中半身(3)

中半身(3)          01/05/2009

われわれは引力で地球に張り付けになっている、引力を受ける中心として重心が想定される。下半身が意識されるとき、骨盤の辺りに重心を見つけようとしなかっただろうか。そして重心を鍛錬しようとしなかっただろうか。さらに脚下照顧、石橋を叩いて渡る、大地を踏みしめてなどの言葉がのしかかって重さを減ずる発想が起こらない。ほとんどの人が下へ下へと趣向してきた。
重心は水の中では浮心になる。だが実は空気中でも浮心として働いているのではないか。重心という言葉は真理の半分しか語っていないようだ。重心がみぞおちの近くにあると想像したことはあっただろうか。重力だけでは全てが押しつぶされて終わる。強い重力で自分が押し潰されないのはなぜかと自問しただろうか。
尾てい骨は敏感で支点として力が加わると激痛が走る。尾てい骨は直接固体と接してはならない。だから坐禅の時ただ腰を下ろすだけでは尾てい骨を傷めてしまう。安全な座り方は尾てい骨を着地させないこと。そのためには腰を押し上げる気持ちで座ることだ。外からはただ座っているように見えるが、心もちは跳躍寸前の身構えだ。その緊張感が坐相にキリッとした迫力を与える。
身体の動き方を知るか知らないかは人生の送り方に決定的な影響を与える。誰もが十代のうちに正しい知識を持つべきだ。無知少知でうかうかと過ごした時間は取り返せない。気が付いた時は常に遅すぎる。
しかし身学道としては遅すぎることも早すぎることもない。その時その場で最善を尽くすだけだ。歳をとれば身体を重く感じることが多い。さらに齢を重ねるとますます重くなっていくだろう。そのさきは億劫から鬱が待っている。重さではなく軽さで、重力でなく浮力で生活することはますます切実になってくる。
坐相を見直してみる。坐禅は座行だ。低い位置に座っている。見た目から下へ下へと重心を求める傾向はないだろうか。坐禅を始めた頃尾てい骨で押し上げなさいと言われたことはあったのだが、その時は尾てい骨は最下端にあるから重心は下へ行くほど大事で、低いほど良いと思った。また尾てい骨の一点で上体を支え続けるのが要点だと受け取った。先入見と偏見と未経験と無知は恐ろしい。
坐禅の坐は正座や静座の座ではない。座は上に屋根がある。天井でもいいが、すぐ限界に突き当たる。座は上方へは伸びしろがないから下方向へ趣向する。
坐は屋根がない、上方に突き抜けて、限界がない。坐は上にスッと伸びられる、あるいは天から吊り下げられる。
だから静座や正座と坐禅との間には座り方に質的な違いがある。重力で座って沈むか、浮力で天まで背筋を伸ばして坐るか。
普勧坐禅儀には虎が出てくる。躍動の象徴としての虎だから山を我が物顔で駆け巡るとされている。さて、虎が坐禅したらどうなるのか気になっていた。背骨が曲がっているように見えるから坐ったら安定しないだろうところがますます気にかかる。重力でさらに曲がってしまうからだ。しかし天から吊り上げられるとすれば虎でも身軽になって坐れる。
こんなことがなぜ早くわからなかったかというと、中半身があるという視点が欠けていたからだろう。身体は上半身と下半身との二分法だった。下部は力を入れて上の重さを支える、上部は骨盤の上でまっすぐ鉛直線のように落ち着く。下部と上部との繋がりはなかった。身体観も断絶思想に毒されていたようだ。上半身と下半身が繋がるメカニズムがあると想像できなかった。
坐禅はやさしい座行ではない。だから懸命に努力する。それで一つの不安があった。長年やっていると、重力が背骨を押しつぶすのではないかということだ。健康でできるだけ坐るというのでは不十分だ。重力は常に働くからいずれ肉体が負けるのは時間の問題だ。重力に負けない原理はないだろうか。それが解らなければ坐禅は大安楽の法門たり得ない。
中半身の発見は、長年の参究がやっと実ったと言えるかもしれない。尾てい骨で上体を押し上げることは重力に負けない一つの方法である。また天からのロープも知った。何事も学問精進すれば、納得でき安心できる経験と知恵を積み重ねることができる。呼吸法やダイエットなども研究する価値があるかもしれない。
極端なことを言えば安楽で軽々しくなければどんな行も長く続けられない。人の身体は軽くない。何十年も同じ相で座すれば一滴の水が岩を穿つように脊椎や腰を痛めるのは間違いない。だからなんとしても軽、快、楽を追求するしかない。身体が軽くなれば脊椎にも軟骨にもかかる力が減ずる。腰の重力が減る。そうすればいつまでもとはいえないが、永く坐れる。
身体の修行は支点のない軽快な坐法を見つけそれを行ずることのようだ。下半身の重力でではなく、中半身の浮力で坐ることは根本的なヒントになる。体得はできないが、できる可能性は少ないかもしれないが、やっと坐り方の方法と方向性がはっきりしてきた。
終わり

 

中半身(2)

 

中半身(2)            01/05/2009

話のタネにボストンマラソンを一度見ておかなければと思い立って出かけたことがあった。沿道に並んでいると、女子選手の先頭者が走ってきた。東欧の人だろうが、上下動が少ない。脚をくるくる車輪のように回していた。大地に張り付いて走っている印象で、腸骨の位置、つまり腰だが、腰の高さが固定して歩幅も一定だ。ピッチ走法と言うのだろうか。脚の回転数で勝負している。迫力は感じなかった。というのも外から見て次の一歩の動きが予測できた。意外性がない。
次にケニヤ勢の男性先頭集団がやってきた。一足ごとに跳ぶ様に走り、あっという間に去っていった。ジャンプしながら走るから上下動が大きい。大きな動きが迫力を産む。世界の一流選手の走りは、馬がドドドっと駆けるみたいだった。
彼らは中半身、第一腰椎から走っていた。細い脚なのにグングン加速できる。痩せているのも好条件だ。腰腸筋からのパワーが無駄なく伝わる。
みぞおちのすぐ下から右脚を前方にまっすぐ伸ばしてみる。すると腸骨の角度が変わり位置も前に進む。このアイデアだけで歩幅がぐっと広くなる。ジャンプするとき反対の腸骨の角度も変わる。動くポイントを数え上げてすべての要素を組み合わせると走りのスピードが早くなるはずだ。野口みずき選手の走り方に近かった。
バレエの教科書を読むと、誤った指導法の一つの例として下半身の鍛錬を強調しすぎることとあった。バレエは高さと速さと柔らかさの芸術と思っていたので意表を突かれた。どこでも行き過ぎがあったり半端な思い込みがあったりする。それはまた身体の動き方が無限で、研究すればするほど精妙にして合理的な動き方が見出されるということでもある。
’白鳥の湖’ では鳥のようにジャンプする場面がある。フワーッと舞い上がってフワーッと着水する。実際の白鳥は羽根面積に対して体重が重いので飛び上がるとき必死でばたつく。真似するダンサーの方がより優雅に見える。
優雅な着水をどのように練習するのかと思っていたら、先生は、まず音を立てないで着地するように指示していた。それには膝や足首の柔らかさが必要になる。それでも何十回も練習すれば関節を痛める確率は高い。全体重が膝と足首にかかる。
安全で軽く着地するコツはないのかと質問してみた。足裏の使い方や膝の衝撃の吸収方法を知りたかった。すると人形劇のように天井から吊り上げられて上昇するのだという。吊り上げられると軽くなる。ふわっと上がれる。長い助走なしに跳び上がれるのは足裏のはずみに加えて天井からの助力があったのだ。
先生は’ のイメージを持って。。’とか’ 吊り上げられる気持ちで。。。’といったわけではない。バレリーナにとっては天井からのロープが実在するのだ。その存在に確信が持てないようでは舞台で舞い上がることはできない。重力だけでなく浮力も感じ取るから優雅な躍動美が産まれるのだろう。吊り上げられる人の中心点は重心であるとともに浮心でもある。
バレエではまた片足で立って回転する舞がある。回転するだけで万雷の拍手が起こる。その要領を聞くと、みぞおちの奥に重心があると想定して回転するのだという。改めて映画を見直すと、腰を中心にした回転ではない。重心を高くみぞおちまで持ってくるから華麗に回れる。そこは第一腰椎が在る位置だ。重心、浮心、身体の中心はみぞおちの近く、第一腰椎のようだ。
身体の柔軟さが瞠目するほどの人が多いのもバレエだ。上体を直角に曲げて舞っている映画もある。ところが教科書では、脊椎を反り返るように曲げてはならないと書いてある。理由は、脊椎を曲げると軟骨を損傷するし脚も曲がるからだという。それはそうだろう。折ったり曲げたりすると軟骨は毀傷する恐れが高い。なぜ曲芸人のように背骨を湾曲できるのだろうか。
答えは、’曲げるのではなく尾てい骨から背骨を押し上げる’ のだという。曲げるではなく押し上げて伸ばす!曲がるのは脊椎の前後の伸び率の差による。押し上げるなら腰の下部から頭のてっぺんまで脊椎は伸びているし、軟骨に無理な力は掛かっていない。曲げると伸ばすでは実際の意味はまったく違う。押し上げるはもっと安全で高度な動き方になる。
バレエの芸術性に眼を向けると、脊椎が順にせり上がっているだけと解釈するのは十分ではない。頭の先端から光がほとばしるような表現ができてはじめて美が創造される。
立って意識的に尾てい骨から脊椎を押し上げてみる。腹は引っ込める。すると重心が高くなる。その姿勢で歩くと足が楽に上がる。身体が軽くなる。筋肉の動き方も変わってくる。立、座、歩が以前に比べて軽くできる。楽で快いから動きたくなる。この方法で軽い腰痛が治ってしまった。
タップダンスの映画は多いが、フレッド アステアとジーン ケリーが銀幕の代表的なダンサーだった。二人とも家族がダンス教室を経営していた。子供の時からダンスが日常生活だった。二人とも戦前から、今でも知られる映画に出演し監督もした。映画の成功がダンス教室のビジネスを広めることにもなった。
二人の映画を比べると個性の違いがはっきりわかる。アステアははじめバレエを習ったそうである。優雅なダンスや仕草の上にタップダンスを加えた。重心が高いというよりも浮力で踊っている感じで軽々と動き回る。撮影前の練習はすごかった。そして撮影はカット割りではなく一曲通して踊った。傑作揃いだ。
ケリーの踊りの特徴は重心が低い。無理に腰を落としてタップする。どこか不自然だ。代表作もいくつかあって映画作品で世に貢献した。しかし70代になると車椅子生活になった。ダンスしすぎて足腰が立たなくなった。下半身を使いすぎたのだろう。中半身で踊れば楽に生きれたのではないかと思う。

中半身(1)

中半身(1)         01/05/2009

どんなスポーツでも始めようとすれば、まず下半身を鍛えろと言われる。相撲やサッカーはもちろんだし、野球だって炎天下で耐えられるような体作りは下半身がしっかりするのが基礎だろう。太鼓グループも毎日のように長距離走するという。琴の演奏だって下半身の安定は必須条件のようだ。姿勢がグラグラしては優雅な音色も出せない。
あるときふっと下半身は肉体のどの部分を指す言葉なのかという疑問が湧いた。下半身の定義はなんだろうか。普通ヘソよりは下であろう。ヘソは下半身に含まれるだろうか。辞書には、下半身は腰から下の部分とある。腰とは脊柱の下部で、骨盤の上の屈折しうる部分。骨盤とは腹部の臓器を盛る骨である。腰は下半身に入る。しかし脊柱はどこも屈折する。下部とはどこからが下部なのか。
広辞苑の定義から始めたが、脊柱とあって、脊椎と同じと説明がある。柱は剛体で曲がらないが、椎は重ねられるから曲がる。同じと注釈する事で日本語と日本人を馬鹿にしようとしているのだろう。広辞苑は岩波書店から出ているが、岩波書店はサヨク出版社だ。機会あるたびにサヨク思想を広げようとしてきた。異なる物事を同じだと理解するのは嘘のはじめだが、同時に馬鹿になる嘘だ。事物の区別ができなくなる。
さらに広辞苑は脊椎動物を脊柱動物とはしていない。脊椎と脊柱が同じでない証拠だ。小さくとも嘘をつくと首尾一貫できなくなる。サヨク思想は底は浅い。ただの屁理屈、唯物論だ。少し勉強すれば見破れるようになる。言葉は考え方だけでなく身体の動作にまで影響が及ぶ時がある。言葉の意味を理解し、正しい言葉を使用するのは多くの意味で大事である。
下半身の定義は骨格を中心になされるが、下部とか屈折しうる部分となるとグレイゾーンが広がる。そこで人体の骨格図を見た。どこにでもあるような正面と側面から見た骨格図である。頭から下に脊椎が腰に向かって伸びている、と思っていたのだが、じつは頚椎、胸椎、腰椎と呼ぶのが正式名称らしい。それぞれ七個、十二個、五個の骨が積み重なっている。上から第一、第二と番号が振ってあって、第一頸椎、第三胸椎、第四腰椎のように区別されている。
胸は肺を保護するために、胸椎に対応して胸郭がくっついている。骨格図からは頑丈な作りに見えるが連結部は意外にもろい。腰の左右にある大きな骨は腸骨と呼ばれる。腰骨なるものは無い。だからだろう屈折する部分を腰と名づくとあった。一つの骨だと曲がらないからここは辞書の説明が整合する。ただし普通の人は腰と聞けば固定した部分と思うのではないか。
次に筋肉が図示されてあるページを繰った。そこには胸椎の下部と腰椎、腸骨、骨盤、大腿骨があって、脊椎から大腿骨の上部へ連結する大きな筋肉が描かれていた。五個の腰椎からそれぞれ大腰筋と呼ばれる筋肉が出ている。それらが腸骨から出る腸骨筋と融合して大腿骨に繋がっている。腰椎なる名称は筋肉の出処を基にして名付けられている。胸椎から大腰筋が出ているわけでは無いから、脊椎を三種の群に分けるのは解剖学的な意味がある。骨の形状も群ごとに異なり、また下へ行くほど大きくなる。
大腰筋と腸骨筋を合わせて腰腸筋と称し、大転子のすこし下で大腿骨と繋がっている。大腿骨と腸骨との接合部分は股関節という。股関節から最外側になる大転子をすぎて垂直に下がる大腿骨が伸びている図は造化の妙を見ているようだ。この構造だと前後、上下、左右、回旋とどんな方向にも運動できる。
ところで第一腰椎は身体のどこにあるだろうか。下から五番目だからと後ろ手で脊椎の下部を探ったがはっきりしない。改めて骨格図を見て驚いた。なんとみぞおちのすぐ下にあるではないか。正面から見ると、胸郭の下端とみぞおちとの中間の位置にある。第一腰椎の上端はヘソよりも上にある。第一腰椎が腰に属するとすれば腰はヘソより上から始まることになる。
第一腰椎から大腰筋が出ている。そこは曲がるから腰である。そしてヘソはどうかというと、腸骨の上端と胸郭の下端との中間にある。両方を触ってみればわかるが、胸郭と腸骨との間は以外に狭い。ヘソの位置は両者の真ん中だ。
普通の人は胸郭と腸骨のあいだは広く離れているイメージを持っている。腹は諸筋肉が重層的に締め上げている上に皮膚が乗っかっている。強靭ではあるが骨がなくのっぺらぼうである。腹はみぞおちの下から始まって臍下丹田の位置に至る。目印になるものはヘソ以外にないから広く感じる。胸は手ですぐ触れるから近い。腰と下半身は広い腹の向こうにあって遠い。この遠近感覚は大きな意味がある。
脚は下半身にあるから遠くにあると思っている。下半身を鍛えろ、走れと言われると大騒ぎした。すぐ脚が重くなって動かなくなる。よっこらよっこらとなってへばってしまう。下半身のヘソの下から出た筋肉で遠くにある重い脚を前に運ぶと思っていた。重労働だった。テコの原理を応用して重さと長さが計算できる。長さにして一対五の感じだった。足先を動かすには五倍の力を出さねばならない。それを鍛えるという。修行努力は尊いが、考えるだけでしんどかった。
目の前にある筋肉図にものさしを当てて測ってみた。第一腰椎から大腿骨に繋がる筋肉は身体の中で最長だ。股関節を中心にすると、長さの割合は四対一である。すると脚に伝わる筋肉の力は四倍大きいことになる。一番下の第五腰椎からでも二対一になる。二倍の力が脚に伝わる。ということは、構造的に、諸腰椎から出た力で脚は楽に動けることになる。
脚が重い感覚はどこから来たのだろうか。血の巡りが悪いとか歩き方や走り方に悪い癖があるからだ。身体に対する誤解や無知もある。正しい動き方を知らないから脚だけでなく全身に余計な力みを生じる。真面目に走るべきだったか、笑いながら走るべきだったか。走るのは苦痛なのか快楽なのか。
大腰筋が出ている第一腰椎はみぞおちの奥にあって手で触れる。その部分を普通は腰とか下半身とは言わない。それは下半身ではなく中半身といったほうがよい。中半身は下半身より頭に近い。脚の運動は脳や目に対してヘソよりも近い場所から発している。すると脚を上げるのも前に進めるのも易しくそして優しくできる気がしてくる。脚が親しくなり身が軽くなる。その知識だけで脚の運動が楽になった。自分の筋肉がほんとうはオリジナルの三倍、四倍の力で働くと知ると、何か得をした気がする。脚を自由自在に操れる気がしてくる。

衝撃と吸収(2)

衝撃と吸収(2) 09/01/2008
このように考えているうち、衝撃の吸収は生命体の生きる原理ではないかという気がしてきた。歩くとき、身体は大地からの衝撃を吸収している。舗装された道、石ころだらけの道、田んぼのあぜ道と、道といっても表面の質は違う。身体は硬さや荒さの違いに応じて衝撃を吸収する
消化は異物である食物を消化器官で肉体に同化する。消化は異物の衝撃を吸収する一つの方法である。寝る子は育つという言葉もある。眠っている間の方が栄養摂取の効率は良いはずだ。吸収しなかったら子供は成長しない。
アメーバが異物に当たると逃げたり方向転換したりする映像はよく見られる。微生物の段階ですでに、衝撃にいかに対応するか生き物は知っている。必要なものに出会ったら食べて生長する。有害なもの、不必要なものからは離れていく。
物理の教科書では剛体と剛体の衝突反応が数式で表される。衝突の前後で剛体そのものの変化は無視されるほど小さいということになっている。衝撃を吸収するメカニズムは観察されない。
生物学では刺激と反応だ。アメーバが異物と出会ったときの反応は良く観察されているが、アメーバ自身の体内の変化はあまり注目されない。全然変化しないのかもしれないが。ニュートンの運動法則や刺激と反応説は、同一刺激には同じような反応をする。受容体自身は変化しない。
日本に畳が普及する前、人々はどんな生活をしていたのだろうか。板の間や土間に正座していたのだろうか。正座を避ける工夫をしていたのだろうか。柔術を板の間で稽古したらどうなるか。畳がなければ板の間で練習するしかない。あるいは大地の上で転げ回ることもあったのか。いずれにしても練習だけでも大変な苦痛を伴っただろう。また実際の決闘や喧嘩は設備の整った剣術場の中とは限らない。荒地や草地や林でも通用する格闘技でなければ役に立たない。
安易な生活からは想像もできない厳しい状況を昔の人は生き抜いてきた。それはわかっているが、そんな時代に投げ込まれたら行き延びることは不可能だと思っていた。テレビの時代劇を見てよくわかる。電気も車もなかった時代の人々の生活は容易ではなかったはずだ。飲み水を桶で運び、鈍い斧で木を切って薪に割る。トラクターなしで巨石を積み上げる。あばら家に帰ってもソファーや柔らかい寝具はない。苦界から逃げ出そうにも自動車はない。
しかし衝撃の吸収が生命の原理なら、昔の生活も想像することはできるようになる。歩いたり座ったり走ったりするたびに身体は衝撃を吸収する。そして身体が衝撃に適応するようになる。根本的にはどんな環境の下でも人は生きて行くことができる。苦痛に慣れ、快適に慣れ、貧乏に慣れ、金持ちに慣れ、艱難辛苦に慣れ、飽食怠惰にも慣れる。そして誰もがより良い生活を目指して努力する。
古人の厳しい生活環境に想いを馳せたが、未来は明るく楽しく優しい時代だろうか。数年前から地下資源の枯渇が叫ばれている。食糧生産は人口増加に追いつかない。金はあっても買う食料がない時がやがてくる。水の値段が何倍にもなる日を迎えるかも。そしていつか文明発生以前の世界に戻らないと誰が断言できよう。すでに核兵器は何千発も使用されるのを待っている。
暗い予測ばかりでは生きる希望もなくなる。自分はまだしも子や孫の世代はずっと長く辛い時間を生きねばならない。希望なくしてなんのための人生か。内山老師からは悲観論を聞かされた。老師の見方は現実と矛盾しない。数年前に知ったのは、かなりの日本人が悲観論を抱いて生きているということだった。深刻そうに見えるのは格好いい。しかしみんなが将来を悲観しては。
将来の見方や心理についても、衝撃の吸収が生命の原理なら見方は変わってくる。どんな環境にあってもいかに衝撃を吸収しようかと考えればいい。別の言葉では環境に適応するということだ。適応さえすれば、相撲取りが強くなっていくようにみんな生長し生き延びられる。悲観論だけで世界を見るのは偏見の一種と言える。どんな環境でもいつの時代でも強くたくましくなっていけばいい。新技術も新知識も衝撃だ、学び吸収すればいい。艱難も幸福も衝撃だ、ともに吸収して自己の栄養にしていけばいい。

衝撃と吸収(1)

 

衝撃と吸収(1)          09/01/2008

雪に閉じ込められて何もできない冬のある日、鈴木大拙師のDVDの広告が入ってきた。深山で身動きできないときも世の動きが伝わってくる。インターネットが世界を変えたことを実感する。参詣者にサービスする必要を感じて注文した。日本文化に触れてもらいたいとも思ったので、いっしょに歌舞伎と相撲のDVDも追加した。
相撲のDVDは相撲協会による入門編だった。内容は盛りだくさんで、国技館の紹介、横綱の作り方、水や塩の意味、決まった挨拶の仕方、行司、呼び出し、髪結いなどなど。行司はとてつもなく忙しい職業だった。土俵で判定を下すのは仕事の一部で、番付書き、口上、各種儀式を次から次へ執り行っている。相撲世界が複雑華麗なことが良くわかる。伝えたいことがありすぎて、取り組みは三番しかなかった。
貴乃花と曙が立ち会ってがっぷり四つに組む場面がある。両者とも肩の筋肉が盛り上がって全盛期である。腕も大きいだろうが胸の厚さで小さく見える。塩を撒いて仕切り直し数番の後、気合い十分で立ち上がった瞬間、両方もろ差しになった。画面は切り替わって国技館の説明へと移った。
両者激突の場面を見直すと、二人の突進力はどこへ消えたのかと考えさせられた。ふたりとも世界最強の関取である。大の男十人を跳ね飛ばすくらいの力はあるだろう。そのふたりが正面からぶつかる。胸や肩の骨が粉々になっても不思議ではない。物理学の公式で剛体と剛体が衝突する計算をすると、両者が壊れる結果が出るに違いない。
衝撃というか衝撃の力はどこへ行ったのか。ふたりの肉体に吸収されたに違いない。あるいは分散されて無力化されたとも言える。しかし正面から組み合っているのだから吸収の方が適語だろう。盛り上がった肩や背中や胸板は衝撃を吸収する役割を果たしている。衝撃の吸収が相撲の本質だったのか。貴乃花の盛り上がった肩は攻撃のためではなく、まず衝撃を吸収するために使われていた。
力士は毎日稽古するが、彼らは四股や鉄砲の鍛錬を通して、自らを強い衝撃を吸収する体に作り変えている。一日の変化は小さくとも、五年、十年経てば本番の衝撃にあっても耐えられる。自分の体を作り直すことが稽古の眼目だ。対戦相手に勝つか負けるかは究極の目的ではない。
衝撃の吸収が目的になると、吸収するのは自分の体全体である。稽古は自分の肩や背中の使い方を練習する。目の前の相手を見るよりも、背中の筋肉の動きを感じ取る。相手と組んでいるときも背中の目ははっきりと見開かれていなければならない。ひとりやふたり倒したって仕方ない、その間に自分が成長しなければ。
では相撲取りは衝撃や吸収や背中の目とか考えているかというと、そんな暇はない。余計なことを考える前に、食って飲んで寝て、文字通り体を作らなければならない。相撲部屋の生活様式に従って強くなる基本を学び、実践する。各部屋には先人の知恵が受け継がれている。相撲が相撲道に、生き方にまで磨き上げられている。
相撲はライバル同士が稽古で激突して切磋琢磨する。衝撃を吸収しながら強くなる。相手がいなければさらに強くなることは難しい。栃若時代、白鳳時代と称揚される所以である。稽古相手、アドバイザーは仲間であり恩人である。お互いに親しみもわくし、相手の体を知ることは自分の体を知ることでもある。綺麗事だけで済むわけではないが、理念がなければ喧嘩の明け暮れで終わる。
相撲の起源は竹内の宿禰ということになっている。実際には人類出現の時が相撲の起源だろう。腕相撲や力自慢はどこでもある。相撲がユニークなのは、怪力や強力の持ち主が生活できる組織であることだ。強者は粗暴者になる可能性が強い、関取は体が一瞬のうちに凶器に変わりうる。そのような、力と体を持て余している大男同士がぶつかり合って文句が出ない環境は数多くあるものではない。日本の相撲文化は、並外れた精力の持ち主達を社会の中に上手に取り込んだ。素晴らしい興行を発明したものだと感心する。
相撲では対戦相手は稽古相手でもある。お互いに手の内を知り尽くしている。勝っても負けてもそれきりバイバイというわけにはいかない。八百長すれすれの心理が働きやすい。お客の人気も考えなければならない。勝ち負けがはっきりしない要素が多い。相撲には勝ち負けだけを争う近代スポーツとは一線を画する面があると思われる。

肩(5)

 

肩(5)            04/28/2008

アメリカで驚くのは膝を手術している人の多いことである。四十代を越えるとわれもわれもと手術をする。手術の詳細は知らないが、膝の痛みを薬で抑えられなくなったというケースが多い。しばらくは手術してよかったと言っている。新品の間は故障が少ない。しかし医者の会話を聞いたことがある。「あの患者もとうとう右膝の手術をした。次はバランスが悪くなるから左膝だね。その次は腰になるだろう。」
なぜアメリカで膝の故障が多いのか考えると、椅子と車の生活が原因ではないかと思う。椅子に座ると楽だ、しかし膝は半分もストレッチしない。どこへ行っても椅子に座るから膝を伸ばしきる機会がない。膝が悪いのは、膝が弱いというよりも膝を使わないからだ。
自動車は便利すぎる。誰しも旅行好きだが、車に乗れば千キロ先でもすぐ行ける。どこにもガソリンスタンドがあり、モテルもホテルも待っている。大きな移動であるが、足も膝も使わない。膝を使わないことが一番膝に悪いのだ。ほとんどの膝の不具合は歩けば治る。膝や腰に負荷を掛けるのが根本的な治療法だ。百歳でもせっせと歩けば足腰を心配する必要はない。
日本間で正座すると膝の表側は伸びきる。立ったり座ったりするたびにストレッチする。これは理想的な生活様式ではないか。一銭も使わないで、堂々と、しかも行儀よくストレッチできるのだ。正座は太ももの裏も伸ばしている。ダンスに比べると十分ではないけれど、柔軟体操にはなっている。
日本はなんでも遅れていると思う人がいて、宮沢元首相などは娘に正座しないようしつけたそうである。そういえば足が曲がるから坐禅しないと言った人が居た。どちらも浅慮偏見と言わねばならない。西洋人の足がすらりと伸びているのはダンスをするからだ。どんな田舎町にも二つや三つダンス教室がある。逆にダンスに関心がない人は女性でも足が曲がっている。原因結果は逆かもしれないが。
坐禅修行と膝や軟骨の故障に問題はないだろうか。正身端坐を長時間、何年も実践すると身体の重さで脊椎の軟骨が押しつぶされる恐れはないだろうか。潰れなくとも特定部位だけが圧迫されて変形するとか。じっとしているのだから筋肉の伸張どころか支持筋肉の強さが減衰しないか。膝だって使わない、まともに負荷をかけられない。悪くするとまっすぐ座れなくなるかもしれない。坐禅修行が原因で坐禅できなくなる可能性がある。
というわけで身体機能の面から作務の役割を見直すべきではないかと思うようになった。坐禅は仏教にとって最重要で理論的にも掘り下げられている。しかし作務はインドの経典には出てこない。シナで、寺院の中で集団生活するようになってから出てきた。生活のため、必要に迫られてする労働である。
作務が大事だと強調する人は、坐禅の真理より生活の方が大事だと言っているように聞こえる。坐禅ばかりした人もいたが、そんな人には作務は付随的な意味しか持たないだろう、労働するだけなら出家する意味はないわけだし。労働するのはいいのだが、坐禅より低くみられて当然ではあった。
しかしまともな坐禅の姿勢をとるためには背筋も腹筋も肩や膝の筋肉も適正な強さを維持するのが前提条件になるとすれば、身体を使って働くことは坐禅修行の必然的な要素になる。仕事をするとか金を稼ぐとかが目的ではなく、健康な体を作ることが作務の目的になる。貧弱な土台の上では坐禅も神経障害者の知見に終わるかもしれない。衰弱した体で坐った時はいくら坐っても気分が晴れなかった。慧日破諸闇の坐禅は健康な身体がなければできない。
してみれば、作務は伝統的な農作業だけで終わらない。身体の正しい動き方、正しい座り方を実践するためにはストレッチや、ダンスや、ヨガなどの知識や動きを研究するのもありかも。空手、柔道、合気道などもおすすめだ。重労働する必要がなくなった都会人は特に心すべきだろう。坐禅修行は身体運動を除外しては成立しない。
(肩) 終わり

肩(4)

肩(4) 04/28/2008

あの元旦に教えてもらった首のストレッチを続けた。言われた通り左右だけでなく前後にも首を曲げた。要点は力を入れないことである。力を入れると変なくせがつく。二十数えて三回終わったところで首をぐるぐる回す。誰でもする運動だが、あれっと思った。それまではいつも聞こえていたコリコリという音がしない。何十年も同じ音が聞こえていたのだが、あの音が消えた。
コリコリの音は固体と固体が当たって出る。首にある固体は骨だけである。骨と骨とが当たっていたのだ。固体と固体が当たれば傷がつく。身体が傷つくのは外であれ内であれ健全であるはずはない。だから骨を守るために軟骨がある。けれども軟骨があってもコリコリしていた。
想像するに、首を構成している筋肉や腱が伸びたのであろう。それで骨と軟骨が中空に浮くことになった。だから摩擦も衝突もなくなった。これがストレッチ(伸ばす)の意味だと悟った。世にはストレッチと称するいろいろな運動があるけれども、それまでは型をなぞっていただけだった。本当は特定の筋肉をどれだけ伸ばすかという計算までして運動すべきだったのだ。
筋肉は瞬間的に伸びるだけでなく静的状態でも伸びる。特に関節部分は伸張することを考えてトレーニングすべきだろう。一般的な運動に関する教科書では、収縮力を増すために筋肉を太く強くすることばかり説明する。これでは事柄の反面しか語っていない。かえって美容体操の雑誌などに重要な情報が載っている。正しい動き方を身につけるには、筋肉の伸張と収縮をバランスよく実践することが肝心のようだ。
アメリカに絞首刑がないのは、あるプロレスラーが、絞首刑になっても死なないと公言したからだという。よくある売名行為かと放っていたら、どうも本気らしいとわかってきた。同意の上で実際に吊るしたという。首の筋肉が太く鍛え上げられていたのだろう、彼は死ななかった。そこで死刑には確実に死ぬ方法が新たに採用された。現在の薬物注入だ。法を公正に執行するためには例外は許されないということだ。これは少年雑誌から得た知識なので、中学生の頃知ったと思う。それ以来、首の筋肉を鍛える方法はあるだろうと思っていた。
初代若乃花はうっちゃりの名人だった。今も目に焼き付いている写真があるが、それは松登にのど輪で攻められている場面だ。背骨が弓なりになっている。周りはハラハラしている。実際はそれほど追い詰められていなかった、というのは、背筋が伸びているせいでのど輪が効いていなかった。若乃花は頃合いを見て右か左にうっちゃる余裕があった。脊椎は小さな骨と軟骨が重なってできている。軟骨の力は侮れない。
軟骨を英語では disc と書く。意味は薄い板である。医者の間でも、骨や筋肉については詳しいのに、軟骨は軽視されているような感じがする。解剖図を見ても、軟骨図というのは見たことがない。骨格や筋肉は詳細に説明されるのだが。視野に入っていないためか、知識も少なく大切にしようとする気持ちも起こらない。悪くなれば人工の板をはめ込めばいいと思っている人が多い。

肩(3)

肩(3)           04/28/2008

永平寺に安居したとき、応量器を鼻の高さに捧げてたつ修行があった。重くはないのだが長時間になると辛い。みんな必死で頑張った。指導する方も苦しいのは経験済みだから、精神修養させるつもりである。後になってわかったのだが、この単純な立ち方には途方もない奥深さがあった。
まず応量器そのものが問題だった。応量器は食器なのだが、食は生命の素である。命の素だから仏のお椀で、一番大きいのは頭鉢と呼ぶ。五椀一組が普通で、得度するときに師匠からいただく。これはお経にも書いてある正しい授かりものである。ところで曹洞宗では漆塗りのお椀を応量器という。漆は日本発祥といっても良いくらいで、インドで釈尊は使われなかったはずだ。そこで曹洞宗は仏教か日本教かという問題が出て来る。この問題は徹底的な研究を要しよう。
正しい姿勢については、相撲やバレエを研鑽していれば修行の絶好の機会になったはずだ。肩の力を抜くとか二の腕を返すとか、筋肉ではなくて呼吸で応量器を支えるとか工夫できたのではなかったか。そのころは坐禅以外のことは考える余裕がなかった。知識不足は恐ろしい。
ある澤木老師のお弟子さんであったが、お袈裟の縫い方を教えておられた。経行のとき叉手の姿勢を採ることが話題となった折、「叉手の方が難しいですよ。」と言われた。難しいことをするから修行になるのだし、それが誇りでもあるということだったのだろう。縫い物を専業にしている女性が叉手の姿勢を採ると胸や腕を引っ張り上げる感じになるから難しいかもしれない。バレエを習われていたら全く別の見方を披露されたのではないかとおもう。
澤木老師門下は当たり前のように叉手して経行する。叉手が当然だとして疑わない。それははじめに叉手を教えられたからである。別の型を教えられていたらどうなっていただろうか。叉手はバレエの両腕を前に置く型にほぼ一致する。西でも東でも行われている無理のない姿勢といえる。澤木老師の知識の深さ、修行の確かさを改めて思い知る。師の苦心の成果をただで伝授していただいている。甘露の法雨はありがたい、お礼の言いようがない。
あれから一年、肩が凝る、肩が張るなどは不健康だとはっきりした。肩でバチを打ち下ろすのもすでに間違っている。武術もダンスも肩に力を入れる動きは一つもないようだ。無知から来たことではあるが、肩に力を入れて歯を食いしばった日々が悔やまれる。何のために懸命に努力したのか。
正しい動きでなければおかしな癖を増長するだけ、何もしないほうがよかった。腕も鎖骨も肩甲骨も一つ一つの筋肉も、独立に自由自在に動くのが理想的な身体だった。軽く柔らかい肩を動かしていれば、凝ったり痛くなったりする理由はない。
ある合気道場で坐禅を教えるついでに練習仲間に加えてもらった。まずは子供のクラスだった。練習は相手の手首を握るところから始まる。子供だから柔らかい。そのなかで一人だけ肩で握ってくる子がいた。握るときたなごころから肩まで力が連動している。体が硬いと感じる。逆に言うと掌と肩が分離していない。かつての私と同じ質の筋肉の使い方である。神経回路も似ているのだろう。はっとして名札をみると、10才くらいの日本人の男の子だった。彼も漢字を書いて覚えるのだろう、本を読んで勉強するのだろう。
力が連動すると、腕が棒のようになっているからポキリと折れやすい。肩を支点にするから一点に負荷がかかってケガをしやすい。気になって肩を揉んでやったが、間違った力の回路は他人がマッサージしても言葉で指摘しても正せるものではない。本人が自覚して内側から変革するしかない。一日も早く正しい動き方を発見してもらいたいと願わずにはいられなかった。

肩(2)

 

肩 (2)             04/28/2008

肩が大事だということはわかったが、どのように何をすれば良いかわからなかった。くだんの指圧師に話しても進展はなかった。彼女は指圧の学校で習ったことをビジネスにしているだけのようである。ビジネスならお客は何度も通ってきたほうがよい。お客の自我に触れないように和やかな暖かいムードだけを与えようとしている。個人社会で自我と自我との衝突を避けようとして指圧も変容しているようだ。根本的に癒したい気持ちはない、だから研鑽もしない。根本的解決を求めるなら他に頼らず自ら研究するしかなくなった。
なんとかヒントを得たいと思っていたときバレエの先生に出会った。バレエではルイ14世の頃から身体の動きが研究されている。まっすぐ立って深呼吸する。胸が膨らむ。胸の位置を動かさないで息を吐く。背筋はまっすぐだ。これが上体の姿勢になる。バレエダンサーがすらりとしているのは、道理にかなった正しい姿勢を身につけているからだ。
右腕が曲がっていると言われたのですがと訴えた。先生はすぐに、掌を下にして両腕を水平に左右に伸ばすように言った。それから、肘から先だけを九十度回転させた。手の平は鉛直方向に変わる。「ほらまっすぐになったでしょ。」 笑った。簡単に曲がり具合が矯正できる。いっぺんに肩の重さが取れた。
改めてバレエのビデオを見直してみると、ほとんどの踊りが掌を下にした姿勢でなされている。そうしないと肩が腕に連動して上がり力が入りやすい。何も知らない時はてんでんばらばらに手と腕が舞っているように見えたのだが、実は運動と演出の法則に従って動いていた。掌を上にするのは最後の挨拶くらいだ。
ふだんの生活では必要以上に絡み合った筋肉が邪魔しあったり牽制しあったりしてぎこちなく動いているようだ。筋肉の動く道理を知らないと損するだけでなく怪我をすることもある。股割りなどは間違えると危険な目にあう。
上記のように肘の前と後ろが別々に動くことを分離というそうだ。一般的に筋肉はひとつひとつ独立して運動できる。太ももは四つの筋肉が絡まってできているが、それらを別々に動かす人もいるという。電気刺激を使って訓練するというのだ。太鼓に戻ると、左右の手で自由自在に打つには分離の動きを体得しなければならない。右腕と左腕に別々の信号を送らなければならない。難しい。
分離を徹底的に研究してできたのがジャズダンスである。ジャズダンスでは首や胸や尻が独立に動いている。局所の動きを強調するのが売りになっている。その代表例は「ウエストサイド物語」だ。華麗なダンスの背後に確かな理論的裏付けがあった。ダンスをするのもダンサーになるのもまぐれではできない。ちなみにそのバレエの先生にダンスを教えた人は、映画に不良役で登場していると言っていた。
分離に特化した方向で進化したのがヒップホップで、人体がここまで動くかと驚かされるほどの動きが売りだ。見ている人は予想外の動きに驚くのだが、ひとつひとつの動きの裏には、肉体についての安全で奥深い理解がある。ダンスというよりはスポーツと言ったほうがふさわしい。演技時間も一分以内になる。生命を燃焼させる気分を味わえる。
剣道では上段に振りかぶって面を打つ、一番素直な決め方がある。初心者としては手と腕を一直線に伸ばして打とうとする。竹刀だけでなく腕まで一本の棒になる。肘関節が独自に動く余地はない。大雑把に言えば、私は上段の型をモデルにして筋肉運動をしてきたのだった。分離とは反対の一体感の思想だった。一体だと運動の種類も変化も少ない。運動の多様な要素を考える必要もない。思考も単純になる。坐禅中心の動きの少ない生活だったから自分の運動モデルの弊害は表面化しなかったけれど。

 

 

肩 (1)

肩 (1)      04/28/2008

2007年の元旦は忘れられない日になった。アメリカの大晦日にはどんちゃん騒ぎをして新年を迎える風習がある。郷に従って友人たちと隣町のレストランで飲んだり食ったりした。暖かい夕方だったが、午前二時の閉店になって店を出ると、外はみぞれに変わっていた。道が凍って歩けない。転んで腰を打つ人もいた。坂の上の友人の家まで帰ったが、坂道でスリップしたらどんな事故になるかわからない。みんなその家に泊まることになった。
翌朝は元旦、八時に起きるとまだみぞれである。新年だからであろうが車は一台も走っていない。帰るのは昼まで待ったほうがいいなと思ってお茶を飲んでいると昨夜会った女性が起きてきた。ダンスが上手ですねというとこんなのも知っていますとくるりと回る。ダンスの先生ですかと聞くと実は指圧師だという。思わず「右肩を見ていただけませんか。」と頼んでいた。太鼓が進歩しないのは肩に問題があるらしいと見当がつき始めた頃だったからだ。「昨夜の夕食代誰が払ったのかしら。指圧でお返しするわ。」という展開になった。
右肩だけでいいですよと何度も念を押して横になったのだが、掌のツボから始まって胸、耳の後ろ、首筋となかなか肩までいかない。とうとう一時間半かけて全身マッサージになった。時間を使わせて申し訳ないのと終わった後のなんとも言えない快感で複雑な気持ちになった。肩が軽くて柔らかい。どこへ旅行してもマッサージを頼む人がいるが、気持ち良くなるからだとわかった。それまで指圧をしたことはなかった。
指圧が気持ちいいのはわかったが、こちらは時々指圧に行くほどの時間も金もない。気持ち良さの秘密をできるだけ聞いておかねばならない。その時教えてもらったのは、肩は、腕、首、背中などの筋肉が複雑に集まってできているということだった。肩だけ診てくださいと言われても掌から始めなければならなかったわけだ。「肩の力を抜く。」という言い方もあるが、やってみると難しい。一箇所や二箇所力を抜いたつもりになっても腱や筋肉のもつれをほぐすことができないからだという。
しかし肩の力が抜けている人もいるわけだから、工夫のしどころはあるに違いない。肩を健康に保つ簡単にできる運動はないか尋ねると一つだけ教えてくれた。それは床に座って、首だけを右左に曲げるストレッチだった。力を入れないでまず右に曲げて二十かぞえる。次に左に同じ時間力を入れないで曲げる。3回ずつしたらいいと言われた。
正午に禅堂に帰り、建物に異常がないのを確かめて地下に降りて行った。練習用の太鼓を一発叩く。するとそれまでとまったく違う音がした。音の質が違う。昨日と変わったのは肩が軽く気持ち良くなったこと。肩が柔らかくなっただけで音に劇的な変化が起こった。
肩が重い、肩が張る、肩が凝るなど不快な表現はよく聞く。反対に肩がとっても気持ちいいなどとは聞いたことがない。自分の経験では、明らかな肩痛は坐禅を始めた学生時代にあった。長時間座ると肩だけが痛くなった。しかし坐禅したい一心で坐相を工夫しているうちに痛みは消えてしまった。それ以来特に困ったことはない。だがどんな状態の肩がいいのか自問してみれば答えはない。肩は爽快になれるのか、気持ち良い状態を自分で作り出すことは可能なのか。肩の不快や痛みは病いかあるいは故障なのか。そんな疑問も持たず腕を振り回してきた。
重擔を肩におけるがごとしとは弁道話のフレーズだが、重荷を担いで堪えながら歩む気分できた。天秤棒を担いで土や水を運ぶのは楽ではない。楽でない仕事や使命に堪えて生きるのが大事だと思っていた。短躯だからいくら頑張っても大したことはできないのだが、肩が軽く感じられると物足りなかった。何かを支えて仕事するとやりがいを感じた。
肩といっても細かく見ると右肩ばかりで生きてきた。右の肩が左より大きいのは子供の時からなんであれ効き肩で支えてきたせいだ。漢字を右手で書いて覚えた。毎日100回ドリルをした。手や指で書いていると思い込んでいたが、手紙を書きながら姿勢を見直すと、重心をぐっと右に寄せている。そして指ではなく肩で書きつけているみたいだ。箸を使うのも右手だが、右手は右肩に直結する。書いて、食べて、思考することが右肩を中心になされてきた。
右手、右腕、右肩から脳まで神経の回路が完成していた一方、左側の神経は休眠していたようだ。左右同じように打てなければならない太鼓では致命的な欠陥だ。太鼓に挑戦して初めて自分は身体障害者、というよりも神経障害者だったことに気がついた。左右均等に動くために左手で右手の動きを真似る方法も教えてもらったが、いかんせん、右手が正しく動かなかったら二重に間違うことになる。