正法眼蔵現成公案書き置き(4)

     正法眼蔵現成公案書き置き(4)

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  仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に證せらるるなり。万法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。

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  この節は坐禅修行においてもっとも影響を受けた文章で、人生が決まった。この文のおかげで、人生の根本問題は自己をならふことだと結論が分かった。修行生活も慣れてくると面白いことに手を出しそうになるのだが、まだ自己を明らめていないと本来の立ち位置に帰れた。

  この一節が道元禅の要諦であると看破し自ら修行され弟子に教えられたのは内山興正老師である。老師の獅子吼に接して、下品の私もああそうなのかと納得し、教えの迹をついていった。老師の最初の御著作は「自己」であった。老師のご教示なかりせば、鈍感意志薄弱な者が、自己が肝心かなめの問題だと決定できようはずはなかった。内山興正老師の偉業を顕彰したい。

  内山老師は著作を出版されただけでなく、提唱の場でも冒頭の文章をたびたび引用された。ありがたいことには、食事のあとの歓談や散歩の折りにもよく自己について語られた。大事なことは耳鳴りするまで話さねばならないと言われたが、私の場合は一生耳鳴りすることになった。

  仏教とは何か、修行の根本は何か、正法眼蔵の核心は何かと参究すると、「自己をならふ」に帰結する。釈尊は自己の人生苦を問題視された。苦を解脱すれば自己も解明されるかもしれない。

  「仏道をならふといふは、自己をならふなり。」道元禅師自身が仏道修行の根幹について記された、直截丁寧なお教えである。仏道に志すものは教えの通りに参学するべきであろう。

  人生は困難に囲まれている。修行は困難を乗り越えていくことでもある。一つの難を越えれば次の山が現れる。その山を越えるとさらに高い山が見える。山を登りきると深い谷に続き遠くの山が霞んでいる。同じことが仏道修行にも当てはまる。

  因縁分の第三文で「仏道もとより豊倹より跳出するゆえに」とあった。仏道は大小、増減、豊倹などの曖昧な相対世界を跳出するものだという。どこかへ跳び出る気持ちになっている。苦難の山から跳出できるだろうか。跳び出る方法はあるだろうか。そんな態度は仏道と言えるだろうか。

  「仏道をならふといふは自己をならふなり。」とは仏法のなかで仏道をならふことだ。跳び出すとか特別な成果を得ようとか力むことではない。若いときは生命力のままに結果が欲しくて勉学し、ともすると跳出したいものだが、実際の仏道は自己の生命に順じた地道な生き方である。永平寺を去るとき後堂老師から一言、「地味に修行しなさい。」と言われた。

  「自己をならふといふは自己をわするるなり。自己をわするるといふは万法に證せらるるなり。」

  自己をならふは日々新たに参学修行することだから旧弊や陋習も見えてくる。己見、旧見は新ためる。それだけでなく、自己を忘れるという深い意味は、万法、仏法が自己に置き換わることである。忘れましたのわするるではない。

  仏法において一方的に忘れっぱなしということはない。忘れるだけなら忘却だ。中道は常に不取不捨、忘不忘など全体を見ている。

  わするるが単なる「忘れる」ではないことは、次の文に「自己の身心および他己の身心」とあるところから、自己だけの問題ではないことからも明らかだ。

  「万法に證せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」

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  この文はこの節の要諦であるが難しい。万法に證せらるるは本当に自己をわするることだが、それは悟るということであろう。それは自他ともに身も心も脱落せしむることだという。言葉の理解で分かるだけでは不十分で、身のこなしや身体の健康状態まで完全で、しかも他己の身心まで脱落するとは、いかなる意味であろうか?

  脱落とはなにか?この一語で何十年もきりきり舞いした。脱落は道元禅師以外の方はほとんど使われていない。だから仏教用語としての意味が一般化されていない。

  脱は抜ける、落は落ちる。抽象的な言葉ではなく具体的な運動を表す。昆虫の殻が抜けるとか石が落ちるなど、目で見て分かる。身体なら柔道で寝技から抜けるとか骨組みがガクッと崩れる様子などが連想される。

  具体的な仏行は坐禅だ。脱落とは坐禅をしてパッと悟る、あるいは釈尊が明けの明星を見て悟られたように、仏法の真髄を坐禅中に体得することではないか。古人の中にも大悟数回小悟その数を知らずと言われた方もおられる。してみれば実際に坐禅して悟るということはありうるだろう。禅の修行者は是非とも坐禅弁道に力を入れて修行し、その結果悟りを得る、それが脱落ではないか。

  坐禅修行と言っても仏道修行と言ってもよいが、普通の人とは違う活動をする。体操選手が練習して鉄棒でクルクル回るようになる、マラソン選手がより早く走るようになる。努力して成果が出る、結果を出そうとして努力する。同じように坐禅修行の結果は悟りである。それは脱落である。こう考えて間違いはないであろう。

  それで一生懸命坐禅するのであるが、なかなか成果は得られなかった。足の痛さは克服できるレベルではなかった。感情の変化はさまざまで、あれは悟りではなかったか、今度のひらめきは本物ではないかと必死の思いで座った。そんな日々が毎週、毎月、毎年続く。することは単調に坐るだけ。いつまで?何かが起こるのか?起こらないのか?結局どうなっていくのか?

  結果が出ないとは限りがないということだ。どこまで坐ったらいいのか。日常行為と坐禅修行との区別はあるのかないのか。入力より脱力の発想もありだろう。読経や学問は助けにならないか。儀式や書道も必要ではないか。何をどこまで追求すべきか?

  「学道用心集」には「果報を得んがために仏法を修すべからず。霊験を得んがために仏法を修すべからず。」とある。霊験も果報も初心者が思い描く悟りである。有所得心が求めるものだ。では無所得心が無結果の修行をできるのか?

  決め手がなく方向がわからず脱け落ちる何かを求めて右往左往する中でひそかに焦りが生ずる。内山老師は「まず十年坐ること、もう十年坐ること、さらに十年坐ること。」と目安をまとめていただいたのだが。

  ある日台所で、左官屋が竈門を修繕していた。老師が通りかかった。「仕事ができるようになるには何年かかりますか?」「まあ十年ですな。」「なるほど、何事も十年やって半人前ですね。」十年坐ればよいという意味ではなく、一人前になる結果を前提としての「十年」だった。では十年で結果が出なければどうなるか?

  暗中模索が続いた。皮肉なものである、仏教を勉強したために答えのない困惑が生じた。葛藤の毎日が続く、落ち着く暇がない。成果が上がらないため無力感が湧く。坐ると頭痛がする、禅魔境かもしれない。座り続けると気が狂うかもしれない。坐禅するのが怖くなった。

  以上は論理的な説明だが、人生は論理だけではない。食うための心配がある。禅仏教には無所得の考えがある。所得無しで生きられるかどうか。手探りしながら努力することが有所得心なのだ。矛盾に直面して、焦慮と苦悩の日々が一年また一年と過ぎて行った。

  日常生活では友達と語らい笑うこともあった。そのときも一事が足を引っ張る。自分には脱落が解らないという一事があった。坐禅中にときどきひらめきはある、心地よい気分になることもあった。しかし苦悩と不安は帰ってきた。心境の変化に一喜一憂し失望する繰り返しだった。疲れた。十年目が近づく。

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  1980年、八月だった。早朝ひとりで坐っていると、なんの前触れもなくあらゆる苦悩がふっと消えた。その瞬間安楽の中にいた。経験したことのない心の平和そのものだった。何が起こったか思い出そうとしたときには、一瞬前の苦しい記憶が飛び去っていた。何を悩んでいたか思い出せなかった。世界がガラリと変わった。

  頭をよぎったのは、内山老師が「自己」に書かれた場面だった。ひとりでお寺で坐禅された夕べ、予期しない心の平安が訪れたそうである。

  老師はそれ以来思いの手放しの坐禅を弟子にも人々にも勧められた。私は教えられた通りに坐禅した。同じ坐禅をしたから同じような体験が弟子に訪れたのだろう。老師が伝えられようとされたことがなんだったか腑に落ちた。

  沢木老師は師資相承を人格と人格が伝わると表現されたのだが、坐禅が人格を相承することはあり得た。坐禅を通した以心伝心だった。

  以前の苦悩が戻ってくると待ち構えたのだが、五日たっても十日経ってももとの悩みは帰ってこなかった。その日の出来事は心境の変化ではなかった。苦悩が戻ってこないため坐禅は怖くなくなった。いくら坐禅しても大丈夫だよと誰にも勧められるようになった。

  坐ることだけが大切だと師は強調された。やっただけはやった。利人鈍者を択ばず、上智下愚を論ぜずとあるが、たしかに坐ることは誰でもできる。坐行が一等大事なら利巧か鈍感か、知識の豊倹などは問題ではない。世間では利鈍賢愚が大問題だが坐禅には効かない。

  あの瞬間はなんと名付けられようか。自分の思いではなかった。坐禅が自我と自身を乗っ取った感じだった。坐禅の力が苦悩を吹き払った。それは仏教学が言う「定力」が相応しい。定は禅定だ。坐禅には力があった。禅定力は生を抑圧する苦悩を除去する力を有していた。坐禅の力を実感した。

  2010年のはじめ、ひどい五十肩で半年間激痛に苛まれた。六月になって整体術の方法を使った結果、激痛が一瞬のうちに消え去った。あらゆる痛みが瞬間蒸発した。身心脱落というが文字通り、赤子だけでなく、ひとは身も心も本来は無苦痛であり無苦悩だと悟った。

  現実のひとの生活は少苦、少痛、少悩だ。まったき苦痛苦悩ばかりではないから希望や勇気や愛が生ずる余裕がある。人生苦を直視して修行された釈尊は、本来の自己に帰られたとき解脱されたのではなかったか。  

  「宝慶記」は記す。「堂頭和尚示して云く、参禅は身心脱落なり、焼香礼拝念仏修懺看経を用いず。只管打坐のみ。拝問す、身心脱落とは何ん。堂頭和尚示して云く、身心脱落は坐禅なり。只管打坐の時五欲を除き五蓋を離るなり。」

  道元禅師と如浄禅師のこの問答で身心脱落は理解できる。しかしたとえ入門時に読んだとしても、身心脱落も只管打坐も、道元禅師には解っても自分には解らないという事実に直面しただろう。解らなければ、身に覚えがなければ、先人の引用文に頼るだけの一生に終わっていたであろう。

  「悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。」

  身心脱落は、苦悩に満ちた人生も間違いだらけの世界観もひっくり返す。それはぱっとひらめきがあった部類の心境の変化ではない。仏道の中に在って修行する者の安らぎである。

  只管打坐は刻々に坐り、坐りする瞬間の話ではない。人生を背負っている坐業だ。参禅はお寺の坐禅会にときどき参加するという意味ではない。生老病死の人生苦を解脱するために発心、修行、菩提、涅槃された釈尊の事跡をならふ修行だ。

  身心脱落は悟って終わりではない。悟ったらその迹を吟味し、深い意味を理解し直す。正見、正思が合致したら正業、正命(正しい活動と生活)を続ける。長長出は努力し続け修行し続けることだ。

  大乗仏教も小乗仏教も釈尊のお悟りの長長出だ。完全な悟りを得られない凡夫ではあるが、仏弟子はひとりひとりが善業を長長出してきた。伝承されてきた坐禅に救われたなら、自己がすべきことは報恩行で、できるだけ多くの人に正しい坐禅を伝えることだ。それが使命であり、仕事であり、生きがいである。

  仏教は意識せずとも、何度も聞きたくなるような歌謡曲を長長出される方もおられる。同じネタなのにいつも笑わせられるまで話芸を磨かれた落語家もおられる。それぞれに悟り、美語、真語が光り輝く。

池田永晋

正法眼蔵現成公案書き置き(3)

   正法眼蔵現成公案書き置き(3)

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  自己をはこびて万法を修證するを迷とす。万法すすみて自己を修證するはさとりなり。迷を大悟するは諸仏なり。悟に大迷なるは衆生なり。さらに悟上に得悟する漢あり、迷中又迷の漢あり。

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  ここから正宗分、本文が始まり、仏教の要諦を諄々に説明される。この節は仏教用語がわかれば理解しやすい。自己と万法を白紙に書いて矢印で方向を示せば迷と悟が正反対の関係にあるとわかる。自己が何とかしようとするのが迷いで、万法の方から悟りはやってくる。

  悟に大迷なるは衆生なりとは、悟がなければ迷ばかりだが、悟ったと思う迷いもある。迷いに迷う事実を迷中又迷とされた。どこまで迷っているか分からないほどにわれわれは迷っている。単純ではない。

  さとりも一筋縄ではいかない。悟にも浅深広狭の違いがある。解説し始めると他人事の説教になるので、原文をそのまま呑み込むのが良い。道元禅師が自由自在にさとりについて記されていることに感謝する。

  仏教用語は、悟りとは何か、迷いとは何かなど、それぞれ定義されている。しかし理解したら問題が解決するような平面的な話ではない。真実は何か、参究し続ける求道心が求められる。正法眼蔵は坐禅修行しなければ解らないと言われる所以である。

  「菩薩はまさに常住の慈悲心孝順心を起こし方便して一切衆生を救護すべし。」これは十重禁戒第一不殺生戒の一節である。

  釈尊の弟子になることを得度という。出家得度と在家得度の別があるが、不殺生戒は両者とも受ける。師匠が不殺生についての戒めを簡潔に語り、「汝 能く持つや否や。」と確認する。弟子は戒を「能く持つ。」(よくたもつ。)と返答する。不盗戒、不淫戒など十戒あるが、同じ形式で戒めが諭される。

  儀式であるが違和感があった。「菩薩」と呼び掛けられるのだが、菩薩とは得度を受けている本人である。凡夫である。誰よりも煩悩に塗れているからお釈迦様の弟子になり、修行して菩薩になりたいと志す。

  ところがすでに仏になる前段階の菩薩だと語りかけられる。「ちょっと待ってください、菩薩になるのは早すぎませんか。」と返したかった。実感と異なるが、得度は公式に凡夫の位から菩薩の位へ引っ張り上げることであった。得度以後は凡夫とは異なる次元で参学修行する。

  得度を、沢木老師はユーモアをまじえて、ヤクザの親分と盃を交わす儀式に喩えられた。子分になれば敬語の使い方も日常生活の心構えも普通に仕事している人々と違ってくる。盗みの技術も向上する。それなりの人脈ができ、だんだんと本物のヤクザになる。反対の意味で得度も同じようなものだと言われた。

  前四文は、はじめの印象とはうらはらに結論は花と草の話だった。本来の仏法ではなく観念としての仏法を追い求める修行者の話だった。観念としての仏法と仏道だったので、悟りという花は得られなかった。深淵高尚な概念を振り回してもじつは人情のレベルだった。

  本文、正宗分は因縁分の瑕疵を訂正する文章から始まるのが自然だ。それで迷悟から始められたのだが、ただし凡夫が考える迷悟ではなく、仏法としての迷悟について述べられた。くらいが違う文章と感じるのは、この節の迷悟は仏法の中の迷悟だからだ。得度した者にとっての迷悟だからだ。

  正宗分は流通分まで続く。流通分(るづうぶん)はまとめで、同時に正宗分で述べた教えを宣揚し流布する役割がある。教えの通りに修行すると悟るとか、教えは真実だから布教しなさいという表現になる。

  正宗分は仏法の中の話だという設定は現成公案巻に貫かれている。全体を通して混乱のない端正な文章が続くのは、解脱された仏の世界と解脱の原理に裏打ちされた悟りの解説であるからだ。

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  諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。しかあれども證仏なり、仏を證しもてゆく。

  身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず。一方を證するときは、一方はくらし。

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  仏は古代インドのあるときにルンビニ園でゴータマ シッダルタとして生誕された。若くして人生は苦しみに満ちていると気付かれた。一子を得られた後出家され修行に専念された。そのご生涯は発心、修行、菩提、涅槃と要約される。菩提は苦を解脱されたこと、涅槃は無苦の生活あるいは御逝去である。

  仏教は一神教ではない。それを端的に表す言葉が諸仏である。大乗仏教は、仏国土が無数にあって、一つ一つの仏国土にひとりひとりの仏が出現していると考える。阿弥陀如来はよく知られているが、西方に浄土という仏国土があり、そこの仏である。浄土の国で法蔵菩薩が発心修行され菩提を得られた結果阿弥陀仏になられた。

  東方にも北方にも仏国土がある。娑婆世界はたくさんある仏国土の中の一つで南方にある。南閻浮提、(ナンエンブダイ)という。ヒマラヤ山脈の南の国である。釈迦牟尼仏は娑婆世界に出現された。

  過去現在だけでなく未来にも仏がいる。弥勒菩薩の名が知られていて、途方もない未来の仏だ。薬師如来もおられる。医術の仏で拔苦与楽の専門家だ。慈悲の仏なら観音様がおられ、いつでもどこでも出現される。

  諸仏はもともと大家族が群居するイメージだ。人は家族の中で誕生し、共に生活し、家族に見守られて逝く。それぞれの大家族には家長が居る。同じように仏は菩薩や在家者とともにある。ひとりひとり独自の個性を持つが孤独ではない。複数の仏がおられるから複数の価値観が当たり前になる。

  一神教だと価値体系が一つになるから他の教説は受け入れられ難い。思考の排他性は生まれながらの人間性と調和するかどうか。

  菩薩のサンスクリット語は Bodhisattva で、菩提薩埵と漢訳された。菩提も薩埵も独立して用いられる。 Bodhi は智、道、覚、 Sattva は生あるもの、衆生、有情の意味だ。菩薩は二つの異なる意味を合わせて簡略化された仏教用語だ。字義から、仏道を志ざす者を菩薩と呼ぶ。仏道修行者は菩薩である。一般的に、仏は菩薩が仏道修行したあとに成る。成仏という。

  この節は前後に分かれ、それぞれ二文で構成されているが、内容から見て第二文の「しかあれども證仏なり、仏を證しもてゆく。」が根本で結論だ。これまで見てきた文章の類型からは外れている。同じ型ばかりではマンネリズムに陥る。文章道に秀でておられた証拠ではないかと思われる。

  辞典には、證は証拠、證書、証券などと使用されるように、證と証とは同じ意味を表すとある。明らかな拠りどころ、確かな書類、本物の引換券のように使われる。形容詞だけでなく、「證しもてゆく」は明らかにする、確かにする、本物になると動詞として用いられた。

  證仏は明らかに確かな仏、本物の仏そのものという意味だ。ただ置物のような存在であるだけではなく生きて活動される。「仏を證しもてゆく」は、仏が仏に澄み清くなり自己実現していくことだ。

  後段に、「現成公案なり。現成公案す。」と表詮される文章がある。「證仏なり。仏を證しもてゆく。」と同じ形式だ。内容も同じかもしれない。

  仏法と仏道は切り離せない。老齢期に足を踏み入れて分かったことは、肉体運動しなければ生存はないという法則だった。運動の後に思考能力を持つ自己の存在がある。血の流れと体温の維持は生命存続の前提条件だが、運動すればこそ筋肉が熱を発し、リンパ液や血の巡りが良くなる。寝たきりの先は死があるだけだ。

  理性が先か実践が先か、観念が上か行動が上か、概念と格闘した日々はなんだったのか。

  因縁分ですべてが仏法だという概念が並べられ議論されたのは、そもそも仏法は仏道とは別だとする前提があったからだ。概念の研究と議論の非生産性に気づいて別の方法があるだろうと考えて求めたのが仏道だった。だからその仏道もまた仏法から切り離されていた。

  同じ誤ちに落ちないために、「仏が仏であるとは、仏ご本人が自己実現し確かな生命活動をなさるからである。」(證仏なり、仏を證しもてゆく。)と宣明された。

  「諸仏のまさしく諸仏なるときは、自己は諸仏なりと覚知することをもちいず。** 身心を挙して色を見取し、身心を挙して声を聴取するに、したしく会取すれども、かがみにかげをやどすがごとくにあらず、水と月とのごとくにあらず。一方を證するときは一方はくらし。」

  「まさしく諸仏なるとき」こそ「證仏なり、仏を證しもてゆく。」なのだが、自己は仏なりと覚知できるとは限らない。「身心を挙して色を見取し」以下は「覚知することをもちいず。」の内容である。

  わが身を知ることは自己を知る第一歩である。手足を見、触って腹をマッサージすることはできる。しかし背中を見ることはできない。痒いところには手が届きかねる。肺や腎臓や肝臓がいかに働いているかなどはまるで分からない。自己が自己を十分に覚知することはできそうにない。

  オリンピックで世界記録で優勝などのニュースがときたまある。華々しいパフォーマンスについて聞くと、あの時は無我夢中で、神様が後押ししてくれた感じだったと振り返られることが多い。本人はただ目標に向けて努力した、評価はあとからついてくる。覚知は妄覚となって記録樹立を妨げることの方が多い。

  覚知を待ってする成仏はない。仏になるほどの方なら、内外の覚知や評価に頼らず、自らの請願に沿って精進されるはずである。

  覚知論は、「真実は覚知できるか。」という問いに集約する。赤ん坊が聞くような素朴な疑問だが、研究していくと奥が深すぎて結論が出ない。ギリシャ哲学や近代西欧哲学においても研究され、量子力学が出現すると物理学までが覚知論、認識論に踏み込まざるを得なくなった。それでも分からないことばかりだ。

  覚知は、鏡と影、月と水のような、主観客観の単純な図式では理解できない。外界内界のあらゆるものを見つくし知り尽くしたとしても、覚知の本である眼や意識を見ることはできない。だから「一方はくらし」だ。しかもどこまで暗いのかどこまで暗いことが肝心なのかさえ判らないほど「暗い。」

池田永晋

正法眼蔵現成公案書き置き(2)

    正法眼蔵現成公案書き置き(2)

  諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。

  万法ともにわれにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。

  仏道もとより豊倹より跳出せるゆえに、生滅あり、迷悟あり、生仏あり。

  しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜にちり、艸は棄嫌におふるのみなり。

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  現成公案巻の最初の四文は見事な韻文で、読んだ人は誰でも感動するだろう。八百年ほど前にこれほどの文章が三十歳の禅僧によって書かれたとは信じ難い。現在でも通用する美文で、日本語の良さが余すところなく輝いている。

  美文と論理に驚愕した人は私だけではない。注釈書には劈頭の四文を称賛する言葉が並んでいる。一文一文が仏法そのものであることを称揚しきれない、褒めたりない心情が吐露されている。

  諸法は諸々の存在物だからあらゆるものである。それらが仏法なる時節には迷悟も修行も生も死もなんでもある。仏法の世界は仏陀の理法が行き渡っている極楽のようなもの。ひとばかりでなく動物植物までもが仏の慈悲に恵まれて生きる。時節はあらゆる時節、いつもという意味に解される。ありありありである。

  ところが世界は一面だけではない。昼があれば夜もある、夏の反対は寒い冬だ、生があれば滅もあり、善があれば悪もある。第一文だけでは世界の半分しか表されていない。そこで第二文では世界の否定面が示される。われにあらざるとは無我である。その時は世界の否定が徹底的になされる。なしなしなしである。

  第一、第二文は仏法についての叙述であった。仏法ではあるが観念に偏った文章である。第三文は仏道について語られる。仏道は仏法を実際に行ずること、その方法と正しい行じかたである。観念に対する行為の問題である。仏道は常識的、相対的な豊かさや倹(少ない)を跳び越えている。行為にとっては現実に何でも起こりうる、あらゆること、ものが存在する。ありありありである。

  現実世界では仏法が行われているとは言い難い。誰でも彼でも人生においてうまくいかない人の方が多いであろう。それで第四文では咲いていて欲しい花が散り、邪魔な草が生い茂る。現実に帰れば仏の理想世界はない。理想主義によって現実から目を逸らしてはならない。

  これまではおおむね以上のように解釈されてきた。

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  まず文章の形式について考えてみる。これら四文は一つのまとまりになっている。内容を吟味しながら読んでいくと、起承転結の型ではないかとおもわれる。それで文意が理解できるかどうか検証しながら行きたい。

  文型の特定がなぜ必要になるかといえば、第四文の位置付けがはっきりしないことがときたまあるからだ。仏法や仏道で大上段に振りかぶった感のある前三文と比べて、第四文は花や草の話になる。美麗壮大な抽象語との落差に面食らう人が出てくる。そこで第四文を前三文から切り離して独立文と見做すとか、後の段落に推しやるなどの混乱があった。

  起承転結の文章だとすると第四文の位置は結文だと決まる。文型が決まれば解釈するさいも迷うことが少ない。見聞不足かも知れないが、現成公案の注釈者の中で、起承転結の文章類型について語られた例は見たことがない。

  日本で流行する歌謡曲には起承転結の歌詞と曲が多い。北上夜曲、吉田正作曲の異国の丘、藤山一郎の青い山脈、圭子の夢は夜開く、北島三郎の兄弟仁義などなど。起こし、承継、転換、結びのリズムはわれわれの体に染み付いている。

  起承転結は現成公案巻の至る所に出てくる文章作法で、初めの四文だけでなく、段落ごとに区切ると四段ごとに内容がまとまる形式にもなっている。漢詩の表現方法に裏打ちされた和文だ。書く方は論理の展開と帰結の型が決まっているので伸びやかに書ける。読む方は落ち着いて文章の流れを辿ることができて理解しやすい。文章のリズム、論理のリズムが創られる。詩のように躍動感溢れる文になる。

  第二の特徴は、前二文は断定文ではなく条件文になっている。諸法の仏法なる時節ときてありありありと締められる。万法のわれにあらざるときてなしなしなしと断定される。内容は全世界を表わす諸法と万法の話である。だから堂々たる世界観を提示されているように感じる。

  ところが目を凝らして読むと「時節」となっている。普通にはその時はと受け取る、少なくともいつも必ずということはない。節はフシで限りがあるから、時間でも時節なら有限だ、常にというわけにはいかない。仏法である時節と仏法でない時節の二つの条件が一文の中に含まれている。華麗な言葉を連ねながらさりげなく根本的な弱点を挿入する文章の芸術に驚かされる。

  第一文は諸法が仏法の時だけあるあると言っているだけで、仏法でないときのことは見落としている。一文で二つの答えが必要になる不安定な文章だ。さらに悟、生、諸仏はよいとして、仏は迷、死、衆生は克服されたはずだ。なぜ迷悟と並列される?

  第二文は万法のわれにあらざる時節だからやはり二つの答えが必要だ。その上に、われにあるとあらざるの二通りが考えられる。なしなしだけの述語で片付けられるような単純な論理ではない。

  一見壮麗堅固な宮殿のように見えた第一文と第二文は、じつは不安定な、結論定かならぬ条件文だ。ところで吹けば飛ぶような第四文を読み直すと、不思議なことに一番まともな断定文である。「華は愛惜にちり、艸は棄嫌におふるのみなり」と結論されている。見た目通りであるが、意外に思われるのではないか。花や草がなぜ断定的な結論になるのか。

  手紙でもエッセイでも小説でも、通常は初めの文章は導入部である。書き出しがあって本文が続く。経典も同じで、因縁分、正宗分、流通分の形式で書かれることが多い。因縁分が導入部に当たる。

  このような作文の常識が現成公案巻の解釈に限っては無視されてきた。この一巻に御開山の宗乗がすべて書かれてあるみたいな、初めから世界宇宙の構造が書かれてあるとする見方が多かった。最重要な結論を先に書かれるのが道元禅師の癖と言われた方もおられる。

  トルストイは「戦争と平和」の書き出しを二十回直したそうだ。小説家にとって書き出しでまず興味を持ってもらうことがいかに大切かがわかる。平家物語も「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」の見事な韻文から始まる。漢詩をたしなむ知識人にとっては韻文を駆使するのはごく普通の感性だったのかもしれない。現成公案巻の因縁分は大成功だった。一度読めば忘れられない名文である。

  公案禅はいかなる禅なのか。よく知らないのだが、坐禅中に公案を拈堤して師家に解答を示すことが重要な修行と聞く。修行のゴールは悟りを開くことのようだ。得悟は釈尊と同じ悟りを開くことであろうから容易なことではない。学問だけではなく道場での出処進退や生活作法も師匠から教えられるだろう。それは道元禅師も同じ道を辿られた。その結果明全和尚から法を継がれた。

  公案禅修行者にとって得悟は死活問題となろう。一大事が成就するかしないかの分岐点である。ここで時節の語が出てくる。修行者にとっては悟りの前と後とでは雲泥の差がある。悟ったときは欣喜雀躍、手の舞い足の踏むところを知らずと書かれた方にお目通り叶ったこともあった。

  第一文と第二文は公案拈堤の内容ではないか。世界と宇宙を拈堤するのは宋の臨済禅でも行われていた。その一端は道元禅師が帰朝直後に書かれた「普勧坐禅儀」に示されている。世界宇宙の一切を把握するギリギリの瞬間はすぐそこまで来ているはずなのだが、あと一歩のところで手が届かない。仏教の根本概念の追及とともに、ありあり、なしなしの肯定と否定の両側面から思量は続く。

  悟りの時節はなかなか来ない。時節は到来しても気づかないかもしれない。悟りが素通りしたあとさらに拈堤が続く。時節は到来していないとどうしてわかるか。いつまで修行し続ければいいのか。悟るまで、しかし仏の悟りを師匠とはいえ人が認定できるのか。悟りを求めながら終わりのない迷いに入る。そもそも悟りとは何なのか。

  そこで第三文の出番である。諸法や万法、仏法の思量拈堤といっても結局は言葉の問題ではないか。言葉なら何もかも妄想だ。相対的な概念、妄想を跳び越えたところに実行としての仏道がある。仏道は頭で考えることではない、言葉の壁を破ってこそ真の生命活動がある。仏道を行じなければ悟りは来ない。あらゆる現場、あらゆる行為が仏道である。坐禅だって一つの行為ではないか。ありありありだ。

  前三文は公案禅修行者の論理と心理を描写したものだと考えられる。では異なる論理と心理の禅があるのかという論議になろう。ヨガとか瞑想とかいろいろ持ち出されると思うけれども、私の知るところを記すにとどめる。

  曹洞宗で道を得られた道元禅師の坐禅修行は「正法眼蔵坐禅儀」に示されている。静かに手を組み足を組んで座蒲の上に坐るだけである。一時間坐れば一炷の坐禅だが、何十年も取り組む人もいる。特徴的なのは悟りを求めないことである。ただ坐るという行為が自然に不染汚の人格として現れる。それだけだ。特殊な行ではなく何か果報があるわけではない。無理がなさすぎ呆気なさすぎて手応えがない。

  ここまでくると第四文の意義はお分かりだろう。「しかもかくのごとくなりといへども」とは、前三文のように公案を拈堤し、解答を探し求め、行動に移すというような参学修行は「華は愛惜にちり」、仏法の悟り及び仏道がもたらす功徳という果実を得ることはない。それどころか心理的に荒れたり絶望したり、邪説に飛びついたりといった艸が生える。これが結論だ。

  多くの修行者は仏法だと信じて参学し、仏道だと信じて修行するのだが、いつまでも答えが得られず暗中模索を続ける。それが禅修行の現実だ。悟りは観念の上でも行為の中でも、求めて得られるものではない。

  これら最初の四文が現成公案巻の因縁分で、本文への導入部になる。ではどう考えればいいか、何が仏法か、何が迷悟で何が修行なのか、問題と解答を示される文章の展開が予想される。

池田永晋

正法眼蔵現成公案書き置き(1)

    正法眼蔵現成公案書き置き(1)

  正法眼蔵 現成公案

  正法眼蔵現成公案の巻は二祖孤雲懐奘禅師編纂による75巻本の最初に位置付けられた。第一巻に置かれたのではじめに目に入る。在家信者宛の書簡ということでやさしく、正法眼蔵の中ではもっともよく読まれている。

  注釈書も多くまた翻訳書も多い。キリスト教会の説教材料になるほど論理的でありながら文学的な描写が多い。道元禅師といえば現成公案の悟りというまでに知れ渡っている。

  何世紀にもわたって読まれ研究され尽くした現成公案巻についていまさら何を語るのかと訝しげに思われる方は多いだろう。私自身が同じ認識であった。道元禅師の直弟子をはじめ多くの祖師がたが研鑽され発表されてきた巻である、浅学非才の出る幕はないと思ってきた。

  先達は真摯に坐禅修行され学業に優れた方々である。好きなだけ坐禅はしたけれども生来の怠け癖は一生克服できなかった身とは比較にならない。長い間正法眼蔵について語る資格はないと決めていた。

  仏教とは何か、坐禅とは何か、修行とは何か、仏法とは何か、真理とは何か、自己とは何か、日本とは何か、日本人とは何か、国家とは何か、歴史とは何か、世界とは何か、人生とは何か、学問知識とは何か。子供が持つような疑問を抱えたまま時間だけが過ぎた。読書は好きだったし勉強もしたつもりではあったが、ほとんどの疑問は解決しなかった。

  私が道元禅師門下、安泰寺の内山老師の法莚に飛び込んだのは、おおかたは人生問題解決のためだった。上に疑問形で書いたことはすべて切実な問いだった。全部解決しなければ落ち着かない問いかけだった。曹洞宗には全面的にお世話になったのだが、自分の救いを得られるかどうかは自分自身の問題だ。

  ヒントはあった。激痛、苦悩に苛まれると大きな発見があった。一期無常を知ったのは五十肩の激痛に苦しんだときだった。頼ったのは現成公案巻の薪と灰の一節だった。坐禅の力を知ったのは幼少からの苦悩が一瞬のうちに消えたときだった。定力を思い知ったのだが、それを表す言葉は思いつかなかった。

  昨年の秋、なんの前触れもなく上記のようなすべての疑問が解決した。70歳を超えていた。端的にいうと、釈尊は四苦八苦に代表される苦悩からの克服脱出を求め、それに成功された。解脱という。解脱されたとき真理が見えた。それが仏法が顕現したときであった。

  具体例を挙げる。私は坐骨神経痛を患った。尻と腿裏の神経が痛くなり、座れなくなった。医師に整体師を紹介され少しは良くなったがはかばかしくない。一年ほどしてスポーツジムに通いはじめた。始めはおぼつかなかったが歩き、櫓を漕ぎ、柔軟体操をした。まもなく地力がついて、身体が運動に慣れ活力を回復した。そして坐骨神経痛は癒え、腰や膝の痛みも消えた。

  運動不足が現代文明病の原因であるとは整体師 Pete Egoscue 氏の名言である。身体の痛みのほとんどは運動不足と間違った運動からくる。正しい運動が修行で、無痛になれば解脱だ。運動不足が現代文明病の原因だという真理が見えてくる。このことは修行の必然性をも教える。読書や理解は十分でなく、実際に運動しなければ無痛も真理も得られない。身体運動、修行、活動は人生の根本だ。曹洞宗が道元禅師時代から修行を強調されたのには確かな理由があった。

  神経痛を発症する六ヶ月前にチェーンソーで左足を切って半年間松葉杖状態で運動できなかった。文字通り運動不足が坐骨神経痛の原因だった。多くの医者は対症療法だけに関心があって原因を探究しないようだ。医者が教えてくれないので治療法がなかなかわからなかった。

  釈尊は一切苦を解脱された、だから一切智を得られた。われわれは有限な知力と体力しかない。ひとつひとつ参学修行するしかない。得られる知恵は浅く狭い。それでも正しい知恵に基づいた修行生活をすれば苦悩が少ない人生を送られ、混乱が少ない社会が実現できるであろう。その方法は八正道として残されている。

  われわれは悟りを求め仏法を勉強することが良いと思ってきた。得悟の前提条件が坐禅修行であり、深く学問することが仏法を知解することに繋がると考えて努力した。しかしその結果誰が悟りを獲、誰が真の仏法を諦めただろうか。明快な答えがないことがあたりまえと思われていないだろうか。

  何かがおかしい。人知と仏智を混同していないだろうか。悟りも仏法も真理も、求めるのは貪欲ではないのか。三毒の一つである貪欲が得たものは真理たりうるか。それは仏法たりうるか、悟りだろうか。

  このような観点から正法眼蔵を読み解いた祖師がたはおられなかった。坐禅しなければ現成公案は解らないとか修行すれば深い境地が開けるとは言われるのだが、その通りだと思うのだが、文章と自己、仏教用語と日常生活との関係が直結しないきらいがあった。

  以下に書き置くのは、私が五十年以上修行し理解できた果実である。修行参学のヒントにしていただければ幸いである。

* * * * * * * * * * 

  注釈書を開けると多くの祖師がたは、現とは何か、成とは何か、公とは何か、案とは何かという解説からはじめられる。漢字に深い意味があると教えられるし、深く言葉を知らなければと思い知らされる。

  たとえば詮慧禅師は御抄で、「もとはあらはれざりつることを、今現成するにあらず。隠没に対したる現成とは心得べからず。」と註された。西有禅師は正法眼蔵啓迪で、「隠顕存没にかかわらぬを現といふ」「成壊にかかわらぬを成といふ」と言われた。

  現成は現れて成るだから何かが目に見えて出来上がるイメージだ。ところがことごとく反対の意味だとされて、それが仏法の深い読み方だと言われる。では長年「隠没に対したる現成と心得ず。」と言い聞かせてみたら現成がわかるだろうか。何が分かったのだろうか。五十年経っても解らない。これはどうしたことか。

  本文では後半に現成公案の語が二回登場する。その箇所で詮慧禅師は現成公案について一言も触れられない。なぜだろうか。解題の場での否定的な解釈が文脈と矛盾するからではないか。西有禅師も同じく何も語られない。文脈の中で説明できない事情があるのだろうか。

  手紙はふつう、挨拶、物語の叙述、もっとも伝えたい物事、締めの挨拶で終わる形式が多い。本文中の現成公案は道元禅師がもっとも伝えたかった言葉であったのではないか。その場に来て何も注釈しないのは不可解だ。正宗分、伝えたい本文を無視している。

  内山老師は解題にも力を注がれたけれど、本文の中の現成公案の用語も丁寧に説明された。文脈の中で整合性がとれている。古人を超える画期的な業績である。七百年かかって新しい解会が受け入れられるようになったのかもしれない。

  解題で講釈が続くのは、文脈から離れた文字の一般理解を披露されているようだ。それで現成公案とは何かわかればいいのだが。

  西有禅師の啓迪を引用する。「この御巻は開山の皮肉骨髄である。開山御一代の宗乗はこの巻を根本として説かれてある。御一代の仏法はこの一巻で尽きる。九十五巻はこの巻の分身だ。およそ古人が宗乗を拈堤せられるのには、必ず前人未発の一句があって、一代の宗乗は皆それを本として唱えられる。その一句はよく一生を貫く一句だ。古人に二言はない。だからその一句はその人の法身である。中略。開山は十方世界を現成公案と見込まれる。これが開山の鉄語なのだ。中略。ゆえに開山の一代時教は、この現成公案の一句で尽きる。」「現成公案とは、宇宙法界の本然自性、あり目通りということだ。宇宙法界は無量無辺である。古今があり、三世があり、十方があり、迷があり、悟があり、諸仏があり、衆生があり、生があり、滅がある。そのほかいくらでもある。」

  正法眼蔵啓迪は西有禅師の講話を筆録して出版されたものであるが、講談を読むように面白い。現成公案が書物と仏法と開山つまり道元禅師の人格とともに絶賛されている。現成公案が世界を表し、現成公案巻さえわかれば全仏法が解ると説かれている。現成公案は万能である。他の祖師方も控えめではあるが同じように語られている。

  私も出家した当時、血湧き肉躍る思いで読んだ。自信に満ちた高揚する言葉の連続で、禅は世界を飲み干すほど偉大なもの、修行を続ければこれほどまでの境地が得られる、こんな禅僧が実在されていたのかと驚きながら拝読した。もちろん全巻を読み面白いから何度も読み返した。

  しかし「御一代の仏法はこの一巻で尽きる。」とは具体的にはどういう意味なのだろうか。「開山は十方世界を現成公案と見込まれる。」「開山の一代時教は、この現成公案の一句で尽きる。」などは大変勇ましい表現だが、真実なのだろうか。

  現成公案の位置付けを西有禅師と同じように考えている方は多いように見受けられる。アメリカ人の初学者からも聞いたことがあるので、現成公案巻さえわかれば全仏法がわかるという説は広く知られているようだ。

  しかし「現成公案とは、宇宙法界の本然自性、あり目通りということだ。」という知識を得たとして、それは具体的に何を意味するのだろうか。何になるのだろうか。極論すると高尚かつ抽象的な言葉を繋ぎ合わせただけのようにも見える。仏法にとって言葉は何かという問題もあるから簡単に答えは出せないのだが、修行に資するとは思えなくなった。

  もうひとつ極論を述べると、文脈を見ないで解題だけに注力するのは、漢文字のイデオロギーを演説していることになるのではないか。仏法の話をしているようでいて、じつは漢字の解説をしているのではないか。文法が曖昧な表意文字だから一文字一文字について細々と説明できるに過ぎないとも言える。英語だったら表音文字だし文法がきちんとしているから文字の扱いは格段に変わる。

  解題が延々と続くのは支那仏教、つまり漢字に翻訳された仏教に特有な方法であろう。漢字化された仏教が仏法といっても、それはインドで釈尊が発明された仏法とは異なるのではないか。漢字のイデオロギーというこれまでにはない見方が成立するのではないかと考えられる。

* * * * * * * * * 

  正法眼蔵現成公案は、正しい公案があるとすればそれは現成公案であるという意味だろう。公案は道元禅師が宋に渡って見られた臨済禅、公案禅の公案だ。道元禅師の師匠は明全和尚、その師は栄西和尚だ。日本で公案禅を深く修行されてから渡宋された。公案とは何かと問題意識を持たれたのは当然だ。解題はこれだけで十分だろう。あとは文章の展開に合わせて要点を解説したい。

池田永晋

日本の行方(5)教相判釈

      日本の行方(5)   教相判釈

  一般的に仏教についての知識はどこからきたのだろうか。まず仏教は仏の教えだ。もともとシャーキャ国の王子シッダルタが悟りを開かれた。得道成仏とされる。シャーキャ族の尊い師という意味で釈尊と称される。お釈迦様、阿弥陀仏、大日如来など別名の仏様もある。

  大乗仏教と小乗仏教の区別がある。日本には大乗仏教が伝来したとされ、’大乗相応の地’という言葉もある。北伝仏教と呼ばれる。南伝仏教は小乗仏教だ。

  お釈迦様以外に傑出した人物として摩訶迦葉、アナンダ、龍樹、世親大和尚など。中国では鳩摩羅什、玄奘三蔵、天台大師、大鑑慧能、臨済義玄など。日本では弘法大師空海、伝教大師最澄、法然、親鸞、日蓮、栄西、道元など。各宗派にはそれぞれ偉人が輩出している。

  専門用語では諸行無常、因縁、仏道、仏法。色即是空、空即是色、アノクタラサンミャク三菩提などは般若心経に書かれている。観音経は妙法蓮華経の一部で、法華経の中で一番よく読まれている。観音菩薩像の人気は本家をしのぐ。法隆寺の釈迦三尊像をはじめ全国の寺院で仏像が鎮座している。各宗派は依拠する経典があるが、禅宗は根本経典がない。曹洞宗は例外で道元禅師による正法眼蔵が事実上の聖典になっている。

  この辺りが教科書に書いてあり友人同士の会話で交わされる単語、概念、知識ではないかと思われる。仏教は千五百年前から日本に伝えられ参究されてきたから、深く調べればどんな文化事象もありうる。また仏教は多様性を極めた教えで、経典にはあらゆることが書いてある。

  日本は仏教国と言われ、ほとんどの人が仏教徒であることを当然だと思っている。仏教寺院は都会から田舎まで立ち並び、仏教行事は花祭りから法事、葬式、墓参りと日常生活に密着した活動が多い。お経を勉強する人は多く、日常語にも地名にも仏教由来の言葉は多い。

  世界観や人生観にしても日本では仏教思想を元にできていることが多い。慈悲の精神や智慧の探究はもともと大乗仏教の教えであった。布施や不殺生戒も仏教用語である。徳川綱吉の生類憐れみの令が有名だが、時には仏教が政治に大きな影響を及ぼす。そういえば奈良の大仏も国家規模の大事業として建立された。

  ところで仏教とはなんでほんとうの仏教思想はなんであろうか。仏教はインドが発祥の地だから、日本人が理解できる教えであるか問題がある。お互いに理解の仕方が異なるのではないかと問わざるを得ない。仏教伝来はインドから中国を通して日本に東漸し、漢字を通して日本人に理解された。漢字は正しく仏教を表現できるか。更に法系という考え方があって、思想だけでなく師匠と弟子との人格承継がある。魂と魂が承継するとすれば外部からは解りにくい。仏教理解といっても単純ではない。

  仏教は外来宗教である。インド生まれだから当たり前だが、この当たり前の事実がときには見過ごされる。日本では土着宗教といわれても違和感ないくらいに摂取消化されているので、何が仏教か疑問が起こりにくい。

  われわれは仏教を漢訳教典を通して学んできた。仏典は欽明天皇の時に正式に朝廷にもたらされた。聖徳太子は推古天皇の摂政として活躍されるとともに三経義疏を著すまでに仏教に通暁された。仏教を日本人と日本国の精神的な支柱として取り入れようとされた。その努力は実り、今も聖徳太子は国父である。

  中国に漢字があることは何世紀も前から分かっていたが、全面的に漢字摂取を始めたのは欽明朝以後である。その最大の理由は、仏教の膨大な智慧を理解したい好奇心ではなかったか。仏典を読めば誰しも智慧の宝庫であることに驚く。聖徳太子の十七条憲法が発布されたのは604年、古事記が完成されたのは712年、万葉集の編纂は745年頃だ。

  漢字の導入によって日本語表記の方針が決まり、日本語は漢字と仏教経典の研究とともに洗練されてきた。仏教こそ日本が全力を上げて摂取しようとした文明だった。形式だけではなく仏法の魂まで自分のものにしようとした。それだけ価値ある文明だと古人は評価した。

  もし仏教がなかったら漢字使用はずっと遅れていた可能性がある。政治経済的な大陸文化の影響ばかりが語られるが、個々の人の心を変える力と魅力を持つ仏教こそ、日本文明が漢語に覚醒した根本原因だったのではないか。

  日本では仏教について知識を得ようとすると必ず支那仏教を学ぶ。仏教はインドのお釈迦様が教祖であるのはあたりまえだが、インドと日本との間にはヒマラヤ山脈があり遠路の海洋があり、中央アジアと支那大陸が横たわっている。地理的に遠隔なのは今日でも同じで、われわれはインドのことをあまり知らない。はじめの経典はサンスクリットで書かれたが、伝来された仏典は漢字に翻訳されていた。

  膨大雑多な経典を前にして当時の漢人はいかに仏教を理解しようとしたか。仏典を読んで、思想的な優劣関係、深浅関係、上下関係を判定しようとした。その結果大乗仏教と小乗仏教の区別ができた。顕教と密教の区別ができた。蔵通別円と言われるが、すべてのお経を教えによって分類する。円教は万徳円満で最高、別教は未完成、通教は仏教全般に当てはまる思想、蔵教は初期仏教とされる。

  このような考え方と方法を教相判釈と言い、われわれはその成果をおおむね無批判に、憧憬と誠実さを持って受け入れた。法華経が大乗仏教最高の経典であるという認識は教相判釈の結果である。他にも重要な経典はあるのだが、法華経と比べて格下に見られる。

  われわれは仏教といえば大乗仏教、小乗仏教と反応する。インド人は大乗小乗の区別があることが理解できないようだ。考えてみればお釈迦様も小乗仏教も大乗仏教もすべてインド発祥である。多くの経典もそれぞれ理由があって作成されたものであり、大だと持ち上げ小だと蔑む必然性はない。われわれが大乗だ小乗だと区別する常識は支那仏教の価値観からきている。本家インドの仏教思想ではない。

  教相判釈は仏教経典全部を相応しい場所に位置付けようと試みみごとに成功した。漢から唐にかけての時代の理解の仕方であった。

  日本では鮮やかな教相判釈の全体像をそのまま受け入れた。教相判釈を相対化し批判する人に会ったことがない。素直な外国思想の受け入れ方は日本人の性格かもしれない。マルクス共産主義思想をそのまま言われた通り信じる人が少なくないのは同じ態度の表れなのだろうか。常に外国思想の動向に目を光らせている学者の群れ。好奇心が強いとも言えるし、思考が素直で柔軟だという見方もある。自己と自国を忘れたお花畑と呼ばれる人々のルーツであろうか。

  ヘーゲルはドイツ観念哲学を大成させた。彼は精神現象学や法の哲学などの著作で知られる。カントは理性の働きと役割を解明しようと努めたが、個人の問題に止まった。カテゴリー論を動的歴史的に拡張することで、ヘーゲルは精神こそ人にとって最高価値であり、人はまた歴史的存在であるとした。歴史は最高価値の実現のために人々と国家が努力して作り上げるものだとした。個人も社会も国家も崇高な精神を実現するために存在している。観念論哲学というが、是非善悪の心を持つ人にとっては当たり前の価値基準であろう。

  カールマルクスはドイツ生まれだが人生の大半をロンドンで過ごした。資本論などの著作をものした。彼はヘーゲルの業績を逆転させてマルクス共産主義思想を唱えた。マルクスは、人間は食ってこそ崇高な精神を語れる、むしろ食うことが最高の価値だと開き直った。人々が食うためにどうするかを研究すると金儲けに行き着く。お金つまり資本の行動を追って行ったのが資本論だ。

  ドイツ観念論哲学は壮大な思想体系だった。イギリスはドイツ人の理想主義をコケにしたかったのだろう。マルクスはイギリス人ではないが、同志のエンゲルスはイギリス人だ。ロンドンの図書館に二十年以上入り浸れたのはロスチャイルド家の援助があったという研究もある。マルクスの思考方法にはユダヤ教が影響したとは長年言われてきた。もちろんユダヤ人だ。

  ヘーゲルのドイツ観念論哲学は教相判釈に相当する。どちらも国家を挙げての思想研究の大成であった。しかしイギリスはドイツ人の唯心論的思想体系を受け入れる気はなかった。逆に反発してヘーゲルの結論をひっくり返すマルクス主義唯物論を後押しした。経験主義、せめぎあいが得意な国民性である。

  異議を唱えたマルクス共産主義も一つの思想体系となり、ソ連には思想担当の大臣がいた。どんな思想が正当でありどんな意見が間違いか正す責任者がいた。思想体系はイデオロギーと言われる。私の学生時代は、イデオロギーは日常語であった。教相判釈はイデオロギーか?

  中国に法系の元祖があるとしたり、普遍的な仏教の真実が明かされたという信仰があったりしてわかりにくくなっているが、教相判釈の考え方は、突き詰めると一つのイデオロギーである。インド人が大乗小乗の区別をしないのは、同じ仏教でも教相判釈する必然性はないということだ。漢語圏特有の思考法が作り上げたのが教相判釈だ。特有の思考形態だからイデオロギーである。われわれは唐の時代に完成されたイデオロギーをそのまま受け入れた。

  また中国作成の経典や論には図解して解る教科書のような書物が多い。黒板に図表で描けば理解できると思うのは中国特有の理解方式と言える。人の理解を助ける体裁になっているのだが、人が見て、あるいは読んで理解できるのは仏教かどうか。人知であって仏知ではないのではないか。経典読誦、経典研究に一生を捧げる人も多かったが、学者論者は仏教を理解したのだろうか。結局、仏教とは何か。

  仏教を取り入れようとしたとき日本人は、完全な真理の教えを摂取しようとした。仏教が信仰の対象になった。同時に唐時代の教相判釈も真理の思考体系と見做した。その理解の仕方が一つの外国思想、イデオロギーではないかという捉え方は起こらなかった。われわれの先人には、外国思想を相対化して見るバランス感覚は少なかったようである。

  仏教思想をまとめ上げる作業は支那仏教に特有だったと言えるが、それが正しい仏教理解の仕方かどうかは別問題であろう。道元禅師は正法眼蔵の著作を通して、教相判釈による仏教の一般的な解釈を打破して、より深い仏智の真実を明かそうとされたように思える。

日本の行方(4)寺院と県民性

                日本の行方(4)   寺院と県民性

  ある研修会に出席したとき、朝食時に隣席になった講師が、「徳島県には曹洞宗のお寺は十寺しかありません。」と言われた。講師は東北のひとで四国に思い入れがあるわけではなく、単に全国のお寺の数を数えてみただけということであった。

  当方は愛媛県出身で、四国四県のニュースには敏感になる。甲子園の出場校やそれぞれの優勝回数とかには毎年ライバル意識を掻き立てられた。総理大臣の出身県もとなりだと身近なニュースだ。

  三木武夫首相は徳島出身だった。クリーン三木のイメージで人気があったが、ロッキード事件をはじめ異例づくめの政権運営をした。党内サヨクといわれ最後は全派閥を敵に回した。まずアウトサイダーで便宜上自民党に属した感じだった。

  後藤田正晴氏も徳島出身で警察庁長官を務め、中曽根内閣で官房長官だった。警察のトップは悪者を捕まえるプロ、正義の実現を期待した。結果から見ると正義は勝たなかった。北朝鮮による拉致は後藤田氏が活躍した頃の事件だ。現場の警察官には失踪者の捜査をしないよう圧力がかかったという。警察は清廉でないというイメージは後藤田氏から始まった気がする。

  瀬戸内寂聴は作家から天台宗の尼僧になった。異色の経歴だ。阿波踊りの、「同じアホなら踊らにゃソンソン。」の文句も珍しい。徳島は野盗だった蜂須賀小六が藩主となった。日本人離れした人物が多いことに関係しているのだろうか。

  愛媛県には真言宗と曹洞宗の寺が多い。伊予は古事記、万葉集にも載っており保守的で穏やかな雰囲気が漂っている。その理由は気候が温暖だからだとばかり思っていた。他県では災害をもたらし恐れられる台風到来が待たれ、大雪が喜ばれる。地震も雷も火事もない。

  県内に点在する曹洞宗寺院はさらに平和な性格に寄与したように見える。檀信徒は寺のサポートや行事参加を通して仏教に触れてきた。曹洞宗の宗風が県民性の成り立ちに少なからぬ役割を担った可能性は大きいだろう。生まれた場所で人の性格が決まる、洗脳か影響か運命か因縁か考えさせられる問題だ。

  曹洞宗のお寺では何が教えられたか。まず諸行無常であろう。あらゆるもの、諸行は無常で、すべては刻々に遷移生滅を繰り返す。そのまま受け取ると、世界も私も無常だ、明日のことは誰も知らない、一瞬後は何が起こるかわからない。無常思想は権力の頂点である総理大臣を目指すというような意志力の基盤にならない。一生が無常生滅だけなら権力闘争も自己研鑽も意味がない。無常は川の流れのごとく、人生はローソクの炎のごとく、朝日に消える露のごとく夢幻のごとくだ。

  待てよ、自分は今日も昨日も一年前も生きてきた。友達もみんな生きているし、将来を見据えて学問、柔道、野球、サッカー、楽器の演奏やダンスに励んでいる。花道、茶道、書道や読書に熱中している学友も多い。みんなあらゆる命は無常するという仏教の真理を知らないんだろうか。なぜ毎日楽しそうにしてられるんだろうか。

  ああそうか、みんな欲望で生きているんだ。束の間の喜びや幸福を求めて遊びまわる。世間は欲望に憑かれた人間が蠢いているだけだ。仏教では貪瞋痴の三毒という。清らかな真理の世界は遥か彼方にあって、現実は三毒に塗れた汚穢の世界だ。いやだいやだ。

  嫌だからといって完全逃避し自殺するほどの勇気はない。自分も欲望に負けて、欲望に従って生きる方が楽だ。これを生命力というのかなあ。清濁合わせ飲むのが生命力なのかなあ。今日もみんなに合わせて生きるか。

  諸行無常に生命の存在根拠はない。ではなぜ生きているかというと貪欲、我愛、我見による。自我が見た勝手な見方だから我見という。孤立した自我で生きるのだから大変だ。毎日踏ん張って背伸びして生きる、我慢という。どこまで行っても限界、安心、存在基盤が見つからない。これだと思ったら次の瞬間生滅するので訳わからないから我痴で生きる。いたずらに休みなくもがきあがき疲れ果てる。毎日の生活が無意味、無方向、無定見でほんとうは何をしたらいいかわからない。

  ふつうに無常や諸行無常の概念で思考を進めると刹那無常に行き着く。物も生命も思想も価値観もすべてが刻々無常する。あらゆる思いも正義善悪の観念も無常消滅する。これではまともな思考も会話も成り立たない。勉強するほどまちがうスコラ哲学の一種になっていないか。洋の東西を問わず煩瑣哲学にのめり込むと人と世に資する成果は得られない。

  諸行無常は仏説だろうか。仏教は古臭いとか後世でっち上げられた神話だとか決めつける前に仏典を読んで欲しい。釈尊が悟られた直後の経緯を記録したお経がある。解脱の発見について語りたくなった釈尊が初めに遭った修行者は、話を聞くと、「俺は同意しかねる。」と言って立ち去ったと書いてある。仏様がコケにされた。次に昔の修行仲間と再会する話へ続く。

  そのあとさまざまな人が身の上相談に来るのだが、諸行無常の言葉が出てこないのが不思議だった。生老病死は苦であるとか四苦八苦の話はあるのだが、無常についての話はなかった。具体的な苦痛の例ばかりが記されているお経が不可解だった。諸行無常が真理であり仏教だと確信していた頃だから、無意識のうちに無常の言葉を探していたのだった。無常が仏説でないことは明らかだった。

  諸行無常は仏説ではないが仏教だとする言い方もある。法華経などは釈尊死後五百年ほど経って成立した。仏説のはずはない。それでも仏教の最高経典とされる。ということは仏教は仏説である必要はない。大智度論にはすべての真語、美語、実語は仏語であるとする記述がある。その通りで、われわれも各人が真語、美語、実語を学び、理解し、書き、会話するように心がけるべきだ。

  仏教は決定の説のはずだ。絶対間違わない説で、曖昧さがあってはならない。諸行無常は厳密に追求すると、刹那無常と一期無常に分解できる。現成公案の巻で道元禅師は薪と灰の例えを見事な一文で説明された。刹那無常だけで解釈する人は訳わからなくなる。どちらの無常かいちいち注釈が必要な概念は決定の説ではない。学者や論者が経典を研究して作り上げた説が諸行無常だ。

  無常はあらゆる存在物を否定するから、物と生命が存在する現実を説明できない。常住を否定する先には時間の否定もある。一切否定は論理的には興味深いが、現実を説明できない思考の遊びというしかない。あらゆる存在する物は短時間でもナノ秒でも常住存在する。世界は諸行無常、刹那無常、刻々瞬間断滅と言いながら現実の存在はまとまった炎の如し、川の流れの如しというような曲がりくねった説明をする。

  亀井勝一郎という作家がいた。抒情的な文章が特徴だった。巡礼や無常について書かれて、文章に惹かれてよく読んだ。沢木老師も褒めておられた。老師のお墨付きなので信用できる感触を得た。

  亀井勝一郎氏の晩年のことだが、ある会合で、「ところで死って何なんでしょうね。」と問われたそうだ。問われた人は、「死について永らく書かれてきたのはあなたではないですか。」と返したそうだ。

  そのエピソードを読んだときはなんのことか判らなかったのだが、今では想像できる。刹那無常をとことん追求しても死は解らない。それは一作家の問題ではなく、平家物語と方丈記に洗脳された日本人全員の問題だった。更に、日本語の問題でもあったと言うこともできる。

  刹那無常は破壊ばかりだ。自己の人生まで破壊する。正法でない証拠だ。像法と名付けても許されるだろう。末法は無法だからそこまではいうまい。禅は違うと思っていたのだが、八世紀の唐代に作られた証道歌を開くと、「諸行は無常にして一切は空、これ如来の真実義なり。」とある。以来禅者も諸行無常を受け入れてきた。

  

  刹那無常はあらゆる存在物を瞬間ごとに無い物にする。そうでなければ首尾一貫しない。金剛経には露の如し、電の如し、夢のごとし、幻の如し、泡の如し、影の如しとある。短時間ではあるし存在感は薄いが存在する。すべてを瞬間無常で否定するなら露も電もあらゆる物は存在できない。目の前にある存在物を説明するために幻や炎の例えがもたらされた。それは目前の事実を説明するための苦肉の策だった。

  岩石や大木は何千年も存在する。空手家が撃突しても壊れない。人体も昨日今日と存在する。人生百年と言われる世になった。無常の原理で一切否定しても目の前にはあらゆるものが存在する。

  刹那無常?現実の存在物を無理なく説明できない原理は真理とは言えないであろう。人生の見通しを与えられなければ正しい人生観とは言えないであろう。

  ひとは生誕してから毎年誕生日を祝い、歳を重ねる。誕生日を祝う行事そのものが刹那無常の否定だ。昨年も十年前も同じ名前の人物が存在した。同じ名前の自分はたとえば五十年生き続けてきたし、ひょっとすればあと五十年生きるであろう。この同じ名前の人物が生き続けることを刹那無常は説明できるか。百年間同じ名前である事実は刻々の生滅とどう関係するのか。

  一期無常は人生の大枠である同じ名前の存続を素直に説明する。名前だけでなく最近は顔認識や声紋認証まで出てきた。なぜ認証できるかといえば人は瞬間無常するのではなく、一期、一生を生きているからだ。人でなくても薪と灰、桜の花や紅葉もそれぞれ有限な一期を生きてそして散る。自己の形が維持される時間が一期で、誰でもどんな物でもそれぞれの一期を存在する。陽炎の儚い一期もあれば屋久島の縄文杉のような大木もある。

  一期無常は生誕から生の終わりまでが一期で創造と維持建設期間だ。無常は崩壊に当たる。仏教では因縁和合と因縁離散と言われる。すべて存在するものは理由があってある時間存在し、寿命が尽きるとかで理由がなくなると消滅する。この宇宙に存在するものはすべて一期だけ存在し、そして無常消滅する。

  一期無常なんて聞いたことないという人は多いはずだ。私が再発見した概念だから知る人が少ないのは当たり前だ。ただし辞書には書いてあるしなぜ一期無常でなければならないかの理由も発表しているから神秘でも虚偽でもない。何世紀も見落とされてきた真実を発掘しただけだ。

  刹那無常はすべてを刻々に断滅するから自己は破壊される。嘘だと思ったら刹那無常を根本規則にして生活してみればよい。たちまち行き詰まるだろう。なぜそう言えるかというと、坐禅の悟りは刹那無常の体現だと思い込んで無常になり切ろうとした経験があるからだ。その結果刹那無常の限界がわかった。

  一期無常は誕生から死ぬまでの生涯だ。すべての物は生あるものも生なきものも一期を存続する。人は子供でも青年でも壮年でも箇々の一期を生きる。世に尊敬される立派な一期を生きることもできるし、中途半端ごまかしでいい加減な一期を送ることもある。それは箇々人の心構えと生活態度次第ですと説明されれば、子供心にも仏教に基づく人生観の芯が出来たはずだ。その芯は貪欲や個人我ではなく、仏法に立脚したまっとうな生命力だったのだが。

日本の行方(3)真実自己

日本の行方(3)    真実自己

  十歳の頃、ある秋の夕暮れだった。ふと、自分はなぜ兄や弟ではないのだろうかという疑問が湧いた。今の自分はなぜ二十世紀に生まれたのか、十世紀でも二十五世紀でもよかったのに。同級生の一人ではないのはなぜなのか。先生であってもいいのになぜ生徒なのか。七夕祭りで行き交う人々の一員でなかったのはなぜなのか。
  なぜ秋だったとわかるかというと、柿が熟し始める頃だったからだ。それからはときどき同じ疑問が湧き起こり秋の夕暮れが思い出された。同時に幼稚すぎる問題に思えて、父母にも先生にも友達にも話   せなかった。解答はあるのかないのかわからない。疑問はそのまま残り、今も鮮明に思い出す。 
  当時を振り返ると、自ら思考し始めたときだったようだ。脳の働きが活発になる実感があった。無責任になんにでも疑問を抱いた頃の話だ。本当の自分が何かわからない、どこか気になる。
  自分が何かわからないから何をしたいかはっきりしない。人生の目標はあるかと聞かれても答えようがない。生きる意味がわからない。生きがいも見いだせない。人生観以前の問題で人生崩壊に直面した。
  小学生が実存的な疑問を自覚した。たぶん私だけに特有な出来事だったわけでもないと思う。忙しい毎日を送るうちにほとんどの人は気にしなくなるだけだろう。
  後で学習した言葉でまとめると、それは自己は何かという問題だった。自己とは何か、真実自己は何かとは禅問答でも知られ西欧哲学でも追及されてきている。まともな若者ならふつうに言挙げする。

  自分が何かわからないと善悪の基準もわからず他者との向かい方もわからない。社会の仕組みや世間の秩序がわからない。答えを得るには正しい知識がいる。知識欲が芽生えはじめた。
  万巻の書を読む雰囲気が日本にはある。源氏物語を宮廷仕えの人々を中心にみんなが知っていた。あの長編が書き写して読まれた。映像が氾濫する今日でも確かな知識は読書が一番だ。読書に精出した人の顔は違う。
  読書によって正しい知識は得られるのか。読書は救いをもたらすか。図書館にある本を片っ端から読んだ頃がある。賢い人は読書家で書物のことをよく知っているのが大方の人の常識だ。ところが二宮尊徳翁は「ただの本読みに過ぎない。」と読書を勧められなかった。尊徳翁は銅像を見ても読書で勉強された伝説の持ち主なのだが、実用的でない一般教養はあまり意味がないと考えられたらしい。
  読書が好きで一生本を読んで過ごしたいという方もおられる。学校や図書館は静かに読書できる環境にある。ところが、「人は学校に長く関わるほどダメになる。」と言った人もいた。読書も、立命館大学の白川静博士のように、何をしたいかはっきりした人でなければ道を誤ることがあるということであろうか。
  神父になるには医者になるより長い時間勉強しなければならないと教えてくれた神父さんがいた。そんなに学ばねばならぬことが多いのかと驚いた。友人に会ったついでその一知半解を伝えると、「神父さんはよく勉強しますよ、虚構を信者さんに教えなければならないから。」という評言が返ってきた。
  古来よりひとは知識を求めてきたが、真知の獲得は容易ではなかった。そのためさまざまに論評されてきた。上掲した三例もそのバリエーションだ。言い回しは良いのだが、では自分としてはどうするべきか、摸索が続いた。
  数十年間、勉強するにしろ読書するにしろしないにしろ、五里霧中の中を歩いた。先達は学生時代には見つからなかった。着々と出世コースを目指す同級生たちが眩しかった。
  大学院へ行くことを勧められたが、読書を続けることは苦痛になっていたので断った。大学は入口だったが、読書、作文、討論だけでは問題解決にならないとの見通しはついた。学校教育の中で人生の根本問題を解決するなど元から不可能だったのだ。

  伝統にのっとり、実存主義やドイツ哲学、ギリシャ哲学から聖書など、一通りの書物には目を通した。その結果哲学の根本問題は自己の認識らしいとわかった。宗教だって最後の問題は自己の救いだ。
  宇宙は大きい、自然は広大だ。過去と未来は無限だし、地球には無数の生命が存在する。山があり海があり、島と大陸の違いもあって世界は複雑極まりない。ところが哲学や宗教は根本問題は自己つまり自分自身だという。大より小、多より少、他より自の方が根本だという。その方向だと、心身だけでなく身体の中心のハラや心の芯の魂に根本があるのではないかと追求することになる。
  正法眼蔵現成公案のなかに「仏道をならふといふは自己をならふなり。」とある。内山老師が常に強調されていた箇所である。仏道の中心課題は自己だ。仏道に跳び込めば自己をあきらめ人生問題を解決できる可能性はある。跳び込まねば可能性はない。形式論理が人生を決定した
  沢木老師、内山老師は坐禅を勧められた。なぜ強力に勧められたのかわけ分からないままにひたすら坐った。只管打坐と公言できるほど坐ったわけではなかったが、ひたむきに坐ろうと努力した。
  四十年以上坐って、坐禅をならふといふは自己をならふなりと実感を持って言えるようになった。坐禅が生活の一部になった。道元禅師は只管打坐より只管参禅の語を好まれたようである。打坐は瞬間刹那の坐りを問題にするが、只管参禅は長時間の取り組み、坐禅中心の生活態度を問題にする。
  諸行無常には刹那無常だけでなく一期無常があると知ったのは十年ほど前であった。ひとは一期無常を生きる。一期は一生だ。法隆寺の一期は焼尽するまで、千年以上ある。無常は死であったり燃焼だったりするが、断滅である。一期無常は一生とその終わり、形あるものとその崩壊を説明する。
  ひとは一期無常を生きるしかない。生あるものはエネルギーが尽きるまでその生を生きる。生也全機現、死也全機現などといきり立つ必要はない。一期無常ならひとがその人の一生を生きるのはあたりまえだ。花瓶も花もワシも鹿も一期無常以外の存在物ではあり得ない。
  刹那無常しか知らなかった頃はいつも不安と焦燥感に突き動かされていた。すべては刻々に変遷生滅するから頼れるものは何もない。サトリどころか坐禅だって仏法だって頼れない。そのままだったらいまも迷いの真っ只中にあっただろう。
  禅は刹那無常だと言った方々はいかに心の平安を得られたのか気になる。やはり正しい知識を得ることは人生問題解決の鍵だった。一期無常を知ってからは、仏の教えと自分の人生の間に齟齬がなくなった。

  いつのまにか七十歳を超える年輪を重ねた。何も功績をあげられない人生だった。ある秋の日散歩しているときに、ふと、経験と時間の積み重ねの上で出来上がるのが真実自己ではないかと閃いた。柿がない地域に住んでいるのだが、六十年前の疑問にとつぜん答えが出た。
  出来たことはできた、出来ないことはできなかった。自分の限界がわかり、自分は有限だと明らかになった。努力し修行し、失敗があり絶望があり、苦楽があった。結局他者に替えられない人生を生きた。経験と時間と修行と参学が自分を作った。人生全体が真実自己としか言いようがない。
  具体的な男の一生、女の一生が真実自己ではないか。古来からある常識的な人生観だが、常識の方が正しいのではないか。一期無常とも合致する。
  真実自己は人生全体だと言った人にはあったことがない。自分の内部にあって瞬間、極小、抽象的なイデアと考えるひとが多い。それは思考された自己ではなかったか。考えられた後の自己はすでに自分自身とは異なる。即座にでは自分自身とは何かと再び問わねばならない。追求は無限に続く。
  本質としての自己、核芯としての自己、自我としての自己は哲学や神学を勉強すると出てくる用語である。形而上学ともいう。神父さんが言った通り難しい学問である。超難しい学問ではあるのだが、かいつまんでまとめると、ある前提を文法と論理で構築したものだ。古来からの常識と異なる結論が導き出される。だから前提が成立しないと思想全体が崩壊する。共産主義の前提が通用しなくなってソ連が崩壊したのは好例だ。
  現代では自然科学や心理学が自己を問題にする。事実と正しい論理に基づいた人間観に見えるので厄介だ。相対論的人生観とか解説する学者が多い。現在進行形の学問であるが、伝統的な人間観を破壊する傾向がある。日常生活や常識を説明できない理論は前提から精査しなおす必要がある。
  仏教が常識を包含してびくともしないのはありがたい。開経偈は「無上甚深微妙法は 百千万劫遭遇し難し 我れ今見聞し受持し得たり 願解如来真実義」とある。お経を開くとき唱える句である。書き下し文にしたらわかりやすい。如来の真実義を解したてまつらんと締め括られているが、願うばかりでなく本当に理解したいものだ。
  万物は刹那無常と同時に一期無常を生きている。一期は一生だ。一期無常は時間とともにある。人の場合は加齢する、誰でも歳をとる。具体的な人生は名前と時間と共に生きる一期無常だ。それが真実自己であろう。時間とともに自分が確定するが、生きて働く限り限界は決定せず、死が来るまで終わりはない。

日本の行方(2)経力

      日本の行方(2) 経力

  大塚耕平という方がおられる。参議院議員で、水間政憲氏の動画で安倍晋三総理との生々しい質疑応答が紹介された。大塚議員の発言は多方面から見直されるべき問題をはらんでいる。

大塚議員「固有の領土という言葉を使って北方領土に対する政策をご説明ください。」
安倍総理「北方領土は日本の領土であるとの認識のもとに交渉を続けております。」
大塚議員「固有の領土という言葉は使われないのですか。」
安倍総理「政府は従来の北方の島々は日本の領土であるとの認識には些かも変化はございません、」
大塚議員「いつから日本固有の領土という言葉は使われなくなったのでしょうか。」

  大塚議員は安倍総理が固有の領土という言葉を使わなくなったようだと訝しんで急所をついた。予想通り安倍晋三は固有の領土と言わなかった。
  固有の領土でなければ国境がどこか曖昧だ、取引の材料にしやすい。安倍首相はプーチンと二十回以上あってお茶を飲んだそうだが、北方領土を切り売りすることも考えていたのではないか。
  大塚議員は首相の魂胆に気がついたのだろう。売国奴ぶりを炙り出さなければ危ういとの危機感から立ち上がった。

  大塚議員はまた、「日本を取り戻す」を標語とした安倍総理に対して、皇位継承の安定化に向けた対策を質問した。保守派日本人なら誰だって思う、日本国より先に天皇があった、安定的な皇位継承の方法を確立することこそ日本を取り戻すことだと。常識的な方法は戦後臣籍降下された旧宮家の復籍だ。その政策実行のために保守政治家安倍晋三は日本を取り戻すと言ったはずだ。
  返答は驚くべきものだった。曰く、「降下された旧宮家の方々は七十年以上世俗の生活をされていまして直ちに復籍ということは難しいと思います。」「 GHQ の決定を覆すことは考えておりません。」
  多くの日本国民が当然のように願ってきた東久邇家の皇族復帰は考えていない。七十年の世俗生活という詭弁、突然出たGHQという単語? 愕然とした。日本を取り戻すという公言はなんだったのか。大塚議員は安倍晋三の正体を白日の下に曝け出した。

  安倍晋三は長く首相の座にあったから公的な発言がたくさん記録されている。実行した政策としなかった政策を摘出することは難しくない。それらの点と点をつないでいけば人物の輪郭が浮かび上がる。彼が本当に保守政治家だったかどうか明らかになる。二つの応酬を見るだけでも公約と本音が乖離しているのは一目瞭然だ。
  安倍首相の下では国政を論ずべき国会議員がやすやすと亡国法案を通したといわれる。日本企業が外資に買収されても手を打たない。日本製のアビガンは認可しないが危険性が危惧される外国製ワクチンは発注済みだ。アベノマスクの注文先も外国企業がほとんどだった。国会議員の二重国籍問題は解決されなかった。
  拉致問題解決を政策の柱に据えたが成果はなかった。拉致の根本は国内治安で、警察は誘拐を知っていたが事件化しなかった。警察改革に切り込まなければ今後も拉致される人が出てくる。国防不安は手がつけられなかった。男女共同参画の予算が防衛費の二倍で涼しい顔である。
  女性にとって十代後半は結婚適齢期だ。若い女性は五、六人子供を抱えても切り盛りできる体力がある。育児しながら生命の喜びを実感し人生に対する自信が生まれる。人生百年の時代には大事を成し遂げてから社会生活を楽しむ時間がある。
  少子化問題にはどう取り組んだのか。女性が輝く時代だと戯れ言を垂れ流した。多くの女性は原節子のように世に輝こうと努力しても望みが叶うことはない。競争の中で身心をすり減らすだけだ。四十代で出産すれば体力減少で育児に回せる余力は少ない。耳触りよい言葉で人生を狂わせられた女性は少なくないはずだ。その代わりの移民だ。本当のスパイや本当の詐欺師は善人に見えるそうである。

  大塚議員は安倍首相の心をいかに見抜いたのか。動画で紹介されていたが、議員は仏教に造詣が深く、「仏教通史」という本まで出版されている。叙述の大半が日本の仏教史なのがすごい。仏教の知識が正理を教え正しい人生観と世界観を与えた。真理の光に照らされると誤魔化しのポイントが浮かびあがる。水間氏も酒井得元老師のもとで坐禅された。仏教の力をわれわれは見逃している。
  大智度論に一箇所だけ「経力」(キョウリキ)という言葉があった。お経の力だ。良い意味ではない。野心的な人物はよく勉強する、経典をたくさん読んで知識を蓄え、「経典の力」によって議論に強くなる。道を得ず悟りも開いていないくせに議論だけが強くなると批判する内容だった。
  大塚議員が悟りを開いておられるか得道されているかは知らない。政治の場では正義感、愛国心が議論の本になる。そのとき仏教経典の知識が後ろ盾となった。大智度論の作者が指摘した通りだった。
  経力は経典を読んだ結果得る力だ。読書が力を与える。ふつう「徒然草」や夏目漱石や小説や天声人語などを読みなれている人は文章が「力」を与えるとは感じないだろう。読書は暇つぶしであったり無益無害な趣味であったりする。
  真理を追求し人生問題や社会問題に取り組みたいひとには仏典読誦をお勧めする。それもインド製の経典を直に読むのがよい。漢文が難しいなら書き下し文にした国訳一切経がある。法華経、華厳教、涅槃経、般若経、大智度論、初期経典など、論理の明快さと漢字の魅力に引き込まれるだろう。
  経典は漢字典だから文字が意味を持つ。文字を覚えることが知恵の増殖になる。文字の数は知恵の数だ。仏教は真理に基づくから正誤、真偽の別がある。両舌や妄語は仏教語だ。仏教は厳密な論理でできていて、しかもわかりやすく解説されてなるほどとうなづかされることが多い。道理がわかれば納得し有益なら行動に移す。心と人生を変える「力」を得る。

  経力に対しどんな対語があるかと考えたが、英語力が当てはまるだろう。安倍首相の英語力は相当なもので、アメリカ議会での演説は評判が高かった。ジョークも言える。トランプ大統領と個人的な話ができるくらいに英語がうまい。もう一段階上といえば英語の専門家である翻訳者や通訳のレベルだ。
  表絵文字で沈思黙読が普通の日本語に比べ、表音文字の英語は肉声の力が大きい。会話が多く騒々しい。しかし洗練されると芸術になる。意見の表明が幼少から訓練され、大学生では論理的に人を説得する話術が要求される。ローマ時代から続く伝統だと思うが、欧米のリーダーの演説は頭の良さを測るバロメーターになる。
  英語の発祥地イギリスは今でも創造力と想像力に溢れている。アメリカのテレビ番組にはイギリスの番組のコピーが少なくない。オリジナルと見比べて、英本国人の人間観察の重厚さを感じる。国際政治を動かす勘所を捉えるセンスは今も冴え渡る。
  世界と真理を統一的に知ろうと試みたドイツ観念哲学や実存主義とは対照的に、イギリスの文化は経験主義、功利主義の上に築かれた。ベーコンやロックが代表例だ。英語はいかに生き延びるかに重きをおいた現実主義、人間主義に徹している。イギリス人には何枚舌があるか分からぬなどというジョークも生まれる。
  ということは、英語を勉強しても真理に辿り着くことは期待できないということになろう。世俗知、妥協術、ユーモアは語られるが、真実知、誠実は得られないだろう。正直も政治の世界では色褪せる。駆け引き、損得、勝敗ばかりの言語世界のようだ。
  ニュース女子という番組を見ると英語学習の成果がわかる。出演者は若い才媛と実績ある男性だ。上品に世知を語り合うから見てて気持ちは悪くない。しかし勇気、信念、正義など人生を動かす直な心は語られない。経験知以上の知恵は得られない。利を求めるだけでは自己を明らめるのは難しい。
  ほとんどの日本人の英語を学ぶ動機は、英会話を楽しみたい、シャーロックホームズやシェークスピアを原書で読みたいというところではないか。イギリス文学は面白く高級な教養だ。そして英語教育熱が流行り英語憧憬が拝外姿勢を当然とする。
  優秀な外国人財という言葉も流布された。一国の識者指導者が挙げる言葉か。安倍首相は外国訪問が多かったが、本人が外国人崇拝で日本人蔑視者だったかもしれない。外国を基準にして日本人を見る目が身についていたかもしれない。
  英語学習者からすれば、先生の上級英語に追いつこうとするから拝外思想自己卑下になる。仏教にある悟りや解脱はそこにはない。人間主義相対主義はあっても人知を超えた絶対の真理はない。安倍首相の英語力は羨むべきものだろうか。

  英語の世俗知はスマートでカッコ良いと満足できる人もいるだろう。人生は快楽と損得だと割り切れればそれもよい。
  しかし大塚議員が仏教研鑽から得た心眼は無視できるか。仏教は正しい人生観と世界観を提供し人間主義以上の智慧に満ちている。仏教を学んだ先達は多く、正義、勇気、公平など堂々とした生き方を教えてくれた。真理に触れる喜びを味わいたい人は少なくないはずだ。何かを学ぶなら価値あるものを学ぶべきだろう。
  日本人なら縄文人の末裔として、里山縄文文明の担い手としていかに生きるべきかを模索すべきではないか。江戸時代の髷姿に戻れるわけはなく十二単の平安時代も過ぎ去った。現代の国防と社会の仕組みを整える必要がある。拝外思想でなく、内在する縄文人の潜在力をいかに増進するかが政治の課題だったはずなのだが。

日本の行方(1)人間修行

      日本の行方(1) 人間修行と一期無常

  相撲は面白い。貴闘力関の動画で相撲界の内側を垣間見ることができた。どのような男が相撲取りになろうとするのか、何を考えて毎日稽古するか、人生設計はどうするか。才能と能力があっても怪我すると横綱になれないとか。相撲界の人間模様は見飽きない。
  初代若乃花関は優勝十回、名横綱と言われた。栃錦と人気を分け合った頃は一年に二回の本場所、それも十五日でなく十日だったりした。六場所制になる移行期だったので優勝回数が少なく見える。本場所がない時は力士たちは地方巡業に出て興行と稽古を続けていた。
  土俵の鬼と言われた若乃花は二子山勝次親方となり弟子を育てる側に回った。二横綱、二大関を育て厳しい指導で有名だった。本人が、「十人新弟子を連れて帰ったら十二人に逃げられていた。」と述懐されている、厳しすぎたかもしれないと。かといって厳しい稽古をしなければ伸びる才能も伸ばせない。苦労の程が偲ばれる。
  ある動画で二子山親方が、中学生だろう、新弟子に接する場面があった。名前を呼ばれても返事できない内気な子だった。体が大きいのと運動神経が良いだけの理由で引き取ったあどけない子供という感じだ。挨拶や礼の仕方を親に代わって教えていた。一緒に食事して、大根おろしは消化に良い、醤油をかけすぎると肝臓に悪い、朝は小魚を食えと細かく注意する。忍耐強く一生役立つ知恵を注入していた。
  「いまこの子を土俵に上げたらバラバラになる。骨や筋肉を強くしてから本格的な稽古を始める。」そして「相撲は人間修行だ。厳しくなければ人間はできない。」
  相撲道は人間修行。親離れできない若者を部屋に居らせる。筋肉ができると稽古中心の生活が続く。十両、関取も夢じゃない。引退すれば別の人生展開になるが、内弟子としての教育や稽古仲間の連帯意識が助ける。二子山親方は自信と抱負を持って弟子を集め、猛稽古で叱咜し、自分も節を曲げない。土俵を中心として人が人になる修行をする、相撲道の実践者であり体現者だった。

  人間修行は簡単に言える言葉ではない。自分とは何かを知り、過去現在未来を知り日々修行を怠らない人にしか言えない。いつどこで転落するかわからないのが人間だ、偉そうなことは言わないでやり過ごす方が安全だ。
  内山老師は生涯を通して理論的探究に励まれた。遺本の書き込みを見ても参究研鑽の情熱が伝わってくる。いつも坐禅修行の大切さを強調された。一方、講演会は高校生以下が対象だと断られた。博識すぎるからだろうと思った。
  老師は多くの本を出版された。しかし人間修行の必然性や実効性は語られなかったように思う。弟子として坐禅だけは必死で続けたが、迷いの中の修行が続いた。迷いが修行、迷いが仏教かと思った。自分が解らず、修行の意味と結果が不明だった。
  禅宗では人間修行ができるはずだった。道元禅師の名は世界に轟いている。釈尊は全人類の教師である。生身の僧侶に完璧な指導を求めるのは無理だが、根本精神や秘伝の類は見出せるのではないかとひそかに期待した。
 
  井沢元彦氏によると、無常の言葉は平家物語によって日本人に広く知られたという。もしかしたら無常は八百年前に日本人が洗脳された概念だったのかもしれない。
  「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」は平家滅亡を唄った冒頭の語で、日本人で暗記していない人は居ないだろう。釈尊の安居所、祇園精舎で鳴る鐘は仏の教えである、その真髄は諸行無常である。このような理解はすべての日本人の心を捉え、禅僧も例外ではなかった。
  栄華の頂点に達した平家一門の滅亡と安徳天皇の崩御は世界の終わりと思われた。目前の悲劇を端的に表す言葉が諸行無常だった。言葉の内容を吟味する余裕は人々にはなかった。断滅、崩壊、絶望、悲哀が諸行無常の実感になった
  同時代に書かれた鴨長明の方丈記は諸行無常を和文で説明する。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」この文章も暗誦している方は多いだろう。
  諸行無常は仏教用語で、「もろもろの存在物は常住ならず」という意味だ。無常は無常住の略、やまと言葉で解説すると方丈記の見事な文章になる。日本人の仏教理解はこの二書によるといっても過言ではない。
  諸行無常を詳しく見ると刹那無常になる。刹那は瞬間、今ではナノ秒か、一切のものが刻々に消滅遷流する。これは宇宙を貫く大原則で例外はない、その原理を発見されたのが釈尊であると。

  2010年の冬、五ヶ月間、激しい五十肩に苛まれた。うんうん唸りながら現成公案を読み直した。生きるか死ぬかの瀬戸際まで追い詰められたすえの読書だった。ずっと気になっていた薪と灰の段に取り掛かる契機になった。
  「しるべし、薪は薪の法位に住してのちありさきあり前後ありといえども前後裁断せり。」は、多くの方が時間論が書かれてあると理解されてきた。時間論なら無常、無常なら刹那無常である。内山老師は「現在ぎりの現在」と表現された。
  ところがよく読むと「薪は薪の法位に住して」が主題である。法位は存在物の位で、薪なら樫、楢、欅など樹種の区別があり、乾き具合や火力の違いもある。法位は万物を区別して表現できる用語だ。住しては持続存続する、薪は燃えるまで薪である。薪の法位は住しているのだから刹那無常ではない。
  「無常: anitya 世間一切の法が、消滅遷流して刹那も住することなきをいふ。之を刹那に於いて見るを刹那無常といい、之を一期相続の上に見るを相続無常と名く。(仏教辞典、宇井伯壽監修)」じつは無常は一つでなく二つあった。
  「薪は薪の法位に住して」は刹那無常でないことは明らかだ。住するとは何かというと相続だ。薪は燃えなければ十年でも百年でも薪の法位に住する。法隆寺が千年以上建っている事実は、相続、一期で素直に理解できる。
  相続と無常は矛盾概念であり、相続無常はさらに説明が必要な曖昧複雑な用語になる。それで一期無常の語を使うよう提案する。無常は断絶裁断、人の場合は死で、薪の場合は灰になる。法隆寺が焼け落ちると一期無常、相続裁断だ。
  一期は一生という意味になる。人は一回だけ生まれ活動しそして死ぬ。何十年にわたる生涯を指し示す言葉が一期だ。幼児から死ぬまで山田太郎の名前で生きる。自己の一期をいかに生きるかは誰にとってもいつも直面する問題で、人生観が問われる。花の一期、木の一期、鹿の一期、犬の一期、星の一期、地球の一期、この世は一期でできている。命あるものはそれぞれが精一杯生き、命なきものも生成崩壊する。
  一期無常は仏教が提出する人間修行の基礎概念になる。吾が人生は一期のみと決定して真摯に生きる。修行は体で身につけるだけでなく言葉でも納得する。知恵という。刹那無常では人生は説明できないが、一期無常なら矛盾なく理解できる。正語正思がある。この世界は一期無常ばかり、決定の説という。刹那は一期がたまたまナノ秒である場合だ。
  お寺では貴重な伝統行事が受け継がれているが、刹那無常では形式主義、事なかれになりやすい。そもそも継承の概念が刹那無常に反する。一期無常を知れば現実肯定、正しい歴史認識、勇猛心、情熱、創造、意志力があたりまえになる。

  平家物語以来刹那無常が日本人の常識になって久しい。大方の学術書にも大辞典にも一期無常の語はない。刹那無常ばかりの世は、ほんとうは末法の時代ではないのか。われわれは堕落衰退した文化と知識の中に生きているのではないか。
  方丈記の刹那無常は刻々に生滅遷流するだけだから、生も無常死も無常、老も若も無常、病も健も無常、大木も枯れ木も無常だ。自他の区別もなければ幼時老齢の区別もない。自己の一生という概念も産まれない。これは仏の教えだろうか。大智度論の視点からは刹那無常は偏見になる。もちろん仏説ではない。
  刹那無常は常住の否定だから、われわれが住む現実世界の否定だ。生身の自己と世界を否定するから、希望は無し、情熱は無し、使命も無し、生き甲斐もなし、そして責任も無い。人間否定、修行否定だから人間修行の言葉も出て来ない。
  一期無常では人は意志、努力、責任、人生設計、罪刑の主体だ。刹那無常は現実事実を否定するから、無意志、無努力、無責任、無計画、無罪刑、無主体だ。一期無常を忘れた仏教は人間修行を唱える理論的根拠がない。

  さきに高校生は苦手だと言われたエピソードをあげた。世間にはある程度以上の知識がなければ仏教は理解できないという前提がある。仏教経典が智の宝庫であるのは間違いない。どれほどの智慧が埋もれているのか想像もできない。しかし経典を学んで得る自信があるとすれば、その自信は刹那無常の説に反するであろう。エリート主義に通ずる偏見の種が刹那無常という考え方によって植え付けられた可能性がある。
  上掲の仏教辞典では刹那無常は二つの無常の片方だ、だから全体の真理ではない。どんな場合でも同じだが、不真理に基づく理論体系は半端な理屈を積み重ねてできる。仏教者は刹那無常を真理だと見做して精細かつ壮大な理論体系を樹立した。高校生は理屈に染まっていないから変だなと感じる。数百年間の洗脳が生き生きした肌感覚を押し潰してきたと言えないだろうか。
  刹那無常は刹那、瞬間が断滅する、ナノ秒の無常だ。刹那と無常は両方が時間で、同語反復する。英語も同じで瞬間が無常する。時間は不可得で、刹那と無常は突き詰めると実態がない。存在すると確言できない。
  諸行無常はもともと諸行(諸々の存在物)が無常断滅するという意味だ。それは一期無常と同じだった。ところが平家物語は諸行無常を刹那無常(瞬間が無常する)だと曲解させた。
  西欧思想でも聖アウグスツスからハイデッガーまで時間、瞬間に取り組んでついに解答を得られなかった。仏教では龍樹尊者の例もある。洋の東西を問わず学者天才が瞬間論に執着する理由はなんであろうか。

  一期無常は見たり触ったりできる、持続存続する物とその断滅である。正法眼蔵では有時の無常であり、薪の前後裁断だ。難しい単語だが当たり前の事実を漢語に置き換えているだけだ。
  人なら幼年期、壮年期、老年期と具体的な人生(法位)も表す。岩や砂、水と氷、鹿と熊、小鳥、鷲、蝶、大木花木、激痛、健康、幸福、感激、この世に一期ならざるものはない。
  土俵の鬼、二子山親方は人間修行の自覚のもとに中学生らを手取り足取り指導された。頼るは自分の体と努力のみ、情熱を持って稽古に打ち込み、責任を果たし、一回だけの人生を有意義に過ごす相撲道を教えられた。親方は無常という言葉を使われなかった。日本には無常を語らなくても人生を全うできる道がある。多神教の国の証だ。
  道元禅師は「薪の法位に住して」と諸行を一期の意味で書き記された。しかし遠孫は無常は刹那無常だと誤解してきた。仏教徒ははやく刹那無常の洗脳から脱するべきだ。ほんとうの諸行無常は一期無常だと目覚めれば、日本人なら自然に人間修行の意欲が湧いてくる。
池田永晋   

自然食と頭痛(2)

     自然食と頭痛(2)        01/28/2012

  ボブのおかげで野菜と果物以外は買う必要がなくなり、安上がりの自然食生活を満喫した。自然食のパスタを食べると腹がスッキリする、通じがよくなる。健康生活と運動を勧める本には、自然食品の原則は腹に食物を長く滞留させないことだとあった。排泄を早く済ませれば細菌が繁殖する時間が短くなる。腐敗時間が短いから健康になるというアイデアである。
  悪者、邪魔者を見つけたら排除する。どこもかしこも清潔に綺麗にすれば問題は起こらないという目論見だ。それで腸内で消化されない繊維の多い食物を摂って滑りをよくしようと考えた。サラダ、果物からジュースまでいくら繊維が含まれているか表示されるようになった。グルテンも消化されないから排泄促進の目的に叶っている。自然食品のパスタは濃い褐色でいかにも強者に見える。
  細切れに切断されない繊維やグルテンはどんな影響をもたらすか。腸壁を擦り続ける。繊毛が小腸壁を守っているのだが、それがこそぎ落とされ、一層の細胞膜だけになる。そこをさらにこすられると細胞膜が破れ血管が露出する。出血すると同時に血管内へ未消化の成分も流入する。
  最初の人工的な癌は第二次大戦前に日本人が作った。そのときはマウスの皮膚をこすり続けたという。初めに読んだ本にはストレスを与えたと抽象的に書いてあった。当たり障りのない表現で何をしたのかわからなかった。実際には皮膚を擦っただけだった。必要のない圧力や擦過が加わったことをストレスといった。
  人の皮膚をこすると血が出る。同じことが小腸内壁で起こっていた。こすり続けて損傷がひどくなったら潰瘍になる。治らなくなったら癌だ。ボブはその直前段階まで経験した。小腸壁の損傷が頭痛の原因だった。
  小腸の壁はこうなっていると図に書いて説明し始めたときは頭痛と腹となんの関係があるか半信半疑だった。腸と頭が繋がっているとは普通は想像しない。血は全身を巡っているのだから頭痛だけに症状があらはれるというのも不思議である。あり得ないことだろうと思ったのだったが。
  自然食が続いてしばらく経つと、なんだか小腸が重くなったなと感じるようになった。そのときたまたま濃いカレーを一口摂った。とたんに頭頂の左側がずきんと痛んだ。ボブが言った頭痛だ。怖くなって食事を中止した。あっこれだと察知したので慌てずにすんだが、同じ恐怖を経験した。
  ボブの場合は原因も結果もわからず食事のたびに頭痛がした。食事が恐怖になる。だんだん痩せていった理由だ。食事が原因なら、自然食品も毒食品と変わりない。ずきんと頭が痛いのは神経が叫びを挙げたからか。
  指圧所で経絡図を見たことがある。腎臓線や脾臓線や心臓線とかあって、指先、体幹、足のつま先まで繋がっていた。ただし絵を見ただけでは経絡のつながりは実感できなかった。実際に勉強したり指圧したりしなければ奥深さは解らないだろう。いつの日か、小腸の不具合が頭痛になるメカニズムを経絡を追うことによって理解できるかもしれない。
  アメリカでは戦前の禁酒法が有名だが、悪いものがあったら国全体で一律に禁止しようとする。その結果禁酒法が大犯罪と無法地帯を生み出した。戦後は禁煙運動である。それでも肺がん肺病は減らない。悪者を退治断滅する思想だから当事者は善人だ。ただし善悪の因果は簡単に決まらない。
  自然食運動は良いものだけを勧めている。悪を糾弾するのでなく善だけを勧める。ずいぶん進歩した、全面的に信頼できる思想であり、生活方法だと賛同していたのだったが。要するに、自然の摂理に一律や徹底の思想は馴染まないということであろう。

「よかったら食事に来ないか。ジャガイモ、玉ねぎ、人参なら食べられるだろう。」
「じつは一昨日、ジャガイモはダメだと解った。ずっと頻度は減ったもののときどき頭痛がする。薬を服用すれば仕事ができる程度には軽症になっているのだが。原因は高血糖だった。消化の良い炭水化物を摂ると血液中の糖度が一気に上がる。濃い糖分が頭痛を起こす。ジャガイモの炭水化物は吸収されやすい。だからジャガイモも食べられなくなった。こんどジャガイモ粉を持っていくよ。にんじんも糖分が多い、甘いだろう。いまどんな食品が糖分が多いか調べている。炭水化物は敵だ。糖分が少ない炭水化物だけが許容範囲だ。
糖分が多すぎるとインシュリンが出て血糖値を抑える。余分な糖分は肝臓や脂肪に回して蓄える。その機能が働かなくなった。年齢のせいだろう。
栄養士に炭水化物を抑えて肉を食べるように言われた。長い間タンパク質を摂っていない。基礎タンパク質が足りない。バランスが大事になってきた。」
「肉食人種の食事に近くなってきたな。これからはハンバーガーだな。ビッグマックに戻った?」
「いやミンチ肉は酸化プロセスを促進させるから体に悪い。刻んでる間に肉が酸化するんだ。自然食で育った鶏や魚の肉でなければ安心できない。卵も自然食育鶏のなら食べることにした。それから豆類もおすすめだ。アメリカでは豆の種類が多い。メキシコやペルー原産の食物に助けられることになった。野菜ばかりでは基礎タンパク質は取れないからね。」
「 ”How to lose weight by eating more’ という雑誌を読んだことがある。刺激的なタイトルに惹きつけられた。夢中で読んだ。中身は豆類の料理が中心だった。アメリカの理想的な食事って、ひょっとしたら豆料理に収斂していくのじゃないだろうか。アメリカ原産種を摂ればいいだけなんだから。」

  瞬間的な頭痛を経験した後は、一ヶ月間自然食を摂れなくなった。頭痛は恐怖だ。カレーや胡椒はダメ、玄米粥主体の食事になった。栄養があるし腹持ちする。若い頃お寺で聞いた「おかゆ十徳」を思い出した。