているでしょう。」と。
つまり金を稼ぐために舞台で演じていたというのだ。誰が団体なのだろうか。労演だそうだ。サヨクの労演が喜ぶような演目でなければ大量に切符は売れない。大女優はサヨク政治団体が喜ぶものを演じていた。全部とは言わないが、大女優の大きな関心事の一つはカネだった。わかりやすい。
楢山節考や杉村春子の舞台を見に行くのはサヨク団体が多いということになる。サヨクは朝日新聞を読み、朝日新聞はサヨクそのものだ。朝日は大衆動員しやすいように杉村春子の冠詞にかならず大女優の形容詞をかぶせる。楢山節考の場合はカンヌ映画賞受賞と持ち上げる。内実は商業主義というか金漁りなのだが、表向きは芸術至上主義だったり、表現の自由だったり、純粋文学だったりする。高尚に聞こえる言葉で飾り立てる、洗脳する。新聞雑誌の文章にはウソが散りばめられているようだ。

 

コメントを残す