糖病記(5)

糖病記(5)

左足の手術が月曜日の夜中、退院が水曜日だった。金曜日に隣町の診療所に来るように言われた。包帯を取って看た医者がびっくりした顔をした。事後経過が想像以上に良かったらしい。新しい包帯を巻いて、月曜日に別の医者に行くように言った。包帯は Xeroform 湿布薬+ガーゼであった。
月曜日に再検査。そこでは検診のたびに傷口の写真を撮っていた。記録に残るから医者もごまかしができない。Xerofom使用で後は自分で包帯を取り替えろ、来週の水曜日に再検査すると告げられた。シャワーを浴びたら石鹸で洗い、処方された薬を飲め。ビタミンや魚のタンパク質を摂れとアドバイスされた。
風呂に入るとき、左足はビニール袋をかけて水に濡らさなかった。Infection 感染症を心配するといいながら、素人に普通の石鹸で洗えという。日本人でなかったらそのまま医者の言葉を鵜呑みにしていただろう。シャワー水から感染する可能性は高いだろうに。
歯医者の勧めで過酸化水素水 Hydrogen Peroxide を買った。バイ菌にあったら即座に気泡が出て殺すという。包帯交換の度に消毒した。退職した看護婦に偶然会うと、痛み、腫れ、熱、感染さえなければ大丈夫だと励まされた。

松葉杖を初めて使用することになった。左足に圧力をかけてはいけないからで、病院で歩く練習をした。平地はいいのだが、階段や滑りやすいところは要注意だ。うちには階段がたくさんある、松葉杖で上下できるか。退院した日は這って二階まで行くと決めた。二階へたどり着いたものの松葉杖なしでは立ち上がることが難しいと悟った。結局室内でも松葉杖に頼ることになった。
松葉杖は外から見ると脇の下で体重を支えている。ところがあすぐに脇が痛くなる。ある人が両手で突っ張って歩くのだと教えてくれた。正しい楽な使い方がわかるまで時間がかかった。松葉杖ではコーヒーカップ一つも動かすのが難しい。冬なら薪を運び込まなければならない。夏に起こった事故に感謝した。

初めは出血が多かったが、二週目から目に見えて血が出なくなった。皮膚を切った部分の早い再生を祈った。三週目、両足を見比べると左足に血がたまりむくんでいた。かかとで歩くのを心がけたのだが、訓練のつもりが、体重の偏りなどで圧迫ストレスがたまる。そこにリンパ液が修復のために集まるのが原因だろう。足に荷重をかけないように松葉杖をせっせと使用した。
包帯はできるだけ使用しなかった。人が考える治療法は正しいかどうかわからない。湿気の多い南洋諸島なら、海で泳いでいる間に治る類だろう。正道は内外の自然の治癒力を信頼することだ。
六月二十六日抜糸。七月十日にもう来るなと言われた。包帯を取って放り出された、三十八日目だった。かかとでぺたんと立てないのは、内側はまだ完治していないということか。歩行訓練は自己責任だ。

五週目になって急速に左足が軽くなり始めた。治るとは何かが体感できた。十代だったら三週間で治るのではないか。二十代なら四週間の怪我だろう。五週間かかったわけだが、医者も看護婦も包帯を解くたびにびっくりした。薬は飲んでいるかと問われたが、気がついたら飲んでなかった。無薬だったから肉体が正常に復旧作業したと思っている。

天皇の祈り(2)

天皇の祈り(2)         05/20/2011

四月末に旧友からメールが来た。
「なぜ被災地で略奪や暴動が起こらないの。略奪は災害につきものよ。保険金は略奪を想定してかけられているの。スーパーでも船会社でも紛失、盗難、略奪の時は損害賠償として支払いがある。火災保険も同じ仕組みなの。ハリケーンや洪水の時は略奪してくれる方が作業が捗るじゃない。だから警官が品物を持っていくのは人助けの面もあるのよ。資本主義社会では保険会社が一番よく機能していると言えるわね。略奪が終わるのは取る物がなくなった時なの。
東日本大震災の時はみんな救援物資を並んで待っている。水まで譲り合って助け合う。日本人が平穏な理由を知りたい。」
「日本には天皇がいるからだよ。」
「ほんと?美智子皇后が訪米した時見たことあるけど品の良い女性としか思わなかった。天皇はどのようにして国民とつながるのかしら。」
「天皇のおかげで日本人はお互いに同じ家族の仲間だと感じる。家族同士だから隣人の状況を思いやり助け合おうとする。
美智子皇后は宝だよ。皇后も亡くなる時が来る、その時は世界が泣くよ。皇后が輝きすぎて影が薄かったけれど、三月十六日のメッセージで今上天皇も偉大な天皇という名声が確立された。本人には名声は必要ないけどね。」
阪神淡路大地震の時も同じ質問を受けたが、暴動略奪が起きないのは日本人が元気がないからだと答えた。あの時と今と認識の何が変わったのか。当時は朝日新聞を読んでいたから日本と日本人が理解できなかった。今は多方面から勉強したおかげで天皇存在の重みがわかるようになった。

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2019年五月一日、令和という新しい御代になった。日本国憲法と皇室典範に則れば次の皇位継承者は秋篠宮文仁親王殿下、その次は悠仁親王殿下と決まっている。その次は悠仁親王殿下が男子を得られれば問題はない。かくして神武天皇直系の万世一系の皇統は継承されていく。
ところがご存命の文仁親王殿下と悠仁親王殿下のお名前を安倍首相の口から未だ聞くことはない。皇位継承権はとか慎重な議論を踏まえてとか国民のコンセンサスとか、問題先送りの姿勢が見え見えである。なぜか二千年以上にわたる皇室の歴史になかった女性宮家を創設する構想が語られる。巷では愛子天皇待望論で騒ぎ始める。舞台裏で何かが画策されている気配がある。
なぜ安倍晋三が問題になるかといえば、彼は「日本を取り戻す」を公約にしてきたからだ。日本を取り戻す根幹は二千年以上にわたって日本を知らしめられてきた天皇位継承を確実にすることだ。
敗戦後のマッカーサーをトップにする米軍占領期間中に天皇位を弱体化する意図のもとに皇族の臣籍降下がなされ、十一宮家が民間人にされた。残されたのは昭和天皇の家族だけになった。男子が生まれなければ天皇は居なくなり日本は南洋諸島のような土人国家になるという筋書きだった。その策は成功し、悠仁親王殿下の御生誕まで皇位を継ぐべき男子はお生まれにならなかった。
小泉内閣は無識者会議を開き女性女系天皇の即位を画策した。秋篠宮紀子妃殿下の御懐妊の報を小泉純一郎首相が国会審議中に受けて顔色が変わり、皇位継承問題の審議は中断された。九月には親王御誕生で日本中が沸き立った。一幼児の誕生が日本國と日本人の運命を変える。皇位とはそれほど重要だ。
ところで皇位は親から子への血の繋がりの問題だ。普通の家族でも先祖が五、六代遡れる家は珍しくない。織田の子孫という人に会ったことがある。「じゃ、スケーター織田信成の兄弟ですか?」と聞くと、「ああ、あれは次男(織田信長のこと)の子孫だからね。」と返事が返ってびっくりした。自分は長男信広?の子孫だという。
血筋という場合男系で辿られる。母の血筋はあまり問題にされないのだが、それは外国でも同じで、英国のエリザベス女王はウィンザー朝で、王様がチャールズ皇太子に代わるとマウントバッテン朝になるそうだ。苗字が変わる。
天皇に苗字はないが、それは男系だけで繋ぐということを意味する。万世一系の天皇というとき、誰でも天皇の男親を遡っていくと初代神武天皇にたどり着く。皇統は神武天皇から始まる。
天照大御神と天皇との関係は古事記に神話として語られる。神武天皇の五代前の祖母が天照大御神で、世系第一。神武天皇より前だから天皇ではない。日本列島と日本人を創造したのは伊弉諾尊と伊弉冉尊だから創造神ではない。天照大御神は誰もがお手本としてふり仰ぐべき人格者、女神とされる。五人の子をなされ、最高神だが蚕を飼い、機を織り、神々、人々のために祈り働かれた。稲が食の根本だと知ろしめられた。我々がご飯をいただくのは天照大御神の智慧のおかげだ。米は今も世界最良の食である。
令和元年の皇位継承に関する問題は、悠仁親王殿下の次の世代の後継者を得ることに尽きる。ご結婚は大事だが一家族だけでは心もとない。そこで臣籍降下された旧宮家の中から数家族が皇籍復帰していただくのが明瞭で簡単で多くの国民に納得できる方法だ。皇族の系図は水間政憲氏が完璧に作成された。「ひと目でわかる戦前の昭和天皇と皇室の真実」に詳しい。またブログ水間条項ー国益最前線を訪問されたい。
伊勢神宮のホームページには天照大御神の図像が掲載されている。一度は見よう。実在した方ではないから肖像画ではないが、縄文文明から現代に続く大和文明のイメージが凝縮されている。お伊勢参りもまた意義のある行脚だ。

糖病記(4)

糖病記(4)

2019年六月三日は月曜日だった。快晴で早朝バス停まで歩き、正午過ぎに帰宅した。家の近くまで来た時隣家の婦人が車で通りかかり、家の裏に倒れた木を伐ってくれと言った。困っているならと二つ返事で引き受けた。
現場は二、三本の大きな枝が絡み合って落ちていた。複雑な倒木をほぐしながらの作業に思いのほか時間がかかった。七時頃チェーンソーで最後の木切れを切った時左足に鈍痛を感じた。赤い血が流れ出したがあまり痛くない。急いで木々を積み上げて仕事を終え、道具類を片付けた。
汚れた靴のまま一人で車を運転して救急病院へ行った。傷は浅かった、動脈や神経は切れていない。最初に観た看護婦は二時間くらいで帰れますと言った。
足のX線写真を見ると、僅かだが骨が削られて、三、四個の骨片が周りの肉に飛び散っていた。チェーンソーは油まみれだし汚い作業靴にはどんな細菌が付いているかわからない。万全を期すため、足はきれいに洗浄し、壊れた皮膚は取り除かれた。手術は真夜中に全身麻酔下一時間半で、四針縫って終わった。皮膚が切り取られた部分は再生まで時間がかかる。二時間が病院に二泊滞在となった。

手術前に病状と経過の説明が行われたのだが、前年九月九日の Stroke が持ち出され、糖尿病だと決めつける。その時は血糖値315で標準値は150と言われた。今回は190ほどだったが、標準値は120だという。
数値がおかしいと言ったら英語がわからないんだろうと勝手に通訳(インターネット経由)番組を持ち出した。こちらは言葉の問題はないが、通訳の高圧的な態度にムカついた。「お前は糖尿病だ、血糖値をみろ回復が長引く、感染しやすい、足首切断になるぞ。」といった脅し文句の羅列を聞いた。
その時国連の方から来ましたといって、偉そうに慰安婦がどうたら人権がどうたら言いがかりをつける人種のことを思い出した。理不尽を押し付けるサヨクどもで不快でしかない。一番腹立たしいのは嘘っぱちを押し付ける厚かましさで、同じ匂いがプンプンした。日本に英語教育を押し付ける輩も同じような発想だろう。”安倍晋三よしっかりしろ。”の声に加わりたかった。
それから執刀医が現れて、血糖値ではなく HB A1C が問題だという。HB はヘモグロビン、赤血球のこと。赤血球と血中のブドウ糖がくっついて大きな固まりができるのが問題だという。その数値は生涯で取得する炭水化物、つまり血糖の総計によるという。だから血糖値を頻繁に測るのは意味がない。
成人の平均 HB A1C 値は7で、お前のは13だ、危険水準にある。手術してもなかなか治らないだろう。その間に感染症にかかると再手術、その時は太ももから肉や皮膚を移植することになる。最悪の場合足首切断だと新しい脅迫だった。切り傷よりも高血糖値を理由に抗生物質の注入や投薬が続けられた。
退院した後服用する薬を処方された。血糖降下剤で、処方した医師は HB A1C と黒板に書いて、平均数値は6、あなたのは10.6だから薬を飲むようにと言われた。
7と6、13.0と10.6、正しいのはどちら?簡単には変動しない数値だと言いながら、四十八時間での数値の開きはなんなのか。釈然としない思いを抱えて病院を後にした。

天皇の祈り(1)

天皇の祈り(1)     05/20/2011

平成二十三年三月十一日(2011)、東日本大震災が発生した。大津波、原子力発電所の事故が続いた。M9.0と正式発表されたが、千年に一度の大地震だった。アメリカのマスコミも連日トップ記事で報道した。日本が無くなるかもしれないほどの危機感が生まれ、アメリカ軍も救助に駆けつけた。ロ中韓は軍隊を移動させて侵攻の機会を窺ったとされる。
三月末のある夜、YAHOOのホームページに汚い金庫の写真が載り、被災地近くの警察に届けられた金庫群と説明があった。写真をクリックすると説明が続き、数百個の金庫が警察に届けられた、遺失物保管場所だけでは足りなくなり、別室に山積みされて居るという。落し物がなぜニュースになるんだろうと不審になって下方にスクロールすると書き込みがあった。視聴者が感想を書き込める仕組みになっていることを知った。五百件ほどの書き込みがあり、面白くなって読み始めた。

* 金庫を警察に預けるなんて気が狂っている。警察が盗ってしまうじゃないか。
* 所有者名無しの封筒に入った現金まで届けられている。信じられない。
* カトリナハリケーンの時警察に預けられた金庫は何件あったか知ってるかい。0件だったよ。
* 日本人が現金を身近に置いておくのは社会の仕組みが違うのじゃないだろうか。アメリカ人はカードを使うから現金を持っていない。
* 金庫(SAFE) が預けられるということは少なくとも安全 (SAFE) なところね。私も日本に移住したい。
* しまった!三陸海岸の救援隊に志願しなかったのは一生の不覚だった。
* 日本人も銀行を信用していないってことさ。
* アメリカなら二万五千人の被災者が出た後で、海岸に暴動で五万人の死者が横たわっているだろう。
* アメリカだって道徳性は高いさ。ただカトリナハリケーン(ニューオーリーンズ)の時は貧困地域だったから恥を晒した。
* 写っている金庫のうち緑と赤は私のものよ。
* 十五個のうち九個はオレのものなんだけどな。
* 死亡した人も多いだろう。どんなにして持ち主を探すのだろうか。
* 半年経ったら届け主のものになるそうだ。
* アメリカにも同じような法律はあるのよ。違いは途中で盗られること。
* 災害復興の資金は金庫に眠っている。復興はまちがいなしだ。
* なぜ日本がなんとなく上手くやっていくのか不思議だったが、謎が解けた。
* Rising Sun! 素晴らしい。
* 吾々は教訓を学べるか、無理だよな。
* アメリカで事故や災害が起これば警察と消防隊の二つを派遣する。盗難や略奪をしないように互いに監視させるわけだ。
* あの金庫には何が入っているのかしら、開ければ所有者がわかるのに。
* 開けたってわかるとは限らないよ。暗証番号仕様のもあるし。
* いや最近はデジタルもある。デジタルは電池が切れたら開けられなくなる。
* オレは鍵屋だが、カトリナの経験からすると浸水した金庫はダメだ。防水でないと錠も腐って開かなくなる。
* これは人種差別よ、誰がニュースにアップしたの。アメリカが惨めに見えるだけじゃないの。
* 日本でも盗みはあったと聞いているぜ。戦前の残虐行為を思い出せ。
* 私は日本に数年いたけどいいことばかりじゃなかったわ。イギリスの女性が殺されたの覚えているでしょ。

ユーモア溢れるコメントにつられて二時間ばかり読み進んだ。良いも悪いもひっくるめてアメリカ人の開けっぴろげな発言がおもしろい。表現の自由を満喫している。ふと見ると書き込み件数は七百を超えていた。二時間で二百件、アメリカ人の琴線に触れるところがあったのだろう。

五月十四日、近くの大学でJAPAN DAY があった。日本語クラスの学生が募金運動のため立ち上げたそうだ。素人づくりの飾り付けが微笑ましい。
そこで八十歳過ぎの女性に会った。
「主人が日本からはじき出されたので一緒にこちらへ来ました。日本は大変ですね。外国が攻めてきたらどう対応するのでしょうか。だからアメリカはいち早く空母を派遣したのでしょうね。政府と東電はダメです。
お坊さんですか。この歳になると一神教はいやです。ギリシャ神話の方が身近に感じられます。周りの自然に感謝するのが性に合っています。アニミズムと言うんですか。死んだらどこでも散骨してもらえばいい、無宗教です。
天さん、天皇陛下のことですけど、うちでは天さんと呼んでいます、メッセージをテレビ放送されました。昭和天皇の玉音放送以来だそうです。略奪が起こらないというニュースも聞いています。アメリカ人は驚いています、なぜかって?日本人はプライドがありますでしょ。」

映画時評(10)

映画時評(10)   二つの東京物語

「東京物語」が世界一の映画だと発表されたのは21世紀に入ってのことだったと記憶する。小津安二郎監督の名を知って、日本最高の監督は黒澤明ではないことに驚いた。すぐDVDを手に入れ小津作品に触れはじめた。
原節子、笠智衆主演だが、親子の絆の断絶、家族の崩壊を予兆させる利己主義、戦後の貧しい日本、尾道ー東京の列車旅行など、西洋人が好みそうな映画である。それでも貧しい建て付けのアパートや古材製の机を並べた事務所には清涼感が漂う。巨匠は美を追求せずにはいられなかった。
1953年の小津作品から50年経ってほぼ同じシナリオで「東京物語」がリメイクされた。作為的で汚いと感じた。松たか子、八千草薫、宇津井健だが、ハリウッドドラマ仕立てに改変され、演技は原作の真似ばかり。シワのない老婆、深みのない結末、違和感ばかりが残った。
感想をあるブログに投稿したところ、趣旨に同意した上で山田洋次監督はサヨク共産党だから映画の質が悪いのは当然だという返事だった。サヨク思想が文化を破壊する事実に目を開かされた。共産主義には美を創造する力も動機もないという。ボリショイバレーの「白鳥の湖」が汚い理由も同じだろう。日本の映画監督はサヨクばかりだというが、それなら偏見と断罪に醜悪、日本悪玉の物語しかない。日本にはサヨク思想が蔓延して居る。
愛染かつらの日本を取り戻すのは容易ではないが、小津安二郎はわれわれ日本人に、回帰すべきもの、護持すべきもの、創造すべきものを戦後の混乱を描きながら映像で残してくれた。

戦後の日本が汚くなったのは残された写真でわかる。明治の男女は内面の叡智が浸み出したような顔と姿勢をしている。アイドルと呼ばれる現代の若い女性達には内智があるのか心配になる。勉強はしているし真面目だ、潜在能力に遜色はない。しかしポイントがずれている。個人主義拝外思想に汚染されている。
アメリカ占領軍は日本を否定し悪玉と断罪した。では何を肯定し称揚したかといえば、外来文化、外来思想、外来宗教だった。特にアメリカの華美な文化だった。香淳皇后の実家はキリスト教の聖心女学院になった。日本古来の思想や歴史を研究する学者は大学から追われた。暴力、セックス、革命、断罪映画が次々と作られた。人々はしだいに外来の異質文化に狎れていった。
中曽根内閣の官房長官は後藤田正晴代議士だった。田中角栄の懐刀でカミソリ後藤田と呼ばれた。彼は警察庁長官を務めた経歴の持ち主だった。悪人を捕まえ懲らしめる警察のトップなのだ、悪者を退治してくれると誰もが期待した。
ところが任期中に悪を退治する場面はまったく無かった。日本はそれほど平和で安全なのかと安堵した。
しかし日本は安全だったのだろうか。日本人拉致を北朝鮮が認めた2002年九月十七日以降、さまざまな裏話が報道された。どうやら警察は北朝鮮工作員による拉致を突き止めていた。ところが上層部に報告すると握りつぶされたようなのだ。警察は正義のために働かなかった。トップは警察庁長官である。関与が疑われた朝鮮総連はそのまま、悪人と悪組織はやりたい放題だ。清明な社会が現出するはずはなかった。
今も本名や国籍が隠されるケースがよくある。犯罪の実態が明らかにされないからどう対処すべきか分からない。国会議員の二重国籍問題が発覚した時、国民は大騒ぎしているのだから何らかの解決策が示されると期待した。ところが安倍内閣は何の見解も出さず、何もせず問題は一つも解決されなかった。なぜだろうか。オーストラリアが直ちに法改正を行なったのと対照的だ。
安倍晋三の「日本を取り戻す」は歯が浮くような標語かもしれない。いつまで経っても理念と具体策を示さなければ嘘つきと言われても仕方がない。そして日常的に争いが起き混乱の中で人々の顔から笑顔が消える。
最近、安倍首相は青少年の未来のためにと言い始めたが、共産主義者の言葉に似ていないか。共産党議員は理想とか未来とかばかり言っている。自分発の内的な実績がないから、事実ではない外国発の抽象的な言葉しか唱えられない。

日本を取り戻すにはどうしたらよいか。われわれは、文明、文化の積み重ねである、かつて在った美と美を作った心を学習し、習得し、実践し、洗練し、そして次世代に伝えるべきだ。それが日本人が日本人に成ることだ。
具体的には教育勅語、十七条憲法、古事記などに触れること。万葉集や源氏物語、古今和歌集や平家物語など、日本人自身が作ってきた遺産に親しむ。
仏教は外来思想であるが聖徳太子が取り入れられた知恵を尊重しよう。日本語は論理的な徹底性がない。法華経、華厳経、大智度論、正法眼蔵などを読めば日本語の欠点を克服できる。仏典を学習するにつれ、智慧の深さに感動するだろう。
思想だけでなく身体を使っての実践も必須条件である。武術、音楽、坐禅などが日本人を作ってきた。昔の日本人には手や指の動き、足や身体の所作をマスターした人が多かった。その結果が美しい日本となって顕現した。

糖病記(3)

糖病記(3)

「母が死んだ、九十歳だった。生きたい死にたくないとずっと言っていた。病院に見舞いに行った時もう死ねと言った。
最後は二十日間何も食べてなかった。食物を取れないから血を薄くする薬とともにブドウ糖を注入していた。それでは体力が持たない。体力維持のためには鼻からチューブを通して栄養を送るしかないと医者が言った。
母は隣の病室で鼻からチューブで栄養補給されている患者を見て、そこまでして生きたくないと観念した。投薬を断ったら数時間後に stroke を発症して亡くなった。」
最愛の母に死ねと言うのは、英語ではそれ以外の表現方法が少ないと言うことかもしれない。そう思いながら淡々と説明してくれたジョンに感謝した。

昨年九月に退院する間際、医者が、「十年生きたいか?」と聞いた。キョトンとしていると ”Say Yes.” と続けた。ハイと答えなさいと言うことだが、わけわからぬまま “Yes” というと一仕事終わったような安堵感が表情に表れた。
狐につままれたような問答だったが、ジョンの説明で理由がわかった。現代医学の常識では、基礎体力があれば十年は生きる。 stroke の発症があれば応急処置し、血液を薄めて発症をコントロールする。何百万の症例と科学技術の進歩で、統計的に人は九十歳頃まで生きる、そこまでは当院で手当しますということだろう。

突発的な発症は小脳へ栄養供給する血流が阻害されるからだろう。そこは動脈から毛細血管に枝分かれしている。さらさらした血は通るが、血糖が大きな塊になると蓋をしたり流れを邪魔したりする。甘い血糖が毒になる。
歩くのが苦痛になり起き上がるのが辛くなって回復はないと見極めたら、薬を止めアイスクリームや甘いコーラを頼む。そして睡眠薬を飲んで眠る。ジョンの母は死に方を教えてくれた。脳卒中の全体像がわかり安心した。

糖尿病とされる患者は血液中に糖分が多い。糖分は普段に燃やされるから体温が高い。生命を燃焼してやがて燃え尽きる。人間最後は死を迎える。
糖分が少ないと体温が低いだろう。低体温の人は癌になりやすいそうだ。どちらで死にたいかという問題でもある。

映画時評(9)

映画時評(9) 愛染かつら と 青い山脈

「愛染かつら」は戦前1939年作となっているが、元々は若い男女のすれ違いシリーズで主演は田中絹代と上原謙。悲恋の場面が続くが演者は脇役を含めてみんなハツラツとして明るい。誰もが問題を抱えているが、なんとか無難に、周囲に迷惑かけないで解決しようとする姿勢は共通する。第二次大戦突入直前の日本は正常だった。
悪人は登場しない、善意と善意の物語である。田中絹代の美貌は大和撫子の言葉を彷彿させる。日本の美は聖徳太子の十七条憲法、万葉集、天武天皇の古事記、明治天皇の教育勅語を体現した結果だ。日本は清く美しかった。貧乏人も金持ちも美しかった。
アメリカ帰りのハイカラな女性も登場する。彼女のあっけらかんとした個人主義は古びていない。上流階級の生れで金の力がさりげなく描かれるが、同時に善意で行動する。人種差別問題は知られていたはずだが、良質な西洋文明のみを取り入れようと日本人は心がけていた。金持ちは悪という構図は戦後サヨクのプロパガンダだ。
主役二人は最後に結ばれる。ハッピーエンドでなければ映画は決着しない。主題歌である「愛染かつら」は永遠の絶唱で、今も誰かが歌っている。

「青い山脈」は1949年作で主演は原節子、敗戦から四年後である。舞台は地方の女子高校で原先生が古い社会秩序と戦う。3S政策を知っているものにはぴんと来るが、アメリカは日本人を自国に都合よく変えようとした。映画は強力な思想宣伝装置だった。主題歌「青い山脈」も大ヒットしたが、広告会社が操作した感じがする。
原節子の相手役になる医者が暴漢に襲われるシーンがある。地方都市で親も医者の家柄だ、襲撃者は村にいられなくなるから無理な設定に見える。戦後は社会全体に暴力が蔓延していて、映画も当時の社会意識を反映したのか。「異国の丘」の異常な重圧感と重なる。
原節子は女子高生に自由恋愛を教える。伝統的な男女観は封建的で古い上着、そんなものは脱ぎ捨てて新しい旅に出ましょうと説教する。主題歌の歌詞にある通りだが、外来思想は新しくて良いもの、古来からの文化は抹香臭い、切り捨てるべきとする。
伝統を古臭く無用だと切り捨てる見方を断見という。マッカーサーのアメリカが持ち込んだものは民主主義ではなく暴力と断見思想だった。
(断見は仏教語で断滅見ともいう。反対語は常見、常住見で、過去現在未来はつながっていると見る。したがって過去からの伝統も重視するし未来の安全や繁栄にも心を致す見方である。断常二見は思考の二大原則で、仏は両方の正体をご存知だ。人類は知恵が足りないから片方だけ主張し、暴力革命とか伝統墨守とか偏見に陥る。)
伝統を封建的と断罪非難する思考法は、善悪二元論でもある。キリスト教では神様とサタンがいる。善意と悪意の映画だ。楢山節考は悪意と悪意の映画といえる。

平成三十一年(2019)三月二十日、参議院の財政金融委員会で安倍首相が国民民主党の大塚耕平参議院議員に答弁した動画が流れた。それまで懸命に安倍晋三を応援してきた保守日本人は愕然とした。憤りを感じた人は多い、騙されたと。
質問は皇位継承問題だった。悠仁親王殿下が将来天皇になられるのは国民が御誕生の瞬間に沸き立ったことでも明らかだ。皇位継承権では父の文仁親王殿下に次ぐ。天皇は男系男子が践祚すると規定されており、結婚されても女子ばかりが生まれると天皇のなり手がいなくなる。御一人だけでは事故や暗殺も考えると心もとない。
日本国は、神武天皇を始祖とする天皇が在ってからできた。712年に完成した古事記の歴史観をもとにすればという話だが、天皇なしに共通の日本語や和歌や大仏などができただろうか。令和の元号も天皇位とともにある。天皇がいなくなれば日本は日本で無くなり、日本人は消滅する。悠仁天皇の後継者は誰か。
大塚議員は宮内庁に、東久邇家に悠仁親王より天皇の血が濃い男子が複数人居ることを把握しているかと問うた。存じませんの答えだった。臣籍降下された旧宮家復籍を考えないかとの質問に安倍総理は「GHQが決めたことを覆すことは全く考えていません」と答えた。
聞かれもしないのにGHQの単語が出てきたことも驚いたが、GHQの決定にひたすら従いますとの答弁に多くの保守国民はのけぞった。それは「日本を取り戻す」の主張と正反対だから。GHQの決定を変更する気はない?まだGHQ様を拝んでいるのか。
安倍政権はするべきことをしない。原子力発電を再開しないから高い石油を燃焼し続ける。加熱された空気は急上昇しポケットに大量の気団が流れ込む。これが異常気象の原因で、無策が災害を呼び込んでいる。死人が出てからのお見舞い上手は楽しいか。
大企業が外国勢に買収されても知らん顔、防衛予算が5兆円で男女共同参画費が10兆円は狂っている。大陸に人質を十万人以上送って大丈夫か。拉致被害者救出にアメリカ大統領の支援ばかりのたまう。靖国神社参拝もしない。本心は、外来資本、外来思想、外来文化、外来人に汚染され続ける日本にしたいのかも。「青い山脈」の日本で良いと言うなら保守政治家とは言えない。信念も知識もない腑抜けかもしれない。
多くの保守国民は、GHQ、アメリカ占領軍が破壊する前の日本を取り戻すと理解して安倍晋三を後押しした。心の底で「愛染かつら」の日本を夢見た。明治時代、江戸時代を手本にしたい人も少なくない。歴史認識が深化するほど祖先に感謝し未来の子孫のために働こうとする見通しと意欲と勇気が湧いてくる。
保守政治の旗手、安倍晋三は、国体の根本である悠仁親王殿下を巡る皇位継承問題の解決策などとっくに見出していたはずなのだ。そのお披露目答弁で日本中が安堵の胸をなでおろすべきだったのだが。

 

映画時評(8)

映画時評(8)  異国の丘

ユーチューブを渉猟していて、「青い山脈」が観れるのに気がついた。子供の頃よく歌った名曲を聴きたいのと原節子を見たいので二時間以上かけて見た。インターネットだから画像はぼんやりで音声も悪かったが好奇心には勝てない。昭和二十四年作で懐かしかった。
次々と当時の映画が続く。どれも捨てがたくて眠い目をこすりながら一日中見ることになった。題名を並べると、愛染かつら、女の歴史、異国の丘、晩春、さんまの味、麦秋など。ヒロインはそれぞれ田中絹代、高峰秀子、花井蘭子、岩下志麻、原節子、原節子だった。一挙にこれだけ見ると、戦前戦後の日本人が何を考え、人生がどう激変したかわかる。日本人が失ったものの多くが描かれている。
男優は上原謙が戦前、戦後は笠智衆が知られる。しかし脇役も豪華である。あまり名前を知らないが、同じ顔、同じ声で唸らせる演技をする。惚れ惚れしてしまう。昨今は主役ばかり映すハリウッド映画の影響が強すぎる。
さんまの味は初見だったが、日本人の立ち居振る舞いの美しさに見とれてしまった。日常生活の所作が芸術である。男優も女優も脇役から小道具に至るまで見事としか言いようがなかった。かくも気高い人々が日本人だった。
晩春は同じストーリーだったが、ヒロインが岩下志麻だった。美人なのだが原節子と比べるのは酷か。何十年もあとで思い出されるような女優とは言い難い。
原節子のように大女優、最高の女優と言われる人はどこか違う。存在感があるといわれる。たとえフィクションでもちゃんと差が出る。この世に平等は無いという証拠でもある。

東京物語は世界最高の名作とされている。よく見ると、家族の崩壊、復興途上の日本、尾道ー東京の旅行と、西洋人が好みそうな映画である。世界でベストと言われると違和感を覚える人は少なくないのではないか。
さんまの味の芸術的な高貴さ、晩春の絶妙な会話、日本人が選ぶならこの二作こそ最高の映画ではないか。日本の心が描かれている。小津安二郎、世界に比類なき映画創作者だった。

「異国の丘」を見て初めて日本男児が必死の思いで大東亜戦争を戦った理由を知ることができた。画面の多くは夫を戦地へ送り出して内地で格闘する妻の描写に割かれるが、夫がいないことは家族の崩壊だけでなく家族の死をも意味することがよくわかる。家族を生かすために夫は出征しシベリアに拉致された。
裏返していうと、夫婦が一緒になって親と子供を養い生命を伝承するのが日本人としての生き方、人生の根本だということだ。夫も妻も離れ離れになりながら必死で格闘するのだが、それは家族を護持するための戦いだ。家族が自分の命であり、自分は家族から切り離せない。家族は自分、自分は家族である。夫は妻が何を考えているか知っており、妻もまた夫のことが手に取るようにわかる。家族は自分だ。このことは思想ばかりでなく日本人の現実だった。
家族だけでなく村人や隣組の人々もまた同じ運命を共有した。爆撃がある、配給がある、食糧生産や輸送がある。治安の良さは自分の生存を意味する。社会全体もまた一つ心で協力しあい、助け合った。国は国家だった。国家の中心は天皇だった。疲弊、混乱、壊滅の中でも天皇が居ますだけで日本人はくじけることはなかった。
名曲、「異国の丘」は子供時代に毎日のようにラジオから流れた。作詞作曲者を知らないのに、誰もが歌う不思議な歌だった。のど自慢コンクールでは出演者が次から次へ歌った。シベリアに抑留されていた吉田正氏が作曲者とわかるのは本人が帰国したあとだった。その吉田氏が出演されている。
映画の中で夫が何処に行ったかは語られない。妻はひたすら帰りを待つ。何処からの帰りなのか。もちろんシベリアからなのだが、その事実は語られない。ソ連なる国名も出てこない。見事に「閉ざされた言語空間」(江藤淳)を実現している。日本人には米ソを始め連合国を批判する自由はなかった。

映画時評(7)

映画時評(7)        05/06/2011

マッカーサーは日本で占領政策を推し進めた。東京裁判を開き、朝鮮動乱を戦うあいだに解任された。昭和天皇は何度も表敬訪問されたが答礼はなかった。六年居たが日本文化には無関心だった。陸軍大学を首席で卒業し、父の跡を継ぐ形でフィリピンで軍政を敷いた。母親は教育ママのハシリだった。自分が崇拝者だったのは時代の空気を吸い込んでいたからだ。
母親が教育熱心だったことが美談だった。受験勉強させるために母も近くに引っ越したとか、不祥事が起きると校長や関係者に嘆願書を書いたとかだった。宣伝工作用の物語でもあったようで、ほうぼうで読んだ記憶がある。ワシントンの桜の木伝説みたいな感じ。物語は特定の人を親しい善人と思えるように仕向ける効用がある。
しかし軍人は戦場で戦わなくてはならない、死んだり大怪我したりする確率は低くないだろう。そんな職業に息子をつけようと奔走するのは異常ではないか。というよりも母親は軍人から出世して軍政家になるコースを狙ったのだろうか。古より有名な軍人政治家は多い。アレクサンダー大王然り、ジュリアス シーザー然り、ナポレオン然り。皮肉なことにマッカーサーの部下だったアイゼンハワーは実戦を重ねるごとに階級を上げ、戦後はアメリカ大統領に就任した。
マッカーサーは日米開戦直後のフィリピンで本間雅晴中将に追い詰められ、部下の兵士を捨てて潜水艦でオーストラリアへ逃げた。敵前逃亡は軍人には許されない。マッカーサーは特別に一族、学閥、政治的人脈を利用して逃げることができたと思われる。しかし輝かしい経歴に傷がついた。
大戦後本間雅晴中将はマニラで開かれた裁判で捕虜虐待とバターン死の行進の罪で死刑になった。山下奉文大将も死刑にされた。個人的な怨念が復讐劇の原因であると指摘する人は多い。
日露戦争の最中、乃木大将の敗者に対する礼儀をわきまえた寛大な態度が世界中で賞賛された。乃木希典大将は二人の息子を失い、要塞攻撃で万単位の犠牲者を出した。それでも勝敗は時の運として停戦後は未来志向に徹した。利己的な復讐心や怨念は伺われなかった。武士道の美徳が見られる。明治の軍人には日本精神の人間観、世界観が体現されていた。
マッカーサーは占領軍総司令官として六年間東京に居座った。当時の状況を再構成すると、日本はよく生き延びたとため息が出る。彼が日本をフィリピンのようにしようとしたことは明らかだ。共産党や三国人に勝手放題やらせた。警察官はピストル携行を禁止された。治安維持は難しく犯罪捜査はたびたび邪魔された。昭和天皇の御巡幸は無防備のまま放って置かれ、成功しそうになると中止させられた。そこまで嫌がらせするかとドン引きする。傷痍軍人は何万人も居たが占領軍は何もせず政府は助けることができなかった。公職追放は二十万人といわれ、本人だけでなく家族は収入が断たれて困窮した。放送や出版物の検閲、言論統制から数千冊の焚書までした。
このように戦後マッカーサーが日本で行ったことは数多いが、ことごとく国際法違反であった。憲法制定も皇族の臣籍降下も東京裁判も犯罪行為だ。その一方で占領軍駐留経費は全額日本政府が支払った。それは国家予算の三分の一に達した。

日本は天皇がまず在ってしかるのちに国家が形成された。天皇が存在しなければ日本は日本で無くなる。この真実だけは日本人なら知る義務がある。
日本人は家族の一員として生まれ、天皇の御代を生き、国家と社会に貢献して死にゆく。この自覚があって国民は道を過たずに生きることができる。この道理は古事記が書かれた時代には明らかにされていた。日本人がなんとなく頭が良いように見えるのは、天皇をいただく国家観、人生観が個々人にまで浸透しているからだ。
対照的に、ルソーは自然に帰れと叫んだ。人は犬のように生まれ犬のように死ぬといった。鹿やウサギが裸で生まれ裸で死んでいくのをモデルとして、個々人も同じようにすればよいと主張した。家族など眼中にない思想だったが、西洋個人主義と称され革命思想ともてはやされた。マルクス唯物論者がソ連で七十年間試したルソーの個人主義は、ロシアが立ち直れないほどのダメージを与えただけだった。
ポツダム宣言受諾の際の最大の問題点は天皇存続の可否だった。天皇の廃止は日本の滅亡を意味する。それぞれの個人も家族も天皇が存在すればこそ可能だ。日本が特攻隊まで繰り出して戦ったのは、天皇のためであり、国家のためであり、家族のためであり、自分のためだった。日本人が生か死かの瀬戸際まで追い詰められたのが大東亜戦争、第二次世界大戦だった。
昭和天皇は天皇の地位に留まられたのだが、それは薄氷を踏む戦いの結果だった。ソ連だけでなく天皇処刑を主張した連合国は複数いた。天皇制反対や天皇侮蔑が時折報道されるが、その淵源は第二次世界大戦の直後に遡る。他国に干渉しようとする国はあとを絶たない。

映画時評(6)

映画時評(6)        05/06/2011

信念とか信仰と言われるものは思想や人生を大きく左右する。思い込みと一括されるこれら心の形は幼児からの経験を通して自然に形成されると思われている。各個人も自分が考える、信じるという心理を通して当然とみなすことが多い。異なる信念の持ち主が討論する、反目する、喧嘩する。
信念、信仰というから崇高な心象と感じられるが、じつは知識の一種だとわかることがある。信念信仰は破壊されざる核心だが、知識なら増減、変形は常に行われ、柔軟極まりない。その知識が人為的に与えられたもの、あるいは強制されたものなら洗脳と言われる。そして信念も信仰も洗脳の産物である可能性がある。
歴史観や思想は思考体系だが、すべてを説明しているように聞こえるために瑕疵のない真理と受け取られることが多い。ギリシャ哲学とかドイツ思想と言われると明白な真理と思う傾向が強い。アメリカでは自由が自明の真理とされる。日本では初詣に行くが、年頭の行事に疑問を挟む日本人は少ないだろう。
ところが人造の思想体系を刷り込まれることがある。第二次大戦後のアメリカ占領軍は公然と大がかりな洗脳工作を行った。事実とは異なる認識を強制した。つねにアメリカは善、日本は悪と言い続けた。反論は許されず、反証は無視された。大戦後、日本人と日本社会はアメリカの総力を挙げた洗脳によって変質したように見受けられる。
主に新聞、ラジオ、書籍を通した洗脳工作だったが、社会全体だけでなく個人的にも大きな影響を受けた。洗脳は事実の歪曲から始まる。学校で習うことが歪曲された偏見であるとしたら、新聞やテレビが偏見ばかり報道するとしたら、個人はどうすればいいのか。真理が分かるまで不快な偏見と戦い続けるしかない。洗脳からいかに脱出するかが自分の人生航路になってしまった。
例えばバターン死の行進と言われる事件があった。フィリピンで多くの犠牲者を出したとされ本間雅晴氏が捕虜虐待の罪に問われた。裁判で有罪、死刑にまでなったのだから悪事があったのだろうと受け取る。
ところが文藝春秋に、若い女性が実際に同じコースを歩いた記事が載った。二、三日かけて歩いた報告だった。コースは女性が楽に歩ける距離だった、歩くのが捕虜虐待になるだろうか。ただの紀行文が戦後の常識に疑問を呈した。戦後の常識とは洗脳された後の見方である。
するとアメリカ人から死の行進はあったと強硬な反論があった。事の顛末はつまびらかにしないが、文春は譲歩し、女性は言論活動の表舞台から消えた。ただの事実、ただの疑問が誰かの都合で恣意的に抹殺された。
敗戦後の日本は目に見えない圧迫を受け続けている。明治維新以来の西洋文明の侵略が続いているとした方が正しいかもしれない。最近の知見では種子島の鉄砲伝来、フランシスコ ザビエルの来日以来、日本は西洋文明に侵略され続けているとされる。何に対して侵略行為が行われているのか、数世紀のスパンで? 何が守るべき日本か、何が日本人かと常に問われている。
戦争の狂気が冷却したと感じられる2010年の正論5月号で、牧野弘道氏が改めてバターン死の行進について書かれた。死の行進と言われるほどの虐待事件、国際法違反はなかったそうである。文字通り行進であって、敵味方とも普通に歩いた。地獄図絵が繰り広げられたことはなかった。かえって一つの大事件が完全なでっち上げであった可能性がある。事実、真実、信仰、信念、思想、偏見、宣伝、洗脳。人はいかにして真実を知り得るか。
牧野弘道氏の文章を読んで思い出したのは、アメリカに渡って一、二年、マッカーサーは偉大な統治者だったと会う人ごとに感謝の言葉を言って回ったことだった。日本がよく収まっているのは戦後の占領政策が良かったことによる。その中心人物はマッカーサー元帥だと思っていた。アメリカ人の本場で偉大なアメリカ人について語るのは当然のことだと思った。
ところがマッカーサー元帥を好意的に評価する人は皆無だった。あんな自己中心主義者はいないとか、部下として戦った父はマッカーサーが大嫌いだったとか、散々な反応ばかりだった。忘れられたというよりも、嫌われている感じだった。自由を標榜する個人主義のアメリカでほぼ全員の見方が一致しているのは異常だ。それも好きではなく嫌いだという。
マッカーサーとはいかなる人物だったのか。初期の自分のマッカーサー礼賛はマッカーサーの洗脳だったようだ。日本とマッカーサー、アメリカとマッカーサー、人と国家との関係、わからないことはあまりにも多い。マッカーサーの人物像や戦後占領政策の是非はまだ白日のもとに晒されていない。
現在進行形でひそかにマッカーサー占領政策とのせめぎ合いが続いている事例もある。一定数の人々は気づいているのだが、大多数は無知、少知で気づかない。現在さえ乗り切れば良いと諦めている人がいる。勇気がないため沈黙する人もいる。
名のある人も無名な平凡人も何が日本の根本か、何が自分の拠り所か判断しかねている。それは日本人が自分自身を知らないからだ。自分を知らなければいつ何をするべきか、どこへ行くべきか本当はわからない。