身心脱力

 

身心脱力        07/28/2007

身体の動きを知りたいと思い、ヒントを求めて手当たり次第に本を読んだ時期があった。スポーツ選手のための本や週刊誌があることを知った。走る、投げる、泳ぐなどが多くの角度から説明されていた。スポーツも進歩向上するためには学理的な理解が必要だ。江戸時代には数百万の武士が剣術を修めた。その結果妙技妙術が開発され諸流派が生まれた。同じことが今日スポーツや太鼓演奏で行われている。
それまでは、身体は骨と筋肉でできているとしか知らなかった。以下のような説明さえ新鮮だった。筋肉は二つの骨を連結している。(言われてみればその通りなのだが、筋肉が骨にくっ付いているという知識もなかった。)鎖骨は腕の一部で、同時に筋肉によって顎と結ばれている。(どこまで複雑なんだろう。)走りは左右の重心の切り替えで行われる。(ジャンプするから走れるのじゃなかった?)泳ぎは腕で水を掻くよりも胸で水を押す。(見方が異なるだけではないのかな。)
ほんとかなと疑われる記述もあった。合理的な立ち方は両足がやや外側に向き、足の外側で土を踏む感じ。(足は親指、手は小指に力を入れろと教わった。)内股歩行や 直立不動の姿勢は良くない、腕は自然に叉手の位置に収まるなど。(着物を着て歩くときは内股になるはずだが。叉手?)股割りも一例で、下腹部に腹圧を思い切りかけて下腹を床に押し付けるようにすべきとあった。(あとで腹圧は関係ないとわかった。ハラなる言葉に引き摺られた説明みたいだ。)
腰を中心にして身体が曲がる理由は、二つの大腿骨の上部が大転子となって左右の腸骨のくぼみに組み込まれているからだ。そこがボールベアリングの役目をする。上体を曲げるとき初心者に難しく感じられるのは、腰は多くの骨と筋肉と靭帯が絡み合い、引っ張り合い、牽制しあっているからだ。だから腰を曲げる時は筋肉の緊張を緩めるようにする。緩めるにはどうすればよいか。腹圧をかけて押すのではなく、息を吐き出して力を除く方が理にかなっている。
腰の中心点は二つの大転子を結ぶ線の中央に近いだろう。大転子どうしは直線で結ばれているわけではないから、中心があるかどうか、あっても円の中心や線分の真ん中のようなあり方ではないかもしれない。また中心点に注目しすぎるのも間違いかもしれない。というのは、物に触れるのは皮膚であり、皮膚の感覚がまずあって諸々の意識が沸き起こるからだ。
二十代だったが、ある禅僧の太鼓腹の写真を見たことがあった。それで坐禅を懸命にすれば腹が膨れるのかと思った。何もしないで座っているときに能動的に動かせるものは呼吸だ。呼吸すると腹圧が増減する。圧力を変動することで何かをしていると感じる。実感が生じる。’実’は存在するものだから、腹が実在することになり、太鼓腹にまで発展する。武術の動きもハラが大きな役割を演じる。ハラと腹とは深いところで繋がっている。剣禅一如とも言うし。
前屈するとか舞踊で腰を回すときに中心になる点がハラである。胸を回してくださいと言われたら戸惑う、なぜなら人は胸に中心があるとは考えたことがないので回転運動ができない。腰がぐるぐる動くのはハラという中心があるからだ。腰を動かすと熱が発生する。その熱はさらに運動を促し快感をもたらす。肉体的にも心理的にも運動を続けさせようとする。ハラの効用に気づいて深く研究したのが武術だ。研究すればするほどハラの重要性ははっきりするだろう。
しかし武術家が発見したハラは太鼓腹なのだろうか。ハラの位置は肥満痩身で変化するのだろうか。われわれは息を吸ったり吐いたりするときに動く腹に注目しすぎてきたのではないか。
身体のバランスの中心であり同時に活力の源でもあるハラは、腹または腹の表面ではない。ハラが腹の表面でないなら、腰椎から距離を測る発想も起こる。腰椎は腹圧で変動しないからだ。ハラが腹の内部に存在するなら太鼓腹になる必然性はなくなる。犬や猫の腹もぺしゃんこである。哺乳類の中で人類だけ太鼓腹が修行の結果得られるというのは不自然というしかない。
呼吸法については内山老師から自然に任せて何も手を加えないことと教わった。口伝、秘伝というが、小さなことでも確かな教えを聞くことは大切だ。一生間違わないで済んだのは法益そのものだった。
腰がまちがった体操でバラバラになりそうになりダンス教室に通ったことがあった。ダンスもセンスがないと様にならない、準備体操から教えてくれた。あるとき床の上に後ろ向きにぺたりと座って、’お尻の穴を真後ろに向けて座るのが基本よ。’と教えてくれた。見えるのは二つに分かれた臀部と背中だけで、何を教えたいのか意味がわからなかった。ダンスから正座を見直す必要があるのかもしれなかった。
柔軟体操を続けると足や背中や腹が床に慣れてくる。安心して伏せたり手足を投げ出したりできる感じになる。ダンスの基本は無理なく力みなくゆったりと立ったり座ったりすることのようだ。頑張ろうと思う瞬間コチコチになる心理に気づかされた。自然に座る、立つ、踊るというのは容易ではなかった。
先生の臀部は二つだった。われわれは腰といい尻という、一つものだと思っている。お袈裟を掛けて坐蒲の上に座ると、後ろからは腰が一つに見える。腰は肉付きに要と書く、武術では腰が一番大事と言われる、腰は一つであるの常識が通用する。肉体としての腰は、解剖の図に明らかなように、多くの骨と筋肉で合成されている。腰は一か多か。曖昧な言葉にわれわれは慣らされてきた。
多くの人に坐り方について教えてもらったが、例外なく腰と両膝で坐るように言われた。腰と両膝では三点で、線で結ぶと三角形になる。三角形の特徴は形が動かないことである、不動だ。三角形を膝と腰で作って不動の姿勢をとるのが坐禅だ。ある人は腰ではなく尾てい骨で座れといった。究極の三点座になる。
不動の結跏趺坐は三点坐である。足が痛くなると腹に力を入れて押さえつけた。接心は格闘の場だった。修行とは格闘、努力ではなかったか。一時間の坐禅も接心全体も必死で取り組んだ。
考え直してみると、三点坐という言葉は抽象概念である。数学では点は位置はあるが大きさはない。大きさがない点はそもそも実在しない。ということは、ないものをあると思い込んで格闘したということになる。もし本当に尾てい骨で長時間座ったら不具者になっていただろう。
坐蒲の上に二つの臀部、座布団の上に二つの膝で座ると、四点を結べば台形の上で坐ることになる。台形は四辺形で、四辺形は形が変わりやすい。正方形が直線にまで変わる。台形も大きくはないが形を変える、変動幅が三角形より大きい。幾何学的に考えると、四辺形に基づく不動は不可能である。
腰と膝を考えてきたが、坐禅で坐る場合には腰と膝という単語ばかり出てくるから使ってきた。解剖図を見ると左右の大腿骨が開き加減に並ぶ座り方である。二脚で座っている。点に大きさはないが、二脚と、脚の先の腰と膝は大きさがある。大きさがあるものは実在する。実際の坐禅は二脚を並べて、脚の四つの先端で支えて座るのだ。
四辺形坐はいかに名付ければよいか。二脚坐、四辺坐、台形坐などであろうか。坐禅は正身端坐と表現されるが、正端の美を成立させる要件は、位置、硬軟、強弱など数多い、複雑極まりない。だから道元禅師は審細に参究すべしと説かれた。参究すべしとは、無限に研究する余地があるとわかって言えることであろう。
台形坐なら三点坐より緩い。不動だけ目指して苦痛に耐えるために足を組むことは修行の眼目とは言えなくなる。したがって半跏趺坐であってもいい。ここで坐禅儀にある「足を腿の上に安じ」あるいは「足をもって腿を圧す」という表現が納得できる。なぜ不動心とか不退転のようなごつい言葉が使われずにさらりと書き流してあるのか違和感があったが、禅師が頑張る坐禅をされなかったからだろう。足を腿の上にそっと置けばよいだけだったのだ。
不動の三点坐なら、形が崩れないように頑張らねばならない。首筋も顎を引いて思い切り伸ばすように言われた。これも伸ばしきってしまえば動く余地はなくなる。それはさらに参究する余地がないことを意味する。また顎は鎖骨とつながっている。鎖骨は腕と肩の一部だから、筋肉で引き上げられると胸から上が緊張する。胸が窮屈になると発声が妨げられ、血流が滞り、肩がこる。
スポーツでも一流選手が走るときは胸に力が入っていない。鎖骨も肩もぶらぶらしている。ぶらぶらが伝わって腕が揺れ動く。同じことはダンスでも言える。バレエをはじめとして、肩や胸や顎が硬直していたらダンスにならない。ダンスを習得するには形からではなく無定見に体が揺れ動いている方がいい。筋肉で力むところがない動きを通してリズム感が出てくる。
こう見てくると、坐禅は、足をガッチリ組んで坐相を決めたらそれでおしまいとはいかなくなる。不安定な、見方を変えればダイナミックな台形坐の上で坐るのが坐禅ではないか。動の不動、不動の動とでもいうしかない微妙な姿勢である。腰はゆるゆるかきっちりか、終わりのない工夫が要請される。筋肉の大きさと力、朝昼晩の体調の波、疲れ具合や栄養の多寡、運動量や加齢による変化など、ただ坐るだけなのに内容は無限に豊富だとしか言えない。
自然な坐相は楽な姿勢である。そこに至るには必死で頑張るよりもヨガやダンスや柔軟体操で身体をほぐすのが近道だ。これらはいずれも力を入れるより力を抜くのが基本である。坐禅するとき左右遥身して欠気一息しともあるが、これは道元禅師の坐禅が身体のリズムや柔軟性を無視していないことを示している。筋力を使わないことが肝心で、坐禅は身心脱力だ。脱力して坐るとあまり痛くない、頑張る必要がない。力まないからエネルギー消費が少ない、疲れにくい。
身心脱力は現成公案の中の身心脱落との語呂合わせがあまりにもうまくいきすぎて恐れ多い。
以上、ヨガやダンスを通しても正しい姿勢を見つけることは可能だという試論である。姿勢はしかし坐禅の一側面であって、一大事因縁を見極めるには程遠い。仏法の参究は奥が深い。

 

大山倍達正伝を読んで

 

‘大山倍達正伝’ の感想        04/12/2007

’大山倍達正伝’ を読んだ。六百ページを超す大著で、拳聖をめぐる社会情勢、国際関係、空手の歴史からアメリカでの興行内幕まで書かれめっぽう面白い。少年マガジンの ’空手バカ一代’ を学問的に研究した成果だという。漫画は学問として研究しても面白くなるものらしい。本書を元にして多くが語られる気がした。この本の面白さとエネルギーに触発された最近の関心事を記したい。
大山倍達は第二次世界大戦が始まってから日本に密入国した。当時の日本社会の詳しすぎるほどの描写は正確を期すため必要だったのだろう。敗戦後、日本は進駐軍に占領された。占領軍が治安を維持することになって、日本の警察は捜査権、逮捕権を剥奪された。拳銃所持も禁止され警察官は何もできなくなった。暴徒の方が旧軍の倉庫を襲って武装する始末だった。実質占領はアメリカ一国だが、他の参戦国も極東委員会を作って事細かに日本を監視した。
マッカーサーの憲法原案には日本には自衛権も認めないと書いてあった。殴られても殺されても抵抗してはならないと云うことだ。正当防衛も許さない憲法など、たとえ植民地であってもあるわけない。しかし民族絶滅を狙うなら当たり前の思考法だ。アメリカインデアンはそれで事実上滅ぼされた。さすがに酷すぎると云う部下の進言で憲法九条に落ち着いた。極東委員会のメンバー国の中にはその変更にも反対したのがある。憲法は英文で外人が読める。もし原文が発表されればアメリカでも大問題になっただろうとは思うが。
日本はドイツが消滅した後も律儀に世界中と戦った。停戦できる理由が見つかるまで戦い続けた。九月二日のミズーリ号での終戦の儀式では五十以上の国が署名した。戦争は講和条約の調印をもって終了するが、最後はカネでかたをつける。その時スイスや同盟国だったはずのイタリアまで賠償金を取った。溺れていると思って叩かれた。世界中から踏んだり蹴ったり、いいように弄ばれた。
敗戦後一番威張っていたのは進駐軍、次が三國人と共産党だった。三國人は戦勝国、敗戦国のカテゴリーに入らない国の人々で、おもに朝鮮、台湾出身者で、闇市場を取り仕切るなどやりたい放題だった。縄張りを巡って抗争が頻発した。争いが起きると真っ先に駆けつけて喧嘩するのが大山倍達だった。一人で二十人を相手にするのは普通だったというからその強さには舌を巻く。プロの喧嘩屋となんども渡り合うことで大山は文字通り実戦空手を磨いていった。
普通の日本人はどうしていたのだろうか?軍隊は解散、警察も活動停止、日本国は’非武装中立’を実現していた。それでどうなったか。占領終了までに占領軍兵士に三千人が殺されたという。犯人が処刑されたという話はない。警察は捜査できない、犯人を特定することは難しい、起訴もできない。戦後の大事件が未解決なのは警察の機能を封殺した占領政策に起因するところが大きい。強姦は約二万件だそうだ。敗戦国としては当然の状態だったかもしれない。これが国が負け独立を失った現実だった。
日本人は程度の差はあれ上から下まで全員が地獄を見た。公職追放、教育劣悪化、不景気への誘導、放置された治安の乱れなど。にもかかわらず我々が占領政策の酷さを知らないのは、報道機関が検閲を受けていたからだ。広島への原爆投下を一般国民が知ったのは講和条約成立の後、昭和二十七年四月二十八日以降だった。
占領軍に都合の悪い情報は一切報道されなかった。敗戦までの大本営発表より内容は厳しく、しかも独立までは確実に言論封殺されていた。報道される情報が偏っていると国民の思考も偏る。これを洗脳というが、江藤淳氏が ’閉ざされた言語空間’で 指摘して、八十年代に日本人は洗脳なる攻撃方法があることを知った。ローマ時代から行われた人心変更術だが、日本人には歴史上初めての経験だった。
冷戦が激しくなってくるとアメリカは戦う相手を間違えたことに気がついた。占領政策が180度変わって協力を求めるようになった。飴を与えて歓心を買うことが政策になった。陽気なアメリカ人からチョコレートをもらった思い出を語る人もいるが、占領後期の出来事であろう。チョコレート代は日本人の税金から政府が払った。かくして多くの日本人はアメリカを好きになった。占領政策は前期も後期も成功した。
百四十三ページにあれっと目を引く文章があった。無法時代で警察も頼りにならない時、日本人を守るために立ち上がったのはヤクザやぐれん隊だった。山口組や松田組の名が見える。三國人が縄張りを作り、お互いもせめぎ合う。暴力が支配している日本に安全地帯を作り秩序を保ったのがヤクザだった。警察も自由に動けるヤクザに武器の使用法を教えたり治安維持を期待した。ある市長は無法者の排除を依頼した。ヤクザは熱かった。
阪神大震災で五千人以上が亡くなった原因を検証した報告書がある。村山首相は増大する犠牲者数を前にして終始冷淡だった。救援に駆けつけた自衛隊は革新首長から現場に近づくことを阻止された。ヘリコプターの使用も制限されて早期鎮火できなかった。タイムには前近代的な救助方法に驚きの文章が載った。
この時山口組は率先して炊き出しなどした。朝日新聞は右翼が同情を期待する行動だと冷笑的に報道した。この時朝日と村山富市との共通項に気付くべきだった。冷笑、冷淡はサヨクの特徴なのだ。
村山富市が属した日本社会党は非武装中立を唱えた。未来を見据えた政治理念だと思っていたが、終戦直後に存在した状況だった。彼らは被占領下の昔に帰ろうと言っていたわけだ。だからか前向き建設的な政策はなかった。非武装だと自立も独立もできない。日本が曲がりなりにも自衛隊を持ち安全を確保できたのは綱渡りのような駆け引きを経た結果である。
独立するなと強硬に主張したのがまた朝日新聞だった。南原繁東大総長を担いで全面講和論を押し立て独立に反対した。言葉の上では理想的に聞こえるが、ソ連が反対する以上実行できない案だった。当時国家予算の三分の一は占領軍の経費として支払われた。東大総長の意図は外国に貢ぎ続けようというものだった。一人占領下で甘い汁を吸っていたのか、日本の現況も未来も眼中になかった。
しかし日本は独立した、国と社会の体制が変わった。独立に反対した東大総長は独立した国に住むべきではないだろう。独立に反対した朝日新聞は日本の中に存在理由はない。アメリカ独立戦争の時反対派もいた。彼らは独立派が勝った後、カナダやイギリスに亡命したという。
東大総長はけじめをつけなかった。肝心なところは曖昧にして逃げている。講和条約で解決済みの戦争責任とやらを屁理屈をつけて蒸し返すのも、捏造報道がバレても訂正しないのも、けじめをつけなかったと同じパターンを繰り返している。しかし本屋に朝日新聞の犯罪を糾弾する本が並んでいるのを見ると、一世紀かかろうが因果応報を逃れることは不可能なようである。
金属バット殺人事件があった。渡部昇一氏の文章で知ったのだが、バットを振り下ろした父親は左翼出版社に勤める左翼人だったという。非武装、無抵抗、理想主義を頭に入れている人物像が眼に浮かぶ。美しい理想と現実との矛盾は、心理的にも肉体的にも耐えきれなくなった。中途半端な理想はどこかで破綻する。理想という妄念もあり、理想なる邪見もある。左翼新聞が報道しない情報はおびただしい。
悪見邪見をやめて正しい考え方をすれば惨事は防げた可能性がある。それには教育勅語を読むのが第一歩だろう。善悪の道理を学ぶためにお寺に通って仏教を学ぶのも良かった。あるいは多方面から問題を議論し尽くす方法も考えられる。隠蔽と逃避とごまかしだけでは問題は解決しない。朝日の偽報道では災難がはびこるだけだ。

 

里子

里子        03/02/2007

ある夕方のこと、テレビをつけると ”ミス十代” を放映していた。出演者は十七歳から十八歳くらいの女子高校生ばかり。大学生は十代には数えられないのかなと思いながら観ていると、それぞれが演技を終えるたびに両親あるいは母親の姿がスクリーンに映し出される。その時 Mother とか  Parents の字幕が現れる。アメリカでは十八歳までは子供で保護者の監督下にあるとされる。つまり保護者同伴を必要とする年齢の若い女性のミスコンテストだった。
十八歳の女性といえば男から見て最も魅力的で美しい年頃だが、女性自身にとってもまばゆい年齢だという。健康と笑いと幸福感に満たされている日々、それが十八歳だ。ほとんどの女性が十八歳に還れたらいいのにと願っている。痩せるといっても十八歳の体型に戻ることを目標にする。美貌の代名詞の金髪も歳を重ねると栗色とか色が濃くなる。だからミス十代コンテストには最も美しい女性たちが登場する可能性が高い。全米五十州から予選を勝ち抜いた美女が集まる。
美人コンテストを非難する人もいるが、男がスポーツに熱中するのと好対照と考えたほうがいいだろう。男が野球やサッカーで強さによって勝ち負けを争うのと同じように、女性は見た目で優劣を競う。美しくなるノウハウだってあるだろうし、何にしても懸命に努力することは良いことではないか。”美しい赤ちゃんコンテスト”まであるので、女性にはゼロ歳から死ぬまで美を競う機会が用意されている。
差別だとか侮辱だとか真剣にイベントに異議を唱える向きもあるだろうが、周りを見ているとあまり心配する必要はないようだ。出演者の多くは子供の頃から何度も挑戦して勝ったり負けたりを繰り返している。だから歩き方や踊り方が様になっている。ステージで見つめられる快感がたまらないような人が応募する。
しかも誰が勝つかわからない。あるコンテストでこの人で決まりかなと見ていると、最後の場面でスポーツに関する質問が発せられた。究極の女性美を求めてきた人だったからスポーツのことなど何も知らない。女性にとっては可愛い無知ですませられるところだ。しかし壇上で、審査員と口論になってしまった。代わりに優勝した女性が翌日のテレビでとっても幸せ、今日からニューヨークのアパートをもらったのよと嬉しそうだった。友人に不運な逆転劇を話すと、’良かったじゃないか、誰が部屋のマスターキーを持ってるんだ。’と大笑いになった。娯楽の一つでいいじゃないかということ。
”ミス十代” に戻る。出演者の演技の後、会場で見守る肉親が映し出されるなかで、一人だけ ’Foster Mother’ の字幕で登場する中年女性がいた。その単語は知らなかったが、調べなくても大勢に影響はないだろうと画面を見続けていると、同じ単語を何度も見ることになった。それが最後まで続いた。というのはその中年女性が同伴している高校生が栄冠を勝ち取ってしまったからだ。
辞書を開けると ’里母’ とある。するとあの女子高校生は里子ということになる。里子なる日本語は聞いたことがあるという程度だった。養子ではなくて、実の親以外の人に育てられている少年少女のことだ。何度も画面に現れたおばさんが親代わりに養っていたのだ。親戚ではない。どんな方法があって高校へ行かせられるのだろうか。補助金でも出ているのだろうか。
悲劇のプリンセスが誕生した。アメリカではよくあることだが、その後の数ヶ月は里親制度の現状や是非について何度もテレビで特集が組まれた。それによると優勝した少女は二人姉妹の姉の方で、妹はすでに養子にもらわれていた。里母も再び登場して、コンテストの準備は精一杯手助けしたものの、養子にする気はないときっぱり言った。理由は明言しなかったが、扱いにくい娘ということらしい。おとなしい妹の方が先に行き先が決まって、人生の荒波にひとりで立ち向かわなければならなくなった姉の焦燥感はどんなものだろうか。安眠できる場所がない。不安がいっぱいでいい子ぶる余裕などないだろう。養子先を見つけるのがいちばんの願望だという。
美の女王がほうぼうの施設や子供達を訪問して励ます特集が続いた。すべて綺麗な話の中で、実の親に会いたいという話題は出てこなかった。美人コンテストで優勝したのだから親や親戚が名乗りを上げても不思議ではないと思うのだが。肉親、愛情、可愛がる、懐かしい等々の言葉が通じない荒涼たる心象風景を見ている気がした。里親制度とは、肉親はすべての義務と責任を放棄するから里子として育てることを希望する、後のことは知らない、という形式になっているらしい。すべての関心は目の前の高校生の身の処し方と制度の不備に集中されていた。
ある特番では里子たちが集められて遊んでいた。おとなしく心細い表情をした子が多い。ふつうアメリカの子供は喋り放題、遊び放題、元気ハツラツとしている。何も恐れるものがない。それに比べ里子たちの無力感と孤独感が際立っていた。羽目を外したら罰として施設に送り返されたり別の里親へ回される。厳しく監視され採点されている。子供達を取り巻いているのは養子を探している大人たち、気に入ったらもらっていく。人身売買みたいだなと思いながら、選ばれなかった子供達の気持ちを思って涙が止まらなかった。十歳前後の子供がゴマスリしなければ生きていけないとは。
ちょうどその頃、里子を三、四人世話している人が坐禅会に来るようになった。大変だ、大変だとこぼしているが、誰かが養子に片付いたり大学に奨学金をもらって入学するとまた里子を探してくる。ビジネスになっているみたいだ。本人は社会の弱者を救済するために善行を積んでいる気分である。清らかな善を行なっている態度が言葉の端々から滲み出ている。しかし少女ばかり世話するのはなぜだろうか。テレビにも男の幼児は出てきても少年はいなかった。慈悲心からではなくビジネスではないかと勘ぐってしまう。大切な奉仕活動をしているのだから失礼とは思ったのだが。
表面には現れないけれども、アメリカにはかなりの数の親から離れた子供がいるようだ。これはどういうことか。人類史上空前の繁栄を享受しているアメリカだが、ひょっとすると内実は孤児社会なのかもしれない。親が簡単に子供を捨てて、それが強い抵抗もなく許容される社会とは。すぐに思い浮かぶのは人種差別だが、画面から見る限り肌の色は関係なさそうだった。次は経済的困窮だが、里子たちは高校へ通っている。あらゆる特典を利用すればこの国では誰でも高校教育くらいは受けられる。
数年前、「私は捨て子です。」と自己紹介する女性に会ったことがある。年若い女性だったがロンドンに住んでいるという。孤児施設で育てられ、職業といえば掃除洗濯などの汚い仕事ばかり、痛々しいまでに愛情に飢えているのがわかった。ところが彼女は自分を捨てた親を知っているばかりでなく、時々会いに行くという。それでも捨て子なのだ。平和な時代の、やはり繁栄を謳歌しているロンドンでの話だろうか。彼女の両親の気持ちとイギリス社会の常識が理解できなかった。
アメリカはイギリスの申し子だ。人種や出身国で分類するとドイツ系がいちばん多いのだが、国の体制や法律、慣習などはイギリス発が圧倒している。公用語を英語からドイツ語にしようという声は聞いたことがない。だからロンドンの雰囲気はアメリカでも共有されているはずだ。孤児社会、あるいは親の愛情が薄い人間関係はイギリス発なのかもしれない。
アメリカでは離婚率が五十パーセントを超える。日本人から見て健全な家庭というのは見つけるのが難しい。しかしもともと孤児社会だったということになると、見方も変わる。カトリックは結婚を七つの聖行の一つにして離婚を禁じた。その教えの現実との乖離と硬直性の弊害を指摘するのはたやすいが、孤児社会を安定した家族制度に基づいた社会に変革しようとする試みだったとも言えよう。しかしながら一千年以上にわたる教えはカトリックの力が弱くなって軽視されるようになった。人々は義務も責任も問われず好き勝手に振る舞える元の孤児社会へ回帰しようとしているのかもしれない。その結果が離婚専門弁護士が喜ぶ数字である。
若い頃読んだ西洋文学では食物の無料配布や孤児院の開設が疑問の余地なく絶対善だと描かれているのが気になった。聖書時代の話なら理解できるけれども、いつまでたっても孤児院と病院である。アメリカでは今も当たり前のように、無料で食物の炊き出しをしている人たちがいる。彼らは一様に政府や社会をあしざまにののしる。
西欧では何千年も孤児が生み出され、孤児を世話する優しい人たちもおり、同時に状況を根本的に改善しない政治が続いてきたのではないか。孤児、病者、ホームレスであればそれだけで善者であるという常識が近代西洋社会にはあるように見えるが、それは対象になる孤児が多いから出来上がった常識であろう。ひょっとしたら孤児社会はヨーロッパ発と云った方が当たっているかもしれない。
近代西洋社会は孤児社会であるという見方が正しいとすると、孤児社会は近代思想を理解するキーワードとなりうる。すぐ思いつくのは「人は互いに狼である。」という言葉だ。あまりに的確すぎて説明は不要だろう。次に「人権」だが、これも無力な孤児を守るためには必要だ。バラバラの孤児をつなぎ合わせるのが「契約説」だ。外来思想は進んでいると信じ込んでうっかり取り入れると、結果として孤児社会の到来になりはしないだろうか。
私有財産の否定は共産主義者が唱えていたが、実態は国民をバラバラの孤児にすることだろう。孤児ではひどいというなら里子にすることだ。自分が自由に処分できる所持品がないから、食べ物にせよ着物にせよ財の所有者に恵んでもらうしかない。財の管理者が共産党員である。当然依怙贔屓や賄賂、闇の経済がはびこる。学者や政治家はこのような肝心なところは国家所有とか人民管理とか抽象語でごまかしてきた。
日本でも里親制度を充実させねばならないと主張する人がいるそうである。表面だけを研究した学者が、なにごともアメリカの真似をしようとしているのだろう。彼らは孤児が多くなければ先進国ではないと思っているかもしれない。
日本では親は必死で子供を守る、親子の絆は強い。実子同様に可愛がるという表現は、実の親子のつながりが強いことを前提としている。絶対数で見ても養子や里子の数は少ないはずだ。このことは、健全な家族は両親とその子供から成っているという心理的モデルが一般国民にあるからだろう。
聖武天皇の妃、光明皇后の施薬院と悲田院は歴史上有名だが、そのあとは同じような話を聞かない。思うに、日本人は庶民に至るまで皇后が示された模範を見て、孤児や病人をどう遇するかを学んだのではないか。お二人は深く仏教に帰依されたと聞く。施設を作る際に、仏陀が明らかにされた慈悲心と善因善果の理法も写経などを通して広く教えられたに違いない。
澤木老師が両親の死後縁戚にもらわれた話はよく知られているが、老師のケースは特別ではない。法律が整備されなくとも、施設がなくとも、子供を育てるには里子ではなく家族の一員として面倒を見るのが最上の方法であることをみんな知っていた。自然の情愛を尊重した上で助け合って生きる具体的な方法が常識として確立されていた。
”ミス十代” のその後だが、一年ほど経った頃、彼女はめでたく養子になることができた。安心して帰れるホームがどうしても欲しかったというコメントが印象深かった。彼女にとって、恐らくはすべての里子にとって、心の底から帰りたいところ、それは家族だ。

 

常住の生命  II

常住の生命 II       01/19/07

2004年十二月八日、水曜日の夕方だった。その頃習っていた古武術の先生が何か欲しいものはないかと質問した。意味がわからなくて黙っていると、強くなりたいとか痩せたいとかの願望のことだという。
願望、欲望か。仏教では欲望は三毒の一つである。欲がないわけではないが、欲で行動するとか欲の追求は毒の増長でもあり禁じられている。公然とあれが欲しいこれが欲しいということは仏教徒としては考えられないことであった。強くなりたいとか痩せたいとかならその方法を伝授するというのだろうか。
少し考えて、それなら柔軟な体になりたいと言った。隣の女性は痩せたいというかと思いきや柔軟になりたいだった。先生はお前はそれが必要だろうなと言いながら、前傾してみろという。一番嫌いな姿勢である。身を屈めて手を下ろすと床から十センチ上で止まった。隣の女性は指が半分までつく。
先生は、両手を合わせてまっすぐ上に伸ばし、息を吐きながら静かに前屈する要領を教えてくれた。手が一番下まで伸びた時、わずかだけ腰を鉛直下方に押すのがコツだという。反動を利用して曲げるのはダメ。焦って練習しすぎると背骨を痛める恐れがあるからゆっくりするようにと注意された。模範を示してくれたが、先生は掌がぺたりである。一時間ほどの練習では成果はほとんどなかった。
私は身体が固かった。それは体質であって、風邪をひきやすいとか背が低いとかいうようなものだ。敏捷な人、動作が鈍い人、声が太いとか、陽に弱い肌とか体質の違いはいろいろある。体質は変わらないから体質だ。各人に固有の個性の一つでもある。各人が異なる体質を保有しているから他者から区別される。
身体が柔軟になるということは体質が変わるということか、あるいは個性も変わるということだろうか。してみれば体質も個性も確かな根拠のある概念ではなかったということかもしれない。それとも言葉を間違って理解していたのか。
身体を柔軟にする方法があるとはにわかには信じられなかった。強くなるのは少しわかる、キン肉マンになればよい。痩せる方法というのはどうだろう。痩身術を知っているならたちまち大金持ちになれるだろう。
金を払って得た知識である、暇を見つけて練習した。思い切り両手をあげると胸周りから汗が吹き出した。贅肉が脱落していく感じがする。前屈が痩せる運動になっているのかもしれない。練習の後は心地よい。調子がいいからせっせとやると翌日は背中が痛い。先生の注意は当たっていた。焦らないようにスロウダウンした。ひと月ほどすると両手の掌が床につくようになった。身体が柔軟になったのだった。
前屈体操は気持ち良いだけでなく、予期しない変化が現れた。腰が楽に回るようになったのだ。立っても座ってもお辞儀が深々とできるようになった。格好良いお辞儀もできるようになれる。蹴りや突きが楽にできるようになった。努力しなくても足がスッと上がる感じだ。頭が軽くなって周囲がよく見えるようになった。交通事故だって避けられるということだ。
ダンスでは腰がクルクル動く。日本ではダンスは長い間猿が尻を振っている、下品だと言われてきた。そんな常識の元で育ったので踊ったことはない。後でわかったのは、ダンスは心の態度と密接な関係があり、下品だと見下す評価をしていては踊れない。身体が動かないのだ、動いてもぎこちない。じっと身動きしないで座る文化にどっぷり浸かって生きてきたというしかない。
ところが腰がよく動くようになり、動くのが楽で快感がもたらされるということがわかると、ダンスも捨てたものではないと思うようになった。生まれて初めてダンスが身近になり、ダンスとは何かと考えた。バレエ、レゲエ、フォークダンスとかいろいろある。動を考えることは実際に踊ることの前触れになる。
静座と運動との関係も見直さざるを得なくなった。不動の坐禅はそれだけで隔絶した最高価値なのか。運動が坐禅に及ぼす影響はないのだろうか。
箏曲の演奏会に行ったことがあった。四人が演奏した。アメリカ人が尺八と琴、日本人が二人で琴を引いた。三十代の日本女性は端正に座り、立ち居振る舞いもキビキビしていて見栄えが良かった。六十代と思しき日本女性は動きが少ないし座っても映えない。乾いたアメリカの空気の中では琴らしい微妙な音色は響かない。そのぶん余計に見かけの美醜が気になった。
ふたりの外見の差を考えてみると、若い婦人は静座していてもすぐにジャンプできる潜勢力があるから美しく見えるのだと気がついた。片方の女性は背骨も曲がって見えるし跳躍など到底無理だ。ハッとする驚きの可能性がない。琴は座って演奏する楽器だが、座ればいいというものではなさそうだ。むしろ外見的に動きが少ない分、準備運動するとか走り込むとかで身体を鍛える工夫が要求されるのではないか。健康と体力が溢れている人がじっと座っているからこそ美しく見えるのではないか。
ひとつの知識を得て実践努力することで身体だけでなく自分のあり方と見方がガラリと変わった。逆に無知、無経験の闇の深さに気づいたのでもある。無明が三毒の中でも根源的と言われる所以だ。坐禅についてさえ、文字どおり坐っているだけでは一面しか理解していなかったことになるだろう。肉体も頭もはつらつと動く者が静かに坐ってこそまともな坐禅たりうる。

何事も、出来なかったことが出来るようになるのは嬉しい。いたるところで前屈の練習をした。疲れたり身体の調子が悪い時は腰がよく曲がらないこともわかった。身体の調子を測るバロメーターになる。何度も繰り返すことが出来るのは達成感だけでなく快感があるからだ。快感を目安にして生きる人生があることを知った。
それまでは哲学と論理を頼りに生きてきた。理屈っぽかった。方法論を一つしか知らないから必死で論理にしがみついた。正邪善悪の判別ばかりを果てしなく繰り返した。白熱の議論を何度したことか。ふりかえってみれば、自分の生き方は、自分なりに思想、言葉、論理と正面対決した日々だった。
だが身体が柔軟になった体験の後では、すべてが違って見えてきた。論理学に柔軟性があるだろうか。言葉は柔らかく曲がったりしないから論理の学が成立し筋を通すことが当たり前になる。哲学も思想も論理で固めないと雑学の一種で終わってしまう。言葉というレンガを論理という鉄筋コンクリートで組み上げた思想を相手にした。硬直したイメージだけを信頼し、頼りにした。
奇しくも釈尊成道の夜に得た新知識は、根本的な人生観の変化をもたらすことになった。それは剛から柔へ、静から動へ、冷から暖へ、そして多分死から生への見方の転換であった。哲学の方法論は論理だ。柔動暖の方法論はあるか。それは快感であろう。快感を手がかりにより深い楽の方向に進んでいく見通しだ。
菩薩の修行階梯の中に十地があり、その第一が歓喜地である。五十二階梯の中では四十一番目に当たる。辞書には初めて中道の智を発し自利利他して大慶ある位とある。また菩薩が多劫の修行を経て一分の断惑証理を為し大に歓喜する位ともある。
快感に基づく人生観は歓喜地に近いのではないか。菩薩の位と凡夫の感じ方を一緒にすることはできない。境涯が全く違う。しかし一切皆苦で片付けられる人生でありながら歓喜の位がある。この事実は仏教が苦悩だけを語るのではないことを示す。堅苦しい哲学や思想だけを語るなら、それは歓喜地が語られる華厳経の思想を理解していないことになる。
澤木老師は常に言われたという。「菩薩とは仏の方向に智慧もて勇猛精進する凡夫である。」と。
智慧はわかる気がした。頭が良いという意味であろう。坐禅すれば頭が良くなるだろうと見当がつく。何が良いかは決めかねるが、何かが良くなる。だから坐禅する。より良い何かを求めてせっせと坐った。一時間でも休むと損した気がした。得るべき智慧を逃したという悔恨が残った。
しかし勇猛はどこから来るのだろうか。自らの見通しに自信がなければ不安ばかりで勇猛どころの騒ぎではない。仏教は無常の教えと言われ、事実無常を学び教えた。しかし無常とは原理として見通しが立たないことである。どんな見通しを得ても無常する、雲散霧消する。ということは無常観の反対が勇猛心の本ではないか。
この辺りが、無常は小乗仏教の教えであり、大乗仏教は常を本にすると言われる所以であろう。禅は大乗仏教に基づくし、澤木老師の教えはもちろん大乗である。華厳経は大乗経典であり、だからこそ生命の本の歓喜地が説かれた。勇猛心は歓喜地ありてこそ起こる心情であろう。歓喜地に一番近い凡夫の心が快感であろう。
われわれ仏教徒は無常に洗脳されすぎているようだ。幸福、成功、達成などは、たちまち断滅し、崩壊するとばかり聞いてきた。無常、無情、無力が仏教と思い込んできた。
常に基づく快感があれば凡夫にとっては頼り甲斐がある。行動が快感をもたらすと見通しがつけば近未来の計画が立てられる。身体をほぐしたりバチさばきを練習したりしながら快感に浸る。その契機は音楽でも、スポーツでも、仕事でも坐禅でもよい。苦から楽に至る方法があることが肝要だ。正常な生命は元来快にして楽だ。
自己も他己も生命は快感を本にして活動していると分かれば、自らの修行に躊躇逡巡する必要はない。苦から快へ、快から快へ、楽から楽へ精出し前進するだけだ。それが勇猛心ではないか。勇猛心はやがて無限の世界を解明し、甚深の生命を究明しようとするだろう。
菩薩に無知少知はない。少知に発するプライドを握りしめ、ときどき小さな新知の効果で人生観がひっくり返るような凡夫とは出来が違う。しかしというべきか、だからこそというべきか、菩薩なる理想像を凡夫が人生のモデルとして参照することは有益だ。特に大乗仏教徒にとっては。

 

 

常住の生命 1

 

常住の生命  1           11/17/2006

2004年九月二十四日から三日間、友人の手伝いで天麩羅を揚げた。共進会に椎茸を出品したついで、栽培しているしいたけを天ぷらにして売る計画だそうな。人手が足りないので助けてくれという。売れるものを作る自信はないものの、手伝いならいいやと引き受けた。
会場では腰の高さに深鍋が二つ、プロパンガスのコンロの上に乗っていた。鍋で大豆油を熱して天ぷらを揚げる。これではずっと立ち続けることになるかもしれないなあと不安になった。朝十時に開店するとたちまち行列ができ、夕方閉店するまでお客さんが途切れなかった。休みなし、働きづくめ、立ち通しだった。お客が多いのは賑やかで気合も入るが、過労にならないだろうか。
じつは私は左膝に恒常的な痛みを抱えていた。長年座ってばかりいたからだろう、激痛ではないが時々チクチク痛む。長時間立っていると痛みが激しくなる。天ぷら屋で何時間保つだろうか、今度こそ膝が壊れて使いものにならなくなるのじゃないか。最悪の展開が頭に浮かんできた、立つ姿勢が怖くなった。
問題は自重が膝を潰すことにある。そこで考えたのは、膝を守るために姿勢を変えていくことだった。立つ姿勢は一つではない。その頃は十種類近くの立ち方を知っていた。痛くなってきたなと感じたらすぐフォームを変えた。天ぷら揚げが立ち姿勢の練習場になった。天ぷらダンスと言ったお客がいた。不具者になるかどうかの境目だ、外目を気にする余裕はなかった。
会場はだだっ広い野原で暖房、シャワー、ベッドなし。自然生活、有機農法を売り物にしていて酒もコーヒーも禁止。トラックの床に寝ると背中が痛かった。朝は霜が降りる寒さで震え、着替えを用意してなかったから油まみれのシャツを着続けた。小雨や突風がやってくる。
友人は野外での行動に慣れている上に体力があるから何かと気をつけてくれた。テントの組み立ても一人では何時間もかかる。水、油、仮小屋、揚げ物、掃除整頓など開店には多くの仕事が必要で、それぞれ道具が違う。ガスや油が切れるとかの予期しない事故も起きる。何もなかったように揚げ物が出品されたわけだが、友人の能力は大したものだった。
日曜日午後、揚げるものがなくなって閉店した。他店の展示物を見学して回ったが、足が棒のように感じた。体の芯まで疲れ果てて、五時間運転して帰った。とにかく乗り切った。シャワーを浴びてぐっすり眠った。
九月二十七日、月曜日の朝、目がさめると文字通り布団から飛び起きた。寝る前の予想とは正反対に、微塵も疲れは覚えず、痛いところもない。完全な健康はこんなものかと思うほどのすがすがしさだった。あまりの爽快さに、そこらじゅうを駆け回りたかった。疲労困憊どころではない、はつらつ、スッキリ、いきいきだった。左膝の痛みは無くなっていた。あまりの嬉しさにやったあと叫んだ。信じられないことが起こった。これは奇跡か、偶然か、あるいは必然か。
痛みがなくなった膝を撫でながら昨日までのことを整理した。痛みがなくなったのはダンスのように体を動かしたからではないか。運動すると筋肉や血管が柔軟になるはずだ。血が勢いよく流れ熱と栄養を運んでくる。血は体の運動を続けさせ、老廃物を運び去り、傷口を治し、歪んだ部位を矯正する。汚れた海辺を洗い流す波浪のように大量の新鮮な血が無理と疲労と不快を除去したのではないか。そして循環がよくなった血は眠っている間に長年の痼疾まで癒してしまった。それは身体の自然で健全な機能だった。
その朝の経験は人生観、世界観をがらりと変えた。それまで考えていたことは、人は疲れる動物である。じっとしていても疲れ、運動しても疲れ、怪我をし、痛むところもできる。疲れも怪我も痛みも苦だ。一切皆苦とは仏教の根本である。生まれたらいつか死ぬ。吾々は死ぬために生きている。死はもちろん人生で最大最後の苦だ。いずれ死ぬのだから何をしても虚しい。誰かが言った、人間にとって一番良いことは生まれないこと、二番目に良いことはできるだけ早く死ぬことだと。人は苦から逃れられない。
死ぬために生きていると思っているのだから、何事であれ成し遂げられるとは思えなかった。何か目標を設定しようとしても真剣にはなれず、どんな目標も達成するまで生きることはないだろうとまず考える。いつ交通事故にあって死ぬかわからないのだから計画を立てる意味はない。翌日の疲労困憊が怖いから精一杯働こうと考えない。根本思想から日常生活まで支配的な気分は、しんどい、無力、苛立ちだった。始めに絶望と出口のない闇があった。それが何十年も続いた。子供の頃から運動会や農作業の後では必ず疲れと痛みを覚えた。明日の計画を立てる根拠がないこと、先の見通しが立たないことの理由は、この世と人生が苦で無常だからだ。
ひざ痛のことだが、座りすぎたから痛くなったとは思ったが、治す方法があるとは知らなかったし、そんな方法を見つけようとも思わなかった。坐禅は無為、治療は有為だ。人間の小賢しい有為は程度が低いし間違っているに違いない。正しい座りをしているのだから少々の苦痛は我慢しろ。他にも痛いところはあるが座禅していれば自然に治ると思っていた。痛みを研究して治そうとする発想はなかった。それは膝だけの問題ではなく、何事につけても進歩、工夫、鍛錬の気分はなかった。
数日後、膝痛が無くなった代わりに腰の一部が痛くなった。左身体側のバランスが崩れたか。二十七日朝の快感を思い出しながら血液循環が良くなるように足、腰、腹を動かすと、一ヶ月ほどで腰痛は消えた。確かに身体は熱と栄養を使って痛みや疲れを治す力を持っている。それらを運ぶ血の役割は想像以上に大きい。必要となればマッサージや四肢の運動で血液の循環を促すことができる。身体の可動部分は動くのが、そして動かすのが自然の理にかなっているらしい。
相撲の激しい稽古はよく知られている。大の大人が泣きながら股割りさせられたり、立てなくなると竹刀でひっぱたかれる光景が時々放映される。横綱になった人の文章には鍛えすぎて腕に注射針が通らなくなったとか、立ち上がれなくなってからが本当の稽古だと書いてある。想像もできない世界があるなとしか思えない。マラソンの選手は本番も練習も苦しいだろう、どうやって苦しみを克服するのか、ただただ感心していた。
しかしながら毎朝疲労なしで布団から飛び起きれるとなると話は違ってくる。限界以上の稽古は快感を得る過程になるかも。激しく稽古するほど爽快感が増すこともあるに違いない。反対に楽してサボると中途半端、不燃焼で不快になる、自然の法則に反する。稽古に没入するかどうかは、根性や努力ではなく自然の理に順ずるかどうかの問題だったのだ。マラソンだって明日はカモシカのように飛び跳ねると思えば練習をサボる気になる方がおかしい。歯を食いしばってひたすら苦痛に耐えているように見えるスポーツマンも、快と楽の裏付けがあるから練習できるのではないか。
激しい運動が爽快感と健康を齎らすという認識は、それまでの人生観の正反対だった。肉体の正常な状態は快感だったのだ。正しい身のこなしや理にかなった運動はをすれば疲労はないのが身と心の自然のあり方だったのだ。その先は、自然で無理のない正しい人生観は苦ではなく楽になる。これは大乗仏教だ。楽は苦しい修行をして手に入れるものだとばかり思っていたが、身体の機能と在り方がすでに楽だった。あの朝まで、自分は血が通っている身体を持っている実感を持ったことはなかった。
翌朝疲れないと分かれば明日の計画が立てられる。明日は疲れ知らずで再出発できる確信があれば今日体力の限界まで働ける。怪我や痛みや病気を自分自身の血が治してくれるということになると自らの身体を頼りにできる。大事な体を守り健康を維持するために食事や水や空気や温度に気をつけるようになる。老いも若きも同じだ。大乗の所以だ。死の瞬間まで暖かい血が自分自身を保護し生長させる。この事実は不変だ。不変の事実に則り、自分の肉体と心の存続を本にして将来の計画が立てられる。未来に見通しが持てる。これを常住、略して常という。
大乗仏教の常は、人生の根本は楽だという体験が先にあって導き出された真理だろうか。永遠不変の真理がまずあって、そこから卑近な見方や感情が派生するのが学問的な方法だとばかり思い込んでいたのだが、それは考え方の一つの癖にすぎなかったようだ。個人の快感が人生観を苦から楽に、世界の真理を無常から常住にひっくり返した。これは客観的な真理は存在しないということも意味するのだろうか。
行きつけの歯医者は歯槽膿漏の心配があるから歯茎を手術しろと脅した。歯のことはアドバイスに従う他ない。当日になると袋にいっぱい薬をくれた。痛み止めだから麻酔が切れたら服用しろという。痛み止めはどのように作用するのだろうか。サロンパスを貼るとひんやりするように、血行を妨げて体温を下げる。低温が感覚を麻痺させる。すると血による傷口の修復も妨げられるだろう。毒物を体内に入れて痛神経を麻痺させるか、それとも傷の回復を優先するか。鎮痛剤は飲まないことにした。
麻酔が切れるとさすがに痛かった。しかしよくしたもので、痛さに耐えられなくなると眠ってしまった。目が覚めたときには痛みはなかった。鎮痛剤はいらないとありのまま報告したのだが、次の回にもまたクスリをどっさりくれた。ビジネスとしては法令も訴訟もクスリ代金も考慮するのだろう。四回に分けて同じ手術をしたのだが、後になるほど痛みが少なくなった。最後の手術は麻酔が切れたことも気づかなかった。全部終わってエックス写真を撮ると、一年前に比べて骨が増量し硬くなっているという。五十代後半に骨が増えるとは。自らの血を信頼し運動を続けたせいだろうか。
吾々の身体は熱を再生産し続け血が栄養分を隅々に届ける。常住とは現実には再生産のことである。短命長命ではなく、子孫を残すかどうかの問題だ。年々歳々作物が実るのも、同じようなパターンの気候が繰り返されるのも常住だ。気合を入れて天ぷらを揚げ続けるのも肉体の再生産だ。生きとし生けるものは常住の生命を生きている。
常住と同じような意味で永遠なる言葉がある。実は永遠をズーッと意識してきた。哲学書は常住なんて言わない、永遠ばっかりだ。それはキリスト教神学とギリシャ哲学と数学がいつも永遠を使ってきたからだ。学校で勉強すれば永遠ばかりになる。常住は仏教を勉強したから習った言葉だ。永遠は抽象語で、永遠無限と言われるように、時間と空間を延長したイメージだ。抽象語は討論や論文書きには適しているが、現実の生活には当てはまりにくいとだけ言っておこう。
死んだら終わりだと人は言う。死んだ本人は何も知らない。生者が考える死もまた本当の死ではありえない。なぜなら人は死を経験していないから真の死が何かは解るわけがない。だから生きとし生けるものは熱とエネルギーを再生産し続ける常住の生命を生きている。死は思考で捉えられないのだから、生とは別次元の問題だと言った方が適切だろう。
熱とエネルギーの再生産は疲れ知らずの快感をもたらす。吾々は快感があるかどうかを基準にして身体が健康か病気か、運動が適正か誤っているか判断する。自分の快感を目安にして練習工夫すればよい。快感はさらに正しい運動を促す力を持っている。楽しいという理由だけで、褒める人もいないのに冬山に登り、ダンスをし、ゴルフに打ち込む。根性や努力がなくても、楽しいから、快いから遊び続ける。
いつまで快感を目安に生きられるのだろうか。整体術の野口晴哉氏によれば、人は九十歳になるまでは老人とは言えないという。みんな青春を生きているのだ。

 

 

日本語の起源

 

日本語の起源         09/28/2006

21世紀に代わったころのある日のこと、浄土真宗の集まりがあるので行ってみようということになった。会場では三世、四世の日系人が大半だった。いずれもパリッとした身なりをしていて、中流階級者の雰囲気が漂っていた。法話のあとはそれぞれ好きな話題に花が咲いた。彼らは日本が好きだった。日本は素晴らしい、どこへ行っても綺麗だし清潔だ、料理は美味しい、一度行ったらはまり込んでしまった、毎年旅行している、今度は高野山に行く予定だ、という調子だった。
アメリカ人は好き嫌いをまっすぐ表現する傾向が強いが、好き、好き、好きと連発されると面映ゆい。暗い部分や悪いこともあるよと応じた。日本は出口のない真っ暗闇の中にいるのか、それとも彼らが慕うような極楽なのか。その頃は高級新聞たる朝日新聞を購読していた。熱読精読したせいで、自虐史観に絡め取られていたのだろう、日本悪しと洗脳されていた
そのうち「これから Pigeon Englishで話そう」と言い出した人があり、数人がペラペラと早口で話し始めた。多くはハワイ出身だった。ハワイで英語の方言が話されているのは知っていたが、聞いたのは初めてだった。意味はわからないけれど耳障りではない。なんでもいいから声を出して響きを楽しんでいるように見えた。漫才の掛け合いみたいに、会話自体が楽しく、話すことにのめり込んでいた。
Pigeon Englishは英語の方言で、カリブ海でも話されているけれど、一番知られているのはハワイだ。ハワイではポルトガル語、フィリピン語、中国語、日本語が混ざり合っている。英語を基本にしながら、語順や単語が異なる。いかに通じ合っているかは想像の域を超えるが、意思疎通に問題はないらしい。訂正したり聞き返したりしていた人はいなかったから、会話者同士は完全にわかり合っている。中に入ってみれば全部辻褄が合っているけれど、そとから見たらチンプンカンプンな芸を見せてもらった。
英語のなかでも上下優劣美醜の意識は厳然と存在する。方言は一段下の言葉と見られていて、研究対象として取り上げる人は少ない。鳩が鳴くように聞こえるから鳩英語とされる、人の言葉ではない。しかしその浄土真宗の集まりでは中流階級の教育も教養もある人たちが、得意然として方言で会話を繰り広げていた。まるで階級意識など無縁だとでもいうように。
そばで聞いていて聞き取れない会話は日本でも何度も経験した。地方を旅して女子学生の集団と列車やバスで乗り合わすとてきめんだった。日本語を話しているはずなのに一言もわからない。彼女たちの頭と口の回転の速さに驚くばかりだった。複数のおしゃべりを同時進行させていく能力にも脱帽した。今はケータイで目にも止まらない速さで指を動かしている。同じ能力の別の形なのか。
アメリカでも女学生の集団に出くわすことがある。そんな時は騒々しいお喋りで一語も聞き取れないことを予想する。英語は方言どころか外国語なのだから、聞き取るのに難儀するのは当たり前だ。ところがたいていの場合、聞き取れることが多い。彼女たちは教科書にあるような単語を使って意味のある話をする。速さも普通で騒々しい感じではない。それは標準的な英語教育がニューヨークからカリフォルニアまで行き届いているということなのか、それとも文法に合わせるために話し方が遅くなるのか。英語は人工語だからなのか。個人的な経験なので断定することは難しいが。
日本の女学生が騒々しく賑やかだということは、脳細胞が活発に働いているということだろう。女学生のおしゃべりは、その年頃では、神経幹細胞がつぎつぎに生まれていることの反映と言える。神経細胞の創出と言葉の噴出があい俟ってエネルギーが発散する形式を日本語は持っているのではないか。
さて日本語はPigeon Englishができた要領で成立したのではないかというのが仮説である。相撲部屋のちゃんこ鍋には、食べられるもの、栄養のあるものはなんでも投げ込んで煮込むという。それが関取が満遍なく栄養摂取できる理想的な料理になる。言語の栄養摂取にも多くの知識と言葉が取り込まれた方がよいだろう。鍋を囲んで仲間意識が育まれるように、雑多な知識と言葉が煮詰まりながら交換されるあいだに、人々が共有する日本語が出来たのではないか。
ちゃんこ鍋のような言葉のイメージが湧いたのは、日本語の文法がいつまでたってもはっきりしないことがある。英独仏など外国語を参考に研究するのは100年以上になるのに、なぜか日本語の文法は確定できない。まとまった形で文法を示せないから、不完全とか遅れた言語と言われる。われわれも論理的でない、純粋でない、劣った言語ではないかと思うようになる。その先には、優秀な英語を公用語にしようと提案する人までも現れる。心理学者じゃなかったかな。また自国語を真剣に学ぶ理由も見つかりにくい。
ちゃんこ鍋言語なら、厳格な文法を備えるのが高級な言葉であるという前提が必要なくなる。規則に従って単語を並べるよりも、言葉を産み出す活力や煮詰める火力の方がより根源的ではないかということになる。いつまでも規則が定まらないのは、日本語は文法に沿って学ぶものではなく、文法を創造しながら維持発展しているからではないか。日本語に文法があるとすれば、それは脳細胞が効率よく働く方向に、不断に変えられ、創造され続けているのではないか。
日本語は表記法が漢字、かな、ローマ字と四種類もある。表意文字も表音文字もある。伝統的な数詞は二種類あるうえに、ワン、ツー、スリーを知らない人はまずいない。日常言語で三系統の数え方が抵抗なく使われている。代名詞は私、あなたの代わりが十種類はある。ひとつひとつは知らなくても表現法がたくさんあるということは誰もが知っている。
英語の表記法はアルファベットひとつ。ということは外来語はローマ字に直さないと取り入れられない。中国語の場合はかならず漢字に直さねばならない。一方式だけが使われていて例外が無いということは、純粋であり論理的だということになる。それは同時に硬直している、融通がきかないということでもある。
私を表す代名詞が「I」ひとつだということは、中学生にとっては簡単に覚えられていい。I は一つで、純粋にして絶対に間違いない論理の本だ。しかし30年、40年と変化のない I だけを使っていたら退屈にならないだろうか。また不変の I しかなければ自己分析、自己追求も難しい。日本語で自己、自我、吾れ、わたし、俺、僕と並べ、自分とは何かと追求する手順と比較すればよい。日本語には自己究明の手がかりが多く残されている。I ひとつでは分解も総合もできない。傷つきやすいから心理学の助けが必要になる。
代名詞だけでなく、文法がスッキリすると、他の面でも単純な方がよりよいと考えるようになるだろう。イエスかノーか、白か黒か、右か左かの議論が多すぎる。ファッションモデルは痩身美人ばかりで美の理想はひとつ。十あった数詞はゼロと一に単純化された。社会思想では自由だけ、または平等だけが喧伝される。推理小説やサイエンス フィクションが流行るのは、単純な分かり切った言葉しかない日常生活から脱出したい衝動の表れではないか。
ところで、手当たり次第に言葉を寄せ集めながらできたのが日本語なら、純粋でも論理的でなくてもよい。無数の要素を取り入れるから論理で筋を通すのは難しい、多くの筋が許容される。日本語が曖昧だと言われるのはごった煮の言語だから。その能力の大きさは、大乗仏教も現代科学技術も取り入れられた。日本が大乗相応の地と言われ、禅が継承され発展してきたのは理由があったと言わねばならない。
言語創造と意思疎通の方法を共有した集団があったから、外国語が侵入しても日本語は独自性を保ち得た。独立語にして混合語だから外来語を消化して包摂する能力は初めから持っていた。日本人は好奇心の塊で、魅力的な外来語を拒絶しなかった。それでも長い歴史の間に、日本語は他の言語に飲み込まれなかった。
不便な外国語に囲まれていると、母国語の、どんな言葉も思想も取り入れられる利便性、柔軟性、そして優秀性は生き残りの理由にさえなる。漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字の理解力の違いを知っているので、英語しか知らない人々の焦燥感もわかりやすい。柔軟な包摂力のある言語を守護し保持する限り、どんな困難も日本は乗り越えていけるのではないか。

 

ナンバ歩き

ナンバ歩き         06/23/2006

ナンバ歩きは古武術の甲野善紀氏が発見、広められた言葉で、江戸時代の人々の歩き方だということです。簡単にいうと、右足が前に出るときに右腕も前に出る。左足が前に出るときには左腕も前に振れるということのようです。江戸時代の屏風や絵画などを見ていて、現代人と歩き方が違うと気付いたそうです。
現代人は手足を交互に出して歩く。右足が前に出るときは左腕が前に出る。左足が出るときは右腕が前に出る。周りを見渡しても同じ歩き方ばかりなので、異なる歩き方があるとは思えない。ナンバ歩きの紹介は衝撃だった。
実際にやってみるとナンバ歩きはできるものじゃない。右足と右腕を同時に前に出すのは違和感が大きすぎる。意識して練習すれば慣れるかなと思ったけれど全くものにならない。ものにしたとしても得るものが何かあるのかどうか。歩き方が気になって落ち着きがなくなるくらいの変化はあるが。関連の本を読んでも、これがナンバ歩きだと銘打った見出しはあれど、中身はさっぱり説明できてない代物ばかりだった。
しかし江戸時代というのは剣術柔術をはじめとしてほとんどの国民が武術を嗜み、生きるためには大小の使い方は常識だった。内燃外燃機関はないから移動手段は徒歩か走りだった。飛脚などは想像もできない速さで全国を飛び回っていた。出発到着が記録されるから速かった事実がわかる。健康力が頂点に達していたのが江戸時代人だった。咸臨丸の乗組員の写真を見ると、全員姿勢が良い、面構えに鍛え抜かれた身心の気迫が溢れている。彼らの歩き方がナンバ歩きだというのです。
最高の歩き方がナンバ歩きだとは云える。しかしその実践はというと絵画に残っているくらいで、専門家の文章も全く的を得ないし、自ら練習するにも手がかりがない。知恵でも宝物でも、忘却とはこういうことなのか。復元すらできないほど吾々は貴重な江戸時代の知恵と力を失ってしまった。
真向法という伝統的な柔軟体操がある。中学生の時見ただけだったが、五十路で運動に興味を持ち出し調べて見た。実践している方は少なくない。基本的には四つの姿勢を繰り返し練習する。初心者にはもちろん難しい。開脚してお腹が床につくまで曲げるのが股割りで、一年でできるだろうと云われた。やってみると一年四ヶ月かかった。私の体は固かった。それでもできるようになったのは練習方法が確立されていたからで、伝統文化はありがたい。
真向法をした後で気がついたのは、歩く時腿がスッと前に出ること。考える前に太腿が前に出る。あるいは、立つ姿勢より歩く方が楽になる。地面を這うのでなくジャンプする歩き方になる。怠け者は動かずに立ったり座ったりしているけれど、働き者は動き回る。体が動くのが自然で楽しい。真向法の実践は怠惰と勤勉との分かれ目になりうる。
以上から推測できること。ナンバ歩きは右腕と右足の同時運進と考えたけれど、腕の質量と重量は脚に比べて歩くときは無視できるくらいに小さい。腕は後からついてくる。肝心なことは太腿がグイグイ前に出ること。働き者の江戸人にとっては、真向法も含めて、動き回ることが自然で楽しかった。その動き方を外から見たら体幹に腕がついていくように見えた。ナンバ歩きだった。
注:千代の富士関の股割り以外は危険で、専門書も怪しいと考えています。

仏教の結論と始源 E

自己とは何か?多くの人が真剣に問いかけた。宗教、哲学、思想と呼ばれるものは、結局自己とは何かに対する解答である。世界中で多くの解答が提出されたが、仏教が最も無理のない、深い、完全な答えと思われる。
自己について仏教は多くの答えを用意しているが、四聖諦に即して言えば因縁和合である。十二因縁は形式論理だけではなく、生身の生と死を表す。生とは因縁和合して身と心が出来上がったもの、死とは因縁が崩壊離散することだ。生まれたものはいつか必ず死ぬ、生あるものが死ぬことを一期無常という。一期とは一生である。人が死ぬとたとえば山田太郎の墓として祀られる。山田太郎氏の誕生から死までが一期で、一期の間は身と心、自己が存続する。存続は常住で、常住が終わるのが無常。一期無常は死である。
身は肉体で、肉体は皮膚、筋肉、骨や血液などから出来て、和合している。皮膚も筋肉も細胞や原子から出来ていて刻々に新陳代謝している。小さな子供が六尺の大男に成長する。死ぬときも意識だけでなく肉体も縮小、離散する。一生一期の間に身と心は刻々に変化する、刹那無常という。刹那は無限小の時間だ。近年は科学的分析が常識になって刹那無常ばかり注目されるが、刹那は一期の中の変化である。山田太郎の墓は作られても刹那の墓は作られない。仏教はもともと一期自己の教えだ。
哲学的に言えば人は有限者、中間者である。永遠と瞬間との中間、無限大と極小との中間、いつかは死ぬ有限なるものである。だからどんな無限も有限な身心の中に包摂される。それが道元禅師の言われる不生だ。
不思議なことに、歴史的社会的に見ても因縁和合は存在者の根本原理である。ソ連は70年で誕生から崩壊までを経験した。2017年現在ロシア人は居てもソ連人は居ない、因縁離散の見本だ。国家も時間的、空間的に有限だ。
古事記では日本の大八洲が伊邪那岐命、伊邪那美命によって作られた。無限大の大陸でもなく大洋でもない島々が作られた。中間者である島々が大和だ。世界創生神話ではなく泥海の中から島が作られた。
日本人は日本国に住み、活動し、保護される。国家は世界政府と無政府主義との中間であり、グローバリズムと孤立主義との中間だ。民族も地球市民と個人との中間である。そして我々の日常生活は、死に至るまで中間者としての生命を生きている。父母や子供達と共に生きているわけだが、家族はまた孤人と社会との間に位置する中間者だ。
なぜ日本に仏教が栄えたかと言えば、仏教の因縁和合と古事記の中間者との親和性が高かったからと言えるかもしれない。永遠無限絶対などは有限な自己、家族、国家、民族があってこそ語られる概念であって、その逆はない。

 

 

仏教の結論と始源 D

仏説は四聖諦に始まり四聖諦に極まる。世界規模で様々な仏の教えや仏教思想が語られるが、混乱してきたら出発点の四聖諦に立ち返って考え直すことだ。大事だと思われる点をここに触れておきたい。
仏教の母胎は民族宗教のヒンズー教だが、彼らは何をしていたのか。何十世紀にもわたって真理とは何かを追求した。特徴的なのは、知恵とは何かと正面切って研究した世界唯一の文明であること。ボリウッド映画では完璧な事件展開を完璧な仕草で俳優が演じる。若い俳優が完璧な演技ができる、論理の正邪善悪が顔の筋肉の動き方にまで一致している。論理が血肉化している。
ガンジス河のほとりで論理の民が長年議論した。正義、邪悪、幸福、運命、誇り、成功、敗北、世界や宇宙、自己とは何か。無限の時間が語られ無限の空間が俎上に登った。しかし真偽の結論が出ない。ちなみに釈尊の二人の師匠は、それぞれ’無所有処定’、’非想非非想処定’を提唱、瞑想、実践していた。所有欲があるから争いが起こる、妄想する余地も無い深い非想が最終境とは今でも通用する考え方だ。
釈尊は尼連禅河で溺れそうになるまで断食した後、村の娘に供されたミルクで命拾いした。まもなく菩提樹下で悟られたのだが、それは何十世紀ものヒンズー教徒の議論に対する解答だった。仏教はヒンズー教徒の知の探求に最終的な解答を見出すところから出発した。これが表題の’仏教の結論と始源’の意味である。
ヒンズー教徒が論じてきたのは抽象的な概念、世界観、戯論だった。釈尊は具体的な自己の身心の苦悩を克服する方法を問題にされた。末法思想がなぜ語られるか、開祖宗教なら信者に未来への希望を持たせようとするはずなのに。何十世紀もの抽象的な議論は釈尊の血がかよう悟りで終止符が打たれ、レベルが違う高みに登られた。しかし人間の癖として、後世抽象的な戯論が学問の進歩とかの名目で流行ることは予想できた。人は議論に夢中になり優劣にこだわりそして仏法が澆薄になる。
因縁を展開して業感縁起論や阿頼耶識縁起論ができている。複雑な時間論宇宙論になっている。涅槃とは悟りの内容が問題だから仏心論や本覚論が延々と議論されてきている。それってヒンズー教徒が釈尊以前に何十世紀に渡って議論してきたこととどこが違うのだろうか。しかも議論が続くということは結論がないということ、やはり初転法輪以前ではないかと問題提起されるレベルではないだろうか。
我々はなぜか戯論に走る癖があるようである。真理の普遍妥当性を盲信する部分がある。それで十二因縁から因縁を抽出し、さらに因縁の法則を森羅万象に当てはめようとする。その結果永遠無限の宇宙論を展開するに至る。涅槃寂静は仏心の問題で、やはり膨大な教論ができた。空無の思想も忘れてはならない。現代社会においては空無の思想が猛威を振るっている。
この辺りに釈尊の教えの秘密がありそうである。四聖諦は四つのバラバラな法則原理の寄せ集めではなく、十二因縁も涅槃寂静も、八正道も一切苦でさえ血が流れ老死に怯えるゴータマ シッダルタの生身を除外して考えることはできない。原理法則を抽出すればどこにも応用できるとするのが本質論だ。しかし本質論では測りきれない深さが仏説には秘められている。四聖諦に帰って参学すれば正法の身心を得、正法の世に近づく。

仏教の結論と始源 C 四聖諦

初転法輪は釈尊が悟りを開かれた後の初めての説法である。得悟とその内容を述べられた。以後、説法されるたび何度も開陳された。最初に遇った人物は’俺はそうは思わぬ。’といって立ち去ったことまで仏典には書かれてある。説法の内容は四聖諦として経典にまとめられた。四聖諦は四つの聖なる真理と訳される。
第一諦は苦諦で、人生は一切苦である。四門出遊の話では老病死の苦を見られたのが出家発心の原因とされている。四苦八苦と言われるが、四苦は生老病死であり、さらに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えて八苦という。病は克服できても誰もが老死に直面する。一切苦は紛れもなく人生の事実、真理であろう。科学技術が進んだ現代でも真っ当な現実認識と言わねばならない。
第二諦は集諦(じゅっ諦)で、一切苦の原因を明かす。老死の苦が現実で、老死はなぜどこから来たかと追求する。それは生まれて活動するからだ。つまり老死苦の原因は生である。何もないところから生が出現することはない。人は両親から生まれる。では生の原因は何か、それは有である。有の原因は何か、それは取、さらに取の原因は愛である。このように苦の原因を遡って最後に無明に行き着く。この過程を公式化したものが十二因縁と云われる。併記すると、老死、生、有、取、愛、受、触、六処、名色、識、行、無明となる。
苦の原因を探して無明に行き着いた。逆に無明から行、識と辿って老死の結果にいたることもできる。順観、逆観という。しかし十二支でなければならないとはいえないだろう。要は根本原因が無明だということと、因縁業果の論理で無明に至ったというのが大事だ。
また無明という原因を無くせないものかと思考するのは自然だ。無明ではなく明から出発すれば苦はなくなるかも知れない。現実にそんなことが可能かどうか、挑戦してみる価値はあるのではないだろうか。釈尊は身をもって発心修行なされたのだから。
第三諦は滅諦で、別言すれば涅槃寂静。苦諦が現実ならば滅諦は理想である。しかし釈尊は得悟され涅槃寂静を獲られた。理想は現実となった、苦は克服することができる。仏の身心と悟られた世界を膨大な仏典は解説しているわけだが、その根拠は釈尊が滅諦を体現された事実に基づく。
第四諦は道諦で、滅諦に至る方法が説かれた。それが八正道で、八正道を行ずることが原因となり結果として涅槃寂静、無苦の人生に至る。ここにも因縁業果の論理は貫徹されていて、出発点は無明でなく八正道である。八正道は以下の通り。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。八つの徳目であるが、八は多いという意味も内包している。また何が正しいかと考え始めると正が適訳かどうかも問題だ、八聖道とされる方もおられる。