糖病記(14)病いとは何か

糖病記(14) 病いとは何か

2018年9月9日に脳梗塞発症、後遺症はなかったものの糖尿病と宣告された。処方された薬を服用するにつれ鬱になった。説明書には症例が載っているだけで糖尿病とは何かわからない。死ぬときは臓器不全や癌と書かれることが多い。なぜだろう?正体がわからないで適切な治療法が有るだろうか。

四年勉強して、糖尿病はインスリンの欠如が根本原因だと気づいた。インスリンは膵臓で作られるホルモンで、血液中の糖分を抑制する。老齢になるとインスリンが枯渇し、糖分抑制の機能が働かなくなる。糖分過多の弊害が糖尿病として顕現する。

あらゆる老人が糖尿病患者ではない。糖分過多にならないよう気をつければ糖尿病にならない可能性は高い。インスリン注射や食事療法が考えられる。血糖抑制剤もある。

糖分増加はグルコンというホルモンが担当する。こちらは一生分泌され、ある意味インスリンより重要だ。糖分がなければひとは生きられない。若い活動期には二つのホルモンがバランスをとりながら生体を維持する。

糖尿病はホルモンのバランスが崩れた後に起こる症状だ。老化に伴う自然な出来事だ。病気だとして血中糖分を薬で制御し続けると本当の病人になってしまう。

坐骨神経痛は坐ると神経がピリッと反応する。腿の裏に痛みが直撃する。神経は再生が難しい、老化がここまできたかと絶望した。

若い医者は整体師を紹介する以上のことは知らなかった。整体師は十種類ほどストレッチの型を教えてくれた。痛みは改善するといったが治るか否か断言しない。動画には多くのストレッチ例があるが、どれも完治するとは言わない。

二年格闘して坐骨神経痛の原因は運動不足だと気づいた。ストレッチしても運動しなければ治らない。幼児のように常に這いずり回り動き回るなら神経痛にはならない。

老人や大人はどうすべきか。まずジムなどで歩くこと、ボート漕ぎや柔軟体操がおすすめだ。神経は切断や屈曲されない限り丈夫なようだ。次は神経軸索周りの、特に尻の血流を促す運動をする。四股を踏むのは最も効果がある。

坐骨神経痛の治療法を探しているうちに慢性的な膝痛が治った。膝の手術をしている人は多く、自分もいづれ同じ運命かと予想していた。運動不足で膝に負荷をかけないことが膝痛の原因だ。正しい運動を心がけることが肝要だ。

自然食運動が流行った頃、漂白された砂糖や小麦は不健康だと広く知られた。スーパーでは小麦全粒粉のパンやパスタが健康食品として売られた。小麦の中のタンパク質グルテンはパンを膨らませるのに使用され、同時に消化しないので排出を助けるとされた。

いまはグルテンフリー(グルテン無し)食品が流行だが理由がある。グルテンはじつは腸壁内に貼りついている。消化を助けるどころか妨害している。そのため頭痛、肥満、倦怠感、低体温など半病人になるひとが多い。体調不良を訴える人が小麦粉食品を止めると健康になる例が多数見られる。

グルテンによる健康被害は甚大だ。日清製粉は GHQ の後押しで大きくなった。米粒食から小麦粉食へと宣伝する広告もあった。粉食が最先端の食事だと教育された。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が米を日本に伝えられたことを思い起こしたい。病いから解脱してひとは真理を知る。ひょっとしたら自己を知り、歴史も知ることになるかもしれない。

COVID-19 コロナパンデミックは2019年に始まった。不思議なことに三年経っても治療法が確立されない。重篤な伝染病なら医者と科学者は総力上げて治療法を見つけようとするはずなのに。

医術は病人を治療する、ワクチンは健康人に接種する。以下、「ワクチン不要論」内海聡著による。

自然界で生物は皮膚、消化器官、呼吸器官を通して外界から体内へ異物を摂取する。その間に自然に備わったセンサーが危険物を取捨選択する。その仕組みが第一の免疫機能である。ワクチンは皮膚の保護機能を無視して注射する。自然の摂理に反する。

ジェンナーの種痘は天然痘を撲滅したと言われる。種痘の成功のあと次々とワクチンが作られた。アメリカの子供は三十種以上のワクチンを接種される。

みんなジェンナーの物語を知っていた。みんなが当然のように知っている話は洗脳を疑った方がよいかもしれない。

イギリスは1970年代に種痘を廃止した。種痘をすると天然痘が発生することが分かったからだという。種痘を止めると天然痘も止んだ。ジェンナーの母国での結論だ。

ワクチンの中には水銀、ホルマリン、アルミニウムなど、自然状態では体内に入らないものが入っている。コロナワクチンは超低音で保存される。理由は明らかにされていない。mRNAも入っているが副作用は未知数だ。体内に注入して大丈夫だろうか。

日本仏教、外来思想

外来思想としての仏教、日本篇 

仏教はインドに起源を持つ宗教である。日本伝来は西暦五百三十八年、欽明天皇の代に仏像と漢訳経典が送られてきたのが最初だと正法眼蔵弁道話にも書かれている。道元禅師はいかにして六百年以上前の事蹟をご存知だったのか。

西暦六百四年に聖徳太子によって十七条憲法が公布された。篤く三宝を敬えと記され、仏教の影響が強い国家人民の規範であった。三教指帰を著されるほど太子の仏教に対する造詣は深かった。仏教は国を上げて摂取すべき深い教えだと理解された。

国家事業として国ごとに国分寺が建てられ、百万巻の写経が収められた。写経によって漢字が覚えられ、仏教が庶民にも知られることとなった。深い精神的価値がなければ文字の使用は意味がない。そして百年後、七百十二年に歴史物語である古事記が製作されるまでに漢字は使いこなされ普及した。

仏教受容の過程で推進派の蘇我氏と反対派の物部氏との間で抗争があったと伝えられる。物部氏は従来の神道を擁して仏教に反対したという。いまも神道には教義がないとされる。物部氏はいかに神道が仏教より価値あると主張したのか。建物としての社さえなかった時代に。

仏教経典を開けば大波のごとく知識が目に跳び込んでくる。仏像も仏閣も眩いばかりの光彩を放っている。仏教は最先端文化であった。

仏教流入に伴う文物の往来は盛んになり仏教文化は特別でなくなった。神仏習合説が唱えられ両者の融和が図られた。観音像が作られ、地蔵さんは全国津々浦々に樹てられた。仏教と日本精神は区別できないほど親密になった。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」は平家物語の第一句だ。諸行無常を和訳、意訳すると方丈紀の「ゆく川の流れは絶えずして」になる。以来、漢語も和訳も日本人の骨肉になっている。

和をもって尊しとなす、は十七条憲法の第一条で日本人なら知らない者はない。日本精神であり大和心と言われる。神社やお寺が何百年も樹ち続けて廃墟にならないのは、代々人々が和を重んじて生きてきたおかげだ。

本居宣長は古事記、万葉集、源氏物語などの研究を通して日本精神を問うた。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」は有名な解答である。そして漢籍も仏教も日本精神を汚すものとした。物部氏の主張が代弁された。

外来思想や外来宗教が入ってくると問題になることがある。その神様は存在するのか、どこにいるのか。その思想や制度は正しいのか。解答が見つかるまで自己同一性、Identity が引き裂かれる。世界観、人生観が混乱する。

同じことは仏教と日本精神の間でも起きた。圧倒的に豊かな仏教思想を吸収することは多大なエネルギーを要する。一生かけて研究実践した結果真理は見出されるのか。仏はどこにいるか。複数ある仏教説の中でどれが正しいか。宗派ごとに神学論争、存在論の探求が続く。

道元禅師は正法眼蔵坐禅儀を、「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修證なり。」と結ばれた。よく考えたら、神道の「清き赤き心」を敷衍宣明されている。

曹洞宗は坐禅を柱とした教えである。坐禅はただ坐ることで、文字知識によらない身体の実践修行だ。教外別伝と言われる。釈尊は結跏趺坐して覚悟された。そのあと経論や仏智が噴き出した。同じことをこの身で行じ再現する方法が坐禅儀に書かれた。

「仏道をならふといふは自己をならふなり。」は道元禅師の参学の出発点だ。その学道の帰結ははじめから終わりまで日本精神の遵守創造だった。われわれが華麗多彩な仏教思想の枝葉に迷惑する必要がないまでに、禅師は正見正思を示された。

池田永晋