存続と存在(2) 08/04/2011
1980年まで禅の見通しが得られない苦しさを味わった。坐禅が解らない。坐禅こそすべての根本、世界の原理、人生の要と目処をつけて必死の思いで実践するのだが、坐禅そのものが解らない。きりきり舞いした。絶望的な気持ちだったが、お袈裟を着けると不思議な安心感に包まれた。袈裟功徳である。爾来、仏と仏教は修行者や信者を保護し助けるものに違いないと確信した。
ひとは、仏が、自然が、社会が、家族が、そして身体の保護膜までが守り助け合うから生存存続できる。守護、保護がなければ誰ひとり生き残れない。この原則は幼児や老人に当てはまるばかりではない。壮年の大人だって、家族、法律、貯蓄、警察、国防、そして仕事に耐える健康体と知識で護持されなければ生きられない。仏様がありがたいのは、第一不殺戒、第二不盗戒など、生命増長、生命継承の法を遺していただいたからだ。仏の法に従えばより善い人生を送られる。
身も心も適正に守護されていたら健康でいられる。痛や病は保護膜のケガや守護者の減少衰弱による。病気や怪我をしたら、存続、生命増長の方向で対策を考える。自然治癒するまで辛抱強く待つ。周囲の人が同じような状況に陥ったら、想像力を働かせて手当て助力する。犬や猫はもちろんだが、野生の動物も同じ原則で手当てする。三本足で飛び跳ねている鹿を見たことがある。どうして怪我したのか解らないが、自然界も安全平穏で片付けられない。
禅堂に帰ってきた時心配することがたくさんあった。冬の厳寒で凍死する、水道管が破裂する、雪に閉じ込められる可能性などなど。薪がなくなったらおしまいだ。夏は蚊とハエと蟻が蠢く。とくに蟻はあらゆるものを食い尽くすから恐ろしかった。三年で
居住不可能になるのではないかと思った。
そうこうしているうちにペンキの塗り方を教えてくれる人がいて、建物の土台部分にペンキを塗ると蟻が侵入しなくなった。見栄えも良くなった。網戸も張った。すると蚊も入って来なくなった。ハエは真っ黒になるほど飛び回っていたが、いつの間にか少なくなった。周囲の木を切って日当たりが良くなったからだという人がいた。
冬の朝は、坐るまでに二時間半ストーブで暖房する必要があった。今は新しいストーブに替えたせいもあり三十分だ。木製の家だから数年で建て替えかと暗い気持ちだったが、きちんと補修すれば二百年持つかもと考え直している。保護、持続、存続、快美の原則は建築物にも適用できるようである。