映画時評(8) 異国の丘
ユーチューブを渉猟していて、「青い山脈」が観れるのに気がついた。子供の頃よく歌った名曲を聴きたいのと原節子を見たいので二時間以上かけて見た。インターネットだから画像はぼんやりで音声も悪かったが好奇心には勝てない。昭和二十四年作で懐かしかった。
次々と当時の映画が続く。どれも捨てがたくて眠い目をこすりながら一日中見ることになった。題名を並べると、愛染かつら、女の歴史、異国の丘、晩春、さんまの味、麦秋など。ヒロインはそれぞれ田中絹代、高峰秀子、花井蘭子、岩下志麻、原節子、原節子だった。一挙にこれだけ見ると、戦前戦後の日本人が何を考え、人生がどう激変したかわかる。日本人が失ったものの多くが描かれている。
男優は上原謙が戦前、戦後は笠智衆が知られる。しかし脇役も豪華である。あまり名前を知らないが、同じ顔、同じ声で唸らせる演技をする。惚れ惚れしてしまう。昨今は主役ばかり映すハリウッド映画の影響が強すぎる。
さんまの味は初見だったが、日本人の立ち居振る舞いの美しさに見とれてしまった。日常生活の所作が芸術である。男優も女優も脇役から小道具に至るまで見事としか言いようがなかった。かくも気高い人々が日本人だった。
晩春は同じストーリーだったが、ヒロインが岩下志麻だった。美人なのだが原節子と比べるのは酷か。何十年もあとで思い出されるような女優とは言い難い。
原節子のように大女優、最高の女優と言われる人はどこか違う。存在感があるといわれる。たとえフィクションでもちゃんと差が出る。この世に平等は無いという証拠でもある。
東京物語は世界最高の名作とされている。よく見ると、家族の崩壊、復興途上の日本、尾道ー東京の旅行と、西洋人が好みそうな映画である。世界でベストと言われると違和感を覚える人は少なくないのではないか。
さんまの味の芸術的な高貴さ、晩春の絶妙な会話、日本人が選ぶならこの二作こそ最高の映画ではないか。日本の心が描かれている。小津安二郎、世界に比類なき映画創作者だった。
「異国の丘」を見て初めて日本男児が必死の思いで大東亜戦争を戦った理由を知ることができた。画面の多くは夫を戦地へ送り出して内地で格闘する妻の描写に割かれるが、夫がいないことは家族の崩壊だけでなく家族の死をも意味することがよくわかる。家族を生かすために夫は出征しシベリアに拉致された。
裏返していうと、夫婦が一緒になって親と子供を養い生命を伝承するのが日本人としての生き方、人生の根本だということだ。夫も妻も離れ離れになりながら必死で格闘するのだが、それは家族を護持するための戦いだ。家族が自分の命であり、自分は家族から切り離せない。家族は自分、自分は家族である。夫は妻が何を考えているか知っており、妻もまた夫のことが手に取るようにわかる。家族は自分だ。このことは思想ばかりでなく日本人の現実だった。
家族だけでなく村人や隣組の人々もまた同じ運命を共有した。爆撃がある、配給がある、食糧生産や輸送がある。治安の良さは自分の生存を意味する。社会全体もまた一つ心で協力しあい、助け合った。国は国家だった。国家の中心は天皇だった。疲弊、混乱、壊滅の中でも天皇が居ますだけで日本人はくじけることはなかった。
名曲、「異国の丘」は子供時代に毎日のようにラジオから流れた。作詞作曲者を知らないのに、誰もが歌う不思議な歌だった。のど自慢コンクールでは出演者が次から次へ歌った。シベリアに抑留されていた吉田正氏が作曲者とわかるのは本人が帰国したあとだった。その吉田氏が出演されている。
映画の中で夫が何処に行ったかは語られない。妻はひたすら帰りを待つ。何処からの帰りなのか。もちろんシベリアからなのだが、その事実は語られない。ソ連なる国名も出てこない。見事に「閉ざされた言語空間」(江藤淳)を実現している。日本人には米ソを始め連合国を批判する自由はなかった。