里山縄文文明(3)

里山縄文文明(3) おふくろの味

チャンネル桜の「夜桜亭日記」に柏原ゆきよ女史が出演したことがあった。日本食を健康の素として推奨するビジネスウーマンだった。三度の食事をビジネスにする視点がユニークで、揺るぎない信念と話しぶりに説得力を感じた。番組のホストはいつも通り浅野久美、SAYA のお二人。三人の掛け合いが心地よかった。
話をまとめると、健康で疲れない生活を送りたいと願うならば、ご飯と味噌汁を中心にして、毎日三度の食事を摂りなさいという。何十世紀に渡って慣れ親しんだ食事は良い結果をもたらすことが証明されている。そして誰でもいつでも実行できる。
目安は白米が一日二合、食事量全体の六割で、少なくない摂取量だ。粒食は噛む必要があることが大きなメリットで、さらに胃壁腸壁にも適度の刺激になる。白米が含む栄養は炭水化物を主とするが、たんぱく質も脂質もバランスが取れている。副食は少量でよい。味噌汁は水分を適度に補給し、大豆の発酵食品は白米と合わせると完全食に近い。日本人は伝統的なご飯と味噌汁の恩恵を十二分に満喫できる。
本も出版されている。「疲れない体をつくる疲れない食事」を注文した。自律神経とかホルモンの名がところどころ出てくるが、具体的な食事についての話なので読みやすい。ご飯と味噌汁を摂り続けると食が身体と心を造る実感が生まれる。
すっかり忘れていたが、おふくろの味という言葉があった。中年を過ぎて、故郷から遠く離れて一人居酒屋で飲む時、しみじみと思い出す味だ。目の前の高額な料理よりも、毎日のように母親が調理したご飯と味噌汁が懐かしい。朝抜きで駆け出すとゆっくり食べなきゃダメと言われた。元気盛りで無視したものだった。料理を準備する身になって母の気持ちがよくわかる。
結婚して子供ができる。初めてのことでどう対処していいか自信がない。抱き方もおぼつかない。幼児には仕事の合間に口に放り込むような食事でいいわけがない。お腹を壊さないか、栄養は足りるか、笑顔になってくれるか、毎度の食事にハラハラする。その時幼いころの食卓が目に浮かぶ。わが子にも同じような食事を供すれば大きな間違いはないだろう。母の味は慈愛の感懐だけでなく、実利多い知恵の成果でもあった。おふくろの味に育てられていたのだ。

Patrick Bucanann は二度大統領選に出馬した。彼はニクソン、フォード、レーガン大統領のスピーチライターを務め、著作は本格的な保守思想として世界的に引用される。よくテレビに出演していたが、いつも切れ味鋭い論陣を張った。
文章の達人であり万人を納得させる論客であったが、初めから泡沫候補で、二度とも予備選の段階で敗退した。彼のプロファイルの中に、妻は料理しない、毎日外食するとあった。その一文でああダメだと悟った。
道元禅師の著作に「典座教訓」がある。「てんぞきょうくん」と読むが、典座は調理役で料理当番だ。雲水が他の雲水たちに食事の準備をする、食事をつくることが仏道修行の一つだ。外食ばかりとは人間修行しないということを意味する。
アメリカは革命断絶の国で、あらゆるものを壊すのが当たり前になっている。食においても新しい食材、新しい食器、新しいレストラン、新しい果物など新しいものを追いかける。新しいのは金儲けのアイデアによいが、同時に伝統破壊だ。かくしておふくろの味は忘れられ、家庭も崩壊した。

柏原ゆきよ女史は美形ではないが顔も肌も光り輝いていた。健康美と知性美にあふれてオーラがあった。久美さんと SAYA さんは長年の出演で話し方、化粧の仕方から写り方まで洗練されている。SAYA さんはゆきよさんの話に驚いて、「逆に考えていました。知りませんでした。」の連発だった。
SAYA さんは歌手である。番組でも歌うし、「日本の歌」の CD を発売して全国ツアーもしている。働き者で一生懸命なのはわかる。しかし声が細い、何かが足りない。
「日本の歌」を彼女はドレス姿で歌う。ドレスだと痩せていなければ見栄えしない。お腹が出ないように節制しているはずだ。断絶の国アメリカの最新式ダイエットを取り入れて常に空腹と戦っているだろう。そのためだと思われるが、歌に深さ、力強さが欠けている。歌の上手な女学生が年を取っただけみたいだ。
島倉千代子の歌はすごかった。流行歌になったものはどれも洗練されていた。「東京だよおっかさん」は聞くたびに胸が締め付けられる。よく自衛隊基地を訪問して隊員に披露されていた。「りんどう峠」ではホーイのホイという掛け声が挟まれる。絶妙の音色で、玉を転がすような響きという形容詞がぴったりだった。一人で平成の芸道を背負われていた。
ご飯と味噌汁の哲学に浸かって堂々と歩むゆきよさんを見ながら、SAYA さんは和食と洋食の中間で揺れている。様子見が多いから外見と内面で揺れる、芸道と社交の間で揺れる。中途半端な生き方で終わるのではないかと心配になる。
人のことをとやかく言えないが、SAYA さんは自らの生命力を知らないと思われる。身体と心に働く力に直に触れたことがない。自分と社会の表層だけ触って年老いていく。本当の自分に出会う方法を知らないから深いところで自分自身に正直でない。若くて綺麗でちやほやされるのだが、演技をしているだけではないか。
女性は出産と育児という大仕事をすることによって本物になる。本物は生命力を出し切って自分の可能性と実力の限界を見極める。歌手ならば大盛りのご飯と味噌汁の力で、腹の底から出す声を聴きたい。

同じ番組で妊活指導をする女性が出演したこともあった。いかに妊娠するか話したあとで、最後に教育勅語を朗読した。生理と勅語の組み合わせが意外だったが、道を極めた人にとっては当たり前だったのだろう。妊娠促進、生命創造も日本民族としての正しい自覚と自信が基になる。
毎日のご飯と味噌汁の食事は健康と活力の源になる。柏原ゆきよ女史は伝統食を現代にアレンジするだけでなく、縄文文明を体現されている。彼女の生き方を真似する人が続くことを願う。

木花佐久夜毘売のクニ(2)

木花佐久夜毘売のクニ(2)

新天皇の即位礼正殿の儀は令和元年十月二十二日に行われた。甚大な被害を出した台風19号が通り過ぎた後でお祝い気分にならず、当日の朝は雨であった。多くの国民が憂鬱になっておかしくない状況だった。
儀式が始まるとピタリと雨が止んで晴れ間が現れた。YouTube には皇居の上に虹がかかった画面が挙げられた。映像技術が発達した今日ではヤラセじゃないかという疑惑も抱かれた。複数の投稿があったので虹の実在が確定した。雨で塵芥が洗い清められたのだろう、富士山も見られた。それも初冠雪の姿で。
YouTuber には若い人たちが多い。競って虹や富士山の写真をあげて天も神も即位の礼を寿いでいると喜びを表すのは驚きだった。綺麗な景色を国の儀式に結びつけてはしゃぐ若者たちの素直さに日本の明るい未来を見た。
私の若い頃は、儀式と虹と富士山の間で、科学的に実証可能な関係があるか論争した。フランクフルト学派の批判哲学そのまま、朝日新聞全盛期、暗黒時代だった。
虹はイザナギ、イザナミの命(みこと)が大八洲(日本列島)を作るために天から降りた時の橋であった。虹が新天皇がおられる皇居の上に掛かる意味の重大さがわかる。古事記が書かれた712年が令和元年にピタリと重なった。

令和元年は今上天皇が即位した年である。明治以来一世一元号を使うようになったから即位と元号の関係がわかりやすくなった。
日本は神武天皇朝である。神武元年はいつだろうか。本当の即位年はわからないほど古い。とりあえず西暦から660年古いと決められた。神武元年から今年がいつになるかというと、2019+660=2679年だ。神武元年から数えた年を皇紀というから、今年は皇紀2679年、令和元年ということになる。
静岡浅間神社では即位礼の日に桜が咲いたという動画も流れた。慶事と受け取られた。天皇、富士山、桜が日本であろう。
富士山の麓には点々と浅間神社が建てられている。ご神体はもちろん富士山だ。孤峰で美しい円錐形の富士山は信仰の対象になる。しかも山頂は平らに見える。そこは高天原と比定されるにふさわしい。
山部赤人が「田子ノ浦ゆ うち出でて見れば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ」と謳った光景は、すべての日本人の目と心に焼きついた。長歌は忘れたが、これが日本と感じられる歌だった。どうやら日本は富士山が見える関東平野に居た人々が作ったと田中英道氏は指摘する。古事記以前の話である。
浅間神社は神奈川県と静岡県に点在するが、木花佐久夜毘売を祀っている。「日本の起源は日高見国にあった」(田中英道)コノハナサクヤヒメは神武天皇の曽祖母に当たる、天孫降臨された瓊瓊杵命と結婚された。木の花は桜だ。
天皇、富士山、桜は古事記以前から日本人のこころに住み着いたシンボルだった。若い YouTuber たちが虹だ、富士だ、桜だ、新天皇だと大騒ぎする。彼らは日本人を愚かで怯懦にしようとしたアメリカ占領軍と、その忠実なしもべである学校教育者の策略を簡単に飛び越えてしまった。なぜなら彼らは日本人だから。

儀式の中心は新天皇が天皇位に就いたと宣明(宣言)されることだった。宣明のとき憲法に則りと言われた。自分勝手に正殿に上がったじゃ誰も認めない。即位の裏付けは日本国憲法ですよと明かされた。
明仁天皇がよく自ら日本国憲法を守りとか象徴天皇とか言われた。象徴天皇なんて日本語じゃない。なぜ変な単語を使われるのか不思議だったが、即位礼に従ったお言葉だったようだ。その裏には文章を推敲した学者がいるはずだ。憲法学者たちが目を光らせている。
違和感は残る。本来は天照大御神の御神勅に則りであろう。平成天皇以前は、すべての天皇は二千年以上、日本国憲法を根拠に天皇位に就くことなどなかった。明らかに占領の残滓が残っている。日本を取り戻すのは容易ではない。だが、いつかは成さねばならない。

数ある動画の中で、教科書で最初に出てきた天皇は聖武天皇だったと語る若い人がいた。聖武天皇は大仏建立や百万巻写経を行なった偉大な天皇である。しかし最初はないだろう。どこか変だなと考えていたら皇后が光明子だった。平民からの入内を印象付けるための役だ。サヨクフェミニストに乗っ取られた教科書だ。
竹田恒泰氏の教科書では天武天皇が最初に出てくる天皇の名前だそうだ。このことは大きな意味があって、国の形を整えたり、伊勢神宮の式年遷宮を定めたり、古事記の編纂を発願された天皇だったからだ。現在のわれわれは神武王朝、天武天皇体制の中で生きている。
初代神武天皇を教えないのはあまりにひどい。文科省には売国奴のように外国や特定グループの手先が巣食っている可能性が高い。彼らは平和な日本を満喫しながらハニトラ、マネトラなどで絡め取られているのだろう。
売国奴で気をつけねばならないのは、彼らは革命や戦争になると真っ先に殺される運命だということだ。理想の共産主義国ソ連へ密出国までしてたどり着くや銃殺刑にあった日本人青年は少なくなかった。理想を追い求めた若者の悲劇。この歴史的事実だけ見ても、理想は妄想の一種に過ぎないことがわかる。
日本人として義の国、美の国、知らす国に生まれた。縄文時代からの永い歴史も持っている。生まれたお国のために正々堂々と働くのが一番だ。

里山縄文文明(2)

里山縄文文明(2)  インカ文明

縄文文明が里山文明であったと知ったのは、「ポツンと一軒家」の登場人物の会話と生き様がヒントになった。この番組によって悠久の日本の歴史を実感する人が増えるはずだ。思想だけではない、酒の注文先を変えたという人も登場している。庶民レベルで日本民族の活力が増進することを願う。昭和天皇は日本の復興に二百年はかかると予測された。復興を担うのはひとりひとりの双肩にかかっている。
縄文人も一軒家を守り暮らす現代日本の人々も、それぞれ生活を工夫し他人に迷惑をかけず自立して生きてきた。人生の基本は自立、自律で、登場人物の潔い生き様を観ると心が洗われる。
黄色い茶畑は圧巻だった。四十年かけて素人が新種、亜種を創造した。もはや文化ではなく文明だ。文化は伝統継承が元だが、文明は生命の創造原理が働く。新茶は来歴も兆しも原因さえわからないところから突然現れた。自然の生命力を発見して守護された心が輝かしい。
里山文明の創造力を知ると、稲も日本起源ではないかと思われる。日本のコメ栽培は、多分支那大陸からの伝来ではなかった。

インカ帝国はスペイン人のピサロが百五十人強の部下を率いて侵入し滅亡させた。インカ人は抵抗の仕方も知らず虐殺された。王様は金銀財宝を盗られて処刑された。1533年の出来事だ。(鉄砲伝来は1543年)
スペイン人は金銀財宝しか目に入らなかったらしい。本国に持ち帰って一時帝国は繁栄した。船で財宝を運ぶ途中で海賊に襲われる危険があるので、商船護衛のため無敵艦隊を作った。金があればなんでもできると思ったか。
イギリスが大西洋を渡る財宝に目をつけ、航行中のスペイン船を襲って略奪する挙に出た。エリザベス女王公認の海賊だった。怒ったスペインは報復に無敵艦隊をイギリスに差し向けた。イギリスは逆に無敵艦隊を壊滅させた。大英帝国の発展は国家承認の海賊行為に始まる。
インカ帝国に関する情報を得ることがあるが、図書館にある映画では内部抗争ばかりしていたと主張する。なたや棒切れを使って喧嘩したことになっている。どうやら戦争するための武器らしい武器は見つからなかったらしい。殺し合いなど思考の中になかった人たちだったようだ。
世上によく言う、無抵抗な老人、女子供を虐待してはいけないと。今ではスペイン人は無抵抗な人々を虐殺したとは堂々と公言できない。そこでインカでは王位継承問題で内紛があったとかいう。ピサロの登場と同時に内紛が起こった。仲違いを画策したのではないか。日本でも慰安婦ガーとか南京ガーとかデッチ上げ事件を仕掛けられてきた。殺されたインカ人は弁明できないから嘘が歴史になった。
ローマ法王パウルス3世やカサス神父は当時からスペインの暴虐を見かねて非人道的新大陸征服に警鐘を鳴らした。その結果スペイン人の悪逆は公然の事実として知られた。イギリス等はその知見を大々的に言いふらした。以来スペインは胸を張った国になれなくなった。90年代、コロンブス五百年祭にスペインは男女テニス優勝など湧きに湧いたのだが、悪逆を働いたイメージは消せなかった。

ペルーを中心として中南米は多種多様な食物の発祥の地だ。じゃがいも、トマト、トウモロコシ、かぼちゃ、豆類穀類などなど、現代人の食卓は中南米発の食材で彩られている。
ニューギニアやアフリカの原住民は豊かな熱帯雨林地帯に住みながら、コーヒー、カカオ、キーウィー、砂糖くらいしか伝えなかった。全ての古代人が豊かな食材を残したわけではない。ヨーロッパは大麦小麦ライ麦だ。何がアメリカ中南米をして豊穣な食材の起源地にしたのだろうか。
アメリカ先住民は縄文人の子孫だとする仮説を提出したい。中南米では縄文人が蓄積した里山文化の心と方法論が受け継がれていた。彼らは日本列島から海岸沿いに北東へ進みアラスカから南下した。少人数少家族だったが、縄文人の命を慈しみ育てる心は身心に染み込んでいた。そして自然の生命力を新大陸で引き出した。
縄文人がアメリカ先住民の祖先とするとつじつまが合うことが多い。インカ帝国には王様がいた。日本の天皇のような地位が自然にできた。征服王朝でなく戦争を知らない民だった。精巧な建造物や金銀財宝は、黒曜石や翡翠が日本列島全体で発見されているのに重なる。ペルーだから金銀銅が無尽蔵にあった。
縄文文明と似ている遺物は少しずつ発見され始めている。縄文土器の欠片とか鏃や草鞋など。本格的な発掘調査やDNA検査が進めば、アメリカインデアンは日本人の子孫、コロンブスがたどり着いたアメリカはやはり黄金の国ジパングだったと明らかになるかもしれない。今のところロマンチックな仮説に過ぎないが。
インカでは農業や牧畜を生業としていたようではない。縄文文明では栗を中心に食料が準備され、貝や小魚、鹿や猪など多品種が食されていた。耕作牧畜なしで安定的な生活が実現されていたから何千年も居住が可能だった。中南米原産の食材が現在世界の食卓を飾っているのは、インカやマヤ文明が農業や牧畜に頼らない生活を続けてきたからだ。その結果自然の大破壊を避けることができた。自然の豊かな恵みが手付かずのまま残された。それは里山文明だった。
日本には方々に有名な温泉旅館がある。山奥の渓谷が多い。そこで出される多彩な料理では山海の珍味が供される。美味しいご飯に谷川の小魚、山の小獣、山椒の実、山菜の漬物、二十皿も三十皿も出てくる。縄文人が実現しようとした食事風景だ。森の幸、川の幸、海の幸、そして庭園の幸のそれぞれの旬の味をいただく。少種大量生産農業方式でできることではない。
農業は耕作によって微細な生物を殺し少種の植物のみを大量生産する。多種多様な生態系は駆逐される。牧畜は山羊、羊や牛馬が草を食い尽くす。どちらも自然の生長力を断ち切る。文明は農業の余剰生産物蓄積から始まったとするのは正しいだろうか。農業は地球の創造力を阻害してきたように見えるが。
アメリカ中西部を飛行機から見下ろすとズラリと並んだ円形農場が見える。緑色の円の大きさは撒水できる範囲で、川がないから地下水を使う。大量単一作物栽培で、他生物を排除する。地下水はいつかは枯れる。自然破壊農業の最先端風景だ。
アメリカのホテルでの朝食は Continental Breakfast だ。トーストとミルク、バター、シリアル、ジュースにコーヒー、アメリカ全土ほぼ同じである。偏った単調な食物を長年摂取すると栄養障害にかかる人が出てくる。偏食をもとにした病気の医療は偏った学説になる。自然破壊は人間破壊をもたらしかねない。
文明の興亡や歴史の変遷を学ぶとき、勝敗、戦争、征服ばかりが語られる。正義は勝者の側にあり、勝ったのはより進歩していたからだと。農業も牧畜産業も自然征服の方法だ。学校で教えられるマルクス唯物論の進歩史観は、征服、収奪、略奪、自然破壊を正当化する文明史観だ。勝者の歴史観だ。
ナイル川をはじめ大河沿いに農業が営まれ文明が興ったとする文明史観は正しいだろうか。四大文明とされた地域はいづれも砂漠となり過去の栄華はしのばれない。砂漠となって終わるものは文明の名に値するのか。
インカ帝国やマヤ文明の遺跡や文物が理解できないのは、偏った文明史観に汚染されているからだろう。デラウェア川の河原に直径二メートルを越す鉄の球体が置いてあった。マヤの密林から運んだという。車で(近代西洋文明の成果)案内されて、鉄器を知らなかったはずのマヤ人がなんの目的でどのようにして鉄球を作ったのか謎だと教えられた。同じような鉄球は100個以上発見されている。鉄器を知らない文明だという前提が間違っている。
密林の中の隠れたピラミッドも、自然を征服する思想がなかったから隠れた。自然と共存共生していたから、人口が減るとたちまち熱帯雨林が優勢になった。
アメリカでは殺されたインカの王様は愚かだという言論が出回っている。死人に口無しで悪いイメージをでっち上げられ続けている。マルコポーロが広めた黄金の国ジパング伝説は、日本人にはロマンとして受け取られている。ところがジパングを目指したスペイン人たちはじつは物欲強欲の塊だった。われわれは自他の認識の違いを知る必要がある。
インカ帝国は外敵に滅ぼされた。生活形態は永続的で、自らの文明を破壊断滅する要素はなかった。彼らは略奪暴虐を知らない民だった。彼らは、人類に多大の貢献をし続けている里山縄文文明人だった。