日本の行方(5)教相判釈

      日本の行方(5)   教相判釈

  一般的に仏教についての知識はどこからきたのだろうか。まず仏教は仏の教えだ。もともとシャーキャ国の王子シッダルタが悟りを開かれた。得道成仏とされる。シャーキャ族の尊い師という意味で釈尊と称される。お釈迦様、阿弥陀仏、大日如来など別名の仏様もある。

  大乗仏教と小乗仏教の区別がある。日本には大乗仏教が伝来したとされ、’大乗相応の地’という言葉もある。北伝仏教と呼ばれる。南伝仏教は小乗仏教だ。

  お釈迦様以外に傑出した人物として摩訶迦葉、アナンダ、龍樹、世親大和尚など。中国では鳩摩羅什、玄奘三蔵、天台大師、大鑑慧能、臨済義玄など。日本では弘法大師空海、伝教大師最澄、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元など。各宗派にはそれぞれ偉人が輩出している。

  専門用語では諸行無常、因縁、仏道、仏法。色即是空、空即是色、アノクタラサンミャク三菩提などは般若心経に書かれている。観音経は妙法蓮華経の一部で、法華経の中で一番よく読まれている。観音菩薩像の人気は本家をしのぐ。法隆寺の釈迦三尊像をはじめ全国の寺院で仏像が鎮座している。各宗派は依拠する経典があるが、禅宗は根本経典がない。曹洞宗は例外で道元禅師による正法眼蔵が事実上の聖典になっている。

  この辺りが教科書に書いてあり友人同士の会話で交わされる単語、概念、知識ではないかと思われる。仏教は千五百年前から日本に伝えられ参究されてきたから、深く調べればどんな文化事象もありうる。また仏教は多様性を極めた教えで、経典にはあらゆることが書いてある。

  日本は仏教国と言われ、ほとんどの人が仏教徒であることを当然だと思っている。仏教寺院は都会から田舎まで立ち並び、仏教行事は花祭りから法事、葬式、墓参りと日常生活に密着した活動が多い。お経を勉強する人は多く、日常語にも地名にも仏教由来の言葉は多い。

  世界観や人生観にしても日本では仏教思想を元にできていることが多い。慈悲の精神や智慧の探究はもともと大乗仏教の教えであった。布施や不殺生戒も仏教用語である。徳川綱吉の生類憐れみの令が有名だが、時には仏教が政治に大きな影響を及ぼす。そういえば奈良の大仏も国家規模の大事業として建立された。

  ところで仏教とはなんでほんとうの仏教思想はなんであろうか。仏教はインドが発祥の地だから、日本人が理解できる教えであるか問題がある。お互いに理解の仕方が異なるのではないかと問わざるを得ない。仏教伝来はインドから中国を通して日本に東漸し、漢字を通して日本人に理解された。漢字は正しく仏教を表現できるか。更に法系という考え方があって、思想だけでなく師匠と弟子との人格承継がある。魂と魂が承継するとすれば外部からは解りにくい。仏教理解といっても単純ではない。

  仏教は外来宗教である。インド生まれだから当たり前だが、この当たり前の事実がときには見過ごされる。日本では土着宗教といわれても違和感ないくらいに摂取消化されているので、何が仏教か疑問が起こりにくい。

  われわれは仏教を漢訳教典を通して学んできた。仏典は欽明天皇の時に正式に朝廷にもたらされた。聖徳太子は推古天皇の摂政として活躍されるとともに三経義疏を著すまでに仏教に通暁された。仏教を日本人と日本国の精神的な支柱として取り入れようとされた。その努力は実り、今も聖徳太子は国父である。

  中国に漢字があることは何世紀も前から分かっていたが、全面的に漢字摂取を始めたのは欽明朝以後である。その最大の理由は、仏教の膨大な智慧を理解したい好奇心ではなかったか。仏典を読めば誰しも智慧の宝庫であることに驚く。聖徳太子の十七条憲法が発布されたのは604年、古事記が完成されたのは712年、万葉集の編纂は745年頃だ。

  漢字の導入によって日本語表記の方針が決まり、日本語は漢字と仏教経典の研究とともに洗練されてきた。仏教こそ日本が全力を上げて摂取しようとした文明だった。形式だけではなく仏法の魂まで自分のものにしようとした。それだけ価値ある文明だと古人は評価した。

  もし仏教がなかったら漢字使用はずっと遅れていた可能性がある。政治経済的な大陸文化の影響ばかりが語られるが、個々の人の心を変える力と魅力を持つ仏教こそ、日本文明が漢語に覚醒した根本原因だったのではないか。

  日本では仏教について知識を得ようとすると必ず支那仏教を学ぶ。仏教はインドのお釈迦様が教祖であるのはあたりまえだが、インドと日本との間にはヒマラヤ山脈があり遠路の海洋があり、中央アジアと支那大陸が横たわっている。地理的に遠隔なのは今日でも同じで、われわれはインドのことをあまり知らない。はじめの経典はサンスクリットで書かれたが、伝来された仏典は漢字に翻訳されていた。

  膨大雑多な経典を前にして当時の漢人はいかに仏教を理解しようとしたか。仏典を読んで、思想的な優劣関係、深浅関係、上下関係を判定しようとした。その結果大乗仏教と小乗仏教の区別ができた。顕教と密教の区別ができた。蔵通別円と言われるが、すべてのお経を教えによって分類する。円教は万徳円満で最高、別教は未完成、通教は仏教全般に当てはまる思想、蔵教は初期仏教とされる。

  このような考え方と方法を教相判釈と言い、われわれはその成果をおおむね無批判に、憧憬と誠実さを持って受け入れた。法華経が大乗仏教最高の経典であるという認識は教相判釈の結果である。他にも重要な経典はあるのだが、法華経と比べて格下に見られる。

  われわれは仏教といえば大乗仏教、小乗仏教と反応する。インド人は大乗小乗の区別があることが理解できないようだ。考えてみればお釈迦様も小乗仏教も大乗仏教もすべてインド発祥である。多くの経典もそれぞれ理由があって作成されたものであり、大だと持ち上げ小だと蔑む必然性はない。われわれが大乗だ小乗だと区別する常識は支那仏教の価値観からきている。本家インドの仏教思想ではない。

  教相判釈は仏教経典全部を相応しい場所に位置付けようと試みみごとに成功した。漢から唐にかけての時代の理解の仕方であった。

  日本では鮮やかな教相判釈の全体像をそのまま受け入れた。教相判釈を相対化し批判する人に会ったことがない。素直な外国思想の受け入れ方は日本人の性格かもしれない。マルクス共産主義思想をそのまま言われた通り信じる人が少なくないのは同じ態度の表れなのだろうか。常に外国思想の動向に目を光らせている学者の群れ。好奇心が強いとも言えるし、思考が素直で柔軟だという見方もある。自己と自国を忘れたお花畑と呼ばれる人々のルーツであろうか。

  ヘーゲルはドイツ観念哲学を大成させた。彼は精神現象学や法の哲学などの著作で知られる。カントは理性の働きと役割を解明しようと努めたが、個人の問題に止まった。カテゴリー論を動的歴史的に拡張することで、ヘーゲルは精神こそ人にとって最高価値であり、人はまた歴史的存在であるとした。歴史は最高価値の実現のために人々と国家が努力して作り上げるものだとした。個人も社会も国家も崇高な精神を実現するために存在している。観念論哲学というが、是非善悪の心を持つ人にとっては当たり前の価値基準であろう。

  カールマルクスはドイツ生まれだが人生の大半をロンドンで過ごした。資本論などの著作をものした。彼はヘーゲルの業績を逆転させてマルクス共産主義思想を唱えた。マルクスは、人間は食ってこそ崇高な精神を語れる、むしろ食うことが最高の価値だと開き直った。人々が食うためにどうするかを研究すると金儲けに行き着く。お金つまり資本の行動を追って行ったのが資本論だ。

  ドイツ観念論哲学は壮大な思想体系だった。イギリスはドイツ人の理想主義をコケにしたかったのだろう。マルクスはイギリス人ではないが、同志のエンゲルスはイギリス人だ。ロンドンの図書館に二十年以上入り浸れたのはロスチャイルド家の援助があったという研究もある。マルクスの思考方法にはユダヤ教が影響したとは長年言われてきた。もちろんユダヤ人だ。

  ヘーゲルのドイツ観念論哲学は教相判釈に相当する。どちらも国家を挙げての思想研究の大成であった。しかしイギリスはドイツ人の唯心論的思想体系を受け入れる気はなかった。逆に反発してヘーゲルの結論をひっくり返すマルクス主義唯物論を後押しした。経験主義、せめぎあいが得意な国民性である。

  異議を唱えたマルクス共産主義も一つの思想体系となり、ソ連には思想担当の大臣がいた。どんな思想が正当でありどんな意見が間違いか正す責任者がいた。思想体系はイデオロギーと言われる。私の学生時代は、イデオロギーは日常語であった。教相判釈はイデオロギーか?

  中国に法系の元祖があるとしたり、普遍的な仏教の真実が明かされたという信仰があったりしてわかりにくくなっているが、教相判釈の考え方は、突き詰めると一つのイデオロギーである。インド人が大乗小乗の区別をしないのは、同じ仏教でも教相判釈する必然性はないということだ。漢語圏特有の思考法が作り上げたのが教相判釈だ。特有の思考形態だからイデオロギーである。われわれは唐の時代に完成されたイデオロギーをそのまま受け入れた。

  また中国作成の経典や論には図解して解る教科書のような書物が多い。黒板に図表で描けば理解できると思うのは中国特有の理解方式と言える。人の理解を助ける体裁になっているのだが、人が見て、あるいは読んで理解できるのは仏教かどうか。人知であって仏知ではないのではないか。経典読誦、経典研究に一生を捧げる人も多かったが、学者論者は仏教を理解したのだろうか。結局、仏教とは何か。

  仏教を取り入れようとしたとき日本人は、完全な真理の教えを摂取しようとした。仏教が信仰の対象になった。同時に唐時代の教相判釈も真理の思考体系と見做した。その理解の仕方が一つの外国思想、イデオロギーではないかという捉え方は起こらなかった。われわれの先人には、外国思想を相対化して見るバランス感覚は少なかったようである。

  仏教思想をまとめ上げる作業は支那仏教に特有だったと言えるが、それが正しい仏教理解の仕方かどうかは別問題であろう。道元禅師は正法眼蔵の著作を通して、教相判釈による仏教の一般的な解釈を打破して、より深い仏智の真実を明かそうとされたように思える。