日本仏教、外来思想

外来思想としての仏教、日本篇 

仏教はインドに起源を持つ宗教である。日本伝来は西暦五百三十八年、欽明天皇の代に仏像と漢訳経典が送られてきたのが最初だと正法眼蔵弁道話にも書かれている。道元禅師はいかにして六百年以上前の事蹟をご存知だったのか。

西暦六百四年に聖徳太子によって十七条憲法が公布された。篤く三宝を敬えと記され、仏教の影響が強い国家人民の規範であった。三教指帰を著されるほど太子の仏教に対する造詣は深かった。仏教は国を上げて摂取すべき深い教えだと理解された。

国家事業として国ごとに国分寺が建てられ、百万巻の写経が収められた。写経によって漢字が覚えられ、仏教が庶民にも知られることとなった。深い精神的価値がなければ文字の使用は意味がない。そして百年後、七百十二年に歴史物語である古事記が製作されるまでに漢字は使いこなされ普及した。

仏教受容の過程で推進派の蘇我氏と反対派の物部氏との間で抗争があったと伝えられる。物部氏は従来の神道を擁して仏教に反対したという。いまも神道には教義がないとされる。物部氏はいかに神道が仏教より価値あると主張したのか。建物としての社さえなかった時代に。

仏教経典を開けば大波のごとく知識が目に跳び込んでくる。仏像も仏閣も眩いばかりの光彩を放っている。仏教は最先端文化であった。

仏教流入に伴う文物の往来は盛んになり仏教文化は特別でなくなった。神仏習合説が唱えられ両者の融和が図られた。観音像が作られ、地蔵さんは全国津々浦々に樹てられた。仏教と日本精神は区別できないほど親密になった。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」は平家物語の第一句だ。諸行無常を和訳、意訳すると方丈紀の「ゆく川の流れは絶えずして」になる。以来、漢語も和訳も日本人の骨肉になっている。

和をもって尊しとなす、は十七条憲法の第一条で日本人なら知らない者はない。日本精神であり大和心と言われる。神社やお寺が何百年も樹ち続けて廃墟にならないのは、代々人々が和を重んじて生きてきたおかげだ。

本居宣長は古事記、万葉集、源氏物語などの研究を通して日本精神を問うた。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」は有名な解答である。そして漢籍も仏教も日本精神を汚すものとした。物部氏の主張が代弁された。

外来思想や外来宗教が入ってくると問題になることがある。その神様は存在するのか、どこにいるのか。その思想や制度は正しいのか。解答が見つかるまで自己同一性、Identity が引き裂かれる。世界観、人生観が混乱する。

同じことは仏教と日本精神の間でも起きた。圧倒的に豊かな仏教思想を吸収することは多大なエネルギーを要する。一生かけて研究実践した結果真理は見出されるのか。仏はどこにいるか。複数ある仏教説の中でどれが正しいか。宗派ごとに神学論争、存在論の探求が続く。

道元禅師は正法眼蔵坐禅儀を、「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修證なり。」と結ばれた。よく考えたら、神道の「清き赤き心」を敷衍宣明されている。

曹洞宗は坐禅を柱とした教えである。坐禅はただ坐ることで、文字知識によらない身体の実践修行だ。教外別伝と言われる。釈尊は結跏趺坐して覚悟された。そのあと経論や仏智が噴き出した。同じことをこの身で行じ再現する方法が坐禅儀に書かれた。

「仏道をならふといふは自己をならふなり。」は道元禅師の参学の出発点だ。その学道の帰結ははじめから終わりまで日本精神の遵守創造だった。われわれが華麗多彩な仏教思想の枝葉に迷惑する必要がないまでに、禅師は正見正思を示された。

池田永晋

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