MUJHSE DOSTI KAROGE! (2) 06/28/2011
MUJHSE DOSTI KAROGE! は青春映画、純愛映画として最高傑作である。永遠に残る名作だ。中休み場面の図柄は目の裏に焼きつく。若い美男美女三人の物語でかっこ良すぎるけれども、人生を考える時の良いモデルになる。
ハリウッド映画に代表される洋画には恋愛映画はどう位置づけられるのか。永遠の純愛映画としてロミオとジュリエットも撮られた。ロミオとジュリエットはシェイクスピアの三大悲劇の一つとされている。恋人になる二人は街の中で対立する金持ちの二つの、それぞれの名家に生まれた。抗争を設定された中で若い二人が恋に落ちる。敵対と結び付きの相反するベクトルの中では悲劇の結果しかない。最高の純愛は死に至る法則でもあるのだろうか。
悲しい物語だから悲劇なのだが、悲劇の原因は二大名家の抗争である。既存の家同士は過去の因縁を引きずってきた。若い二人の出現は既存秩序の破壊である。同時に希望の星である。希望の星を死に追いやる既存体勢は悪だ。悪は断絶すべきである。恋愛物語から革命暴力思想が誕生した。
ウェストサイド物語はロミオとジュリエットの翻案で、ハリウッド映画の最高傑作だ。オリジナルと同じように抗争の末二人が死に、アントンが撃たれる。マリアが立ち去って純愛は悲劇で終わる。西欧近代文明の本質を表しているのだろうか。
純愛が純愛として完結する MUJHSE DOSTI KAROGE! は西欧近代文明に対するアンチテーゼに見える。インド人は唯心論者である。唯物論のような未熟な思考法は数千年前に卒業している。ハリウッドが気がつかない間に、映画の都を凌駕する質の高い映画が製作された。
この映画でも恋愛結婚願望は語られる。若い男女が惹きつけられるわけだから恋愛が問題になるのは当然だ。それでも物語の筋を追っていくと見合い結婚のプロセスに似ている。いつも三人の両親が見守っている。若人たちも家族の絆と友情関係を維持しようと心を砕く。暴力はない、策謀もない、親との家族関係はそのまま。若い世代がヒンズー教の儀式で結婚して新しい家庭が作られる。
「恋愛結婚は安物だ!」映画を見終わった感想だった。するとキスの氾濫に辟易したはずのアメリカ人が、「それは公言しないほうがいいよ。」と言った。恋愛結婚は純愛の悲劇と同じように西欧社会にとって必需品なのだろう。彼の言葉で再確認できたのは、西欧文明は個人を素にした文明だということだ。
個人は孤人でもある。孤独な個人同士だから各人が結婚相手を見つけなければならない。見合い結婚する思想も環境もないし実例もない。恋愛結婚の可能性しかないと条件づけられている。恋愛結婚という甘美な響きを最高と思わせるために見合い結婚は前時代的、強制的と貶めた。
アメリカにもメロン財閥やロックフェラー、ヴァンダービルトなど大金持ちがいる。彼らの子弟たちが恋愛結婚したとは聞かない。政略結婚は聞いたことがあるが、要するに見合い結婚だろう。富豪の家族は子供を最大限保護して面倒を見、子供もまた成人して富裕な保護者社会の中で結婚相手を見つける。見合い結婚はカネがかかる。日本だって裕福な家族は結婚まで面倒を見る。
恋愛結婚は貧乏人の手軽な結婚方法ということになる。学校で習った頃は、見合い結婚は旧弊な制度で、恋愛結婚こそ近代的理想的という二分法だった。日本では第二次大戦後も見合い結婚が多かった。伝統的と貶められたが、見方を変えれば、西欧社会では大富豪しかできないことを一般庶民が実践している贅沢ではなかったか。
見合い結婚は家族や複数の人々が二人の結婚に関わる。相応の出費もある。お互い社会人としての常識を持つことも要求される。話し合いと付き合いをしているうちに人生観も修正されまともになる。困難に直面するときの対処方法も学んでいく。結婚生活には純愛だけではなく慈悲心の自覚も必要だ。大人の誕生だ。
今の日本では恋愛結婚しか語られない。十代、二十代の男女に何がわかるだろうか。自分とは何か、相手は本当はどんな人か、子供はどうする、親との関係は、将来の見通しは、などなどわからないことばかりだろう。
多くの青年男女はいつの世も世間人生の事柄に精通していない。そんな状態で一人で生活を支え、一人で相手を見つけて結婚まで持っていくのは大変だ。親も自由だ、自己責任だと言って干渉せず助言しないのが普通だろう。孤人社会の到来だ。誰が孤人社会を望んだのか。大新聞か、学校か、近代思想か、外国勢力か。
以下の話は英語のサイトから見つけた。
”アメリカで長年仕事しているインド人のハイテク技術者が、友人の息子の結婚式に招待されたので故郷に帰った。式場についてすぐ、花嫁は低いカーストの出身であることに気がついた。それで友人にカーストの件を指摘し、この結婚は大丈夫かと尋ねた。するとその友人は、「息子はモルガンスタンレーで働いている、花嫁はゴールドマンサックスだ。どちらも超一流の銀行、同じカーストだよ。」と答えた。”
インドといえば生まれで差別する厳しいカースト制度が想像されるが、実態は融通無碍の面もあるらしい。参列者によると、インド人の結婚式では四日間踊り明かすそうである。華美を慎めなどは笑い飛ばされる。だから結婚式ビジネスが栄える。単独で費用を捻出するのは大変だが、持ち回りで助け合いながら付き合いが続く。
ボリウッド映画は踊りと音楽の比重が大きい。踊りは一流で、盆踊りのように大勢の人が参加する形式が多い。画面からは楽しんでいるだけに見えるが、実際は長年の練習が必要らしい。披露宴で映画の真似をしようとする人も現れる。映画が社会の慣習を後押しした。子供たちはダンス教室に通うのが当然だという。