真理とは何か

      真理とは何か          11/22/2020

  禅が解るためには仏教とは何かを理解する必要がある。三法印の第一、諸行無常は世界観としても矛盾のない理論で、仏教は無常だと説明するのが常であった。何の疑問もなく四十年近く無常を説いた。
  十年ほど前左肩に激痛を覚え、半年間七転八倒した。重症の五十肩だったが、朝目が覚めるのが怖かった。辛い一日が始まる、痛みが去らない。痛は無常しないのか。
  手元の文献を調べ直して、無常には刹那無常だけでなく一期無常があることを知った。痛の一期、薪の一期、生の一期、春の一期、縄文文明の一期など、世界は一期の共存共栄でできている。無常で死ぬまでの間、われわれはそれぞれの一期を生きる。
  仏説は一期の生が生老病死だと教える。生老病死はわれわれの生々しい現実だ。切れば血を吹く生老病死と言葉だけの諸行無常との違いは明らかだ。無常は実人生と関係ないイデオロギーだった。
  直近の二年間は病院通いが増え老病死を実感する。完全な健康回復は望めず、少病少悩ならもうけもの。同じように坐禅の意味、法の意味も変わってきた。正法眼蔵が読めるようになった。葛飾北斎翁は七十才過ぎて生きた猫が描けるようになったと喝破されたが、年の功はあるかもしれない。
  無常は普遍妥当性を備えた概念だが、小学生でも理解できる。そんなやさしい言葉が仏の出現を待って得られたとは考えにくい。釈尊以前のインド人は数千年間、真理を求めて得られなかったと仏典は語る。真理を求めるとは三毒の一つ貪欲の発揚である。毒心が真理を得るのは自己矛盾する。
  釈尊とそれ以前の求道者との違いは何か。釈尊は真理を求めたのではなく人生苦からの解脱を問題にされた。解脱が成就されたとき、副次的に真理が見えてきたのではないか。四門出遊の故事は、参学の動機が貪欲ではなかったことを示している。

 

 では若い頃心躍らせて勉強した華麗な大乗仏教の思想、唯識や如來蔵、法華経、華厳経、般若経などは何だったのか。
池田 永晋