宮本武蔵の日本語

宮本武蔵の日本語

名のある雑誌では「西洋思想の超克」とか「西欧文明の行き詰まり」とかのタイトルで座談会がときどき載りますが、いつも肩透かしを食らう。対決だ超克だと言いながら現実は西洋化ばかり。何が日本なのか日本人なのか明確な指摘がない。
明治維新以来日本人は西洋思想を勉強してきた。勉強しすぎてものの見方がすでに西洋発である。学者になるにはフランクフルト学派の先生に逆らえない。日本再生は日本そのものから語られねばならないのではないか。

まず古事記ですが、古事記は聖書ではない。旧約聖書は神と預言者の言葉が書かれていて、一言一句漏らさずナンバーが振られ、研究信仰されている。福音書も疑問を挟める代物ではない。
古事記には製作者の太安万侶が、言い伝えの偽りを削り実を取ると書いている。歴史書か政治文書ではあっても信仰の書ではない。神代編でもイザナギ、イザナミの命(みこと)とされる。命(みこと)は命が繋がっているもの、昔々のわれわれの先祖のことでしょう。神は抽象語で、存在の有無からして問題になる。
天照大神は田植えをし新米を獲て新嘗祭を行われた。蚕も飼い織物小屋をもち機を織られた。そして儀式用の服を自ら縫われ、八百万の神々を敬礼された。「高天原は関東にあった」(田中英道)
歴代天皇がされる新嘗祭や田植えや養蚕などは天照大神がなさったことの「まね」でしょう。別言すれば伝統継承ですが、儀式の中心は「真似」だから、異常心理や超能力が求められるわけではない。平均的な体力と能力の持ち主ならば、出自さえ正しければ就ていただける地位ということになる。
国民にとっては、田植えも養蚕も機織りも社会産業となり日常生活となった。天照大神がされた事業や行動様式を日本国民全体がなぞって来た。古事記をモデルに生活すれば大きな過ちはなかった。天武天皇の偉大な功績です。
天皇は神聖な儀式を通して天照大神と一体となるという宮司さんもいる。見たこともない天照大神と一体になるって?イザナギ神とかスサノオ神とか神の語を多用して偶像崇拝したい人もいるらしい。旧約聖書の解釈に洗脳されているのではないか?
天皇は神武天皇が皇統第一とされ、二千年以上男系男子で継承されてきた。今年は皇紀2678年に当たる。皇室では天照大神は世系第一とされる。世系は系図を作成するときに繋がりがあるという意味で、第一だから最高神の位置づけだが、その存在は皇統が始まる前である。
したがって女系天皇は、女系は天皇ではないという意味でもありえない。名称そのものが矛盾している。有史以来なかった女性宮家を創設しようとする国会議員は、女性宮家創設の意味、数十年後の皇室の見通しを説明すべきだ。

西洋思想は一神教の伝統を踏まえ、日本は多神教の国と言われる。多神教の語は教科書には一言あったがまとまった書を読んだことがない。ヒントをもらおうとネットで検索したら学術書がほとんどない。これでは多神教の国、日本がわからないのは当然だ。ヒントからして自分発になるとは思わなかった。
分かりやすい多神教の例は仏教である。経典を開くと仏の名がたくさん出てくる。まとめて諸仏とされる。さらに仏国土思想があって、宇宙には何億もの国土があり、一国土に一仏がおられる。地球にはたまたま釈迦牟尼仏がおられた。われわれは宗派に分かれて釈尊や阿弥陀仏などそれぞれ一仏を拝む。宗派の中では一神教と変わらない心境になる。じつは諸仏が共存するのが本来の仏教だ。
西洋思想は神が一つで、論理的に一つの絶対正しい真理を求めてきた。ところがプラトンは真理の影しか見えないと言ったし、カントは物自体は認識できないといった。論理の先に真理を認識することは不可能だとわかった。論理は真偽を判断することはできても真理を創造することはできない。
不完全な思想を追いかける体質は日本思想界にとって大問題ではないか。大戦後数十年、マルクス主義の学術書が書店に溢れた。すべてが無価値、クズであった。同じことが学校では別の名前で現在も行われているかもしれない。
印欧語は主語、動詞、目的語の語順である。誰でも知っているように、I like an apple. だ。主語が固定した「 I 」ということには大きな意味がある。I、私は一人だから一神に繋がる。私と世界でまとまった世界観ができる。私を考えるのは意識で、意識の出処は頭で、頭は一つ、脳も一つと、一ばかりだ。独裁者は一人、全体主義は多いように聞こえるが全体は一である。一ですべてまとめて解釈する。創造は一回、一回の受難を起点にして西暦の時間は一定方向に進む。
高級な英仏語ばかり読んでいる学者は日本語に主語がないのが不思議で不満であるようだ。英語公用化論を唱えたり小学生からの英語教育の実験を勧める。彼らはプラトンやカントが真理探しに失敗した事実をどう受け止めるのか。

日本語は主題と叙述が基本形と言われ、真理ではなく真実(真の事実または現実)を問題にする。意識で曇りやすい主語がないのは、事実や現実に直面するときの利点になる。主語と主語が衝突する必要がないから人間関係も円滑に流れやすい。
また仏教の例を出して恐縮だが、般若心経に眼耳鼻舌身意という言葉がある、まとめて六根という。六根は六つの感覚器官で、その中には意(意識)も含まれる。現実に対面するとき意識以外の器官でも感受する。一ではなく多数の器官を通して事実現実と向き合うのが仏教の認識論であり真理論である。仏教も神道も多神教だから、双方の認識論、真理論は共有されうる。
日本の学者や評論家が西洋思想の超克と言いながら解決策が提出されなかったのは、多神教の認識論と真理論を知らなかったからだろう。あるいは見逃したか卑下したか。明治維新以来、ほとんどの学者は、外国発の意識の産物である思想や歴史を翻訳することで飯を食ってきた。そして知らず識らずのうちに洗脳された。
「 I 」をいつも使うせいか、印欧語族の人々は論理に注意を惹かれるようである。仏教は、印欧語族の中でも論理や知識を徹底的に研究してできた教えである。仏教の論理はほぼ完結していて、真理は多神教の原理(諸仏や眼耳鼻舌身意など)で表現される。意識一つだけに目を向ける西洋思想とは異なる。
日本語は真実を求めると言ったが、事実、現実と向き合うということは、言語そのものとしては完結していないといえる。現実と言葉を擦り合わせようとするから相互依存が基本である。見方を変えれば、現実の変化と自己の修行向上に沿って常に生成発展していく機能を内包している。しかも英仏語に比べて表現能力は見劣りしない。

宮本武蔵は生涯で六十回以上決闘した。相手の武器は刀、槍、鎖鎌などが知られているが、手裏剣だって石だって武器になりうる。全身の器官と能力を総動員して、過去を忘れ未来を思わず(無始無終)戦ったであろう。自我や意識を捨てて現実と直面できる日本語は、決闘を乗り切る縁となった。頼れるものは自分ひとり、神仏を敬い神仏を恃まずの心構えは自然だった。それは八百万の神々を礼拝された最高神である天照大神の気持ちに通じる。宮本武蔵もまた天照大神の真似をした。その態度は今も日本人一般に通じる心構えではないかと思う。
五輪書は虚飾を排した武芸における技術書と言われる。それは日本語話者の、まっすぐに現実と向き合う態度に合致する。重要文化財になっている水墨画は、美的感覚と腕の筋肉と気合が渾然一体となって描かれている。多神教には、気合いの認識論、真理論も含まれるようだ。

歴史の忘れ方(2)

 

歴史の忘れかた(2)

2001 年 9 月 11 日、私はボストンにいた。また月曜日かと思いながら出勤の準備をテレビをつけながらしていた。静かなスタジオに突然外部から電話がかかり女性の緊迫した声が放送され始めた。五分しないうちに炎を上げる貿易センタービルが映し出された。キャスターが映画みたいと言った。誰も実感がわかないうちに二機目のジェット機が南ビルに突っ込んだ。大事件だと思ったのはその時で、遅刻覚悟でテレビを見続け、二棟の崩落を確認した。
出社するとみんな大騒ぎで仕事にならない。ボスが、「おい、犯人の二台の車が見つかったぞ、車内にアラビア語の操縦マニュアルがあったそうだ。」と教えてくれた。ニ機のジェット機はボストン空港発だった。その時には前日泊まったホテルも確認されていた。警察の迅速な初動捜査と一般人への情報伝達の速さに驚いた。
出勤したときには全米の空は閉鎖されていて、飛行機は全部最寄りの空港に着陸していた。日本で同じことができるかなあ。全空域が閉鎖された四日間の重苦しい気分を思い出す。一月後、ニューヨークからジャマイカへ向かう飛行便が離陸後ドボンと海中に突っ込んだと報道があった。やっぱり誰かが見張っているんだと感じた。数ヶ月後でも飛行機旅行は無条件に怖かった。
911事件以後、アメリカは急速に鎖国し始めた。飛行場に行くたびにデータを取られる。出入国管理の厳しさは日本の比ではない。Eメールまで収集されるようになって自由の国ではなくなった。あたりまえのようにできたデモができなくなった。若者も自由奔放は許されなくなった。
911事件は謎が多い。事件の全貌が解明されないままに怒りの矛先がイラクに向けられた感じがする。この流れはアメリカ方式になっているのかもしれない。1898年の「Remember Maine」ではスペイン人水兵の仕業といわれて米西戦争にもっていかれた。 「Remember Pearl Harbor」では日本が悪者にされた。911ではなぜかイラクが標的にされた。一世紀の間に三回の大戦争が同じパターンで起った。このペースでは、50年後、同じような大事件がアメリカ国内で起こるのかも知れない。

二日後の水曜日に予定されていた会に出席した。アメリカ全体がお通夜みたいに静まり返っていた時である。ドアをノックするとニコニコしながら女主人が現れた。
「ああ無事だった。よかったね、おめでとう。」
「えっ、みんな暗い顔してるのに何がいいの。ニューヨークのビルの崩落知ってるでしょ。』
「これからは真珠湾奇襲攻撃のこと言われなくなるからいいじゃない。」
「どうして?」
「国際貿易センタービルで亡くなった人数はパールハーバーでの死亡者数より多かったのよ。」

終わり
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歴史の忘れ方(1)

 

歴史の忘れかた(1)

米中金融貿易戦争について、習近平はアメリカ国債を売れないからすでに詰んでいるというやりとりがあった。桜チャンネルで渡辺氏が、アメリカには「国際非常時経済権限法」(IEEPA) がある。国債が大量に売却されそうになると他国保有の国債をチャラにできると解説された。前田氏が、「いつそんな便利な法律を作ったんですか?」と呆れた。「カーター大統領の時です」と渡辺氏。

あの頃かなと気になったのでネットで調べてみた。1977年の12月にカーター大統領の署名をもって法案成立となっている。就任一年以内の制定だった。 そのころのアメリカ国債の最大の所有者はダントツで日本だった。国債が紙くずになる、そのターゲットは日本だったのだ。
1973年に第一次オイルショックがあった。OPECが突然原油価格を4倍に値上げした。ニクソン大統領の時である。馬渕元大使の見方に洗脳されてしまったせいか、オイルショックが国際金融機関がニクソン追い落としのために仕掛けた事件だったとしても驚かない。自動車大国のアメリカでガソリンが無くなった。大統領辞任は翌年だった。
原油を全て輸入に頼っている日本は大騒ぎになり、史上初めて貿易収支が2年連続で赤字になった。新聞雑誌には日本はもうダメだとする論調が溢れた。政府も大変だっただろうが、未曾有の国難に誰もが右往左往した。
IEEPA法は苦境の日本にさらに追い打ちをかける仕掛けになった。いざという時でもアメリカ国債を換金できない。買えるが売れない商取引は公平ではない。国益に資するのが大統領の仕事ではあろうけれど、相手は同盟国なのに。
カーター政権の安全保障担当補佐官はブレジンスキーだった。たぶん彼が法案のアイデアを進言したのだろう。日本潰しだけ考えれば当たるというブレジンスキーの見通しは、しかしながら外れた。「ひよわな花、日本」という本を書いたが、二流の知識人といわれた。ユダヤ人だが深みと凄みにかける。
日本は石油危機を省エネで乗り切り、ホンダが新しいエンジンを発明したことでアメリカ自動車産業まで圧倒してしまった。
この法律の存立基盤は軍事力である。アメリカ経済は軍事力に支えられている、恫喝経済だ。公平な取引だけの実力はわからない。いつも危機だー、危機だーと叫ぶ経済学者がいる。
今は米中対立で高みの見物を決め込んでいられる。これも勤勉な国民の努力の賜物だろう。IEEPA法がもとは日本相手の法律だったことは忘れられている。
nature

 

 

中半身(3)

中半身(3)          01/05/2009

われわれは引力で地球に張り付けになっている、引力を受ける中心として重心が想定される。下半身が意識されるとき、骨盤の辺りに重心を見つけようとしなかっただろうか。そして重心を鍛錬しようとしなかっただろうか。さらに脚下照顧、石橋を叩いて渡る、大地を踏みしめてなどの言葉がのしかかって重さを減ずる発想が起こらない。ほとんどの人が下へ下へと趣向してきた。
重心は水の中では浮心になる。だが実は空気中でも浮心として働いているのではないか。重心という言葉は真理の半分しか語っていないようだ。重心がみぞおちの近くにあると想像したことはあっただろうか。重力だけでは全てが押しつぶされて終わる。強い重力で自分が押し潰されないのはなぜかと自問しただろうか。
尾てい骨は敏感で支点として力が加わると激痛が走る。尾てい骨は直接固体と接してはならない。だから坐禅の時ただ腰を下ろすだけでは尾てい骨を傷めてしまう。安全な座り方は尾てい骨を着地させないこと。そのためには腰を押し上げる気持ちで座ることだ。外からはただ座っているように見えるが、心もちは跳躍寸前の身構えだ。その緊張感が坐相にキリッとした迫力を与える。
身体の動き方を知るか知らないかは人生の送り方に決定的な影響を与える。誰もが十代のうちに正しい知識を持つべきだ。無知少知でうかうかと過ごした時間は取り返せない。気が付いた時は常に遅すぎる。
しかし身学道としては遅すぎることも早すぎることもない。その時その場で最善を尽くすだけだ。歳をとれば身体を重く感じることが多い。さらに齢を重ねるとますます重くなっていくだろう。そのさきは億劫から鬱が待っている。重さではなく軽さで、重力でなく浮力で生活することはますます切実になってくる。
坐相を見直してみる。坐禅は座行だ。低い位置に座っている。見た目から下へ下へと重心を求める傾向はないだろうか。坐禅を始めた頃尾てい骨で押し上げなさいと言われたことはあったのだが、その時は尾てい骨は最下端にあるから重心は下へ行くほど大事で、低いほど良いと思った。また尾てい骨の一点で上体を支え続けるのが要点だと受け取った。先入見と偏見と未経験と無知は恐ろしい。
坐禅の坐は正座や静座の座ではない。座は上に屋根がある。天井でもいいが、すぐ限界に突き当たる。座は上方へは伸びしろがないから下方向へ趣向する。
坐は屋根がない、上方に突き抜けて、限界がない。坐は上にスッと伸びられる、あるいは天から吊り下げられる。
だから静座や正座と坐禅との間には座り方に質的な違いがある。重力で座って沈むか、浮力で天まで背筋を伸ばして坐るか。
普勧坐禅儀には虎が出てくる。躍動の象徴としての虎だから山を我が物顔で駆け巡るとされている。さて、虎が坐禅したらどうなるのか気になっていた。背骨が曲がっているように見えるから坐ったら安定しないだろうところがますます気にかかる。重力でさらに曲がってしまうからだ。しかし天から吊り上げられるとすれば虎でも身軽になって坐れる。
こんなことがなぜ早くわからなかったかというと、中半身があるという視点が欠けていたからだろう。身体は上半身と下半身との二分法だった。下部は力を入れて上の重さを支える、上部は骨盤の上でまっすぐ鉛直線のように落ち着く。下部と上部との繋がりはなかった。身体観も断絶思想に毒されていたようだ。上半身と下半身が繋がるメカニズムがあると想像できなかった。
坐禅はやさしい座行ではない。だから懸命に努力する。それで一つの不安があった。長年やっていると、重力が背骨を押しつぶすのではないかということだ。健康でできるだけ坐るというのでは不十分だ。重力は常に働くからいずれ肉体が負けるのは時間の問題だ。重力に負けない原理はないだろうか。それが解らなければ坐禅は大安楽の法門たり得ない。
中半身の発見は、長年の参究がやっと実ったと言えるかもしれない。尾てい骨で上体を押し上げることは重力に負けない一つの方法である。また天からのロープも知った。何事も学問精進すれば、納得でき安心できる経験と知恵を積み重ねることができる。呼吸法やダイエットなども研究する価値があるかもしれない。
極端なことを言えば安楽で軽々しくなければどんな行も長く続けられない。人の身体は軽くない。何十年も同じ相で座すれば一滴の水が岩を穿つように脊椎や腰を痛めるのは間違いない。だからなんとしても軽、快、楽を追求するしかない。身体が軽くなれば脊椎にも軟骨にもかかる力が減ずる。腰の重力が減る。そうすればいつまでもとはいえないが、永く坐れる。
身体の修行は支点のない軽快な坐法を見つけそれを行ずることのようだ。下半身の重力でではなく、中半身の浮力で坐ることは根本的なヒントになる。体得はできないが、できる可能性は少ないかもしれないが、やっと坐り方の方法と方向性がはっきりしてきた。
終わり

 

中半身(2)

 

中半身(2)            01/05/2009

話のタネにボストンマラソンを一度見ておかなければと思い立って出かけたことがあった。沿道に並んでいると、女子選手の先頭者が走ってきた。東欧の人だろうが、上下動が少ない。脚をくるくる車輪のように回していた。大地に張り付いて走っている印象で、腸骨の位置、つまり腰だが、腰の高さが固定して歩幅も一定だ。ピッチ走法と言うのだろうか。脚の回転数で勝負している。迫力は感じなかった。というのも外から見て次の一歩の動きが予測できた。意外性がない。
次にケニヤ勢の男性先頭集団がやってきた。一足ごとに跳ぶ様に走り、あっという間に去っていった。ジャンプしながら走るから上下動が大きい。大きな動きが迫力を産む。世界の一流選手の走りは、馬がドドドっと駆けるみたいだった。
彼らは中半身、第一腰椎から走っていた。細い脚なのにグングン加速できる。痩せているのも好条件だ。腰腸筋からのパワーが無駄なく伝わる。
みぞおちのすぐ下から右脚を前方にまっすぐ伸ばしてみる。すると腸骨の角度が変わり位置も前に進む。このアイデアだけで歩幅がぐっと広くなる。ジャンプするとき反対の腸骨の角度も変わる。動くポイントを数え上げてすべての要素を組み合わせると走りのスピードが早くなるはずだ。野口みずき選手の走り方に近かった。
バレエの教科書を読むと、誤った指導法の一つの例として下半身の鍛錬を強調しすぎることとあった。バレエは高さと速さと柔らかさの芸術と思っていたので意表を突かれた。どこでも行き過ぎがあったり半端な思い込みがあったりする。それはまた身体の動き方が無限で、研究すればするほど精妙にして合理的な動き方が見出されるということでもある。
’白鳥の湖’ では鳥のようにジャンプする場面がある。フワーッと舞い上がってフワーッと着水する。実際の白鳥は羽根面積に対して体重が重いので飛び上がるとき必死でばたつく。真似するダンサーの方がより優雅に見える。
優雅な着水をどのように練習するのかと思っていたら、先生は、まず音を立てないで着地するように指示していた。それには膝や足首の柔らかさが必要になる。それでも何十回も練習すれば関節を痛める確率は高い。全体重が膝と足首にかかる。
安全で軽く着地するコツはないのかと質問してみた。足裏の使い方や膝の衝撃の吸収方法を知りたかった。すると人形劇のように天井から吊り上げられて上昇するのだという。吊り上げられると軽くなる。ふわっと上がれる。長い助走なしに跳び上がれるのは足裏のはずみに加えて天井からの助力があったのだ。
先生は’ のイメージを持って。。’とか’ 吊り上げられる気持ちで。。。’といったわけではない。バレリーナにとっては天井からのロープが実在するのだ。その存在に確信が持てないようでは舞台で舞い上がることはできない。重力だけでなく浮力も感じ取るから優雅な躍動美が産まれるのだろう。吊り上げられる人の中心点は重心であるとともに浮心でもある。
バレエではまた片足で立って回転する舞がある。回転するだけで万雷の拍手が起こる。その要領を聞くと、みぞおちの奥に重心があると想定して回転するのだという。改めて映画を見直すと、腰を中心にした回転ではない。重心を高くみぞおちまで持ってくるから華麗に回れる。そこは第一腰椎が在る位置だ。重心、浮心、身体の中心はみぞおちの近く、第一腰椎のようだ。
身体の柔軟さが瞠目するほどの人が多いのもバレエだ。上体を直角に曲げて舞っている映画もある。ところが教科書では、脊椎を反り返るように曲げてはならないと書いてある。理由は、脊椎を曲げると軟骨を損傷するし脚も曲がるからだという。それはそうだろう。折ったり曲げたりすると軟骨は毀傷する恐れが高い。なぜ曲芸人のように背骨を湾曲できるのだろうか。
答えは、’曲げるのではなく尾てい骨から背骨を押し上げる’ のだという。曲げるではなく押し上げて伸ばす!曲がるのは脊椎の前後の伸び率の差による。押し上げるなら腰の下部から頭のてっぺんまで脊椎は伸びているし、軟骨に無理な力は掛かっていない。曲げると伸ばすでは実際の意味はまったく違う。押し上げるはもっと安全で高度な動き方になる。
バレエの芸術性に眼を向けると、脊椎が順にせり上がっているだけと解釈するのは十分ではない。頭の先端から光がほとばしるような表現ができてはじめて美が創造される。
立って意識的に尾てい骨から脊椎を押し上げてみる。腹は引っ込める。すると重心が高くなる。その姿勢で歩くと足が楽に上がる。身体が軽くなる。筋肉の動き方も変わってくる。立、座、歩が以前に比べて軽くできる。楽で快いから動きたくなる。この方法で軽い腰痛が治ってしまった。
タップダンスの映画は多いが、フレッド アステアとジーン ケリーが銀幕の代表的なダンサーだった。二人とも家族がダンス教室を経営していた。子供の時からダンスが日常生活だった。二人とも戦前から、今でも知られる映画に出演し監督もした。映画の成功がダンス教室のビジネスを広めることにもなった。
二人の映画を比べると個性の違いがはっきりわかる。アステアははじめバレエを習ったそうである。優雅なダンスや仕草の上にタップダンスを加えた。重心が高いというよりも浮力で踊っている感じで軽々と動き回る。撮影前の練習はすごかった。そして撮影はカット割りではなく一曲通して踊った。傑作揃いだ。
ケリーの踊りの特徴は重心が低い。無理に腰を落としてタップする。どこか不自然だ。代表作もいくつかあって映画作品で世に貢献した。しかし70代になると車椅子生活になった。ダンスしすぎて足腰が立たなくなった。下半身を使いすぎたのだろう。中半身で踊れば楽に生きれたのではないかと思う。

中半身(1)

中半身(1)         01/05/2009

どんなスポーツでも始めようとすれば、まず下半身を鍛えろと言われる。相撲やサッカーはもちろんだし、野球だって炎天下で耐えられるような体作りは下半身がしっかりするのが基礎だろう。太鼓グループも毎日のように長距離走するという。琴の演奏だって下半身の安定は必須条件のようだ。姿勢がグラグラしては優雅な音色も出せない。
あるときふっと下半身は肉体のどの部分を指す言葉なのかという疑問が湧いた。下半身の定義はなんだろうか。普通ヘソよりは下であろう。ヘソは下半身に含まれるだろうか。辞書には、下半身は腰から下の部分とある。腰とは脊柱の下部で、骨盤の上の屈折しうる部分。骨盤とは腹部の臓器を盛る骨である。腰は下半身に入る。しかし脊柱はどこも屈折する。下部とはどこからが下部なのか。
広辞苑の定義から始めたが、脊柱とあって、脊椎と同じと説明がある。柱は剛体で曲がらないが、椎は重ねられるから曲がる。同じと注釈する事で日本語と日本人を馬鹿にしようとしているのだろう。広辞苑は岩波書店から出ているが、岩波書店はサヨク出版社だ。機会あるたびにサヨク思想を広げようとしてきた。異なる物事を同じだと理解するのは嘘のはじめだが、同時に馬鹿になる嘘だ。事物の区別ができなくなる。
さらに広辞苑は脊椎動物を脊柱動物とはしていない。脊椎と脊柱が同じでない証拠だ。小さくとも嘘をつくと首尾一貫できなくなる。サヨク思想は底は浅い。ただの屁理屈、唯物論だ。少し勉強すれば見破れるようになる。言葉は考え方だけでなく身体の動作にまで影響が及ぶ時がある。言葉の意味を理解し、正しい言葉を使用するのは多くの意味で大事である。
下半身の定義は骨格を中心になされるが、下部とか屈折しうる部分となるとグレイゾーンが広がる。そこで人体の骨格図を見た。どこにでもあるような正面と側面から見た骨格図である。頭から下に脊椎が腰に向かって伸びている、と思っていたのだが、じつは頚椎、胸椎、腰椎と呼ぶのが正式名称らしい。それぞれ七個、十二個、五個の骨が積み重なっている。上から第一、第二と番号が振ってあって、第一頸椎、第三胸椎、第四腰椎のように区別されている。
胸は肺を保護するために、胸椎に対応して胸郭がくっついている。骨格図からは頑丈な作りに見えるが連結部は意外にもろい。腰の左右にある大きな骨は腸骨と呼ばれる。腰骨なるものは無い。だからだろう屈折する部分を腰と名づくとあった。一つの骨だと曲がらないからここは辞書の説明が整合する。ただし普通の人は腰と聞けば固定した部分と思うのではないか。
次に筋肉が図示されてあるページを繰った。そこには胸椎の下部と腰椎、腸骨、骨盤、大腿骨があって、脊椎から大腿骨の上部へ連結する大きな筋肉が描かれていた。五個の腰椎からそれぞれ大腰筋と呼ばれる筋肉が出ている。それらが腸骨から出る腸骨筋と融合して大腿骨に繋がっている。腰椎なる名称は筋肉の出処を基にして名付けられている。胸椎から大腰筋が出ているわけでは無いから、脊椎を三種の群に分けるのは解剖学的な意味がある。骨の形状も群ごとに異なり、また下へ行くほど大きくなる。
大腰筋と腸骨筋を合わせて腰腸筋と称し、大転子のすこし下で大腿骨と繋がっている。大腿骨と腸骨との接合部分は股関節という。股関節から最外側になる大転子をすぎて垂直に下がる大腿骨が伸びている図は造化の妙を見ているようだ。この構造だと前後、上下、左右、回旋とどんな方向にも運動できる。
ところで第一腰椎は身体のどこにあるだろうか。下から五番目だからと後ろ手で脊椎の下部を探ったがはっきりしない。改めて骨格図を見て驚いた。なんとみぞおちのすぐ下にあるではないか。正面から見ると、胸郭の下端とみぞおちとの中間の位置にある。第一腰椎の上端はヘソよりも上にある。第一腰椎が腰に属するとすれば腰はヘソより上から始まることになる。
第一腰椎から大腰筋が出ている。そこは曲がるから腰である。そしてヘソはどうかというと、腸骨の上端と胸郭の下端との中間にある。両方を触ってみればわかるが、胸郭と腸骨との間は以外に狭い。ヘソの位置は両者の真ん中だ。
普通の人は胸郭と腸骨のあいだは広く離れているイメージを持っている。腹は諸筋肉が重層的に締め上げている上に皮膚が乗っかっている。強靭ではあるが骨がなくのっぺらぼうである。腹はみぞおちの下から始まって臍下丹田の位置に至る。目印になるものはヘソ以外にないから広く感じる。胸は手ですぐ触れるから近い。腰と下半身は広い腹の向こうにあって遠い。この遠近感覚は大きな意味がある。
脚は下半身にあるから遠くにあると思っている。下半身を鍛えろ、走れと言われると大騒ぎした。すぐ脚が重くなって動かなくなる。よっこらよっこらとなってへばってしまう。下半身のヘソの下から出た筋肉で遠くにある重い脚を前に運ぶと思っていた。重労働だった。テコの原理を応用して重さと長さが計算できる。長さにして一対五の感じだった。足先を動かすには五倍の力を出さねばならない。それを鍛えるという。修行努力は尊いが、考えるだけでしんどかった。
目の前にある筋肉図にものさしを当てて測ってみた。第一腰椎から大腿骨に繋がる筋肉は身体の中で最長だ。股関節を中心にすると、長さの割合は四対一である。すると脚に伝わる筋肉の力は四倍大きいことになる。一番下の第五腰椎からでも二対一になる。二倍の力が脚に伝わる。ということは、構造的に、諸腰椎から出た力で脚は楽に動けることになる。
脚が重い感覚はどこから来たのだろうか。血の巡りが悪いとか歩き方や走り方に悪い癖があるからだ。身体に対する誤解や無知もある。正しい動き方を知らないから脚だけでなく全身に余計な力みを生じる。真面目に走るべきだったか、笑いながら走るべきだったか。走るのは苦痛なのか快楽なのか。
大腰筋が出ている第一腰椎はみぞおちの奥にあって手で触れる。その部分を普通は腰とか下半身とは言わない。それは下半身ではなく中半身といったほうがよい。中半身は下半身より頭に近い。脚の運動は脳や目に対してヘソよりも近い場所から発している。すると脚を上げるのも前に進めるのも易しくそして優しくできる気がしてくる。脚が親しくなり身が軽くなる。その知識だけで脚の運動が楽になった。自分の筋肉がほんとうはオリジナルの三倍、四倍の力で働くと知ると、何か得をした気がする。脚を自由自在に操れる気がしてくる。

表絵文字(5)

日本語(2)表絵文字                 11/09/2008

言葉を創造する人、つまり日本語の創造者はまづ文学者であろう。それは小説家であったり詩人や歌人であったりする。そのなかには言葉に対するセンスの良さ、知識の該博さに対して脱帽するしかないような優れた人たちがいる。しかし名のある文学者が国字国語審議会の委員になったという話は聞いたことがない。日本文学に関与できないような先生が日本語をいじくり回している。
日本語を改めたい、あるいは滅ぼしたいと考える日本人がいるようだ。反日日本人と呼ばれる人たちで、なぜか要職を占める方法を知っている。普通人には気づかれないように日本語は貶められてきた。大きな方法は漢字制限だった。戦後五十年間になされた漢字排斥の影響は心ある人々を戦慄させた。その先には小学生並みの日本語が予想されたからだ。ところが急速なコンピューターの発達で、漢字制限はまったく無意味なことがわかった。間に合った、僥倖だった。
パラドックスかもしれないが、表現方法を制限された芸術家たちは本来の日本語の潜在能力を漢字以外の媒体を使って爆発させた。それが漫画でありアニメであろう。それは同時にほとんどの日本人が自国語について感じていた誤解を見直す契機ともなった。日本語は表意文字ではなかった。表音文字でもなかった。かなという表音文字のあいだに漢字をはじめとする絵をちりばめた表絵文字だったのだ。
古代の日本人は言霊信仰を持っていたとされる。言霊信仰の概念で、呪文、神話などのおどろおどろしい雰囲気の現象について説明されることが多い。連綿として続いている日本語である、言霊信仰の現代的意味を考え直すのは、自国語を理解する一助になるのではないか。
言霊信仰とは端的に言えば言葉を信仰していないということだ。日本人は言葉ではなく霊を信仰している。信仰するとは仰ぎ見ること、頼りにすること。霊に頼っている。頼ることができるのは、霊が存在していると思っているからだ。
霊とは何だろう。目に見えるものではない。聞こえもしないし触れもしない。しかし古代から日本人は知っていたのだ。言葉で通じるとは単にロジック、論理が交換されることであって、本当の通じ合いではないと。誤解や曲解はいまも日常生活の中でしょっちゅう起こっている。本当に通じ合うためには言葉以前の何かが通じあわなければならない。その何かが霊と名付けられた。
言葉は霊を表現する手段の一つである。言の葉は霊という幹ではない。霊が通じ合うためには言葉以外の方法も使える。源氏物語も、文章だけでなく絵巻物となって広く知られた。漫画やアニメが何の障害もなく発達発展する基礎は、絵巻物の中にすでに具現されていた。その先は音楽、ダンス、武術なども霊の表現方法として理解されるようになるだろう。
外来語の漢字は絵として受け入れられた。横文字、カタカナ語が氾濫する現代日本語は、霊の表現方法が豊かになったと解釈できる。表絵文字にはいつの時代にもどんな言語にも柔軟に対応できる機能が備わっているのではないか。英語が苦手な人が多いのも、英語に全面的に切り替える必要がないからだ。日本語は言霊とともにある。
終わり

表絵文字(4)

日本語(2)表絵文字       11/09/2008

ところで日本語は表意文字なのか表音文字なのか。学問の世界ではどうか知らないが、耳学問でははっきりした答えは聞いたことがない。日本語は表音文字の”かな”を基本にして漢字という絵を加えている表絵文字ではないかというのがわたしの問題提起である。
日本は中国と同文同種の文化を持つとはよく聞いたセリフである。たしかに日本人は漢字を勉強してきた。漢字を知ることが知識の信頼性を保証した。康熙字典の四万字とまではいかなくても、今でも一万字くらい読み書きできる人は少なくないだろう。漢字は日本文化に影響を与えたどころか日本文化の背骨だという人もいる。
だから国字国語審議会が当用漢字や常用漢字を決めたりすると必ず反発が起きる。伝統的な文化を破壊しようと意図しているのではないか、国民の思考を単純化しようとしているのではないかなどなど。新仮名遣い派と旧仮名遣い派との論争は熾烈である。
事実あらゆる改革案は日本語の単純化を目指していた。ローマ字運動というのがあった。日本語をローマ字表記にして英語に近づけようとすることだ。ある人がローマ字だけの本を出版したそうである。読めたものではなかった。ローマ字一本やりでは実用にならないと実証するための出版だったそうだから目的は達せられた。かな文字会というのも聞いたことがある。これはひらがなだけにしてしまえという主張だった。
良い先例がある。ベトナム語はフランスの植民地政策の下でローマ字表記にされた。ベトナム人から辞書を見せてもらった。漢字に基づいた単語がたくさんある。われわれなら熟語を連想する方法で理解できる言葉が、ベトナム人には連想する繋がりが切断されている。学問、学校、学生、見学、数学などはみんな学問に関係している言葉だと日本人ならすぐわかる。それは漢字を見て意味を理解できるからだ。それがすべてガクまたはgakuでは大変なことになる。金額、音楽、山岳、驚愕、碩学とローマ字だけで書かれるとどのガクかわからない。
そうなると英語を体系的に学ぶ方がベトナム語を理解できる近道になる。彼らにとって一番簡単なのは母語を捨てて英語だけにすることだろう。ローマ字運動がいかに罪深いものだったか判る。
だいたい言語変革運動をするほどの人は、変革の結果何が起こるか外国の例なども研究しているはずだ。なおかつ単純に変えてしまえというのはどんな理由によるのか。審議会の委員たちは何の目的で漢字使用を制限しようとするのか。日本人をバカにしようとしているのかもしれない。それは日本人以外の人々に歓迎される思想ではあろう。

表絵文字(3)

日本語(2)表絵文字           11/09/2008
日本では総理大臣の演説を全国新聞がボロクソに罵倒する。百年一日のごとく、日本の政治家は演説が下手だ、外国の政治家を見習えと説教を垂れる。内容はあまり変わらないのに外国人だと誉めそやし、自国の首相は軽蔑する。いつも同じ記事だからなぜ変わり映えしないのか疑問が湧く。
日本語は表音文字ではない。日本文化は、現在ではという限定付きだが、音を深いところで信頼していない。立て板に水の弁論を聞くと本当だろうかと疑うのがよい例だ。アメリカでは滅多に見ないことだが、言葉を発するのが商売のアナウンサーでもよくどもっている。テレビでどもる場面をみると、表音文字文化ではないなと確認させられる。高級新聞が下手なアナウンサーではなく政治家の演説だけを槍玉にあげて雑言悪口し続けるのは、政治への信頼感を低下させ、いたずらに社会を混乱させようとする底意があるからだろう。
人は平等ではない。言語が異なるだけで、お互いに決定的に異なる心を持っている。それは記憶に対する重要度の違いだったりする。アメリカ人は物忘れに異常な恐怖心を持っている。政治家や宗教的な指導者が物忘れがひどくなったり声が出なくなったりすると名声と地位が一瞬にして失われる。英語文化圏における音と記憶の関係はもっと深く研究されるべきだろう。日本では軽度の物忘れは人格円満になったという表現があるくらいで、言の葉が紅葉色になったくらいの認識だ。
表意文字では、意味が変わらない限り何千年でも書き方を変える必要はない。漢字の発音が大きく変化しているのは、呉音、漢音、唐音などの区別があるので判る。ただしこんな区別は公式発表だろう。お寺の中だけとか宮廷の中だけだったかもしれない。なぜ発音が大きく変化したか、地域的な差異などもできれば知りたいものである。しかし意味は変わらないから漢字は変わらなかった。
大学の構内を歩いていると一枚のポスターが目に入った。ある漢字の上に英語の翻訳が書いてある。それはケネデー大統領がいった有名な言葉だった。危機とは危険と機会との二つの意味がある。心配するばかりでは意味がない。危機は経済人なら大金持ちになるチャンスなのだし、軍人なら勝利に導く契機になると。問題は、そのポスターには”機”ではなく”机”と書いてあったことだ。それで通りがかりの先生に間違いを指摘しておいた。
十分ほど経って、毛沢東以来、中国では新字体が使われていることを思い出した。”机”は新しい”機”だったのではないか。ポスターはたぶん正しかった。インターネットに接続して新字を印刷したのだろう。日本人が知っている漢字と中国本土人が使っている漢字は違う。日本人が漢字というときは中国大陸で使われている漢字だと思い込んでいるが、実際は日本国内で通用しているだけではないか。台湾人には通じるだろうが。
これを中国大陸人からみるとどうなるか。彼らは日本で流布している漢字を読めない。台湾、香港、シンガポール字も読めない。新字に直さなければ論語も仏教経典も読めない。
合点がいったことがある。こちらで会う中国人からは、孔子の教えの断片も聞いたことがない。儒教の国の民なのに不思議だった。文化大革命の折に孔子批判というのも聞いたことがある。新字に書き直されなければ若い中国人は論語を読めない。毛沢東は論語潰しのために新字を制定したのかもしれない。孔孟老荘を含め、あらゆる文化を抹殺するためには旧字を禁止するのは効果的だ。
毛沢東は秦の始皇帝に匹敵するような大変革をしたのだろうか。始皇帝の焚書坑儒とは新字体を制定しただけのことだったのかもしれない。それだけで次の世代の人は旧字を読めなくなる。そして歴史書に記される大混乱が起こった。毛沢東の改革は第二の焚書坑儒だった。
二千年間字体が変わらなかったから、我々はなんとなく漢字は永遠におなじだと確信を持っていた。じつは五十年以上も昔から日本語の漢字と中国語の漢字は違っていたのだ。カナダやフランス植民地のフランス語はパリでは通じないそうだが、同じことはすでに東京と北京との間で起こっていた。

 

 

表絵文字(2)

日本語(2)表絵文字         11/09/2008

書き言葉には表意文字と表音文字があると教わった。漢字は表意文字で英語は表音文字である。表音文字は音を書き表す。現代ではアルファベットが一番効率が良いようだ。音は変わりやすい。発音が変われば書き方も変わる。発音が主、文字は従である。文字が音を真似る。文字は音を記録するための道具だ。だからだろうか、アメリカ人は文字よりも音を信頼しているように見える。
アメリカ人からはよく英語の綴りを教えてくれと頼まれた。みんな大学卒業生であるが、自国語を正確に書けないことを恥じる気配がない。日本人が外国人に日本語の書き方を教わることはまずない。漢字の間違いを見つけられたら恥ずかしく思う。この辺りが英語文化と日本語文化とは根本的な違いがあるらしいと気付いた初めだった。問題の捉え方がまるきり違うらしい。スペリングの間違いだけを取り上げて教育劣化、学力低下とかんたんに片付けられないのではないか。当初は気づかなかったが、彼らは文字が間違っても、もっと大事な物、音を理解できているのだから平気だったのだ。
小さな事務所で働いていた頃の話である。ボスは普通のアメリカ人だった。日本人の奥さんから習ったのだろう、日本語を不自由なく話した。私とは、日本語、英語のどちらでも通じた。ただし日本語を読むことはできないと言われていた。読めなくても流暢に外国語を話せる人物の存在は驚きだった。相当数の単語を記憶しているはずだが苦労して覚えているようにも見えなかった。
あるとき日本語の手紙を持ってきた。翻訳ですかと聞くと、自分の耳を指差して読んでくれという。アナウンサーのように声を張り上げて読んだ。一回読むとサンキューといって立ち去った。一回の音読で全て分かったようだ。訓練されていない私の声音でどうして文章が理解できたのかわからない。音だけで外国語を理解する人がアメリカにはいるのだ。
ワシントンでFBI本部を見学したことがある。公開講座を開いて射撃や逮捕の実演を見せたりする。会場に入ると、小学六年生の修学旅行と思しき集団が着席して説明を聞いていた。百人くらいか。説明が終わって担当者がでは次の部屋に行きますと言った。その瞬間全員がさっと立ち上がった。小魚の群れが瞬時に向きを変えるような感じだった。集団としての見事な身のこなしに唖然とした。左右を見回したり、動作が遅いグズがいてもよさそうなのに。兵隊の訓練を受ける前に、行進、停止、反転などができる感覚が身についているようだった。
その時思い出したのは最初の大きなハイジャック事件だった。イスラエル航空機が乗っ取られエンテベに着陸させられた。犯人との交渉はリアルタイムで報道され世界中が固唾をのんでいた。三日目にイスラエルの特殊部隊が突入して乗客をほぼ全員救出した。
特殊部隊は突入すると煙幕弾を投げると同時に、「伏せろ!」とヘブライ語で叫んだそうである。ヘブライ語を理解しないものが立っている。鮮やかな事件収束に感嘆した。どうして民間人がぱっと身を伏せられたのか想像できなかった。「えっ」と見回しているうちに射殺されてしまう。頭にも耳にも体にも音を信頼する感覚が身についていればこそ可能な作戦だったはずだ。
十冊ほど本を出版している人に英語の原稿を直してもらったことがある。なんでも手伝うからと言われたので頼んだのだったが、一箇所しか直してくれなかった。がっかりしたけどなんとか完成しなければならない。原稿を読み進めて行くと、最後に註がついていて、「だいたい良いから、あとは自分で声を出して読んでみて、文章の調子が自然になるように修正しなさい。」とあった。図らずも英作文の基本を教えてもらった。
英語では書くにも読むにも発声が基本になる。彼のインストラクションなら自分自身で下手は下手なりに勉強向上できる。同じ方法で練習していけば、文章作法も洗練していくに違いない。最後はセンスの良さが決め手になるだろう。ベストセラーを書くほどの人は文章と音読と身体のリズムの関係まで知悉しているはずだ。夢中で読んだ本は、考えてみれば文章にリズムがあった。
アメリカ人は演説が上手い。なかでもクリントン大統領は飛び抜けてうまかった。鮮やかな記憶として残っているのは、大統領候補受諾の演説だ。その前夜にゴア副大統領候補が素晴らしい演説をした。もうクリントンの出番はないのではないかと思いながらテレビを見た。終わってみれば期待以上の見事な出来だった。政策や人格は別として、超一流の演説だった。
超多忙な政治家である。原稿をひとつひとつ書いている暇はないからスピーチライターの職がある。他人が書いた原稿だが、壇上では見事な演技をする。テーマの並べ方、間合いの取り方、声量、身振り、笑わせ方、そして聴かせ方まで、これでもかこれでもかと惹きつけられた。音に価値を置いた文化、表音文字文化の頂点を極めた演説だった。