糖病記(6)

糖病記(6)

七月二十日、二十一日、二十二日と招待客を迎えてのイベントがあった。四十五人ほどの集まりになった。スケジュールを伝達する、作務してもらう、一緒に御経を上げるとかお願いすることが多い。チェーンソーの怪我から六週目で自由に動ける左足ではなかったが、不具合を忘れて飛び回る羽目になった。重労働はしなかったが、体重をかけることが足にとっては大きな負荷になる。
猛暑であった。気持ち良いので外で傷口に陽光を浴びた。一日目は良かったが、二日目から左足が浮腫んだ。赤黒く腫れ上がった。完治するまでは無理しないと決めていたのだが、状況のしからしむるところとはいえ油断した。腫れが続くと厄介なことになる。
足が赤黒く浮腫むのはリンパ液が滞留するからだ。手術の際肉を切った部分があり、普通に流れていたリンパ液の通り道が塞がれるとか無くなったと思われる。少痛や不快感がある。体重を掛けたり動かしたりすると痛い。動きがぎこちなくなる。
リンパ液が多すぎるのは完治していない証拠だ。皮膚、筋肉、神経細胞や血管の正常な機能が阻害される。皮膚の下の修復作業が遅れる。治りかけで運動を再開すると治るものも治らなくなる。
スポーツ選手で怪我が治りかけのまま練習を始めて一生を棒に振った人は少なくないという。専門医がみるプロでさえ失敗する。素人なら誤診を前提にして用心するしかない。完治の診断は他者からも本人にも難しい。

リンパ液の治癒は難しいともどかしく思っているうち、若い頃指圧を習ったことを思い出した。文字通り指で圧する療法だ。原則は簡単で、皮膚の痛いところや不快を感じるところを圧迫し、十数えて離す。同じことを三回繰り返す。押されたところは一時的に血やリンパ液が止まるが、圧迫がなくなると堰を切ったように体液が流れる。新しい血の栄養が患部を修復する。この原理を知ってから、腰の内部の痛みや腸の不快感をときどき手当てしてきた。
腫れている左足を恐る恐る撫でてみた。体液が多いのでブクブクする。そのまま足の上方へ何回もさすった。マッサージしながら傷口にそっと触る。痛いのだが血が出るとか皮膚が切れるとかの物理的な変化はない。だんだん平気になって傷口の中心を指圧するようになった。
翌朝見るとむくみが引いて右足と同じくらい白色になっていた。マッサージが効いた。リンパ液が流れ出すのが効果的だとわかった。生来の流路が壊されているのだから、ときどきマッサージで助け舟を出すのは理にかなっている。何が完治かイメージが湧いてきた。八週目は療養の境い目だったと思われる。あと二週間、もどかしいが焦りは禁物だ。
睡眠も大切だ、寝ている間に細胞が創造されるという。食事をとると眠くなる。消化とともに新しい栄養が傷を修復し古い細胞が死に代替品ができる。皮膚が新しくなり、髪や爪が伸び、目が綺麗になる。人は生体の不思議を享受して生きている。治癒は生体の働きが正常に戻ることで、マッサージのようなわずかな治療も治癒を手助けする。

六週目、接心があって坐禅することになった。八割しか坐れなかったが、背筋を伸ばし顎を引くと頭も視界もすっきりした。ただ坐るだけだが、正身端坐のありがたさが身に沁みた。
歩けないから六週間ゴロゴロ寝そべっていたわけだが、肉体だけでなく頭も悪くなる。なんとなく鬱になる、なんとなく不快になる、そしてなんとなく体力を失って起き上がるのがめんどくさくなる。何ヶ月も何年も寝ると筋肉も細り消化機能も排泄機能も失うのだと予想できた。
加齢は誰も避けることはできないのだが、正しい姿勢を知って実践していたことだけは儲けものであった。曲がった姿勢からは不正邪悪な妄想が生まれるばかりでなく、肉体まで歪み衰える。
正身端坐すれば即座に邪見が晴れる。正直を体感した最初の坐禅を思い出した。今でもあの晴れ晴れした心境に一瞬で立ち帰れる。また坐禅したいと発心した。人生は解らない、いつの間にか本当の宝物を手に入れていた。

怪我を忘れるまで快復できるかどうか不安ではある。冬になると傷口が疼くのかもしれない。それでも快復の見通しがついて、ドライブ中に安心感から鼻歌が出た。すると歌詞、リズム感、口、喉、体の動かし方を忘れていたことがわかった。八週間ひたすら怠けたのだから無理もない。精神的な治癒も完治の要素だといわねばならない。
八月十二日はバス停中心に5キロ歩いてみた。完歩する自信がなかったので途中で車に乗せてもらった。まず歩けることを確認できた。
八月十九日は思い切って全行程八キロ徒歩に挑戦した。時間はかかったが完歩
できた。汗びっしょりで帰宅して靴下を脱ぐと、左足の腱が右足と同じように浮き上がって見えた。全力徒歩運動で左足がほぼ正常になることがわかった。完治だった。それ以降は療養保護ではなく工夫鍛錬の段階に入った。
(糖病記終わり、にしたい)

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