里山縄文文明(2)

里山縄文文明(2)  インカ文明

縄文文明が里山文明であったと知ったのは、「ポツンと一軒家」の登場人物の会話と生き様がヒントになった。この番組によって悠久の日本の歴史を実感する人が増えるはずだ。思想だけではない、酒の注文先を変えたという人も登場している。庶民レベルで日本民族の活力が増進することを願う。昭和天皇は日本の復興に二百年はかかると予測された。復興を担うのはひとりひとりの双肩にかかっている。
縄文人も一軒家を守り暮らす現代日本の人々も、それぞれ生活を工夫し他人に迷惑をかけず自立して生きてきた。人生の基本は自立、自律で、登場人物の潔い生き様を観ると心が洗われる。
黄色い茶畑は圧巻だった。四十年かけて素人が新種、亜種を創造した。もはや文化ではなく文明だ。文化は伝統継承が元だが、文明は生命の創造原理が働く。新茶は来歴も兆しも原因さえわからないところから突然現れた。自然の生命力を発見して守護された心が輝かしい。
里山文明の創造力を知ると、稲も日本起源ではないかと思われる。日本のコメ栽培は、多分支那大陸からの伝来ではなかった。

インカ帝国はスペイン人のピサロが百五十人強の部下を率いて侵入し滅亡させた。インカ人は抵抗の仕方も知らず虐殺された。王様は金銀財宝を盗られて処刑された。1533年の出来事だ。(鉄砲伝来は1543年)
スペイン人は金銀財宝しか目に入らなかったらしい。本国に持ち帰って一時帝国は繁栄した。船で財宝を運ぶ途中で海賊に襲われる危険があるので、商船護衛のため無敵艦隊を作った。金があればなんでもできると思ったか。
イギリスが大西洋を渡る財宝に目をつけ、航行中のスペイン船を襲って略奪する挙に出た。エリザベス女王公認の海賊だった。怒ったスペインは報復に無敵艦隊をイギリスに差し向けた。イギリスは逆に無敵艦隊を壊滅させた。大英帝国の発展は国家承認の海賊行為に始まる。
インカ帝国に関する情報を得ることがあるが、図書館にある映画では内部抗争ばかりしていたと主張する。なたや棒切れを使って喧嘩したことになっている。どうやら戦争するための武器らしい武器は見つからなかったらしい。殺し合いなど思考の中になかった人たちだったようだ。
世上によく言う、無抵抗な老人、女子供を虐待してはいけないと。今ではスペイン人は無抵抗な人々を虐殺したとは堂々と公言できない。そこでインカでは王位継承問題で内紛があったとかいう。ピサロの登場と同時に内紛が起こった。仲違いを画策したのではないか。日本でも慰安婦ガーとか南京ガーとかデッチ上げ事件を仕掛けられてきた。殺されたインカ人は弁明できないから嘘が歴史になった。
ローマ法王パウルス3世やカサス神父は当時からスペインの暴虐を見かねて非人道的新大陸征服に警鐘を鳴らした。その結果スペイン人の悪逆は公然の事実として知られた。イギリス等はその知見を大々的に言いふらした。以来スペインは胸を張った国になれなくなった。90年代、コロンブス五百年祭にスペインは男女テニス優勝など湧きに湧いたのだが、悪逆を働いたイメージは消せなかった。

ペルーを中心として中南米は多種多様な食物の発祥の地だ。じゃがいも、トマト、トウモロコシ、かぼちゃ、豆類穀類などなど、現代人の食卓は中南米発の食材で彩られている。
ニューギニアやアフリカの原住民は豊かな熱帯雨林地帯に住みながら、コーヒー、カカオ、キーウィー、砂糖くらいしか伝えなかった。全ての古代人が豊かな食材を残したわけではない。ヨーロッパは大麦小麦ライ麦だ。何がアメリカ中南米をして豊穣な食材の起源地にしたのだろうか。
アメリカ先住民は縄文人の子孫だとする仮説を提出したい。中南米では縄文人が蓄積した里山文化の心と方法論が受け継がれていた。彼らは日本列島から海岸沿いに北東へ進みアラスカから南下した。少人数少家族だったが、縄文人の命を慈しみ育てる心は身心に染み込んでいた。そして自然の生命力を新大陸で引き出した。
縄文人がアメリカ先住民の祖先とするとつじつまが合うことが多い。インカ帝国には王様がいた。日本の天皇のような地位が自然にできた。征服王朝でなく戦争を知らない民だった。精巧な建造物や金銀財宝は、黒曜石や翡翠が日本列島全体で発見されているのに重なる。ペルーだから金銀銅が無尽蔵にあった。
縄文文明と似ている遺物は少しずつ発見され始めている。縄文土器の欠片とか鏃や草鞋など。本格的な発掘調査やDNA検査が進めば、アメリカインデアンは日本人の子孫、コロンブスがたどり着いたアメリカはやはり黄金の国ジパングだったと明らかになるかもしれない。今のところロマンチックな仮説に過ぎないが。
インカでは農業や牧畜を生業としていたようではない。縄文文明では栗を中心に食料が準備され、貝や小魚、鹿や猪など多品種が食されていた。耕作牧畜なしで安定的な生活が実現されていたから何千年も居住が可能だった。中南米原産の食材が現在世界の食卓を飾っているのは、インカやマヤ文明が農業や牧畜に頼らない生活を続けてきたからだ。その結果自然の大破壊を避けることができた。自然の豊かな恵みが手付かずのまま残された。それは里山文明だった。
日本には方々に有名な温泉旅館がある。山奥の渓谷が多い。そこで出される多彩な料理では山海の珍味が供される。美味しいご飯に谷川の小魚、山の小獣、山椒の実、山菜の漬物、二十皿も三十皿も出てくる。縄文人が実現しようとした食事風景だ。森の幸、川の幸、海の幸、そして庭園の幸のそれぞれの旬の味をいただく。少種大量生産農業方式でできることではない。
農業は耕作によって微細な生物を殺し少種の植物のみを大量生産する。多種多様な生態系は駆逐される。牧畜は山羊、羊や牛馬が草を食い尽くす。どちらも自然の生長力を断ち切る。文明は農業の余剰生産物蓄積から始まったとするのは正しいだろうか。農業は地球の創造力を阻害してきたように見えるが。
アメリカ中西部を飛行機から見下ろすとズラリと並んだ円形農場が見える。緑色の円の大きさは撒水できる範囲で、川がないから地下水を使う。大量単一作物栽培で、他生物を排除する。地下水はいつかは枯れる。自然破壊農業の最先端風景だ。
アメリカのホテルでの朝食は Continental Breakfast だ。トーストとミルク、バター、シリアル、ジュースにコーヒー、アメリカ全土ほぼ同じである。偏った単調な食物を長年摂取すると栄養障害にかかる人が出てくる。偏食をもとにした病気の医療は偏った学説になる。自然破壊は人間破壊をもたらしかねない。
文明の興亡や歴史の変遷を学ぶとき、勝敗、戦争、征服ばかりが語られる。正義は勝者の側にあり、勝ったのはより進歩していたからだと。農業も牧畜産業も自然征服の方法だ。学校で教えられるマルクス唯物論の進歩史観は、征服、収奪、略奪、自然破壊を正当化する文明史観だ。勝者の歴史観だ。
ナイル川をはじめ大河沿いに農業が営まれ文明が興ったとする文明史観は正しいだろうか。四大文明とされた地域はいづれも砂漠となり過去の栄華はしのばれない。砂漠となって終わるものは文明の名に値するのか。
インカ帝国やマヤ文明の遺跡や文物が理解できないのは、偏った文明史観に汚染されているからだろう。デラウェア川の河原に直径二メートルを越す鉄の球体が置いてあった。マヤの密林から運んだという。車で(近代西洋文明の成果)案内されて、鉄器を知らなかったはずのマヤ人がなんの目的でどのようにして鉄球を作ったのか謎だと教えられた。同じような鉄球は100個以上発見されている。鉄器を知らない文明だという前提が間違っている。
密林の中の隠れたピラミッドも、自然を征服する思想がなかったから隠れた。自然と共存共生していたから、人口が減るとたちまち熱帯雨林が優勢になった。
アメリカでは殺されたインカの王様は愚かだという言論が出回っている。死人に口無しで悪いイメージをでっち上げられ続けている。マルコポーロが広めた黄金の国ジパング伝説は、日本人にはロマンとして受け取られている。ところがジパングを目指したスペイン人たちはじつは物欲強欲の塊だった。われわれは自他の認識の違いを知る必要がある。
インカ帝国は外敵に滅ぼされた。生活形態は永続的で、自らの文明を破壊断滅する要素はなかった。彼らは略奪暴虐を知らない民だった。彼らは、人類に多大の貢献をし続けている里山縄文文明人だった。

天皇の祈り(5)

天皇の祈り(5)         05/20/2011

1975年九月三十日、昭和天皇と香淳皇后両陛下はアメリカ訪問に向け出発された。アメリカではフォード大統領が出迎え、両元首は十月二日に会談した。
ワシントンに到着された天皇はダグラス マッカーサー元帥の墓に花輪を贈られた。マッカーサーの未亡人は墓参りを要請したが疲れているからという理由で断られた。墓はバージニア州にあり、車で40分ほどの短い距離だった。そのためだろうか未亡人はホワイトハウスでの歓迎晩餐会に欠席した。
昭和天皇は日本人に、本当のマッカーサー像を知ってほしいとメッセージを送られたのではないかと思う。小さな波風を立てて、じつは親友同士ではなかったと後世にヒントを残されたのだろう。
お花畑日本人は洗脳されやすい。私自身、マッカーサーは慈父のような存在で理想的な統治者だったと思い込んでいた。朝日新聞、NHK、雑誌から大学教授まですべてが洗脳機関だった。GHQの策略は成功しすぎた。
山間に育った田舎者とはいえ、天皇の存続、天皇と国家、天皇と歴史、天皇と政治、天皇と自分、天皇と国語、天皇と芸術、天皇と日本民族などについて深く広く考えたことはなかった。そんなことは高位高官や博識の知識人が問題にすることだと思い込んでいた。殿上人や雲上人だけが考える資格があると思っていた。
傲慢ではなかったが卑下しすぎだったかもしれない。微妙な態度であるが、仏典にはちゃんと問題が指摘されている。仏の眼は世界全体を見通すだけでなく、どんな小さな瑕疵も見逃さない完璧さがある。
自分探しをした結果、自分の存在は国家に守護されていると気が付いた。そして国家より先に天皇が在った。日本は国を造って制度を整えたのではなかった。天孫降臨という文明の創造があってそのあと国家の形が成ったのだ。
天皇は存在するだけでよい。人気があるとか求心力があるとか考える必要はない。人間能力は問われない、能力主義ではない。天皇位が継承されるのは血統による。

* * * * * * * *

オバマ大統領の指示だったかどうか、政府の広報という形で歴代大統領の業績を記録した DVD が作られ図書館に置かれている。何巻あったか忘れたが、初代ワシントンからオバマまで全大統領の記録だった。全部見た感想は、日本で名の知られた大統領はアメリカでも同じように尊敬されているということだった。日米両国で大統領についてのイメージや情報量の差はほとんどない。アメリカでは全く違った大統領像が語られるという人がときどきいるが、気にする必要はないだろう。
政権や人物の評価は見方がいろいろ違うから詳細に検討すると驚かされることが多い。リンカーン大統領は国家統一を守り抜いたから偉大なのだそうだ。暗殺されたのも奴隷を解放したからではないという。教科書に書いてあることは鵜呑みにできない。それはどの大統領についても同じであろう。
フォード大統領は大統領選に勝ったことがない。1974年八月九日にニクソン大統領の辞任を受けて副大統領から繰り上がった。前任者が降板したので副大統領に指名され、ニクソン大統領辞任を受けて棚ぼた式に大統領に就任した。下院議員を何期も務めたベテランであったが目立った業績は知られていない。
任期が二年半過ぎたころ大統領選挙があり、カーターに敗れた。アメリカでは負け組は人気がない。そんな大統領居たのと言われるくらいで影が薄い。
しかし世界は勝者と敗者だけで動くほど単純ではなく、広い世の中には人情や政治の裏まで興味を持って調べる人もいる。そのような人の文章に出会ってフォード大統領は味のある人物かもしれないと気づいた。
フォード大統領が抜擢した人物群がすごい。ヴァイスという映画になったけれども、ブッシュ政権で副大統領になったチェイニー氏が政治家デビューしたのはフォード政権下だった。三十代で首席補佐官になった。親友のラムズフェルドは国防長官になった。彼はブッシュ政権時代にも国防長官となった。レーガン政権下で国防長官を務めたワインバーガー氏も顕職ではないが閣僚だった。彼らが後のレーガン、ブッシュ両政権を支えることになる。人物を見抜く目が優れていたと言わざるを得ない。伊達に下院議員歴が長いだけではなかった。
人物を見抜く能力を見抜いたからニクソンはフォード氏を副大統領に指名したのだろう。ニクソンは世に言われるほどバカではない。悪人でもなかった。悪い評判は人為的に作られた可能性が高い。ある勢力に嵌められたという人もいる。
ニクソン大統領の時代、ドルと金の交換停止が決定された。ジェームズボンドの007シリーズの中に「ゴールドフィンガー」がある。空前の大ヒット作になった。金を偏愛する悪役とジェームズボンドが対決する。フォートノックスにあるアメリカ政府の金を保管する建物が狙われる。最後の戦いが金庫の中で起こる。なぜ争いのタネになるかというと、金とドルの交換が保証されていたからだ。交換できなくなれば金の保有者は金属の保有者になる。歴史的な決断だったが、それができる大統領だった。
フォード大統領は自ら大きな決断をするタイプではなく調整型の人物と言われた。攻撃的なアメリカ人の中では珍しく、協調しながら手堅く物ごとを進めていくタイプだった。部下に決断できる者を集めて活躍させた。その手法が華麗な人脈を築いた。
協調調整型の政治家だったから昭和天皇、香淳皇后両陛下を招待したのだろう。アメリカ人は自分が思い込むとその正義を信じてやまない。最後の大戦争で日本憎しを植え付けられたアメリカに敵国日本の両陛下を招待することは容易ではなかったと思われる。人情が理解できるフォード大統領だからできた唯一の訪米だった。

里山文明

里山文明

「ポツンと一軒家」テレビシリーズがユーチューブにあるのを知った。一作ごとに偶然と未知の物語が展開され、興味深い事柄が映し出される。教えられることが多い。孤立した一軒家の物語は日本を映し出している。

愛知県の今泉さんの話は面白かった。最初に現れたときは下草刈り中だった。
「下草刈りは林や花などに日が当たるようにする作業だ。草刈りの最中も神経を研ぎ澄ませている。ツツジなど自生している花や草木を残す。数年すれば花が咲き乱れる山になる。種など買わない、自然の可能性を伸ばすだけだ。」
「人間が手をつけないのが自然ではないですか。」
「いや里山文化から見れば、生活の中で間伐をし花木を保護してその結果できたものが自然だ。何もせず草ぼうぼうのままほったらかしているのは自然ではない。」

今泉さんは江戸時代から続く里山文化を子供のころから肌身で体験した。田畑を作り、家の裏は山だった。近所の人も一緒に薪をとったりキノコや山菜を採った。山が荒れないように定期的に間伐した。頻繁に人が山に入り、動物の方も棲み分けて村に降りることは少なかった。里山が自然を作った。
他の動画でも秀逸な話が出てくる。和歌山県で若夫婦が田の草取りの助けにしようとヤギを飼っていた。子が生まれた。白い親ヤギから黒い子ヤギが生まれた。珍事件として新聞に載った。新聞を読んだ人がレポーターに訪問することを勧めた。訪れてみると驚くべき展開になった。
静岡県の茶畑で黄色い絨毯が覆っているような写真があった。やっとたどり着いた場所では、緑の茶畑と黄色の茶畑が並存していた。聞いてみると、一枚の黄色い茶葉を見つけたことから始まった。挿し木して増やし試しに飲んでみると香りが甘い。緑茶より栄養分が濃い。甘くて、飲みすぎると胃を壊す。飲み方食べ方から工夫し、炒ったり蒸したり製品化を考えた。県の一等級銘茶と認定された。
突然変異と言われるが、植物も動物も変異種が現れるのは珍しくないようだ。普段は見逃すのだが、見える人には違いが見える。功利主義からではなく興味が湧いて育てようとする人は少なくない。何億枚の葉っぱの中から一枚の黄色い葉っぱを見いだすのは研ぎ澄まされた感性の持ち主だろう。
茶畑を耕作しながら黄色茶を見出したように、先人は桜の変種も見出した。多数の異なる桜があるのは里山文化が日本中に根付いていたせいだ。人々がこぞって新種を見つけようとした。八百屋へ買い出しに行かなくとも、自生の山菜を収穫できる。その中からじゅん菜や大根やネギなどに成長した。錦鯉や金魚の種類の多さはは芸術的だ。稲も同じようにして発見され栽培されてきたのではないか。
人は一人では生きられないとはよく聞く言葉だ。普通は人はお互い支え合って生活が成り立つという意味に理解する。実は土も水も山も動植物もお互いに助け合って生きている。自分が生きるとは環境と共に生きることで、それを里山文化と言った。山への入り口には鳥居が建って神社があり、鎮守の森と言われた。それが日本全国にあった。日本は和の国、神道の国だった。
人と人だけでなく人と周囲の環境は切り離せない。家族は夫婦が元になる。個人としての男と女なら切り離せられるが、夫婦と家族は概念として一体だ。仏教はお釈迦様個人の苦しみから始まったが、依正不二論の結論に至った。依報(周囲環境)と正報(自己)とは分けられない。里山文化は里と山が一体の生活方法論だ。
動かない花や野菜だけでなく山には狼やイノシシや鹿もいる。彼らも餌が欲しい。時に里に降りて畑を荒らす。人間の側としては退治せざるをえない。猟友会が村や町にある。里山文化の徒としては山と里は血を流さず共存共栄したい。本意に背く殺生には懺悔と報恩感謝の念を表す。そのため一年に二、三回お寺で法要をする。その場面も放映された。
縄文遺跡の発掘はここ五十年で長足の進歩を遂げた。最古の土器は二万年ほど前に遡る。集落のそばには漆や栗の木が植えられていた。大木を伐り家を建てた縄文人が野菜を栽培しなかったはずはない。縄文文明とは里山の文明でもあった。大昔から日本人は里山文化を実践し続けてきた。
日本の里山文化は、自然の中から悪いものは退け良いものを守り育てる。その結果出現するのがお互いに持続可能な自然だ。里と山は一つであるという世界観だ。縄文文明は栗と漆と貝の時代から里山文化だった。邇邇芸命と木花佐久夜毘売のクニ、神武天皇朝、万世一系の天皇が知らすのは縄文時代から一貫して里山文明だった。

里山文明と言った日本人学者はいない。いわゆる学者は西洋の論文を読んで飲み込むのが学問であり出世の道と心得ている。そして西洋に里山文化はなかった。
手をつけない雑草だらけの草原と聞いて思い起こすのはイギリスだ。見渡す限りススキのような草だらけで森が見えない。芝生にしても一種類の草だけで、お城のような広大な芝生もひたすら刈り続ける。人が快く生きるために花も木の芽もすべて刈り取る。ただ一色の綺麗な芝生、人工的な庭園。見事な一面性、単純性だ。
アメリカがイラクを攻撃した時クルド族が独立目指して立ち上がった。クルド人女性兵士が気勢を挙げている写真があって、背景に草原が写っていた。雨が降るんだ。聖書には人がライオンと戦った話が出てくる。クルド族の地方は一万年前にはゾウやライオンがいたと思われる。近くにレバノン杉で有名な国があるが、ローマ時代すでに軍船や商船を作るために切られていた。今や消滅寸前というが、杉が消滅すれば沙漠になる。なぜ植林しなかったのか。里山文化がなかったからであろう。
トマト、ジャガイモ、タバコ、トウモロコシ、かぼちゃ、ナス、無数の豆類、
現在我々が食している多種多様な食材は、日本を除けば新大陸原産ばかりである。
西洋原産ってなんだろうかと考えたとき、小麦、大麦、ライ麦くらいしか思いつかない。地中海沿岸ではオリーブやイチジク。馬に牛、羊とヤギは肉食文化、牧畜文化を生んだ。馬を乗り回す、牛や羊をコントロールする、肉、乳、皮など主に動物の扱いに気が回った。草は動物が食べられればよい、木は伐るだけ。
西洋の近代思想(実はずーっと)は自己中心主義だ。自己と他者を峻別する。周りの自然は他者だ。したがって純粋な自然とは手を加えない密林や草ぼうぼうの地だ。純粋な自己もまた他者から侵入干渉されない個人である。人と自然は分断する。日本の学校では西洋思想と西洋文化ばかり教える。これが、レポーターが「手を触れないのが自然ではないですか。」と言った背景だ。
人は正直でもいられるが嘘を言う可能性もある、いつ裏切るかわからない。人間は完全でも真理でもない。自然は嘘をつかない。嘘を言う人間が手をつけたら自然が不自然になる、不真理になる、汚れる。
「はじめに言葉ありき」(新約聖書、ヨハネ伝)とはよく言ったものだ。自分と他者、自分と社会、自分と世界のように、はじめに言葉を定義すると自己と世界との分断が決定的になる。そして自分と自然も隔絶される。西洋の学問は生活から始まったのではなく、観念、言葉、論理から始まった。言葉が峻別した自己と自然を実際の自分と自然だと思い込んだ。

英語では自然の哲学と実践のように表現する。哲学は言葉で表現する理念だ。言葉だけでは生活にならないから実践を加えて行動になる。まず言葉が自己と他者を分けるから後で統一する作業が必要だ。言葉も生活も自然も分断される。
西洋個人主義の自然と里山文明の自然とは明らかに異なる。里山文化は縄文時代から日本人が実践してきた。初めから終わりまで多様性そのものの里山文化だが、生活から出発するから一語ですべてを表すことができる。
日本の根本問題は偏頗不完全な西洋学問への崇拝がすぎることだ。西洋風ライフスタイルが上等と思い込んでいる。そのため創造発展の方法である里山文明を忘れようとしている。学校を信頼しアスファルトとビルの都会に生活すれば、里からも山からも切り離される。自然を失い自分も失う。
「ポツンと一軒家」シリーズを見よう。

天皇の祈り(4)

天皇の祈り(4)     05/20/2011

マッカーサー回顧録には、昭和天皇が初めてGHQ本部を訪れた時、その高潔な人格に感銘を受けたと書いた箇所がある。日本人には耳触りがよい。一方、自分の回顧だから自己宣伝とする人もいる。
昭和天皇が大戦後なぜ天皇位を続けられたか、つまりなぜ日本の国体が守られたのか、本当の理由をアメリカは公表しない。第二次大戦に関する最高機密だ。連合国軍最高司令官が影響力を行使したからだと推測するのは自然だろう。OSS (CIAの前身) が早い段階で戦後政策を考えていたからだと主張する田中英道氏もいるが、情報機関とはいえ大激戦あとの政体まで見通せるか疑問だ。
マッカーサーに対する好印象は批判してはならないとする報道検閲の所為が大きい。実際にしたことは検閲、戦犯処刑や憲法実施をはじめとして国際法違反ばかりだった。日本を毀損することばかりだった。昭和天皇は十回近く訪問されたが、マッカーサーが答礼で皇居を訪れたことはない。解任されて離日するときも天皇陛下が挨拶に行かれた。高潔な人格に感銘を受けた人の行動だろうか。

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田中正明氏(故人)講演の動画、「パール博士の日本無罪論、南京虐殺の虚構」 は戦前戦中戦後を生きた方の迫力と説得力があった。大方の事象は知っていたが、自分のは抽象的な知識の集積に過ぎないから魂がこもっていなかった。田中氏は松井石根大将の秘書であり、目撃者、経験者で血と肉が覚えている。
マッカーサーはフィリピンの最高司令官であっただけでなくアメリカ陸軍大学校始まって以来の優等生だった。学校の成績が良いので出世を重ねた。やがて母校の校長になり教課制定に尽くした。軍人の間で尊敬されている理由と思われる。
ところが真珠湾攻撃のあと本間雅晴中将指揮下の日本軍に蹴散らされた。”I shall return.” と言って部下を捨てて家族だけでオーストラリアへ逃げた。敵前逃亡で輝かしい経歴に傷がついた。人望はなかったという人も多い。両方あいまって大統領位は部下だったアイゼンハワーに取られた。
本間雅晴中将は戦後フィリピンで死刑にされたのだが、形式上は裁判で有罪にしなければならない。その時に持ち出されたのがバターン死の行進だった。マッカーサーの復讐だったといわれる。

戦後の天皇位存続について田中正明氏の見解を初めて知ったのだが、これまでに聞いた中ででいちばん納得できた。体験者の肉声の故であったからだろうか。講演では、特攻隊を始め最後まで死力を尽くす日本人の戦い方が最大の原因だったという。
もし昭和天皇を投獄したりすれば日本人を押さえつけるために百万人のアメリカ軍人が必要になる。アメリカは未来永劫、日本人の憎悪を覚悟しなければならない。日本人の団結心を恐れて、占領政策をいかにするか知恵を絞らざるを得なかった。
昭和天皇訴追は国際法違反である。しかしソ連や中国やイギリスなどは復讐したくて仕方なかった。破壊本能だけで突っ走るのは革命思想の本質だ。また他人他国を平気で蹂躙するのは人間の本能の一つである。しかし国際社会は文明化してしまった。
大統領も首相も毎年施政方針演説をする。まさかカルタゴのように破壊し尽くすとは言えない。建前上はアメリカもイギリスもソ連でさえも人道主義国家なのだ。日本に対して残酷な仕打ちができたのは、日本が世界支配を企む邪悪国家だという宣伝洗脳が成功したからだ。事実と異なる洗脳は遅かれ早かれ解ける。
大戦末期すでにソ連共産主義国の剥き出しの牙は多くの米国民に観察され始めていた。彼らが日本は終始一貫して共産主義と戦っていたと知ったら、アメリカの開戦理由も疑われることになる。ここは穏便に自らの正体がバレないように済ませたいとの思惑が、天皇位には手をつけない結論になったのではないか。

動画の題名に「南京虐殺の虚構」が入っている。いまどき南京虐殺を信じる日本人はいないと思われるが、二十年前は論争になって断交した友達もいる。朝日新聞に本多勝一が’中国の旅’を連載した影響が大きかった。大新聞が嘘を書くはずはないと多くの人が信じていた頃である。個人的には渡部昇一先生の著書を読んだので虐殺の捏造騒ぎからは早く卒業できていた。田中正明氏はすべてご存知だった。

日本と日本人を弱体化するのは戦後アメリカの国策となった。そのためには日本人を歴史から切り離すのが一方法であった。教育改革の目標の一つは、古事記と日本書紀に基づく日本の歴史を教えず混乱させることだった。
古事記の代替品が「魏志倭人伝」であり、天照大神と大和朝廷の代わりに卑弥呼と邪馬台国が喧伝された。恣意的な占領政策とも思わず、日本人学者はせっせと魏志(偽史)を読み、千冊以上の研究書が出版された。莫大な知的エネルギーが偽りの物語の解釈に費やされた。そして邪馬台国の場所さえいまだにわからない。
日本は古事記と日本書紀をもとに建国された。その大本を隠して、邪馬台国と卑弥呼を教える。神武天皇から続く国であるという誇りを奪って日本人を離間し弱体化する。歴史戦をしかけられた結果がお花畑と言われる現代日本人の出現だ。
田中英道著「邪馬台国は存在しなかった」は戦後の謬説を排する。卑(卑しい)弥呼、邪(よこしまな)馬台国が日本人と日本の先祖だって?公式文書には古今東西美称が使われる。なぜ日本の先祖だけが蔑称なのか。仕掛けられた歴史戦から覚醒するときがきた。

 

 

木花佐久夜毘売のクニ

木花佐久夜毘売のクニ

木花佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)は、古事記によると、天孫降臨された邇邇芸命(ニニギノミコト)と結婚された地上出身の女性である。邇邇芸命は天照御大神の孫にあたり、大八洲(オオヤシマ)、日本列島を知らせとの神勅を受けて天降られた。知らすとは実際には統治する意味になるが、文字通り知識智慧技能でもって人々を導くことだ。
明治憲法の第一条、大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。統治すの部分ははじめ知らすだったそうである。外国では戦って勝つことが独立の条件だが、日本だけは知識知恵を磨いて建国し国家を経営してきた。五箇条の御誓文も国歌君が代も闘争を奨励していない。戦争や災害への備えは知識の一つとして常に怠ってはならないが、日本人の日本人たる所以は智慧によるのであって、粗暴な闘争や強奪強制ではない。
邇邇芸命は神勅の通りにコメや雑穀の栽培方法を知らせたので民が安心して生きていけるようになった。われわれがいただくご飯は邇邇芸命に発する。誠に天から降った偉大な存在である。木花佐久夜毘売は奥さんだから子供を育てる以外にことさら偉大である必要性はないだろう。しかし実際には日本を比類なきクニにした方だった。
それは名前に表されている。木花(コノハナ)とは木の花、とりわけ桜の花である。桜は万葉集にもたくさん歌われており、梅やムクゲとは別格の存在だ。桜には日本人は慣れっこになって花より団子などと揶揄するものが多い。しかしアメリカでは、死ぬまでに一度は満開の桜を見たいと願う人は少なくない。彼らは無意識のうちに、天孫と結ばれた木花佐久夜毘売に憧れている。
お城や川端や公園で花見に興ずるのもいい。目を見張るほど美しい桜並木に入って甘い匂いに浸るのもいい。吉野山をはじめ山全体が桜という景色も見事である。深い山に一本二本と桜の大木が花をつけている図も捨てがたい。誰かが何百年前かに植木したのだろう。山桜って自生木だったかも。しかしほとんどの桜は人が植えた。街でも山でも日本人は桜を愛でてきた。そして森林の景観まで変えた。

アメリカやヨーロッパ、というより外国では山に花の木がない。新緑や紅葉は葉が大きいだけに豪勢だが花木は目につかない。森林を見ても伐採以外の知恵は湧かなかったようだ。近年に至って庭木や街路樹には花木が植えられる。木蓮が多い。公園には桜、日本の植木屋が仕事したのだろう。ところどころの庭にムクゲや芙蓉がある。
りんごは Apple で食べるためにたくさん多種類植えられている。桜科だったと記憶する。普通の人は実を収穫するのがリンゴの木だと思っている。うちには四十年ほどの Crabapple という花木がある。花専用に特化されたリンゴの木で、赤や白やピンクなど色とりどりの種類がある。
実をつけるりんごは春先に薄いピンクの花をつける。たくさん咲くから豪華で、甘い匂いが漂う。何割かの花が受粉してリンゴになり秋に熟して食べられる。
普通のリンゴの花が綺麗なせいなのかもしれないが、 Crabapple は今一つ人気がない。花だけでは食欲が満たされないからだろう。実はなるのだが固くて小さい。店頭で売っていたので調理法を聞いたら誰も知らなかった。
うちの Crabapple は五月はじめに満開になる。一本だけだが大きく、白い花が咲き誇る。ピンクのクラブアップルもあったのだがなぜか枯れてしまった。ある年近くを通りかかると甘い匂いとともにブーンという羽音が聞こえた。小さい花々に蝶や蜂や昆虫が群がっていた。春の日差しの下で無数の小動物が花蜜を求め花粉の周りで舞っていた。なんの音も発しないはずの木が唸っていた。
なるほど。人間にとってはリンゴの実だけが目につく、食欲の対象だから。しかし蜂や昆虫にとっては花こそ食欲の対象だ。花蜜がある、花粉も蜂蜜になる。花と蜂と昆虫が共存する。昆虫を食べる鳥も来る。花の香りをめぐって生命の饗宴が行われる。
Crabapple の木は大きいのだが一つ一つの花は小さい。実がなるリンゴも多くの小さい花をつける。桜科の木には小さいがたくさんの花が咲く。
大きな花の種類もある。もくれんは椿より大きな花をつけ大舞台で見栄えがする。うちの白い木蓮は泰山木のような大きな花をつけた。花の数は少ない。芍薬もたくさんあるが花が大きく茎で支えきれない。数が問題になるのは、いくら甘い蜜を産しても少ない花では多くの小動物を養えられないからだ。小さな花をたくさん咲かせるのが花木としては一番生産力がある。
コンフリーは丈夫な植物で繁殖力が強い。緑色の葉の間から小さな花がたくさん顔を覗かせる。しかも花が咲くシーズンが長い。蜂類がしょっちゅう訪れるしハチドリも来る。小さな花の効用に気がついて、雑草として刈り取るのはやめた。タンポポや紫の花など、小さく数の多い花々も刈り取らなくなった。
桜は実をつけない、花は小さくお城の堀などに散ったら数が多いから腐って掃除が大変だ。なんで日本を代表する花なんだろうと疑問に思ったこともあった。綺麗なだけじゃ腹膨れないし、甘い匂いになんのご利益があるのか。見るだけなら藤、蘭、アサガオなど大輪の花を賞でる人がいるのも頷ける。
邇邇芸命がもたらしたものは主に食べられるもの、団子であった。食欲を満たすもの、命をつなぐものの大切さは誰にも分かる。貧富、強弱、性別を問わない直接かつ普遍的真理と言える。
地上で迎えた木花佐久夜毘売は自然の美と生命の力の両者を増進する方だった。すぐ強奪できるような底の浅い美や生命力ではない。自然の機微を理解するには深い智慧が要る。日本人は太古の昔から、小さな花を無数につける桜が、見た目も美しいが生産力抜群だと知っていた。どこに行っても桜が生えているのは日本だけだ。日本は木花佐久夜毘売の国だと改めて思いを致す。

 

 

ブラックホールと多神教

ブラックホールと多神教

Netflix を検索していると、ブラックホールの題名で40分ほどの映画があった。普通この種の映画は二時間以上なので逆に興味をそそられた。寝入るまでの時間潰しに見た。ところが宇宙観が変わる驚くべきものだったので感想を書き留めておく。
イギリスで天文学者の小グループがブラックホールを見つける計画を立てた。可能性がある星雲を十個ほど選んで集中的に観測した。その結果二、三個ブラックホールを発見した。
次にブラックホールと星雲の関係を、何かあるのではないかと調べた。ブラックホールの質量を測ることができるそうである。計算し観測した結果大小がわかった。そして星雲の外縁にある星の運動速度と比べた。するとブラックホールの質量の大きさと星の速さとの間に相関関係が認められた。質量が大きいと星の運動が速い。
ここから類推できることは、星雲には中心にブラックホールがあり、星々はブラックホールの周りを回っているということだ。星はブラックホールと引力で結ばれて運動する。それで渦巻き状の星雲ができる。星雲の真ん中はあらゆる物質を吸い込むブラックホールで、その質量が引力を発生し星々を引きつける。
小品の映画だからか結論ははっきり示されていない。まだリサーチ中で仮説の段階ということだろうか。または一般常識であるビッグバン説との不整合を見越しての逃げだろうか。

ビッグバンは、アインシュタインの相対性理論を計算すると、宇宙は膨張している解が出ることから始まった。本人は初め信じなかったという。その後最新機器での観測が続けられ、宇宙の膨張は定説のようになった。
膨張を逆に辿っていくと過去には宇宙が小さかったことになる。どこまで小さかったか、小さくなれば何が起こるか。そこで提出されたのがビッグバン説だった。
宇宙が引力によって極小まで圧縮される。すると物質の圧縮で超高熱になり逆方向に爆発する。ビッグバンが現在の宇宙の誕生で今も爆発の影響で宇宙は膨張し続けている。天体望遠鏡の観測結果は宇宙の膨張を裏付けているという。エネルギーの揺らぎという、複雑な計算と観測の結果も過去の宇宙の爆発を示すという。
以上がビッグバン説の大筋だが、おかしい点がある。宇宙は無限だ。無限の宇宙が一点に収縮したとする。しかし宇宙は無限だからまだ無限の宇宙が収縮を待っている。それも収縮するとまだ次の無限大の宇宙がある。
有限でなければ宇宙の収縮は終わらずビッグバンは起こらない。しかしビッグバン論者は宇宙は無限だという。両者は論理的に考えると矛盾している。
矛盾を解く鍵は、一神教に馴らされた思考方法がビッグバン説を生んだのではないかということだ。ビッグバンを神に置き換えると永遠無限を説く一神教の世界観にぴったりだ。西暦には始めがあって終わりがない、ビッグバンも有始無終だ。
ブラックホールの引力はすべての物質を引きつけ、引き合うほどに力が強くなる。最大のブラックホールは爆発する前のビッグバンだった。それはただ一つだった。それはただ一回だった。それは一人で世界を創造した神と同じだ。そして両方とも目撃者はいない。そして終わりがない。

映画ブラックホールでは、銀河系にもブラックホールがある可能性を示唆している。ブラックホールは星雲内のあらゆる星を引き込む強い引力を持つ。星雲の回転運動はブラックホールがあってこそ可能だ。ブラックホールの一生と星雲の一生は一致している。この宇宙は生死する有限な星雲が並存してできていると考えるのが自然ではないか。定常宇宙説が有力な時期があった。
古事記の中の八百万の神さまがたは人間がするように、生まれたり死んだり、子供を作ったり労働したりする。神様はユダヤ教やキリスト教のように唯一神でなければならない理由はない。一人では寂しいだろうし。
仏国土という考え方がある。お釈迦さまは唯一の仏だが、それはこの娑婆世界に一人という意味だ。娑婆だけが世界ではない。仏教では無数の世界があって、一つ一つの世界に仏が一人ずつおられると説く。たまたま娑婆という地球にお釈迦さまが出現なされた。仏教も多神教だ。
大日如来は一つだとか阿弥陀さまは一人で何もかも引き受けられると唯一神みたいに考える人や宗派もあるわけだが、彼らは一神教の影響を受けている。神といえば唯一でなければならないと思うまでに一神教に馴らされている。一ははっきりイメージできるし二以上より考えやすい。天照大御神も御一人だから、常に八百万の神々と居られた事実を忘れると一神教になる。心して学問すべきだ
ビッグバン説は数式から始まって宇宙の観測結果を加味しながら提出された。数式は観測で証明されたと簡単に言う研究者もいるわけだが、抽象的で永遠無限だと解決しない問題が果てしなく起こる。数式で宇宙全体が解るという前提は真か?
日本の元号は天皇の即位から薨去までの有限で完結した暦法だ。キリスト生誕を本にする西暦には終わりがない。いや最後の審判までの時の流れだから終末はあるかも。しかし日常生活では、死なない神と死にゆく命との間にいつも乖離がある。
逆にいうと、現実の宇宙は無始無終、有限で生死するはずだ。星雲は具体的に目でみえ、大きさもわかり生と死も観測される。個々の星々や一つ一つの星雲の共存が宇宙の事実だろう。宇宙がひっくり返るような異常な出来事はこの世にはない。われわれの生存から銀河系まで、生が現れ活動し、活力が衰えて死にゆくのが世界だ。永遠無限はじつは有限に包摂される。世界を正しく説明できるのは多神教だ。

糖病記(7)

糖病記(7)

火曜日に歯医者に会った。さっそくこの夏はどうだったかとお互いに確かめ合った。

「チェーンソーで足を切ってしまった。六月三日の夕方で、単なる不注意だった。骨がわずか切れた。手術になって二泊した。三週間は松葉杖生活だった。十週目でほぼ治ったけどね。」
「それは痛いだろう。」
「痛かったけどほとんど治ってきた。」
「でも今も痛いだろ。」
「そうなんだ。痛みはなくなるのか、いつまでも続くのかわからないので困っている。」
「骨そのものは痛みを感じない。骨を包む組織が壊れると痛い。鶏の骨を食べるとき骨にくっついている肉を食べるだろ。肉の部分が損傷すると激しく痛い。その組織はタンパク質でできていて修復が遅い。」

患者の苦痛と毎日格闘する歯科医だけの事はある。痛みが感じられる部位や仕組みをよく知っている。骨を包むタンパク質組織については習ったことがあったがコロリと忘れていた。痛の大本だとは思わなかった。
皮膚組織は回復したはずなのになぜチクチク痛むのだろうかと疑問だった。リンパ液や腫れは不快ではあるが、本命ではなかった。骨とそれを包む皮膜が元どおりに戻るまでは痛みが続く。「骨を断つ」が命懸けの行為であり命に関わる言葉であることを知った。

糖病記(6)

糖病記(6)

七月二十日、二十一日、二十二日と招待客を迎えてのイベントがあった。四十五人ほどの集まりになった。スケジュールを伝達する、作務してもらう、一緒に御経を上げるとかお願いすることが多い。チェーンソーの怪我から六週目で自由に動ける左足ではなかったが、不具合を忘れて飛び回る羽目になった。重労働はしなかったが、体重をかけることが足にとっては大きな負荷になる。
猛暑であった。気持ち良いので外で傷口に陽光を浴びた。一日目は良かったが、二日目から左足が浮腫んだ。赤黒く腫れ上がった。完治するまでは無理しないと決めていたのだが、状況のしからしむるところとはいえ油断した。腫れが続くと厄介なことになる。
足が赤黒く浮腫むのはリンパ液が滞留するからだ。手術の際肉を切った部分があり、普通に流れていたリンパ液の通り道が塞がれるとか無くなったと思われる。少痛や不快感がある。体重を掛けたり動かしたりすると痛い。動きがぎこちなくなる。
リンパ液が多すぎるのは完治していない証拠だ。皮膚、筋肉、神経細胞や血管の正常な機能が阻害される。皮膚の下の修復作業が遅れる。治りかけで運動を再開すると治るものも治らなくなる。
スポーツ選手で怪我が治りかけのまま練習を始めて一生を棒に振った人は少なくないという。専門医がみるプロでさえ失敗する。素人なら誤診を前提にして用心するしかない。完治の診断は他者からも本人にも難しい。

リンパ液の治癒は難しいともどかしく思っているうち、若い頃指圧を習ったことを思い出した。文字通り指で圧する療法だ。原則は簡単で、皮膚の痛いところや不快を感じるところを圧迫し、十数えて離す。同じことを三回繰り返す。押されたところは一時的に血やリンパ液が止まるが、圧迫がなくなると堰を切ったように体液が流れる。新しい血の栄養が患部を修復する。この原理を知ってから、腰の内部の痛みや腸の不快感をときどき手当てしてきた。
腫れている左足を恐る恐る撫でてみた。体液が多いのでブクブクする。そのまま足の上方へ何回もさすった。マッサージしながら傷口にそっと触る。痛いのだが血が出るとか皮膚が切れるとかの物理的な変化はない。だんだん平気になって傷口の中心を指圧するようになった。
翌朝見るとむくみが引いて右足と同じくらい白色になっていた。マッサージが効いた。リンパ液が流れ出すのが効果的だとわかった。生来の流路が壊されているのだから、ときどきマッサージで助け舟を出すのは理にかなっている。何が完治かイメージが湧いてきた。八週目は療養の境い目だったと思われる。あと二週間、もどかしいが焦りは禁物だ。
睡眠も大切だ、寝ている間に細胞が創造されるという。食事をとると眠くなる。消化とともに新しい栄養が傷を修復し古い細胞が死に代替品ができる。皮膚が新しくなり、髪や爪が伸び、目が綺麗になる。人は生体の不思議を享受して生きている。治癒は生体の働きが正常に戻ることで、マッサージのようなわずかな治療も治癒を手助けする。

六週目、接心があって坐禅することになった。八割しか坐れなかったが、背筋を伸ばし顎を引くと頭も視界もすっきりした。ただ坐るだけだが、正身端坐のありがたさが身に沁みた。
歩けないから六週間ゴロゴロ寝そべっていたわけだが、肉体だけでなく頭も悪くなる。なんとなく鬱になる、なんとなく不快になる、そしてなんとなく体力を失って起き上がるのがめんどくさくなる。何ヶ月も何年も寝ると筋肉も細り消化機能も排泄機能も失うのだと予想できた。
加齢は誰も避けることはできないのだが、正しい姿勢を知って実践していたことだけは儲けものであった。曲がった姿勢からは不正邪悪な妄想が生まれるばかりでなく、肉体まで歪み衰える。
正身端坐すれば即座に邪見が晴れる。正直を体感した最初の坐禅を思い出した。今でもあの晴れ晴れした心境に一瞬で立ち帰れる。また坐禅したいと発心した。人生は解らない、いつの間にか本当の宝物を手に入れていた。

怪我を忘れるまで快復できるかどうか不安ではある。冬になると傷口が疼くのかもしれない。それでも快復の見通しがついて、ドライブ中に安心感から鼻歌が出た。すると歌詞、リズム感、口、喉、体の動かし方を忘れていたことがわかった。八週間ひたすら怠けたのだから無理もない。精神的な治癒も完治の要素だといわねばならない。
八月十二日はバス停中心に5キロ歩いてみた。完歩する自信がなかったので途中で車に乗せてもらった。まず歩けることを確認できた。
八月十九日は思い切って全行程八キロ徒歩に挑戦した。時間はかかったが完歩
できた。汗びっしょりで帰宅して靴下を脱ぐと、左足の腱が右足と同じように浮き上がって見えた。全力徒歩運動で左足がほぼ正常になることがわかった。完治だった。それ以降は療養保護ではなく工夫鍛錬の段階に入った。
(糖病記終わり、にしたい)

天皇の祈り(3)

天皇の祈り(3) 05/20/2011

昭和天皇が御巡幸を始められたのは敗戦の翌年、昭和二十一年だった。全国が焦土となり、茫然自失となった国民を激励し復興を勧められる目的のもと発願された。
国民とすれば歴史上体験したことのない災難だ。他国から征服者づらした権力者がやってきて勝手に命令し法律を作り乱暴狼藉をはたらく。普通の日本社会なら乱暴者は警察が引っ張っていき裁判にかけ善悪をつまびらかにする。その機能が占領軍によって意図的に破壊された。治安回復とは逆方向の政策が取られた。経済は成長しないように抑圧された。教育制度は子供がバカになる方向で’改革’された。
連合軍兵士の犯罪は捜査できなかった。裁判は連合軍がやった。洗脳と検閲は日常生活で、国民は分断され孤立化した。お互いに疑心暗鬼を抱く社会となった。食うだけで精一杯の日々が続いた。国会は占領軍への支払いを優先し、国民への施策は後回しにされた。公職追放には議員も大臣もなかった。マッカーサーたちは高みの見物で笑っていた。
御巡幸には丸腰の侍従が二、三人同伴するだけだった。敗戦国とはいえ国を代表する元首である、身辺警護するのは常識であろう。最重要人物を危険な状況に晒す、連合軍の底意が示されていた。事前に陛下を貶める情報が新聞やラジオで宣伝され、その上で放り出された。
陛下に出会った人々は感激し、万歳三唱が響き渡った。今上陛下の人気は高まるばかりで、数ヶ月後には御巡幸の中止命令が出された。事態が好転すると邪魔をする、マッカーサー流が露わになった。実際には元兵士などが密かにまた組織的に昭和天皇の身辺警護に当たったという。歴史には表に出ない事柄がある。
昭和天皇にしてみれば、不本意とはいえ国を敗戦に至らせた最高責任者である。天皇の名において数百万の国民が命を落とし、生き永らえた者も負傷、飢餓、離別と塗炭の苦しみを経験した。本音どころか言い訳を聞いてもらえる相手はいない。いっそ恨みの果て暴漢に襲われて死んだ方がマシだと思われなかっただろうか。日本再興は全国民を巻き込んだ命がけの大事業だった。

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ときどき人の不幸を聞くときがある。いろいろあるが、病気になるとか人間関係が悪くなるのが多い。その中で、二十代の一人息子や一人娘を失ったケースがある。手塩にかけて育ててきた掛け替えのない身近な命を失うことの喪失感はいかばかりか。年齢を勘案して慰める言葉もない。
一人っ子を失う悲劇は、現代人の奢りに対する報いではないかと思われる。現代医学は発達した、子供は一人で十分だ、空いた時間は人生を楽しむために使おうなどと余裕たっぷりの人生観に裏切られたのではないか。個人主義、効率主義、資本主義、科学技術至上主義、快楽主義などに頼りすぎたのではないか。事故、病気、自殺などによる破綻を見逃していた側面がある。別の言葉では浅知恵という。
日本人なら古事記に何が書かれてあるか概略は知っておく方が良い。天照大御神が女神で最高神ということは誰でも知っている。そこから美人の神様を礼拝する心持ちが自然に発生する。仰ぎ見る存在で信仰の対象となる。多くの人はマリアさまやキリストと同じように思うだろう。聖なる存在である。しかしそれだけでは一神教になる。唯一神は一人っ子だ
日本は多神教の国であり、古事記は多神教の視点によって書かれた。天照大御神の子孫である天皇は多神教である神道の祭祀長である。一神教と多神教との違いは明確にされるべきだが近年では学者も知らない。
天照大御神は須佐之男命との間に二人の男子と三人の女子を設けたと書いてある。一方の男子の子(孫)が瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で天孫降臨された。尊は神武天皇の曽祖父にあたる。天皇の系図は一人から一人へ継承されるが、男系男子、万世一系の皇統の裏には常に数人の予備軍があった。瓊瓊杵尊や神武天皇は最適任者として選ばれたのだが、一人っ子ではなかった。
天照大御神の真似をして五人の子供を育てていたら、一人息子や一人娘を失ってすべての生き甲斐を失うという悲劇は起こらなかったであろう。敬虔な信仰心を持つ必要などなく、ただ生き方の真似をするだけで不幸から免れることができた。日本国家全体としても少子化問題などたちまち解消する。
聖典、聖書、経典、教典など世に尊崇される大切な典籍は多々あるわけだが、なぜ聖典と呼称されるか知っている人は少ない。神の本質や存在について思考する形而上学が大事だとのめり込む。論理を駆使し絶対的真理に到達しようと志向する。物語の背景にある歴史的事象や関係を解きほぐす。日常生活から離れて神秘的な体験をしたい。聖典を前にしてわれわれはどうすべきなのか。
道元禅師は正法眼蔵弁道話巻で、仏典の存在意義は、教えの通りに修行すれば道を得られるからだと言われる。この意味を知り実践したい。古事記も聖典だから、ご活躍される神様の真似をすれば、多くの問題が起こる前に芽を摘まれるであろう。
徳川幕府は将軍家のほかに水戸、尾張、紀州の御三家を置いた。直系が絶えると藩屏の御三家から連れてきて将軍にした。天皇と皇族との関係を真似ている。経済はコメ本位制で回した。天照大御神の大八洲を瑞穂の国にせよとの詔勅を具体的に実行した。徳川幕府が十五代、二百五十年の平和を築いた原因は古事記をはじめとする古代からの日本の智慧を摂り入れたことにあった。

書評:現代史の正体

書評:現代史の正体、馬渕睦夫  SB新書

本書は今日までの百年の世界の動きを過不足なく解説した書物である。最初から最後まで赤線で埋まった。すべての日本人に読んでもらいたい。

新書の帯が秀逸だ。表の帯には、「絶対に書けない世界史最大のタブーを暴く!」とあり、裏の帯には「共産主義=グローバリスト=国際金融資本、すべて一緒だった!」とある。さらに’国家に干渉できる権力を持つ機関の出現が国際連盟、’’戦後処理の大枠を決めていたのはロンドンの銀行家、’’ジョージ。マーシャルこそが中華人民共和国の生みの親、’など刺激的な文言が並ぶ。多くの人はほんとかなと思うであろうが、本文で説得力ある論評が繰り広げられる。変だなと感じていた世界の動きがわかり、誰が世界を操っているのか、何が世界を動かす力なのかが解き明かされる。そのような真実がわからなければ’令和の時代に日本人の歴史を取り戻す、’ことはできない。

重要な現代史の趨勢や思想や事件にはユダヤ人の役割が大きい。キッシンジャーは有名だが、著名な学者、思想家、銀行家などは数え切れない。
FRB (Federal Reserve Board) アメリカ連邦準備銀行は1913年、ウィルソン大統領時代に設立されたが、民間銀行で通貨発行権がある。一国の通貨を発行するたびに国が銀行に手数料や利子を払う。誰が考えた錬金術だろうか。
イギリスはインドを植民地支配したとき国ではなく東インド会社に経営させた。同じようなノウハウが独立国アメリカに適用された。以来アメリカは内政、外交、軍事ともにロンドン ニューヨークの銀行家に翻弄された。表には出ないで利益のために戦争暗殺も平気で行う。その体制がトランプ大統領の出現まで続いた。われわれは歴史の一大転換点に立っている。

じつは何をもってユダヤ人とするのかははっきりしない。ユダヤ教を奉ずるものがユダヤ人とされるが、正統派から無神論者までいる。母がユダヤ人ならその子はユダヤ人だ。だが血統は二千年来守られているかどうか、セム族のはずなのに出会うのは白人ばかり。聖書の歴史的な由来からすればパレスチナ周辺に多いはずなのに、ロシア東欧からぞくぞくと湧いてくる。また改宗ユダヤ人もいる、有名なのはフランシスコ ザビエルだが、あのひともこの人もというくらい多い。ユダヤ系は数え切れない、フランクリン ルーズベルトは代表格だ。出自を明かさない、イタリア人と思って話していたら実は、というケースばかりだ。その上民族的な出自も明かさない。富豪ばかりでもない。影の支配者にとっては正体を明かさないことは大事だ。それで歴史の真実も隠されてきた。

失われた支族が日本にたどり着いたとか、日ユ同祖論とかは疑ってかかる必要がある、侵略の手段かもしれない。DNAが似ているという人もいるが誰のDNAなのか。アインシュタインもユダヤ人だが日本人の風貌とはかけ離れている。言葉の音が似ているだって、古代フェニキア文字の綴りに音を合わせているからだろう。母音がないから後付けで音合わせができる。結局ユダヤ人脈に属している人をユダヤ人と称するしかない。謎ばかりだ。

該書はいかに真実を知るかという方法論を同時に開陳している。国際政治やユダヤ人問題などは複雑すぎて理解不可能と決めてかかっていた。しかし真実を解き明かそうとする意志があるならおそらく壁は乗り越えられる。容易ではないし何十年もかかるかもしれないが。