糖病記(11)運動がすべて
一切皆苦は四法印の一つである。仏教の教えを四標語にまとめてあるうちの一つで仏教の背骨だ。十二因縁は人の一生を生老病死とする。仏教では人生は苦悩苦痛だ。
青年壮年では病気をほとんどしない。風邪は病いのうちではなくケガもすぐ治る。大事故に遭わなければ死ぬこともない。現実生活と一切皆苦は乖離している感覚があった。
整体法を知ったのは五十肩で七転八倒したときだった。半年の激痛で体力消耗した挙句に、一瞬で痛みが消える方法を学んだ。2010年の夏だった。
整体法の前提は、自然の身体は楽であり快である。痛苦は不自然であり、身体が自然の状態へ回帰すれば楽と快を覚える。一切皆苦と正反対だ。人性は楽快なのか痛苦なのか。
2018年九月九日に脳梗塞を発し、右腕が冷え右手が震えて茶碗を持てなかった。病院で Stroke と診断された。ひどければ言語障害、半身不随、そして死ぬところだった。原因は糖尿病とされ三種の薬を処方された。定期的な病院通いが始まった。
2019年六月三日チェーンソーで左足ケガ。手術があって退院するとき松葉杖をもらった。一ヶ月松葉杖生活、そのあとびっこ歩き、十月末にケガが完治した。
2019年十一月二十六日に座れなくなった。坐骨神経痛 Sciatica だった。医者にも整体師にも治癒の自信はないみたいだった。診断書も全身関節炎の始まりかとなっていた。
2020年四月一日は血液検査の予定だったがコロナ禍で病院閉鎖、緊急時には警察に電話せよと通知があった。
神経痛とコロナに加え、医者に相談できない不安が重なった。その後数ヶ月、無医者無薬状態が続いた。整体術では坐骨神経痛は快復しなかった。
2021年二月、思い立って街のスポーツジムに通い始めた。歩行やボート漕ぎもおぼつかないほど体力が減衰していた。連日のように通い、軽い運動と柔軟体操で痛みが一つ一つ解消した。若いころの軽快さを思い出した。
2021年十月、左小指と小指下辺がむくみ、冷えた。今度は左腕の番か、脳梗塞の記憶が蘇った。冷え防止用に布団の中でも手袋を着用して寝た。運転中も手袋を離さなかった。
手袋を見て友人が血行障害かと尋ねた。五十肩は左肩が痛んだ、左肩は弱い。ジムで肩を動かす器具を見つけ、左肩周辺の筋肉を三百回ほど動かした。翌日手袋は必要なくなった。
左手小指恢復の成功体験から、坐骨神経痛の治癒には尻の毛細血管の回復が重要だろうと類推した。いかに尻の筋肉を動かすか。
解剖図からも経験からも、尻の筋肉を動かすには脚を屈伸するのが手っ取り早い。動かし方は二種類あった。伏臥して膝からぶらぶら曲げる、片脚ずつ尻から上げる。軽い動作を五十回ずつ行った。
翌朝、痛みが劇的に軽くなった。二年かかったが、坐骨神経痛を治す方法が見つかった。死ばかり考えた三年間の闇に光が差した。
脳梗塞以来ずーっと憂鬱だった。松葉杖からびっこの生活が五ヶ月あった。坐骨神経痛になって整体師に指示を受けたが捗々しい成果は得られなかった。時系列を辿ると、災厄の大きな原因は運動不足だった。
整体法の本にはあらゆる苦痛が解消すると書かれている。効く場合には効くのだが、いつもうまくいくとは限らない。整体法には静態法としての限界があるのだろう。多くのポーズをゆっくり繰り返すだけなので退屈になりやめてしまう。
歩行や肩甲骨をぐるぐる回したり脚をぶらぶら屈伸するのは動態だ。運動すると体温が上がり、毛細血管が修復され血が流れ始める。筋肉の動きが熱を発生し、血行を促し生体活動を活発にする。赤ん坊がニコニコ笑っているのは、手足をバタバタさせ血が滞りなく流れるからだ。生存の根本原理は運動 MOTION ではないか。
運動は身体の根源であるだけでなく、細胞から分子原子に至るまで運動しないものはない。熱があるのは運動があるからだ。宇宙も運動しずめである。過去も今も未来もすべて運動ならざるはない。運動は宇宙と自己を存続させる普遍的な原理と言える。
自然界の運動は決まった理由があって動いているように見える。多くの銀河系の写真を見ると、星々が渦を巻いて回転運動している。速度、質量、エネルギー量なども計算できるらしい。川の流れも海の波浪も自然運動そのものだ。身体の血は決まった方向に流れる。運動はある法則の上で行われている。運動の法則を解明したのがお釈迦様で因縁または因果律という。
四聖諦のなかの集諦は十二因縁の説で、自己生命を因縁果の法則で説明する。自己はいつか必ず死ぬが、その原因は産まれたからだ。生誕の因は父母の愛で、父母の結びつきは無数の縁と因果が絡まって結実した。その父母の前はと、生命の因果関係は無限の過去に遡る。もちろん現在から未来にも継起してやまない。
自己のことは分からないのが凡夫の常だが、成功失敗も幸運も災難もあとから因果を辿ると合点できることが多い。人生を左右する才能性格まで親の因果が子に報いと言われた。遺伝子では説明できないことも因縁ではお見通しのことが多い。
仏教はあまり強調しないが、因果の法則は宇宙自然も歴史も社会現象も説明する。因果の原理で説明できないものはこの世にないであろう。釈尊のお悟り、お教えが甚深広大と讃えられる所以である。
苦痛苦悩ばかりをうたう一切皆苦では生きるのも苦しい。また快楽だけでも人生を誤りやすい。一切皆苦ではなく一切因縁と標語する契機はなかったのだろうか。楽にも苦にも偏らない因縁の見方は間違っていないと思うのだが。
小学生でも物理学の本を読む児なら、運動がすべての元である原理は理解できる。リハビリに励む老人は、薬ではなく肉体運動こそ自己の生存がかかっていることを痛感する。「運動がすべて」一切運動は具体的かつ普遍的な宇宙を貫く法則だ。
因縁または因縁果の法則は少し抽象的だが、具体的な事例に当てはめて説明できないものはない。釈尊の智慧が無限であることと同じである。
一切空はどうであろうか。色即是空、空即是色と言われて納得できるだろうか。究極の超抽象的な概念である空は、因縁や運動と比べて異質な言葉ではないかと感じる。これからの残された余命の研究課題になるだろう。
池田永晋