不戯論(4)

不戯論(4)

浅間山荘事件は1972年2月だった。連合赤軍を名乗る青年五人が人質をとって立て籠もり、銃撃戦になり警官三人が死亡した。事件の捜査が進むと榛名山連合赤軍アジトリンチ殺人事件が明るみになった。多くもない仲間のなかから半数の同士が殺された。日本中が震撼し、学生運動とサヨク活動は生理的に嫌われるようになった。
連合赤軍が革命闘争を進める中で起きた全共闘運動最後の大事件で、参加者は全員が大学生あるいは大学卒業生だった。全共闘運動は10年前の安保闘争をモデルにした学生運動で、一般人から見たらエリート集団だった。オウム真理教のサリン事件に関わったのも大学卒業生、それも優秀な成績の者が多かった。
六十、七十年代、大学ではイデオロギーという語が日常的に使われていた。主に共産主義イデオロギーの意味だった。世界の歴史は階級闘争の歴史であり、資本主義の後は必然的に共産主義社会になる。共産主義運動に協力する方が得だという雰囲気が出来上がっていた。朝日新聞や岩波書店が出版物を通して思想拡散を公然と行った。右翼運動はほぼなかった。
連合赤軍参加者は銀行や銃器店を襲撃したり、よど号で北朝鮮に向かったり反社会的な行動に走った。生き残った者も裁判を受け、多かれ少なかれ犯罪者となった。理想という言葉に準じて人生が狂った若者は少なくなかった。
学園封鎖とかゲバ棒振るっての戦いと聞くと凶暴な若者が暴れているイメージを持つかもしれないが、彼らはよく勉強し、教科書に書いてあることで会話ができた。左がかっていただけだ。おそらく戦後教育の欺瞞を身体で感じていたのだろう。何かがおかしい。欺瞞と不可織の間でフラストレーションが爆発した。
同時に思い出したのは、江戸時代の寺子屋教育で暴動が起こったという記録は見たことがないことだった。また永平寺では常時百人以上の若者が集団で修行生活しているがリンチが報じられたことはない。各僧堂でも若者の集団でありながら不祥事は聞こえてこない。この対照はどうしたことか。教育とは何か理想とは何か根本的に考え直す必要がある。
マルクス共産主義ではっきりするが、イデオロギーと云われるものは外国発、他文明発の思想がほとんどだ。だから特定イデオロギーの信奉者や紹介者、あるいは伝導者には高学歴者が多い。翻訳や思想家との交流は大学や学会を通して行われる。学歴社会、学校社会は機能している。
思想と現実の乖離は誰もいつも経験する。外国発の思想を日本で実践しようとすれば行き過ぎや誤解、軋轢が起こるのは避けられない。しかもよくよく検討すれば、ばかばかしい曲解をもとにしている思想だったりする。プラウダというのはロシアの権威ある新聞社で、その論説をサヨク人士は毎日チェックしていた。プラウダは真理という意味で、共産主義は真理であり、機関紙のプラウダには真理の声が書かれていると云われていた。
ある人がプラウダという単語はロシアの日常語で、日本語では「ほんとう」に当たると暴露した。「ほんとう?ほんとうよ。」とやり取りするレベルだった。それが日本人信奉者の間では絶対の真理であった。日本古来からの伝統や思想を省みないで、他所の思想を嬉々として取り入れようとする日本人エリートの情熱は何なのか。
今でも日本共産党やサヨク政党の話を聞くと理想と未来の話しかしない。薔薇色の幻想を語るっていい年こいた大人のすることか。イデオロギーとは戯論の別名だとよく判る。
あべさんも実現できない未来の話ばかりするようになった。憲法改正とか日本を取り戻すとか、実質が伴わない言葉はいくら巧言でも戯論に過ぎない。そして近代西洋式学校は何をしているのか。実生活に役立たない、真理でも道理でもないハンパな知識を弄んでいるだけではないか。戯論を広める仕組みが学校のようだ。

明治維新以来というよりも種子島の鉄砲伝来以降という方が正しいかもしれないが、日本人はいわゆる西欧近代思想によって混乱させられてきた。いまでは正しい人生観や世界観は何だろうと模索する人は良い方で、人生や世界のまとまった理解の仕方があるのだろうかと途方に暮れる人が多いのではないか。
強大な軍事力と華やかな文化を見せつけられて、日本やアジアにはない何か特別なものが西欧文明の中にあるのではないかと考えた。それはキリスト教だろうか、神話だろうか、社会思想だろうか、資本主義だろうか、科学技術だろうか。人生観は個人主義でいいのか、民主主義は普遍的な政治体制なのか。日本語を捨てて英語やフランス語にしようと提唱する人まで居た。
拝外思想の猖獗はなんとかならないものかと思ってきたが、海外旅行に行く人が増え、インターネットが普及して、外国文化や他文明が珍しくなくなった。外国崇拝者が馬鹿にされるようになった。二十一世紀になってついに反グローバリズムでなければ国家の存在も民族家族の存続も危うくなるとはっきりした。日本は日本独自の道を見出し歩むしかない。
幸いにしてというか必然的にというか、日本には人生観、世界観と言われるものが二つあった。一つは聖徳太子の十七条憲法と天武天皇の古事記に代表される和の精神だ。それらはあるときポッと現れたものではなく、縄文時代から続く日本精神だ。一言でいうと神道である。神道といっても滝で水にうたれるとか手甲脚絆で山野を駆け巡る修行などがイメージされてよく解らない。「里山縄文文明」の名はいかがだろうか。
伊勢神宮をお参りするときまず大鳥居に出会って頭を下げる。五十鈴川にかかる橋を渡って神域に入り、最初にすることは手を洗う。伊勢神宮を皇室の最尊神社とされ式年遷宮等を定められたのは天武天皇だったが、当時から日本人の生活は禊、手洗い、清潔が基本だった。身体も心も清潔、正直から出発する、そして神道と総称される精神文化になった。
古事記だけでなく万葉集や御伽噺、歴史物から日記文、たくさんの和歌集など日本には古典文学が残されている。美の探究、歴史の真実の探求、言語の問題など解明を待っている宝庫が無数にある。
もう一つは仏教で、仏教は釈尊の人生苦からの解脱に基づく。人生は苦であるがすでに人生観だ。苦を解脱すれば出発点とは異なる世界が見えてくる。インド文明の精華であるが、日本には発祥地では雲散霧消した経典や大蔵経も完備しており、修行道場としてのお寺もたくさんある。
膨大な経典は無量無辺の智慧の凝集だ。仏典には日本語では発想できない概念や事柄が鏤められている。千年以上も仏典が研究され続けてきたのは、僧侶の仕事だけではなく経典に魅力があるからだ。読めば、汲めども尽きぬ智慧の泉水を味わえる。読経を一生の仕事にする学者もいる。
読経知だけでなく出発点の人生苦を解脱するための実践修行方法も日本の仏教界は忘れていない。仏教知だってイデオロギーになる。厭世的人生観や行き過ぎた布教が問題になったこともあった。実修実行は戯論としての仏教思想を正す役割も果たす。
今しなければならないことは、自分の正しい人生観とは何か、家族や国家の正しいあり方は何かを知ることだ。日本には縄文遺跡、古墳、文学、工芸品などの底知れない文明の蓄積がある。仏教は日本語には出来なかった知の宝庫をもたらした。ついに西欧文明も畏怖すべきものではなくなった。
三つの文明を手がかりに新しい文明創造が始まるのが今という時代ではないか。 創造はイデオロギーを叫んで人を動かし社会運動してできることではない。広く深い見通しを持ちながら、日々畑を耕し地道に木を植え、自己を参学実現する地味な人生だ。戯論ではない具体的な人生創造が文明の道だ。

不戯論(3)

不戯論(3)

近代西欧文明は科学技術の発達に依存するところが大きい。科学的方法は信頼できるかどうか。科学的真理の基礎づけをしたといわれるのはカントの「純粋理性批判」である。超難解な書物として有名で読みきれなかった。
該書では、人はいかに木や花を認識するかという問題が語られている。桜はいかに桜と見え、琴の音はいかに耳に捉えられるかという問題だ。普通の人は問題にしない、というより考える手がかりさえない。たまに哲学者や賢人の中に鋭い切り込みをする人がいる。インド人もまた同様な問題を追求した。
映像文化が発達した今日では情報発信に従事する人も多い。視聴者がいかに映像を認識するか調査する過程で、錯覚や捏造や偏向報道が注目されるようになった。物は在るだけではなく認識されてはじめて在るという事実が常識となった。認識には必ず認識者の心の仕組みが関与していると論じたのが純粋理性批判である。
それまでは在るものは客観的に在り、人は在るものをそのまま見たり触ったりして覚知していると思っていた。対象と主体、客観と主観は独立して対峙し、相互関係は不明だった。認識は人の心、理性が捉えるのか、外界から多数の似た刺激を受けることで経験から形成されるのか決着がつかなかった。
純粋理性批判にカテゴリー論がある。範疇論と訳されて、文字を見ただけで読む気が失せた。カテゴリーは現代語では認識パターンが当てはまる。認識パターンは自然科学者がよく使う概念である。物事を認識するとは、こちら側の認識パターンというフィルターを通して対象が見えたり聞こえたりすることだ。
カントのカテゴリーは量、質、関係、様相に区分され、それぞれが三項の論理パターンに従って分類されている。分類だからカテゴリーだ。「A はBである」「 Aであれば Bである」「 Aであるか Bである」のようなケースが数えあげられる。論理パターンは思考の形式で心に内在する。「関係」の中の上の三項はそれぞれ実体性、原因性、相互性に対応するとされた。
関係性のパターンは現実世界では空間と時間の中で働く。上の三項目はそれぞれ実体持続性の原則、因果律に従った継起の原則、相互作用の法則に従った共在の原則として働く。因果律が認識パターンの一項として位置づけられた。
他の認識パターンは可能性、現実性、必然性とか、直感と類推、単一性、数多性、全体性、実在性、否定性、制限性などがあげられた。たくさん挙げられた中の一つの認識パターンが因果律だった。

カテゴリー論で図式化され体系化されて緻密な思考がなされたことはわかる。緻密すぎ完璧すぎはカントの名声に現れている。しかし認識パターンはこれだけなのか?複数の認識パターンが並列されると論理的必然性が曖昧になる、提言の初めから確実性に欠ける。そしてカントの認識論は正しいのか。
原因結果の認識パターンによって科学的実験は検証できる。科学的成果が再現可能な実験によって判定されるのは常識になっているが、これは原因結果の認識パターンが適用されているからだ。ロケットの燃焼やガソリン車の安全など最新科学の応用には厳密な再現性と検証の確実性が欠かせない。
カントが因果律を複数の認識パターンのうちの一つに数えたのは西欧思想の現実を反映する。多様な外界を捉えるとき一箇の認識パターンでは対応できない。量的にはどうか、質的にはどうかと最適解をケースバイケースで求めることになる。十二パターンあるとほとんどの状況に応じられる。応用性の広さがカントの偉大さになった。
しかし特定のパターンを採り上げるのは誰か。個人、自我の判断による。個人の概念が認識パターンを支えている。科学的真理の探求だけでも突き止めるのは困難だが、社会、道徳、歴史問題になると複数パターンでは逃げ道が多く論点ずらしも容易だ。
ハリウッド映画ではよく爆発シーンが見られる。退屈になったり筋が行き詰まると爆発炎上させて場面転換する。認識パターンは選択できると思っているから、伝統文化や歴史的な社会慣行は破るためにあるとする主張も通りやすい。暴動革命思想にもなる。因果や常識を破壊したい衝動が漲っているのが西欧社会だ。
一方で、科学的因果律は普遍的客観的な真理で人の見方や感情が介在する余地はない。純粋科学は人の手が入ってはならない。自然の因果だけを追求した結果が原爆の製造になり細菌兵器の出現になった。動物行動学を手本にする人も居る。相対論的人生論、量子論的世界観などを唱える人もいる。
科学的真理は客観的普遍的で絶対正しいと言われるが、カントの「物自体」は認識できない。それはプラトンが把捉できるのは真理の影であって真理自体ではないと言ったことに等しい。真理の根拠はまだ明らかにされていない。

釈尊、仏教の因果律
仏教は因縁果の考え方でできている。釈尊の十二因縁を嚆矢とし、後に続く仏教徒は縁起論を展開してきた。業感縁起論、阿頼耶識縁起論、如来蔵縁起論、重々縁起論などが代表格で、それぞれ深い真理が述べられている。一つ一つ学問するには何年もかかり、「唯識三年倶舎八年」と聞いた。学問研鑽は容易でない。
そもそもなぜ仏教理論は縁起論でなければならないのか。縁起論は因果論だから、仏教はなぜ因果論で語られるのかと問うてもいい。仏教は世界観、人生観も提示し、是非善悪、真偽美醜とは何かの教えでもある。すると因果論だけが正しい世界観と人生観を示す必然性はあるのかという問題提起も起こりうる。
因果論とは物事の変化を、原因があって結果が起こる、現在の物事は過去の原因があって存在していると考える。すべてのものが原因結果の関係で生起すれば因果論は世界観になる。個人も原因があって生まれたとすれば、また行く末も原因結果の連鎖が起こるとすれば、因果論は人生観になりうる。
釈尊は御自身の苦悩を直視し、苦を克服しようと発心された。出家して六年苦行したのち苦悩からの解脱を得られた。ただし苦行は解脱の原因ではないといわれる。解脱の内容は十二因縁としてまとめられた。
前稿と重複するが、当面の人生苦の原因は深く考えると生きているからであり、生き続けているからであり、生誕したからだ。生誕の原因は両親から生まれたから、両親が産んだ原因は愛し合ったから、と遡り、最後は無明を想定する。無明が原因、老病死苦が結果である。十二支の原因と結果の連鎖のなかに自分が居る。これが人生だ。人生観が明らかになった。
十二因縁を人生観とすれば、苦を解脱するには無明を明とすれば良い。容易ではないが理屈はわかる。出家して修行し、釈尊と同じ道を歩もうと志向する人が出てきてもおかしくない。人生観が人生を変える。天皇が出家された例も少なくない。
また苦を少なくすることが善で苦を増やすことが悪になる。善悪が決まる。抜苦与楽というが、慈悲が仏教の根本といわれるのは釈尊の発心修行と解脱を手本とするからだ。修行ばかりではなく論理的な研究の結果、無明を本とする十二因縁を確証されたので、智慧もまた仏教の根本となった。因縁果の論理が人生を解明したので、縁起論が真理となった。
釈尊は、個人的に苦が嫌だから、老死が恐ろしいからという理由だけで苦の克服を発心されたのではない。インドの数千年の真理探究の成果を参照しながら修行された。ゼロの発見がインドだったことを鑑みれば、無明の発見はインドでしか為されなかったと得心できる。古代インドの知識レベルは高かった、仏典の夥しい知識量に明らかだ。それでも釈尊以前、真理は得られなかった。
真理を正面から求めた人々は真理に到達することはできなかった。ノーベル賞を獲得しても我欲の結果であり、絶対真理に到達したとは言えないようなものか。釈尊が人生苦を解脱されたとき真理が見えてきた。因果論、縁起論が世界観として確立していった。