映画時評(4)

映画時評(4)         05/06/2011

駒澤大学の大学院生が訪ねてきたことがあった。禅や仏教についてよく知っている人は日本でも少ない。外国で仏法をともに語るなど奇跡のような出来事だ。世間話のついで「カトリックの神父さんも大変だよな、会ったこともない神様の話をしなければならないのだから。」と口が滑った。
「曹洞宗の坊主だって悟ってもいないのに。」と反応があったのだが、その学生はすぐ黙り込んでしまった。悟りについて議論できるぞと待ちかまえたのに、会話が続かなかった。なぜ悟りとはなんであるか滔々と喋らないんだよ、そのために勉強しているんだろ、あなたと議論できなかったら誰と話せるんだと口惜しかった。
なぜ引きこもるんだろう、それも曲がりくねった方向で。彼は自分が悟っていないとは言わない。坐禅が得道の正門とは道元禅師以来の宗旨で疑問の余地はない。だから悟不悟に関わらず、坐禅してなんとか悟ろうとするのはストレートな求道心の表現だ。ところが身近な曹洞宗呂を非難して自分は関係ないという顔をする。不思議だった。
このような心理の謎が解けたのは「閉ざされた言語空間」江藤淳、を読んだ時だった。人は生きるためには自分は正しいと思って行動する。他者を非難することは同時に自分を肯定することになる。いわゆる善人義人になる。
ところがマッカーサー占領軍は本当の悪役や外国勢力をマスコミが取り上げることを禁止した。すると、何か悪い事件が起こると、日本の何かを非難するしかできなくなる。戦争責任があると言って親や父祖を非難する。過去ばかりか現存の日本政府を批判する。日本列島の中で日本人同士で喧嘩し続けるように仕向けられた。その経過が江藤淳の本に書かれている。くだんの学生も、曹洞宗呂でありながら曹洞宗徒を貶める罠に陥っていた。その時はまだ該書を読んでいなかった、残念だ。
日本は戦争責任を果たしていない、ドイツに比べたら賠償も誠意をもってしていないと説教されたことがなんどかある。また朝日新聞の受け売りかと辟易しながら、戦争責任とはなんですかと反論した。じつはサンフランシスコ講和条約を結ぶことが戦争責任を果たしたことで、その時賠償金もすべて精算された。スイスにもイタリアにも金を払った。
ロシアとは変則的な状況が続いているが、講和条約を結んでいないからだ。ドイツはヒットラーが自殺して政府がなくなったから条約を結ぶ責任者がいなかった。ドイツの方が異常なのだ。
南京事件がいつも問題にされるが、手っ取り早いのは東京裁判を行なったアメリカに事件に関する情報公開を請求することだ。いまだに情報開示しないのは、伝聞証拠だけで有罪判決を下したとは認められないからだろう。なぜならアメリカは正義の国、正義の民だからだ。(2019年に南京大虐殺があったと主張するマスコミは世界中にまずないと思われる。理由はいつか書くことになるだろう。)
米西戦争はアメリカの陰謀だったと1990年代にアメリカが認めた。事件から100年後のことだ。今更スペインは手も足も出せない。一方、過去の間違いを認めるアメリカはやはり正義の国だと自己正当化した。
ヒットラーのユダヤ人迫害がなぜ起こったか、原因はあらゆる方面から研究されていると思う。一つには、聖書にユダヤ人がイエスを殺したと読める箇所があるからだ。イエスの敵はキリスト教徒の敵になる。
しかしこれはおかしなことが多い。イエスはユダヤ人であってキリスト教徒ではなかった。ユダヤ人同士の内輪揉め事件だった。したがって聖書の中ではキリスト教徒はどこから見ても潔白だ。ローマ国内における死刑は皇帝の裁可が必要なのにその記録がない。総督のピラトが決定したとされている。ローマ法の国でありうることだろうか。そもそもイエスは実在したかどうかはっきりしないという人もいる。にもかかわらず悪いイメージが増幅された。そして悲劇が起こった。
楢山節考にしても南京事件にしても自虐史観にしても、もともとはでっち上げである。悪いイメージばかりが作り出されてきた。懸命に身近な同胞の中に罪をえぐり出そうとする情熱は、その多くは占領軍にそそのかされた心理による。妄想としか言いようがない。占領軍の洗脳によって一定方向に妄想が起こさせられた。
渡部昇一氏らをはじめとする少なからぬ先達は、日本人を洗脳から覚醒しようと啓蒙されたのであるが。

 

 

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