里山縄文文明(4) 万世一系、男系男子、皇統の危機
明治憲法の第一条は「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す」だ。小学生の時は万世一系ってなんだろうとだけ思った。中学生になったらもっと知識を得るはずだが進展なしだった。天皇についての知識は将来の生きる糧にはならないようだった。何が根本問題かわからぬままミッチーブームだけを心に留めて年取った。
小泉首相時代に皇室問題に関する有識者会議が開かれた。その時はじめて女性天皇と女系の違いについて考えさせられた。女性天皇は過去に八人十代おられるが全員が男系だった。天皇は父、その父つまり祖父、その父つまり曽祖父と遡って行けば神武天皇にたどり着く。神武天皇の血を継いでいなければ天皇になることはない。男から見れば生まれによる差別で、他男性排除だ。何世紀にもわたって権勢を誇った藤原氏でも天皇になることはなかった、あるいはなれなかった。
家系は男系継承が世界共通の認識だ。イギリスのエリザベス女王はウィンザー朝に属するが、チャールズ皇太子が国王になるとマウントバッテン朝に変わる。女王の夫君がマウントバッテン家の血を継いでいるからだ。父、父祖とたどってもウィンザー家の始祖にたどり着かない。ウィンザー朝は断絶する。神武天皇の血を継がない最高位は日本では天皇ではない。だから女系天皇はこの世に存在しない。
126代現天皇の後は秋篠宮文仁殿下、その次は128代悠仁親王殿下になる。悠仁親王殿下は今のところただ御一人の御存在だ。なぜ御一人かというと、大戦後マッカーサーが皇籍剥奪を強要し、十一宮家を臣籍降下させたからだ。アメリカの真意が透けて見える。その意味を日本人なら考えよう。
有識者会議が開かれた頃は心細くて仕方なかった。愛子内親王殿下が唯一の若い後継者だったからだ。内親王殿下は男系には属するが男子ではない。その後は大丈夫か、誰かなんとかしてくれよと叫びたかった。ニーチェは「神は死んだ」と言った。西欧人は彼の言葉に衝撃を受けた。神が死んだらわたし達は何を頼りに生きていけばよいのかという問題意識が沸騰した。同じように、天皇位が絶えたら日本国中に想像もできない衝撃が走る。
秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊が発表されたとき助かったと思った。自分が生きるか死ぬか、国が続くか否か、多くの日本人が激動の心情を体験したはずだ。御懐妊が国家を救い国民を救った。テレビ画面の前で国会の審議がひっくり返った。そんなドラマをなぜ体験したか、日本人ならその意味を自覚し語れるはずだ。
天皇と日本国と自分とは切り離せない。そして悠仁親王殿下のご誕生で日本中が安堵の念に包まれた。憲法に書いてある、皇統に属する男系男子が出現された。日本人は九月六日が天皇誕生日になる日を待っている。
水間政憲氏が「ひと目でわかる戦前の昭和天皇と皇室の真実」を上梓されたのは平成二十九年、2017年三月だった。画期的だったことには、4ページから7ページにかけて明治天皇以後の天皇家の系図が掲載されていた。全員が神武天皇の血を継いでおられるわけだが、生存者は120名以上だった。皇室にはただ御ひとりしかいないから不安だったのだが、皇位継承有資格者が百人以上もおられて安心した。今上天皇より昭和天皇の血が濃い方が東久邇家に三名おられた。系図からすぐ見てとれることは、マッカーサーによって臣籍降下さされた旧宮家、なかでも東久邇家が皇族に復籍されれば、国民の不安は解消され国家は百年安泰になるということだった。
水間政憲氏は最近「ひと目でわかる皇室の危機、天皇家を救う秘中の秘」を出版された。前著で啓蒙されたにも関わらずお花畑の日本人が多い。何が日本と自分の存在根拠か、日本人として一番大切なものは何かわからない人が多い。国会議員から庶民に至るまで理論武装が必要だ。そのための必読の書だ。有名神社にも宝物として永久保存されるという。一家に一冊は欲しい。
大嘗祭が終わってから自民党の幹事長、政調会長、税制調査会長が相次いで女系天皇容認発言をして顰蹙を買っている。安倍側近、党内実力者といわれる国会議員だから次の首相になる可能性がある人たちだ。日本のトップに位置するが、彼らは内在理念で政治をしているのではなく、利害調整で綻びを繕って動いていることが露わになった。大和民族悠久の歴史にケチをつけた。結果として、これらの人々は総裁レースから決定的にはじき飛ばされた。
党三役の発言は内在理論からではなく拝外思想から来ている。他人他国の屁理屈を押し付けるからおかしいと感じる。男女平等やら民主主義やら差別やらもっともらしい言葉を並べるが、全部外国由来の概念だ。外国人は日本の存在を助けようとしているわけではない、それどころか日本を毀損したい国の方が多い。国民と国家より外国の利害を第一に考えるから国賊、売国奴と呼ばれる。
逆に考えると、天皇の存在は国民と国家が政争や利害関係に巻き込まれないように機能している。そのような究極の天皇位に変更を加えられると思うほど傲慢で浅知恵の持ち主には政治家の資格はない。水間政徳氏はこのような輩に「令和の道鏡一派」の名を与えられた。
遠くから仰ぎ見る庶民には窺い知れないところがあるが、いわゆる皇室の闇はあるようである。宮内庁そのものが旧宮家の元皇族の現状を把握していないと国会答弁するほどだ。悠仁親王殿下に万一のことがあったらどうするか、万全の心配りをするのが彼らの役目ではないか。宮内庁長官が金がないと嘘をつきまくって大嘗宮の藁屋根を板葺きに簡略化した本当の理由は何か。日本国民の天皇だ、不浄な勢力が暗躍しないように不断の注意が必要だ。
竹田恒泰氏は明治天皇の玄孫として保守論壇に登場した。弁舌さわやかで知識も経験も豊富、様々な問題を快刀乱麻のごとく切りまくる活躍が鮮烈だった。おしゃべりが長すぎるのが玉に瑕だが、楽しませてもらった。にも関わらず、何もかも知っているけれど核心部分だけには触れていない印象だった。親戚縁戚関係から皇室の内部事情は知っているはずなのに、皇統の危機をいかに救うか明確な提言が聞こえないのは不思議だった。しかし根本問題は把握していて、いざとなったら皇室のために働かれるのだろうと思っていた。
ところが竹田氏はある動画で、水間氏が発表した家系図について文句たらたら、激怒した。怒りの形相で動画を発信した。勇気と自信があるのだろう。「なにい!?継承順位が108番だって、この俺が。50番以内のはずだよ。だって旧宮家だけを問題にするべきだろう。水!水間って誰、聞いたことないな。この人特別な業績があるの。」という調子で罵詈雑言、侮辱語の連発だった。
水間氏が公表した家系図は明治天皇を中心とした血筋を客観的に辿っただけで、間違いがあるなら指摘すればよい。そこには突っ込まないで、自らは抜本的な危機打開策を提言しない。で激怒とは。「竹田家中心の見方しかできないのが恒泰氏の限界だ。」と水間氏は反応された。天皇の血筋からいかに近いかが竹田恒泰氏の自信の素だった。自我が傷ついたのか凄まじい怒りだった。
日本は天皇をいただくことで悠久の歴史を生き抜いてきたのだが、完全な歴史ではないということは知っておくべきだ。そう知るだけで過剰な自信、偏見による傲慢を避ける余裕ができる。
仏典では釈尊が「人は生まれによって尊いか、または行いによって尊いか。」と問われたと記す。生まれによって貴賎が決まるなら向上心も努力も意味がない。行いによって貴賎が決まるなら善行に励もうと思う人は多い。この問いと答えとは修行向上の意味と実践の理由になる。人生観が異なる。そして人生が異なっていく。
神道は深遠な真理を追求せず、氏族家族中心の世界観に基づいてきた。だから竹田恒泰氏は当然のように竹田家にプライドを持っている。唯自家中心観に疑問を持っていたら激怒する動画を流すことはなかったはずだ。
聖徳太子は神道の世界観、人生観に疑問を持たれたと思われる。神道に欠けている真理を仏教に見つけ、三経義疏を著し外来思想である仏教を摂取する方針を取られた。偉大な先覚者であった。
外来思想を取り入れるのは西洋思想を流し込んでいる現在の日本と変わらないではないかと議論する人は多いだろう。キーワードは「不戯論」だ。フケロンと読む。西洋思想に限らないが、哲学、思想、論理など言葉のやり取りはすべて戯論だ。戯論をやり取りするだけでは人生や人格について結論を得られない。中途半端なまま老死する。戯れ言を言い合うだけに終わり真理に到達しない。
仏教は戯論を乗り越えて真理に至ることができるたぶん唯一の教えだ。いずれその核心に迫りたい。釈尊、聖徳太子、道元禅師に感謝する。