ブラックホールと多神教
Netflix を検索していると、ブラックホールの題名で40分ほどの映画があった。普通この種の映画は二時間以上なので逆に興味をそそられた。寝入るまでの時間潰しに見た。ところが宇宙観が変わる驚くべきものだったので感想を書き留めておく。
イギリスで天文学者の小グループがブラックホールを見つける計画を立てた。可能性がある星雲を十個ほど選んで集中的に観測した。その結果二、三個ブラックホールを発見した。
次にブラックホールと星雲の関係を、何かあるのではないかと調べた。ブラックホールの質量を測ることができるそうである。計算し観測した結果大小がわかった。そして星雲の外縁にある星の運動速度と比べた。するとブラックホールの質量の大きさと星の速さとの間に相関関係が認められた。質量が大きいと星の運動が速い。
ここから類推できることは、星雲には中心にブラックホールがあり、星々はブラックホールの周りを回っているということだ。星はブラックホールと引力で結ばれて運動する。それで渦巻き状の星雲ができる。星雲の真ん中はあらゆる物質を吸い込むブラックホールで、その質量が引力を発生し星々を引きつける。
小品の映画だからか結論ははっきり示されていない。まだリサーチ中で仮説の段階ということだろうか。または一般常識であるビッグバン説との不整合を見越しての逃げだろうか。
ビッグバンは、アインシュタインの相対性理論を計算すると、宇宙は膨張している解が出ることから始まった。本人は初め信じなかったという。その後最新機器での観測が続けられ、宇宙の膨張は定説のようになった。
膨張を逆に辿っていくと過去には宇宙が小さかったことになる。どこまで小さかったか、小さくなれば何が起こるか。そこで提出されたのがビッグバン説だった。
宇宙が引力によって極小まで圧縮される。すると物質の圧縮で超高熱になり逆方向に爆発する。ビッグバンが現在の宇宙の誕生で今も爆発の影響で宇宙は膨張し続けている。天体望遠鏡の観測結果は宇宙の膨張を裏付けているという。エネルギーの揺らぎという、複雑な計算と観測の結果も過去の宇宙の爆発を示すという。
以上がビッグバン説の大筋だが、おかしい点がある。宇宙は無限だ。無限の宇宙が一点に収縮したとする。しかし宇宙は無限だからまだ無限の宇宙が収縮を待っている。それも収縮するとまだ次の無限大の宇宙がある。
有限でなければ宇宙の収縮は終わらずビッグバンは起こらない。しかしビッグバン論者は宇宙は無限だという。両者は論理的に考えると矛盾している。
矛盾を解く鍵は、一神教に馴らされた思考方法がビッグバン説を生んだのではないかということだ。ビッグバンを神に置き換えると永遠無限を説く一神教の世界観にぴったりだ。西暦には始めがあって終わりがない、ビッグバンも有始無終だ。
ブラックホールの引力はすべての物質を引きつけ、引き合うほどに力が強くなる。最大のブラックホールは爆発する前のビッグバンだった。それはただ一つだった。それはただ一回だった。それは一人で世界を創造した神と同じだ。そして両方とも目撃者はいない。そして終わりがない。
映画ブラックホールでは、銀河系にもブラックホールがある可能性を示唆している。ブラックホールは星雲内のあらゆる星を引き込む強い引力を持つ。星雲の回転運動はブラックホールがあってこそ可能だ。ブラックホールの一生と星雲の一生は一致している。この宇宙は生死する有限な星雲が並存してできていると考えるのが自然ではないか。定常宇宙説が有力な時期があった。
古事記の中の八百万の神さまがたは人間がするように、生まれたり死んだり、子供を作ったり労働したりする。神様はユダヤ教やキリスト教のように唯一神でなければならない理由はない。一人では寂しいだろうし。
仏国土という考え方がある。お釈迦さまは唯一の仏だが、それはこの娑婆世界に一人という意味だ。娑婆だけが世界ではない。仏教では無数の世界があって、一つ一つの世界に仏が一人ずつおられると説く。たまたま娑婆という地球にお釈迦さまが出現なされた。仏教も多神教だ。
大日如来は一つだとか阿弥陀さまは一人で何もかも引き受けられると唯一神みたいに考える人や宗派もあるわけだが、彼らは一神教の影響を受けている。神といえば唯一でなければならないと思うまでに一神教に馴らされている。一ははっきりイメージできるし二以上より考えやすい。天照大御神も御一人だから、常に八百万の神々と居られた事実を忘れると一神教になる。心して学問すべきだ
ビッグバン説は数式から始まって宇宙の観測結果を加味しながら提出された。数式は観測で証明されたと簡単に言う研究者もいるわけだが、抽象的で永遠無限だと解決しない問題が果てしなく起こる。数式で宇宙全体が解るという前提は真か?
日本の元号は天皇の即位から薨去までの有限で完結した暦法だ。キリスト生誕を本にする西暦には終わりがない。いや最後の審判までの時の流れだから終末はあるかも。しかし日常生活では、死なない神と死にゆく命との間にいつも乖離がある。
逆にいうと、現実の宇宙は無始無終、有限で生死するはずだ。星雲は具体的に目でみえ、大きさもわかり生と死も観測される。個々の星々や一つ一つの星雲の共存が宇宙の事実だろう。宇宙がひっくり返るような異常な出来事はこの世にはない。われわれの生存から銀河系まで、生が現れ活動し、活力が衰えて死にゆくのが世界だ。永遠無限はじつは有限に包摂される。世界を正しく説明できるのは多神教だ。