映画時評(9)

映画時評(9) 愛染かつら と 青い山脈

「愛染かつら」は戦前1939年作となっているが、元々は若い男女のすれ違いシリーズで主演は田中絹代と上原謙。悲恋の場面が続くが演者は脇役を含めてみんなハツラツとして明るい。誰もが問題を抱えているが、なんとか無難に、周囲に迷惑かけないで解決しようとする姿勢は共通する。第二次大戦突入直前の日本は正常だった。
悪人は登場しない、善意と善意の物語である。田中絹代の美貌は大和撫子の言葉を彷彿させる。日本の美は聖徳太子の十七条憲法、万葉集、天武天皇の古事記、明治天皇の教育勅語を体現した結果だ。日本は清く美しかった。貧乏人も金持ちも美しかった。
アメリカ帰りのハイカラな女性も登場する。彼女のあっけらかんとした個人主義は古びていない。上流階級の生れで金の力がさりげなく描かれるが、同時に善意で行動する。人種差別問題は知られていたはずだが、良質な西洋文明のみを取り入れようと日本人は心がけていた。金持ちは悪という構図は戦後サヨクのプロパガンダだ。
主役二人は最後に結ばれる。ハッピーエンドでなければ映画は決着しない。主題歌である「愛染かつら」は永遠の絶唱で、今も誰かが歌っている。

「青い山脈」は1949年作で主演は原節子、敗戦から四年後である。舞台は地方の女子高校で原先生が古い社会秩序と戦う。3S政策を知っているものにはぴんと来るが、アメリカは日本人を自国に都合よく変えようとした。映画は強力な思想宣伝装置だった。主題歌「青い山脈」も大ヒットしたが、広告会社が操作した感じがする。
原節子の相手役になる医者が暴漢に襲われるシーンがある。地方都市で親も医者の家柄だ、襲撃者は村にいられなくなるから無理な設定に見える。戦後は社会全体に暴力が蔓延していて、映画も当時の社会意識を反映したのか。「異国の丘」の異常な重圧感と重なる。
原節子は女子高生に自由恋愛を教える。伝統的な男女観は封建的で古い上着、そんなものは脱ぎ捨てて新しい旅に出ましょうと説教する。主題歌の歌詞にある通りだが、外来思想は新しくて良いもの、古来からの文化は抹香臭い、切り捨てるべきとする。
伝統を古臭く無用だと切り捨てる見方を断見という。マッカーサーのアメリカが持ち込んだものは民主主義ではなく暴力と断見思想だった。
(断見は仏教語で断滅見ともいう。反対語は常見、常住見で、過去現在未来はつながっていると見る。したがって過去からの伝統も重視するし未来の安全や繁栄にも心を致す見方である。断常二見は思考の二大原則で、仏は両方の正体をご存知だ。人類は知恵が足りないから片方だけ主張し、暴力革命とか伝統墨守とか偏見に陥る。)
伝統を封建的と断罪非難する思考法は、善悪二元論でもある。キリスト教では神様とサタンがいる。善意と悪意の映画だ。楢山節考は悪意と悪意の映画といえる。

平成三十一年(2019)三月二十日、参議院の財政金融委員会で安倍首相が国民民主党の大塚耕平参議院議員に答弁した動画が流れた。それまで懸命に安倍晋三を応援してきた保守日本人は愕然とした。憤りを感じた人は多い、騙されたと。
質問は皇位継承問題だった。悠仁親王殿下が将来天皇になられるのは国民が御誕生の瞬間に沸き立ったことでも明らかだ。皇位継承権では父の文仁親王殿下に次ぐ。天皇は男系男子が践祚すると規定されており、結婚されても女子ばかりが生まれると天皇のなり手がいなくなる。御一人だけでは事故や暗殺も考えると心もとない。
日本国は、神武天皇を始祖とする天皇が在ってからできた。712年に完成した古事記の歴史観をもとにすればという話だが、天皇なしに共通の日本語や和歌や大仏などができただろうか。令和の元号も天皇位とともにある。天皇がいなくなれば日本は日本で無くなり、日本人は消滅する。悠仁天皇の後継者は誰か。
大塚議員は宮内庁に、東久邇家に悠仁親王より天皇の血が濃い男子が複数人居ることを把握しているかと問うた。存じませんの答えだった。臣籍降下された旧宮家復籍を考えないかとの質問に安倍総理は「GHQが決めたことを覆すことは全く考えていません」と答えた。
聞かれもしないのにGHQの単語が出てきたことも驚いたが、GHQの決定にひたすら従いますとの答弁に多くの保守国民はのけぞった。それは「日本を取り戻す」の主張と正反対だから。GHQの決定を変更する気はない?まだGHQ様を拝んでいるのか。
安倍政権はするべきことをしない。原子力発電を再開しないから高い石油を燃焼し続ける。加熱された空気は急上昇しポケットに大量の気団が流れ込む。これが異常気象の原因で、無策が災害を呼び込んでいる。死人が出てからのお見舞い上手は楽しいか。
大企業が外国勢に買収されても知らん顔、防衛予算が5兆円で男女共同参画費が10兆円は狂っている。大陸に人質を十万人以上送って大丈夫か。拉致被害者救出にアメリカ大統領の支援ばかりのたまう。靖国神社参拝もしない。本心は、外来資本、外来思想、外来文化、外来人に汚染され続ける日本にしたいのかも。「青い山脈」の日本で良いと言うなら保守政治家とは言えない。信念も知識もない腑抜けかもしれない。
多くの保守国民は、GHQ、アメリカ占領軍が破壊する前の日本を取り戻すと理解して安倍晋三を後押しした。心の底で「愛染かつら」の日本を夢見た。明治時代、江戸時代を手本にしたい人も少なくない。歴史認識が深化するほど祖先に感謝し未来の子孫のために働こうとする見通しと意欲と勇気が湧いてくる。
保守政治の旗手、安倍晋三は、国体の根本である悠仁親王殿下を巡る皇位継承問題の解決策などとっくに見出していたはずなのだ。そのお披露目答弁で日本中が安堵の胸をなでおろすべきだったのだが。

 

映画時評(8)

映画時評(8)  異国の丘

ユーチューブを渉猟していて、「青い山脈」が観れるのに気がついた。子供の頃よく歌った名曲を聴きたいのと原節子を見たいので二時間以上かけて見た。インターネットだから画像はぼんやりで音声も悪かったが好奇心には勝てない。昭和二十四年作で懐かしかった。
次々と当時の映画が続く。どれも捨てがたくて眠い目をこすりながら一日中見ることになった。題名を並べると、愛染かつら、女の歴史、異国の丘、晩春、さんまの味、麦秋など。ヒロインはそれぞれ田中絹代、高峰秀子、花井蘭子、岩下志麻、原節子、原節子だった。一挙にこれだけ見ると、戦前戦後の日本人が何を考え、人生がどう激変したかわかる。日本人が失ったものの多くが描かれている。
男優は上原謙が戦前、戦後は笠智衆が知られる。しかし脇役も豪華である。あまり名前を知らないが、同じ顔、同じ声で唸らせる演技をする。惚れ惚れしてしまう。昨今は主役ばかり映すハリウッド映画の影響が強すぎる。
さんまの味は初見だったが、日本人の立ち居振る舞いの美しさに見とれてしまった。日常生活の所作が芸術である。男優も女優も脇役から小道具に至るまで見事としか言いようがなかった。かくも気高い人々が日本人だった。
晩春は同じストーリーだったが、ヒロインが岩下志麻だった。美人なのだが原節子と比べるのは酷か。何十年もあとで思い出されるような女優とは言い難い。
原節子のように大女優、最高の女優と言われる人はどこか違う。存在感があるといわれる。たとえフィクションでもちゃんと差が出る。この世に平等は無いという証拠でもある。

東京物語は世界最高の名作とされている。よく見ると、家族の崩壊、復興途上の日本、尾道ー東京の旅行と、西洋人が好みそうな映画である。世界でベストと言われると違和感を覚える人は少なくないのではないか。
さんまの味の芸術的な高貴さ、晩春の絶妙な会話、日本人が選ぶならこの二作こそ最高の映画ではないか。日本の心が描かれている。小津安二郎、世界に比類なき映画創作者だった。

「異国の丘」を見て初めて日本男児が必死の思いで大東亜戦争を戦った理由を知ることができた。画面の多くは夫を戦地へ送り出して内地で格闘する妻の描写に割かれるが、夫がいないことは家族の崩壊だけでなく家族の死をも意味することがよくわかる。家族を生かすために夫は出征しシベリアに拉致された。
裏返していうと、夫婦が一緒になって親と子供を養い生命を伝承するのが日本人としての生き方、人生の根本だということだ。夫も妻も離れ離れになりながら必死で格闘するのだが、それは家族を護持するための戦いだ。家族が自分の命であり、自分は家族から切り離せない。家族は自分、自分は家族である。夫は妻が何を考えているか知っており、妻もまた夫のことが手に取るようにわかる。家族は自分だ。このことは思想ばかりでなく日本人の現実だった。
家族だけでなく村人や隣組の人々もまた同じ運命を共有した。爆撃がある、配給がある、食糧生産や輸送がある。治安の良さは自分の生存を意味する。社会全体もまた一つ心で協力しあい、助け合った。国は国家だった。国家の中心は天皇だった。疲弊、混乱、壊滅の中でも天皇が居ますだけで日本人はくじけることはなかった。
名曲、「異国の丘」は子供時代に毎日のようにラジオから流れた。作詞作曲者を知らないのに、誰もが歌う不思議な歌だった。のど自慢コンクールでは出演者が次から次へ歌った。シベリアに抑留されていた吉田正氏が作曲者とわかるのは本人が帰国したあとだった。その吉田氏が出演されている。
映画の中で夫が何処に行ったかは語られない。妻はひたすら帰りを待つ。何処からの帰りなのか。もちろんシベリアからなのだが、その事実は語られない。ソ連なる国名も出てこない。見事に「閉ざされた言語空間」(江藤淳)を実現している。日本人には米ソを始め連合国を批判する自由はなかった。