天皇の祈り(5)

天皇の祈り(5)         05/20/2011

1975年九月三十日、昭和天皇と香淳皇后両陛下はアメリカ訪問に向け出発された。アメリカではフォード大統領が出迎え、両元首は十月二日に会談した。
ワシントンに到着された天皇はダグラス マッカーサー元帥の墓に花輪を贈られた。マッカーサーの未亡人は墓参りを要請したが疲れているからという理由で断られた。墓はバージニア州にあり、車で40分ほどの短い距離だった。そのためだろうか未亡人はホワイトハウスでの歓迎晩餐会に欠席した。
昭和天皇は日本人に、本当のマッカーサー像を知ってほしいとメッセージを送られたのではないかと思う。小さな波風を立てて、じつは親友同士ではなかったと後世にヒントを残されたのだろう。
お花畑日本人は洗脳されやすい。私自身、マッカーサーは慈父のような存在で理想的な統治者だったと思い込んでいた。朝日新聞、NHK、雑誌から大学教授まですべてが洗脳機関だった。GHQの策略は成功しすぎた。
山間に育った田舎者とはいえ、天皇の存続、天皇と国家、天皇と歴史、天皇と政治、天皇と自分、天皇と国語、天皇と芸術、天皇と日本民族などについて深く広く考えたことはなかった。そんなことは高位高官や博識の知識人が問題にすることだと思い込んでいた。殿上人や雲上人だけが考える資格があると思っていた。
傲慢ではなかったが卑下しすぎだったかもしれない。微妙な態度であるが、仏典にはちゃんと問題が指摘されている。仏の眼は世界全体を見通すだけでなく、どんな小さな瑕疵も見逃さない完璧さがある。
自分探しをした結果、自分の存在は国家に守護されていると気が付いた。そして国家より先に天皇が在った。日本は国を造って制度を整えたのではなかった。天孫降臨という文明の創造があってそのあと国家の形が成ったのだ。
天皇は存在するだけでよい。人気があるとか求心力があるとか考える必要はない。人間能力は問われない、能力主義ではない。天皇位が継承されるのは血統による。

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オバマ大統領の指示だったかどうか、政府の広報という形で歴代大統領の業績を記録した DVD が作られ図書館に置かれている。何巻あったか忘れたが、初代ワシントンからオバマまで全大統領の記録だった。全部見た感想は、日本で名の知られた大統領はアメリカでも同じように尊敬されているということだった。日米両国で大統領についてのイメージや情報量の差はほとんどない。アメリカでは全く違った大統領像が語られるという人がときどきいるが、気にする必要はないだろう。
政権や人物の評価は見方がいろいろ違うから詳細に検討すると驚かされることが多い。リンカーン大統領は国家統一を守り抜いたから偉大なのだそうだ。暗殺されたのも奴隷を解放したからではないという。教科書に書いてあることは鵜呑みにできない。それはどの大統領についても同じであろう。
フォード大統領は大統領選に勝ったことがない。1974年八月九日にニクソン大統領の辞任を受けて副大統領から繰り上がった。前任者が降板したので副大統領に指名され、ニクソン大統領辞任を受けて棚ぼた式に大統領に就任した。下院議員を何期も務めたベテランであったが目立った業績は知られていない。
任期が二年半過ぎたころ大統領選挙があり、カーターに敗れた。アメリカでは負け組は人気がない。そんな大統領居たのと言われるくらいで影が薄い。
しかし世界は勝者と敗者だけで動くほど単純ではなく、広い世の中には人情や政治の裏まで興味を持って調べる人もいる。そのような人の文章に出会ってフォード大統領は味のある人物かもしれないと気づいた。
フォード大統領が抜擢した人物群がすごい。ヴァイスという映画になったけれども、ブッシュ政権で副大統領になったチェイニー氏が政治家デビューしたのはフォード政権下だった。三十代で首席補佐官になった。親友のラムズフェルドは国防長官になった。彼はブッシュ政権時代にも国防長官となった。レーガン政権下で国防長官を務めたワインバーガー氏も顕職ではないが閣僚だった。彼らが後のレーガン、ブッシュ両政権を支えることになる。人物を見抜く目が優れていたと言わざるを得ない。伊達に下院議員歴が長いだけではなかった。
人物を見抜く能力を見抜いたからニクソンはフォード氏を副大統領に指名したのだろう。ニクソンは世に言われるほどバカではない。悪人でもなかった。悪い評判は人為的に作られた可能性が高い。ある勢力に嵌められたという人もいる。
ニクソン大統領の時代、ドルと金の交換停止が決定された。ジェームズボンドの007シリーズの中に「ゴールドフィンガー」がある。空前の大ヒット作になった。金を偏愛する悪役とジェームズボンドが対決する。フォートノックスにあるアメリカ政府の金を保管する建物が狙われる。最後の戦いが金庫の中で起こる。なぜ争いのタネになるかというと、金とドルの交換が保証されていたからだ。交換できなくなれば金の保有者は金属の保有者になる。歴史的な決断だったが、それができる大統領だった。
フォード大統領は自ら大きな決断をするタイプではなく調整型の人物と言われた。攻撃的なアメリカ人の中では珍しく、協調しながら手堅く物ごとを進めていくタイプだった。部下に決断できる者を集めて活躍させた。その手法が華麗な人脈を築いた。
協調調整型の政治家だったから昭和天皇、香淳皇后両陛下を招待したのだろう。アメリカ人は自分が思い込むとその正義を信じてやまない。最後の大戦争で日本憎しを植え付けられたアメリカに敵国日本の両陛下を招待することは容易ではなかったと思われる。人情が理解できるフォード大統領だからできた唯一の訪米だった。