拈自己抄を読んで

令和二年二月二十八日

「拈自己抄」月初めに届きました。畢生の御遺言ですね。重厚な文体で一般の人には難解ではないかと感じながら読了しました。執念の気迫が伝わってきます。晩年に至ってなお日本語の創造に精出すことができるのは老師の才能の賜物でしょうか、それとも大和言葉の力によるものでしょうか。
お手紙の中で脳梗塞とありビックリしました。辞書には脳内へ通う血流が細くなって起こる症状とあるのでその通りですが、漢字からは半身不随を連想させます。私のは軽い痺れで後遺症はなし、ピンピンしています。幸運でした。
とはいえ不具合は増えている。生活に支障はないですが、体力も脳力も漸減する実感がある。遺言を残す時期だなと考え始め、「雪国の正法眼蔵」のタイトルで日曜日の提唱シリーズを始めました。十二月一日に向けて準備していると、十一月二十五日に座骨神経痛が発症、希望と絶望が同時にやって来ました。
座ると痛いので接心できず、主治医も診断できない。オロオロするうち甲野善紀氏の動画に助けられました。紐の効用を説くついで「ゴムは捨てなさい」の一言で神経痛の原因がわかった。歩行用に膝まで届く厚い靴下を履いていたのが、かえって足を締め付け神経鞘を圧迫したのでした。治療法を整体師から教わって、もう大丈夫です。今回ほど坐禅が愛おしかったことはありません。

この冬は第一巻の現成公案を読んでいます。始めに諸法、仏法とあるので法の説明をしなければならない。法には三つの意味があって仏の教説、真理としての因縁の法則、そして因縁の理によってできている万物。
一人一人が因縁所成の結果だから法は自己である。仏法とは仏の教え、仏の示された真理、そして仏の自己である。現成公案には自己なる用語がたくさん出て来ますと始めました。
薪と灰の箇所はみんな興味がある。しかし時間論が書いてあると思い込んでいるので先入見の不備を指摘しなければならない。禅だけでなくヨガでも社会通念でも無常は刻々に変化するとばかり思っている。目の前の薪を取り上げて、燃やさなければ十年でも百年でも薪ですよ、何が刻々の変化ですかと聞く羽目になる。
この段は、薪と灰、生と死、不生と不滅、春と夏と、二項目の矛盾概念が対になっている。よく読むと、前後裁断とのちありさきありも対になっている。これらを無常の一語で解釈しようとすると、薪が百年存続すること、つまりひとが百歳生き続ける事実が説明できない。
宇井伯寿博士の仏教辞典に「無常:世間一切の法が生滅遷流して刹那も住するなきをいふ。之を刹那に於て見るを刹那無常といひ、之を一期相続の上に見るを相続無常と名く。」とある。無常は二種類ある。後者は相続無常だけれど、用語自体が自己矛盾しているしおぼえにくいので一期無常とします。
一期は薪に作られてから燃えるまで、春は立春から立夏まで、夏は秋まで、人は生まれてから死ぬまでの一生です。葬式の時参会者が思い出を語るとき、山田さんは恵まれない育ちながら努力して家族を養い、世のため人のために尽くされたなどと語られる。この人の肉体は刻々に生き死にしてある瞬間ではなどとは言わない。山田太郎という名前が付いた人が生存する間が一期です。
無常は二種類あり、刹那無常はのちありさきありで刻々の変化、人の一生は一期無常で前後裁断せりが適用される。怪我をして痛い時、痛が去るまでは痛の一期です。ひとは健康な一期無常を全うしたい。あらゆるものの因縁所成から因縁離散までを一期無常で理解できる。ところが仏教界は一期無常を忘れてしまった。
「薪は薪の法位に住して」とある「住」は常住で無常の反対語です。薪の一生は一期で、燃える時が無常で薪の死になる。「法位」は物の位で、位が異なるから物ごとの差異が表現される。差異があるから別が見える。人々(法)の間にひとりひとりが具体的に区別される。
法位と一期無常は因果応報の主体であり、自己責任の担い手であり、誇り、正義、人生観、社会観、国家観のもとになる。ひとは一期だけ生まれ善行し、そして死ぬ。例外はない。一期一生をいかに生きるかは個々人の責任で、それぞれが人生設計し満足できる生活を送るよう努力すると決定するしかない。能力ある人は社会のため、国家に貢献するがよい。国家の位はまた国民一人ひとりを守り育てる。
一切諸行が無常消滅しては主体も責任のありかもない。刹那無常だと刻々に無常するから人生設計できない。何を計画しても次の瞬間に無に帰する。国家防衛どころか家族防衛の理由もない。学問、鍛錬、努力、人格、善悪など、この世に意味あるものはひとつもない。マッカーサー狙い通りの無気力と混乱の世になる。もちろん責任はない。朝日新聞が捏造報道をうやむやにできるのも安倍が詭弁を弄するのも、仏教者が一期無常を教えなかった結果ではないか。
ゾロアスター教の善悪二元論に触発されてユダヤ教なる一神教ができたとする説を思い出す。物事は二、三、四と要素が増えるほど思考が難しくなる。一は考えやすい。二箇の無常から一つの無常しか考えられなくなった仏教界、刹那無常だけの中で自己を探し求められたのが内山老師の功績だったのではないかという気がします。

「ポツンと一軒家」というテレビ番組が動画に挙げられている。心温まる物語が多い。ある回で里山文化を講釈する人が登場した。人が手を加えないのが自然だと現代人は思っているが、江戸時代に完成した里山文化は自然に働きかけて双方の可能性を引き出し共生する場を作った。林の下草刈りでも花や果実を残す。花の杉林が現出する。
番組に登場する一軒家と人々は縄文人の生活を思い出させる。発掘された縄文時代の遺跡を復元すると集落の周りに栗や漆が植わっていた。令和の世に自然と共生しながら稲麦、野菜、果物を植え、猪や鹿を狩る。2万年の歳月が繋がる。日本文明は里山縄文文明と名づけられるにふさわしい。日本とは何か、日本人とは誰か、自己とは誰かと追求する時、里山縄文文明人に突き当たる。
明治維新どころかイエズス軍団の宣教師派遣から外来思想の侵略は止むことがない。マッカーサーの占領政策以来特に社会的混乱がひどいのは、外国思想ばかりが語られて、自己と国家と民族と、そしてわれわれの文明についての理解が寸断されてきたからだ。分断統治とはよく言ったもので、空間、民族だけでなく、時間が切断されると日本人としての自覚も薄くなる。
学校では古代、近世、現代のような歴史区分を教えられる。よく考えてみると区分法はおかしい。千年後に二十世紀は現代と呼ばれない。現代を表す用語を我々は持っていない。レーニンがロマノフ王族を虐殺したのは封建的な王政は悪であるという信仰に近い観念があったからだ。学校で習う時代区分法は破壊思想によって作られた。
勝者も敗者もない豊かな縄文文明の実態は科学的な発掘調査によって日々明らかにされている。縄文文明は食料を生産加工し、品種改良を怠らない創造文明だった。桜や梅が山を覆う景色が他国にあろうか。今も人知れず苗木を植えるひとは途切れない。
里山文化は縄文時代の記憶がないまま完成された。縄文文明の理念は江戸時代の民衆に継承内在していたに違いない。神社仏閣の前で合掌し敬礼する心持ちは略奪侵略文明の態度とは異なる。日本人は他人と会っても後々まで付き纏わない。略奪文明人は接待した後いかに付け入るか計算しているように見える。
生命の創造と継承を本とする里山縄文文明に則れば、稲作農業だけではない食糧生産や、石油だけではないエネルギー確保も可能だろう。江戸時代は米経済だったことを考えれば、経済学者が前提としているユダヤ金融資本主義やドル基軸通貨以外の経済運営方法が見出されるかもしれない。森も山も湖も社会も国家も里山縄文文明の活躍を待っている。

禅宗は神仏習合説がまとめた神仏融和の後で入ってきた外来宗教だ。侵略破壊思想でないと言い切れるだろうか。道元禅師だけでなく義介禅師をはじめ多くの宗呂が大陸へ渡り、漢訳経典と支那思想が盛んに研究された。
正法眼蔵坐禅儀では坐禅の仕方がコンパクトにまとめられている。イデオロギー満載である普勧坐禅儀に比べて大言壮語はなく、果報も書いてない。最後文に謳われる不染汚の修證を誰が欲しがるだろうか。胸に手を当てて考えてみれば、不染汚こそ日本文明の真髄であろう。
正法眼蔵坐禅儀の坐禅は黄梅山の五祖の営みと同じとある。五祖は大満弘仁禅師で支那禅を確立した六祖の師である。つまり道元禅師は、支那禅確立以前の、釈尊直伝の坐禅を勧められた。里山縄文文明に護持されている日本人に外国発のイデオロギーは必要ない。ここに日本独自の禅が宣明された。だから曹洞宗は存続した。道元禅師は外来文化と縄文文明の理念の違いを自覚されていた。傘松道詠は漢文では詠めない。

どこで見たか忘れたが、安倍晋三は尊敬する政治家としてチャーチルをあげていた。戦争が好きで前線に出かけて捕虜になり、海軍大臣になって拙劣な作戦で失敗し、日本を第二次大戦に引き摺り込んだ結果すべての植民地を失った者の何を尊敬するというのか不可解だった。
第二次安倍政権になってから、日本を取り戻す、瑞穂の国の資本主義、憲法改正などの言葉に高揚感を覚えた。アメリカファーストのトランプ大統領出現で、晋三はトランプの先駆けだったのかと思った。日本ファーストが語られる時代がきたと思った。
ところが憲法は改正しようとしない。石油と防衛力の外国依存は強まるばかり。重要な企業を外国資本に買収させる。移民法やアイヌ新法など不要な政策ばかりに全力をあげる。外国に良い顔するばかりで筋を通した政策はない、何かがおかしい。
チャーチルはユダヤ人のロスチャイルド家と親しく、ノルマンジー上陸作戦はロスチャイルドの屋敷で練られたという。映画のシーンを思い出す。政治家なら、大英帝国を崩壊させた後でも首相に返り咲いた秘策に関心があるだろう。安倍のチャーチル好きはユダヤ勢力に取り入れば失脚しないだろうとの目論みからではないか。
第二次安倍内閣になって世直し国興しのため立ち上がった方々を何人か知っている。どんなに攻撃されても三割の支持率が揺らがなかったのは、彼らの堅い志操が支えていたからだ。今、かつてのコアな支持者ほど、裏切りに失望し怒りに震えている。代わりはいないのか!この国難の時に高市早苗氏、上川陽子氏らの名前が上がり始めている。女性宰相でなければならない理由はあるかも。
里山縄文文明の理念は国民の間に根付いている。若人が YouTube などで女系天皇否認、女性宮家創設反対を叫んでいるのがその証拠だ。彼らや彼女たちは、外国勢力に操られているかのような政治家や偽りの思想を肌で感じわける。
実道永晋 九拝

存続と存在(2)

存続と存在(2)       08/04/2011

1980年まで禅の見通しが得られない苦しさを味わった。坐禅が解らない。坐禅こそすべての根本、世界の原理、人生の要と目処をつけて必死の思いで実践するのだが、坐禅そのものが解らない。きりきり舞いした。絶望的な気持ちだったが、お袈裟を着けると不思議な安心感に包まれた。袈裟功徳である。爾来、仏と仏教は修行者や信者を保護し助けるものに違いないと確信した。
ひとは、仏が、自然が、社会が、家族が、そして身体の保護膜までが守り助け合うから生存存続できる。守護、保護がなければ誰ひとり生き残れない。この原則は幼児や老人に当てはまるばかりではない。壮年の大人だって、家族、法律、貯蓄、警察、国防、そして仕事に耐える健康体と知識で護持されなければ生きられない。仏様がありがたいのは、第一不殺戒、第二不盗戒など、生命増長、生命継承の法を遺していただいたからだ。仏の法に従えばより善い人生を送られる。
身も心も適正に守護されていたら健康でいられる。痛や病は保護膜のケガや守護者の減少衰弱による。病気や怪我をしたら、存続、生命増長の方向で対策を考える。自然治癒するまで辛抱強く待つ。周囲の人が同じような状況に陥ったら、想像力を働かせて手当て助力する。犬や猫はもちろんだが、野生の動物も同じ原則で手当てする。三本足で飛び跳ねている鹿を見たことがある。どうして怪我したのか解らないが、自然界も安全平穏で片付けられない。
禅堂に帰ってきた時心配することがたくさんあった。冬の厳寒で凍死する、水道管が破裂する、雪に閉じ込められる可能性などなど。薪がなくなったらおしまいだ。夏は蚊とハエと蟻が蠢く。とくに蟻はあらゆるものを食い尽くすから恐ろしかった。三年で
居住不可能になるのではないかと思った。
そうこうしているうちにペンキの塗り方を教えてくれる人がいて、建物の土台部分にペンキを塗ると蟻が侵入しなくなった。見栄えも良くなった。網戸も張った。すると蚊も入って来なくなった。ハエは真っ黒になるほど飛び回っていたが、いつの間にか少なくなった。周囲の木を切って日当たりが良くなったからだという人がいた。
冬の朝は、坐るまでに二時間半ストーブで暖房する必要があった。今は新しいストーブに替えたせいもあり三十分だ。木製の家だから数年で建て替えかと暗い気持ちだったが、きちんと補修すれば二百年持つかもと考え直している。保護、持続、存続、快美の原則は建築物にも適用できるようである。

存続と存在(1)

存続と存在 (1)     08/04/2011

2007年の四月にアルミの梯子を五百メートル担いで両肩を痛めた。その時「いかに長くダンスを続けるか」という本を読んだ。アメリカ文化の中心はダンスだと知ったのはいつの頃か忘れたが、どんな田舎でもダンス教室がある。ミュージカルはダンスと唄が基本だし、テレビのダンス番組は人気が出る。よく見ると男女の別なく、テレビ出演者の身ごなしでダンスをしてきたなと感ずる人が多い。
舞踏会の映画を見るとリズムに乗って楽しく踊っている。ワルツをはじめとするグループダンスははじめ異様に見えたが、映画とは何か、人や文化とは何かと理解が深まるにつれ受け入れられるようになった。
しかしどの世界でもプロ級となると身体を極限まで酷使する。ダンスの練習で怪我する人がでる、体調を崩すと生活に支障をきたす。アドバイスの需要が出てくる、それもかなり高度な知識が必要となる。アメリカにおけるダンスの地位は高い。
その本に、ほとんどの筋肉の痛みは筋肉を包んでいる保護膜の損傷から来るとあった。保護膜が自然治癒するには六、八週間かかる。それで医者に行かずただ怠けていたら、七週間ほどで痛みは消えた。有用な知識が手軽に得られるのはありがたい。

2009年の九月に左肩を痛めた。前回と同じ症状だと思って静養した。十一月になると痛みがかなり引いたので落ち葉掻きをした。するととたんに激痛に変わった。五十肩と診断され五ヶ月間の激痛に苛まれることになった。苦痛の中心は左の肩甲骨で、そこから左腕、指先まで、車のドアが開けられないほど痛く、痺れた。ときどき血の流れが間欠的になった。
痛みを取る方法はいろいろ聞いた。鎮痛剤を飲む。薬物を注入する。それらは多種類あって、中学生や高校生も使用する。アメリカンフットボールやバスケットボールの選手たちは小学生の頃から練習する。怪我する者は数えきれないからさまざまな治療法が考え出される。マッサージ、指圧、整体法 (Physical Therapy) も発達した。
薬物注入は即効性はあるだろうが副作用も考えられる、根本的な治療ではない。結果から見直すと時間が最良の治癒法だったのだが、指圧と整体法に頼ることになった。指圧師に全身を揉まれると楽になることが多かった。整体法は魔法のように効くことがあるが、別稿で述べる。
指圧に毎週通ううちにツボの場所や圧力の掛け方に慣れた。自分でやっていいと了解を得てから、手が届くツボに触れるようにした。改めて腕や手足が暖かく柔らかいことに気がついた。知らず識らずのうちに言葉の使用だけに慣れてしまい、腕や掌が生きていることを忘れていた。
生きている体は暖かく柔らかい。言葉は体温がなく硬い。言葉の戦い、思想戦争、情報謀略戦争などが繰り広げられる根本は、言葉は無重で体温を持たず硬直しているからだ。宗教戦争が熾烈なのも、宗教が冷たい言葉で表現されているからだと言える。硬直した言葉を応酬するのは刀剣を振り回すのと似ている。言葉は剣であるとか道具であるとかいうアメリカ人は少なくない。言葉に指令された通りに人が動くと軋轢が生じ、破壊を伴う争闘が予想される。というより現実のように思える。 (参考までに、身体に聞くという表現がある。)

初歩的な指圧の要領は、筋肉の痛い箇所を 20 秒圧して放す。左腕の痛点を押すことから始めた。腕は骨、血管、神経、筋肉などが独自性を保ちながら絡み合ってできていることを実感した。骨も指圧すると楽になる。すると別のところが痛くなる。そこを圧して、また次へ行くを繰り返した。
そのうち指圧しているのは本当に骨だろうかと疑問になった。骨はカルシウムの塊だ。だから石のようにとはいかないまでも硬いはずだ。ところが圧すとわずかだが粘土が凹むように変形する。ということは、薄い皮肉に触っているわけだ。骨も皮膜に包まれている。皮膜だから圧力に反応し、リンパ液の巡りが良くなると楽になる。
骨や筋肉が皮膜で保護されているならば、血管や神経も皮膜で包まれているだろう。生体のあらゆる器官は重層的な保護膜で覆われていると考えてよい。われわれが触れたり圧したりできるのは血管や神経そのものではなく保護膜だ。保護膜は外側だから損傷しやすい。毀損するとキリキリ痛む。痛みは保護膜が修復されるまで続く。
普通に食事し運動し働くならば、人の身体は細菌による病気になったり痛に負けたりしない強靭性と柔軟性を持っている。主に筋肉が発する体温と体細胞の隅々まで湿気をもたらすリンパ液の役割も見逃してはならない。皮膚は肉体の最外側で身体を保護する。消化器官は皮膚を反転したものだから、人は内と外から保護膜に包まれている。生存の現実は保護膜に守られているから可能だ。
普通、ひとは皮膚の三分の一が火傷すると生きていけないそうだ。皮膚には呼吸や発汗作用だけでなく、まだ解明できていない身体を保護する精妙な役目があるのだろう。火傷の危地を脱したとしても、鎮痛剤がなければ死よりも辛い激痛が襲う。痛は保護機能の重要性を識らせる。

皮肉骨髄は誰もが知っている。達磨大師が四人の弟子に対してそれぞれ皮と肉と骨と髄を得たと証明された。二祖慧可大師は髄を得られた。話を聞きながら、髄は骨よりも身体の中心に近い、外側の卑近な皮より重要だと理解した。それは同時に慧可大師の悟りや見解の方が他の弟子たちより優れていたことを意味する。
学生時代通っていた寺の和尚さんは、悟りに敬重はないみんな平等な仏法を得られたのだと強調された。すると当方としては、強調する必要があるほど皮と髄との重要さには歴然たる差があると思った。
今考えると、髄は身体の中心にあるとはいえ骨肉皮がなければ存在できない。だからそれぞれの重要性など比較できない。田舎寺院の和尚さんの方が正しかった。さらに反省してみると、卑近なものよりも手が届かないもの、目に見えるものよりも見えないもの、端にあるものより中心にあるものの方が偉大で重要で肝心であると何故考えたのか、その理由の方が問題だ。ざっといえば考え方に癖があっただけということではないか。
保護ということになれば皮膚だけではない。空気も水も光も快適な温度も保護者ならざるものはない。沙漠で日干しになることを考えれば、森林も温泉も保護者だ。帰って寝る家に保護され、家族同士が助け合う。村や町での人々も協力しあい保護し合う。
国は長く大きな見通しを持って国民を保護する。

天皇の祈り(8)

天皇の祈り(8)      05/20/2011

平成天皇、皇后両陛下は沖縄から始まって硫黄島、サイパン、パラオと慰霊の旅をされた。いづれも先の大戦で激戦となり幾多の悲劇が起こった地である。第二次大戦がなければ日本人には馴染みが少ない南洋の島々だ。
なぜ特定の島で激戦が繰り返されたかといえば、戦闘は飛行機戦中心になっていたからだ。それぞれの島には飛行場があり、制空権の確保が双方にとって死活問題になった。飛行機戦の先鞭をつけたのは日本のセロ戦だったのではあるが。
第二次世界大戦の見方についてはまだ定説がない。朝日新聞をはじめとするサヨク新聞社が邪説を広めてきた実態が明るみに出るようになったばかりだ。林千勝氏の研究が最先端だが、わからないことがいっぱいある。水面下で行われた事象の解明が待たれる一方で、現在および将来の日本人の生き方も第二次世界大戦の意味を決める大きな要素になる。
平成天皇皇后両陛下は良かれ悪しかれ先の戦争の申し子のようなところがある。お二人とも東京から疎開され、終戦の時は小学生だった。マッカーサーの占領政策の直接の被害者である。慰霊の旅をされたということは、日本の代表というだけでなく、一個人として大戦争の体験にけじめをつけようとされたのかもしれない。

* * * * *

天皇と日本の存続は、日本人が普段に努力することで成し遂げられる。個々人の日々の生活と一生にわたる活動が、個人と社会と王朝の存続を可能にする。古事記は、具体的にして明白な歴史の知恵を、天皇と皇族、そして全ての日本人に伝えようとした。天皇の存続こそ, 日本にとってもっとも自然な物語であり歴史である。
真の生き甲斐は、個人と社会の存続と生命継承のために働くことだ。これが古事記の堂々たる世界観であり、この世界観あればこそ、天皇は二千年以上存続してきた。そしてひとりひとりの日本人もまた生存してきた。
当たり前の家族モデルや言わずもがなの生き甲斐の意味まで採り上げねばならないほど、明治維新後、特に第二次大戦後の日本社会は狂ってきた。戦後日本では当たり前のことが教えられず、学校とマスコミを中心に偏見と屁理屈ばかりが大手を振って通ってきた。思想戦争、洗脳謀略は全方位から仕掛けられ、外来の思想や偏見が蔓延してきている。

ポツンと一軒家という番組に熊本の山奥の老女性が出演した。彼女は生まれた時から目が不自由だった。外で働けないので不遇な人生だっただろうが、同じ村の青年と結ばれ六人の子をもうけた。優しい誠実な夫だったと懐かしんでいた。普通の仕事ができない自分を承知で結婚してくれたことに感謝している表情が眩しい。
過酷な試練は重なるものか、夫は五十歳のとき発作を起こして寝たきりになった。二十年間の看病について番組は何も語らないが、幸せな生活が暗転したことは疑いない。大黒柱が倒れたとき最年長の長男は中学二年生、高校進学を断念して働きに出た。長男が中学校を卒業して家を出たときみんなが泣いた、一番悔しかったと語る。長男も画面に出て、悔しかった思い出を吐露した。「高校行かなかったら一生働き続けることになるんだぞ。」と言われたと。
夫は七十歳でなくなった。今は孫十二人、ひ孫十一人とお盆で会うのが唯一の楽しみだと語る。番組は孫、ひ孫に囲まれたお盆の日の一族再会のシーンで終わる。
心なごむ物語だった。目が不自由だという運命を背負った恵まれない人生だったが、最後には天照大神が微笑むような幸せの中に生きる。それ以上望むことがこの世にあるだろうか。
長男は先生から「一生働き続けることになる。」と忠告されたというが、働き続けることこそ若くても老いても一番幸福な人生だ。おばあちゃんは人並みに働けなかったから悩み、夫の苦しみは働けなくなったことだ。おばあちゃん一族の大成功は、子供が高校へ行かず世に出て働いたからではないか。働きながら社会経験を積んで得た知識こそ本当の意味での英知だ。
働きながら身につける知識とは何だろうか。お宮さんの前に来れば二拝二拍一拝して頭を下げる。願い事をしてもいいが、普通はただ頭を下げる。お宮を建てた先祖に感謝する。お宮と後ろに控える里山の恵みに感謝する。恵みを与えるのは自分ではなく大自然と世の人々だ。
お寺は宗派に分かれているわけだが、どこに行っても一番尊敬されるのは釈迦牟尼仏であろう。大日如来も阿弥陀仏も釈尊が出現しなければ存在しなかった。万巻の経典もお釈迦様の智慧から語られたものだ。仏教を実践し伝承された先達も多い。古人と彼らの業績に感謝するのはお寺を訪ねるときの作法だ。

本質論をいえば、しらっと先生の頭の中に近代個人主義西洋思想が入っている。西洋式近代学校で学ぶことは中途半端な偏見、断滅思想ばかりだ。学校では人生にとって何の役にも立たない知識という妄想ばかり学ぶ。
たとえば進化論がある。生物は時とともに進化するというが目の前で進化そのものを見た人はいない。ところが思想としての進化論は最新の生き物が自分だという高慢な心持ちを生じさせる。前の時代や年長者を批判して恥じない思想を生み出す。
いまさらマルクス主義そのものを教えることはないだろうが、歴史の必然性という考え方は知らず知らずのうちに社会全体に巣食っている。古代、近代、現代などの時代区分は至る所で目に付く。後の時代はより進歩している、前の時代の事物は滅ぼされて当然とみなされる。レーニンはロマノフ王族を皆殺しにしたのだが、王政を古い政体だと信じ込めば虐殺が正義にさえなる。

日本には縄文文明があった。文明とは社会に共有された生命の創造と存続の知恵の総体だ。日本列島は大八洲とか秋津洲と呼ばれたが、二万年前に遡って発掘が続けられている。研究が進むにつれて、われわれは縄文人の子孫だとはっきりしてきた。生活跡を復元すると、村落の周りは栗や漆などが植林されていた。古代人のイメージとしてはぶらぶら歩きながら貝の採集や猪猟をする行動が思い浮かぶが、縄文人の合理性は文明人の域に達していた。
縄文時代が記憶になかった江戸時代に里山文化が完成した。江戸時代の農村文化だとばかり思われていたが、じつは縄文時代から続いてきた生き方だった。里山縄文文明は縄文時代以前から続く日本文明のことだ。古代と近代の争いもない。現代人だからといって高慢になる必要もない。自然に感謝し、先祖に感謝し、社会に感謝しながら日々懸命に生きるのが里山縄文文明人だ。天皇はその中心におられる。
江戸時代に里山文化が完成されたのは、内在理念としての縄文文明が社会の隅々に働き続けていたからだろう。江戸時代人は天皇も過去の物語も知っていたが、古代とか近世とか時代区分をしなかった。すべて尊い先祖の物語であった。その上であらゆる分野で学問研究は途切れなかった。
内在理念としての里山縄文文明に立ち帰れば、いまの日本が混乱している現実が見えてくる。混乱の最大の原因は第二次大戦後の占領政策にあるが、もっと遡れば文明開化を受け入れた明治維新からの趨勢にある。さらに遡ると鉄砲伝来やキリスト教の宣教師到来がある。
外来文明の侵略が日本を混乱させ迷走させている。日本人がすべきことは日本を取り戻すこと、里山縄文文明を承継し発展させることだ。
「天皇の祈り」終わり