映画時評(6)

映画時評(6)        05/06/2011

信念とか信仰と言われるものは思想や人生を大きく左右する。思い込みと一括されるこれら心の形は幼児からの経験を通して自然に形成されると思われている。各個人も自分が考える、信じるという心理を通して当然とみなすことが多い。異なる信念の持ち主が討論する、反目する、喧嘩する。
信念、信仰というから崇高な心象と感じられるが、じつは知識の一種だとわかることがある。信念信仰は破壊されざる核心だが、知識なら増減、変形は常に行われ、柔軟極まりない。その知識が人為的に与えられたもの、あるいは強制されたものなら洗脳と言われる。そして信念も信仰も洗脳の産物である可能性がある。
歴史観や思想は思考体系だが、すべてを説明しているように聞こえるために瑕疵のない真理と受け取られることが多い。ギリシャ哲学とかドイツ思想と言われると明白な真理と思う傾向が強い。アメリカでは自由が自明の真理とされる。日本では初詣に行くが、年頭の行事に疑問を挟む日本人は少ないだろう。
ところが人造の思想体系を刷り込まれることがある。第二次大戦後のアメリカ占領軍は公然と大がかりな洗脳工作を行った。事実とは異なる認識を強制した。つねにアメリカは善、日本は悪と言い続けた。反論は許されず、反証は無視された。大戦後、日本人と日本社会はアメリカの総力を挙げた洗脳によって変質したように見受けられる。
主に新聞、ラジオ、書籍を通した洗脳工作だったが、社会全体だけでなく個人的にも大きな影響を受けた。洗脳は事実の歪曲から始まる。学校で習うことが歪曲された偏見であるとしたら、新聞やテレビが偏見ばかり報道するとしたら、個人はどうすればいいのか。真理が分かるまで不快な偏見と戦い続けるしかない。洗脳からいかに脱出するかが自分の人生航路になってしまった。
例えばバターン死の行進と言われる事件があった。フィリピンで多くの犠牲者を出したとされ本間雅晴氏が捕虜虐待の罪に問われた。裁判で有罪、死刑にまでなったのだから悪事があったのだろうと受け取る。
ところが文藝春秋に、若い女性が実際に同じコースを歩いた記事が載った。二、三日かけて歩いた報告だった。コースは女性が楽に歩ける距離だった、歩くのが捕虜虐待になるだろうか。ただの紀行文が戦後の常識に疑問を呈した。戦後の常識とは洗脳された後の見方である。
するとアメリカ人から死の行進はあったと強硬な反論があった。事の顛末はつまびらかにしないが、文春は譲歩し、女性は言論活動の表舞台から消えた。ただの事実、ただの疑問が誰かの都合で恣意的に抹殺された。
敗戦後の日本は目に見えない圧迫を受け続けている。明治維新以来の西洋文明の侵略が続いているとした方が正しいかもしれない。最近の知見では種子島の鉄砲伝来、フランシスコ ザビエルの来日以来、日本は西洋文明に侵略され続けているとされる。何に対して侵略行為が行われているのか、数世紀のスパンで? 何が守るべき日本か、何が日本人かと常に問われている。
戦争の狂気が冷却したと感じられる2010年の正論5月号で、牧野弘道氏が改めてバターン死の行進について書かれた。死の行進と言われるほどの虐待事件、国際法違反はなかったそうである。文字通り行進であって、敵味方とも普通に歩いた。地獄図絵が繰り広げられたことはなかった。かえって一つの大事件が完全なでっち上げであった可能性がある。事実、真実、信仰、信念、思想、偏見、宣伝、洗脳。人はいかにして真実を知り得るか。
牧野弘道氏の文章を読んで思い出したのは、アメリカに渡って一、二年、マッカーサーは偉大な統治者だったと会う人ごとに感謝の言葉を言って回ったことだった。日本がよく収まっているのは戦後の占領政策が良かったことによる。その中心人物はマッカーサー元帥だと思っていた。アメリカ人の本場で偉大なアメリカ人について語るのは当然のことだと思った。
ところがマッカーサー元帥を好意的に評価する人は皆無だった。あんな自己中心主義者はいないとか、部下として戦った父はマッカーサーが大嫌いだったとか、散々な反応ばかりだった。忘れられたというよりも、嫌われている感じだった。自由を標榜する個人主義のアメリカでほぼ全員の見方が一致しているのは異常だ。それも好きではなく嫌いだという。
マッカーサーとはいかなる人物だったのか。初期の自分のマッカーサー礼賛はマッカーサーの洗脳だったようだ。日本とマッカーサー、アメリカとマッカーサー、人と国家との関係、わからないことはあまりにも多い。マッカーサーの人物像や戦後占領政策の是非はまだ白日のもとに晒されていない。
現在進行形でひそかにマッカーサー占領政策とのせめぎ合いが続いている事例もある。一定数の人々は気づいているのだが、大多数は無知、少知で気づかない。現在さえ乗り切れば良いと諦めている人がいる。勇気がないため沈黙する人もいる。
名のある人も無名な平凡人も何が日本の根本か、何が自分の拠り所か判断しかねている。それは日本人が自分自身を知らないからだ。自分を知らなければいつ何をするべきか、どこへ行くべきか本当はわからない。

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