糖病記(15)糖化と老化

糖病記(15)糖化と老化

2023年七月十一日 の朝、用事があって銀行へ行った。表ドアを開けて内側のドアまで狭い通路の右側を歩く。左側を車輪がついている旅行用鞄がすれ違った。ゴロゴロと動いているのに人の姿が見えなかった。えっと振り返った。今入ってきたドアを中年の男が鞄を引いて出ていくのがぼんやり見えた。

すれ違った際なぜ人の姿が見えなかったのか、しばらく右目、左目と手を当てて視野をテストした。右目の曇りが拡大したようだった。よく見えた方の右目の白内障が急に進行したらしい。失明の恐怖に襲われた。

症状の悪化には二つの要因が考えられた。二ヶ月ほど長い飛行機旅と長距離ドライブが続いた。疲労が溜まった。疲れが溜まると普段でも視力がガタンと落ちる。治療法は休養することだ。

もう一つは化学的な変化だ。白内障は透明だった水晶体が曇ってものが見えにくくなる。曇りは不可逆で、今のところ透明に戻す方法はない。歳とると視力の低下を訴える人は多いが、ほとんどはありふれた白内障だという。いよいよ真性老人になった。

救いは人工レンズに置き換える手術が発達したことだ。視力を取り戻したと喜ぶ人に会うのは珍しくない。

白内障について何本か動画が挙がっていた。熱中症に罹るような暑熱の下では、卵が茹るような感じで血中のタンパク質が変成しやすい。そして糖分と結合して血榴になるという。糖化という。その血瘤が目の毛細血管に入って水晶体を曇らせる。暑熱は糖化を進める。特に老人は暑さを避けるようにという内容だった。

夏は暑い。暑さ凌ぎの方法として、お日様の下で汗だくになって働き、川やシャワーで水をあびる快感が好きだった。前日は蒸し暑い中、四時間ほど芝刈り機を押し回った。説明の通り、暑熱の下で軽い熱中症にかかったのだろう。旅が多かったせいでタンパク質を過剰摂取したことも考えられる。疲れをとるために蜂蜜も多く摂った。 

糖尿病と名づけるだけあって過剰糖分の危険性は知れ渡っている。一方で過剰タンパク質の問題は意図的に語られないようだ。アメリカは肉食文化の国だから、無意識のうちに研究が疎かにされているのかもしれない。

老人になると白内障が多いとされるが、若い頃から目は濁り始めていたはずだ。濁りが積み重なり、老人になって症状が顕著になるだけだ。過剰タンパク質の害は目に現れていた。

牛肉はステーキだが、魚だってぶつ切りにした形状のものはステーキと呼ばれる。栄養も必要だと思って鮭のステーキを買うことが多かったが、魚肉もタンパク質には変わりない。金箔を貼るには卵のタンパク質を使うという。タンパク質は強靭で、糖分に比べ分解消化が難しい。身体の中でも同じことが起きる。寿司屋では新鮮な切り身を少量出されるが、過剰タンパク質に陥らない配慮であろう。先人は時間をかけて適切なたんぱく質量を見出した。

鱈は Cod という。 Cape Cod はタラ岬で、ボストンを取り囲む半島の先端だ。その辺りは鱈がいっぱい採れた。魚へんに雪とある通り白身の魚である。天火で焼くと味は淡白で白身はボロボロに崩れる。ステーキ分買って焼いた翌朝、目の異常を感じた。怖くなって、以来白身の魚は避けた。

思い返せば、鱈の白身はボロボロになるからタンパク質の分解が早い。あの朝は、目の奥で過剰糖化された血が流れていたわけだ。一方、赤身の鮭は身が引き締まっているから消化が遅いのだがタンパク質の総量は変わらない。

肉を食べるときは三倍の量の野菜を一緒に食することという注意書きを読んだことがあった。量の三倍だろうか重量の三倍だろうかと感じただけで通り過ぎたが、大事なポイントだった。

白内障関連で掌のマッサージ推奨の動画もあった。目の曇りは治せないが、血の巡りを良くすれば予防できることもあるという。ここでも救いは血の循環を通して毒を抜き栄養を届けることだった。互いの手と指を外縁から揉むだけの簡単な指圧を寝る前に二分ずつするだけ。やってみたら翌朝、気のせいか視界がはっきり見えた。掌と目は繋がっていた。

正順解脱の法門

      正順解脱の法門

  ある授戒会に随喜したとき、戒は正順解脱の法門であると戒師から説明があった。後日その典拠を尋ねたところ失念したという返事であった。

  曹洞宗では得度するとき、大乗菩薩戒、具体的には三帰三聚浄戒十重禁戒を受ける。戒は得度以後の人生の道標となる。

  得度式で読み上げられる教授戒文は明峰素哲禅師のとき現在の形に編纂された。明峰素哲禅師は瑩山紹瑾禅師の法嗣で大乗寺を中心に道元禅を挙揚され、行持綿密、厳しい宗風で知られた。坐禅修行を究めて編まれたのが教授戒文で、坐禅と戒は切っても切れない関係にある。

  受戒は第一に懺悔文を唱える。過去の身口意の業を懺悔すれば罪が消える。懺悔は人生をやり直す契機である。反省と懺悔がなければ出直しはできない。

  三帰は三帰依で仏法僧に帰依する。確かな理想像である仏、間違いのない教えである法、仏の教えを学び修行する人々である僧に帰依する。中途半端な理由ですがる帰依ではなく、真の依りどころとして深く仏知に裏打ちされた三帰依だ。

  三聚浄戒は摂善法戒、摂律儀戒、摂衆生戒で世間的社会的に善行を積む。大乗菩薩戒では自己の修行と社会的な善行は衝突しない。

  十重禁戒は不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不酤酒戒が最重要で、さらに不説過戒、不自讃毀他戒、不慳法財戒、不瞋恚戒、不謗三宝戒がある。

  大乗菩薩戒を要約して正順解脱の法門と言われた。正は正しい、順は自然、道理、仏法の理りに従うの意。解脱はサンスクリットで Vimoksa 、また Pratimoksa という用語があり波羅提木叉と音訳され、別々解脱と意訳される。惑業の繋縛を解き三界の苦果を離れて自在を得ることは同じだが、前者は一括解決し、後者は具体的に一件一件解脱する。

  正順解脱の法門は、正しく道理と仏法に従って惑業を離れ苦果を脱する法門という意味になる。釈尊は明けの明星を見られた時に一切の煩悩から解脱されたと言う。詳しく見ると、解脱することが繋縛から脱する法だと悟られた。

  友人が中国を旅行した際に、土産だと言ってお経を送ってきた。般若心経と観音経が一冊になったもので見慣れた経本の体裁だった。さっそく開けたのだが読めなかった。なぜ読めないのか分からず手持ちの経本と比べてみた。中国製のお経は漢字がびっしり並んでいるだけだった。目に優しくなかった。

  日本製の経本は行間が広く線が細く白地が多い。目に優しく読みやすかった。字体、紙の質、インクの色など、日本では何世紀もの間、読みやすい経本を作るための功夫がなされてきたのだと判った。日本語は表絵文字だった。

  経本にひらがなが振ってあることは、日本人にはあたりまえすぎて気が付かない。漢字ばかりで行間のスペースが取りにくいにもかかわらず細字が施されている。かな字のおかげで意味を取りやすく文法を確認できる。中国ではお経が読めないそうだが、文法が決まらないからかと推測する。

   時期の記憶が曖昧なのだが 1980 年代だったと思う。月刊文藝春秋に台湾で国字改革運動が起こった記事が載った。日本人学者はかな字の導入をアドバイスした。ところが台湾人学者はかな字の採用を断乎として拒絶した。台湾には日本語ペラペラの人が多い。彼ら自身が成功例なのになぜかな字を拒否するのか。

  われわれは漢字を使用すれば楷書から行書、草書へと進み、かなの発明へと進化すると当たり前のように考える。しかしじつは、漢字文明圏を見渡してもかなが発明されたのは日本だけだ。深く日本文化に浸った台湾人もかな字を拒絶する。なぜか。

  日本人だけが漢字を絵と見た。物事を絵を通して理解してきた人々が、たまたま目にしたのが漢字だった。すぐに漢字は意味と音を表すと気が付く。子供が漢字を習い始める過程と同じ戸惑いと逡巡があった。大事なところは、漢字を絵の一種として学習するのは従来の認識方法と矛盾しなかったことである。

  紙が貴重な古代から源氏物語絵巻や錦絵が制作された。鳥獣戯画は漫画の元祖で、瓦版や浮世絵は産業になった。アニメや絵文字が世界を席巻しているのは表絵文字文明発だからであろう。数枚の絵では飽きる。山を桜で飾ったらどうかと発想する者がいた。川の流れを紅葉で覆いたいと提案する芸術家が現れた。綺麗な絵を見たい、全身で感動したい好奇心が表絵文字文明を推進してきた。

  葛飾北斎は七十歳超えて富嶽三十六景を完成させた。有名な神奈川沖の大波はその一景である。生きた猫を七十歳過ぎてから描けるようになった、それ以前の猫は死んでいたと語ったそうである。九十歳で天井画である「鳳凰の図」を描き上げたが、さらに五年も十年も描き続ける創作意欲に満ちていた。北斎は文明を創ったのか、それとも表絵文字文明が後押しした人生を生きたのか。

  漢字については錯覚が多い。はるかに進んだ大陸の表意文字を野蛮未開の日本が輸入したと歴史学者はいうが、日本人は二千年以上漢字の存在を知らなかったのか。漢字は日本語の背骨であるとか同文同種だとか論じる人も多い。インテリの項羽はなぜ文盲の劉邦に敗れたのか。白川静博士の字統では祭祀用語という解説が多い。事実なら庶民の識字は置いてけぼりだった。当時の日本人には漢字の有用性は疑問だった。

  聖徳太子は仏教という智慧の宝庫を発見された。漢訳経典を学習するには漢字の習得が必要だ。かくて漢字の摂取が国策となった。朝廷が寺を建て、庶民も参加して百万巻の写経を納め、外国文化の輸入に勤しんだ。

  百年後、長編の歴史書である古事記が編まれた。物語の創作表現ができるまでに漢字の使用は自由になった。古事記は万葉仮名で書かれた。万葉仮名は漢字表記であるが日本語の文法に則る。漢字輸入以前に、日本人は日本語で思考し和歌を作り交歓し交易しあっていた。

  日本語はどこまで遡れるか。縄文時代を通して日本語は確立されていた。「土偶を読む」(竹倉史人著)によると、縄文時代の土偶には栗や稲や貝などが刻印されていたという。縄文人は土器や土偶に絵を描いていた、漢字よりずっと古くから、たぶん石器時代から。

  多様性は多くの絵を見ることであり絵を読むことだ。田畑も野原も家屋敷も絵だ。砂浜も磯も火山も断崖も絵だ。絵には八百万の神が見える。心の中に絵を観ることもあり忘れられない絵もある。絵を見たい者が居り見せたい者が居り絵に成る者がいる。芸術的な縄文土器や漆の生産使用は表絵文字文明の創造活動を明示している。

  日本語の型は絵を見て感想を述べることから始まった。絵という題材について語るから主題と述語の文法ができた。絵や色を形容する言葉が多い。鼠色には江戸時代に五十種近くの区別があったそうである。「BBの覚醒記録」赤色は?紀貫之が女手を使用したのは、かなが便利というだけではなく美的センスが刺激されたからであろう。絵を見ることにおいて文盲はいない。言葉の教育を通して人を差別する発想も湧かない。

  表音文字文明圏では文字を絵と見る感覚が少ないようである。故人となったアメリカ人上司の日本語は完璧で、私とは日本語で話した。あるとき手紙を一枚持ってきて読んでくれと云った。やさしいビジネス日本語なので朗読の必要性が感じられなくてまじまじと彼の顔を見た。すると耳を指差して、音を聞いて理解していると云った。文字を読まなくても、外国語である日本語を聞き分ける人が居た。

  アメリカ人はまず音声を通して聞き、会話する。文字よりも音が始めにくる。アルファベットは表音文字だが、二番手に位置付けられるせいか綴りの間違いを気にしない人が多い。発声、歌謡、リズム、ダンス、オペラと辿ると肉体の能力や魅力が強調される意味が分かる。古代ギリシャの都市にはかならず野外劇場があり歌舞音曲演劇が上演された。音声は文明を代表する芸術へと洗練された。

  表音文字言語では肉声の出所 が意識されて主語、動詞、目的語の文法ができた。主語の主張や思想が発達する。お互いに論理的な整合性で演説し合い説得し合う。二十六文字の組み合わせだけで絵画的要素にかけるためか論理の追求に没頭しやすい。煉瓦で積み上げられた家のようなイメージで思想の完成度が測られる。煉瓦一つが欠けると建物全体が崩れる。完璧な思想を構築することが思想家のゴールになる。

  主語の主張は表音文字文明圏の基本である。自分がしたいことを自らの意志で実現しようと発心するから能動的活動的になる。そして現在から未来を予想する。二十歳代ではあれもしたいこれもしたい、あれもできるこれもできると夢を語り理想を披露する。バラ色の未来が訪れそうだと高揚し、笑いとともにアルコールが入り踊り明かす。人生で最も幸福な時間だ。

  指導者は常に論理的で明快な発言が求められる。演説のうまさだけで大統領になった人物も居た。彼らには夢を未来に向けて提示できる才能が要求される。引退しても未来を語る。老齢を意識する頃には、未来にあるのは死である。死後は天国に行くか地獄に落ちるか、終末論が語られる。

  表音文字圏と表絵文字圏との相互理解は難しい。1990年 のころ国ごとの観光ガイドを検索したことがあった。どの国も観光スポットが淡々と紹介される。ところが日本の項では、あなたの先入観は現地では裏切られることが多いと予期してくださいと注意書きがあった。不思議の国があった。

 

  表絵文字言語圏にある日本人は絵を観たあと静かに感懐に浸ることが多い。受動的情緒的である。絵を見るのは現在で、次に意識されるのは過去に見た絵だ。日本語に未来形がないのは理にかなっている。未来に向けて思想を構築するのは苦手で、終末論や末法思想と聞いてもピンとこない。

  日本では質の高い絵を見るのが教養の基本で、青壮年時代は多くの絵を見るのに忙しい。学習も体験も絵で、未来を語るより現在の精進努力が先だ。未来は現在の修行が切り開く。研鑽を重ね、還暦すぎて子供は巣立ち孫が遊びに来る。家庭を作り子供を育て奮闘した努力が報われる。初老で感じる静かな喜び。    

  沢木老師が手伝いに行かされた寺で、永平寺で見た修行僧の格好で坐禅していたところ、同じく手伝いに来ていた女性が仏像より丁寧に深々と礼拝した話はよく知られている。坐相に遭って感動が生まれ、無心に観て赤心と誠意が通じた。正身端坐には敬礼される何かがあると確信され、沢木老師は一生を坐禅に捧げられた。最初の坐禅で奥の院まで突き抜けられた。

  われわれは健康な体と濁りなき心を持って生まれる。されば健康な身心で一生を送るのが理想的な人生だ。少悩少病で日々精勤するのが健康だ。それぞれ体を鍛え心を正し、大安楽の法門に倣うのが正順である。健常者が仏に帰依し法に帰依すれば仏道修行者となる。

  大安楽にも難事は起こるが、坐禅が定力で解脱に導く。仏への帰依、法への帰依を思い出すだけで自己に立ち帰ることは多い。戒は人生を正順な方向へ導く。表絵文字は未来形がないため一生を見通す道標としては不十分かもしれない。サンスクリット語圏で成立した大乗菩薩戒を受けることは、漢字の輸入に勝るとも劣らない一大事である。

池田永晋

令和五年二月二十四日  (2023)

道元禅

                   

釈尊は菩提樹の下で結跏趺坐し、明けの明星を見て覚醒され、四苦八苦から解脱された。同時に仏智を得られた。その内容を苦諦、集諦、滅諦、道諦の四聖諦で遺された。 

物事が苦しみから始まるのはインド文明の前提のようである。仏滅後碩学や高僧は四諦を精細に研究し苦の概念が明らかにされた。苦の生成は業感縁起論をはじめとする諸々の縁起論で説明された。苦の滅が可能であることは仏陀が証明された。道諦は苦が滅に至る修行方法として八正道を説く。

仏智は至高知だからすべてが説明できるはず。苦楽、因縁、論理、悟り、心、物体、空間、時間、世界とあらゆる事象が考察された。倶舎論に至って世界は「法体恒有三世実有」と結論された。

原子は永続するからわからないでもないが、過去現在未来の三世が存在するのは常識に違背する。過去は現在にも有り未来はすでに実有という。小乗仏教は常住見の壁にぶつかった。

大乗仏教は小乗仏教の批判から始まった。正反対の観点から一切は無常住、諸行は無常であると考えた。無常は川の流れの如しと観察できる構図だから誰でもわかる。観察者も無常するはずと追求して空に至った。大乗仏教は空に基づいている。金剛経、般若経、法華経、涅槃経など多彩豪華な経典が産まれた。

空は一切否定だから過去も未来も無い。現在もあったら空ではない。つまり時間が無い。時間がなければ因縁因果も物も存在しない。したがって空は目前にある存在物を説明できない。小乗仏教とは真反対に断滅見にも限界があった。

大乗仏教徒である我々は空即是色の語で物の存在を説明した気になっているが、空が色だと論理的に説明できるだろうか。如夢幻泡影が真実ならひとの肉体はいかに百年近く生存できるのか。法隆寺はなぜ千年以上存続するか。

キリスト教でもアウグスチヌスが時間論を展開し、時間は現在しかない、しかも現在もないと唱えた。現在がなければ物は存在できない。そこで神が居られるから、神の恩寵で我と物は存在すると説明した。存在論と言われる。キリスト教徒はこの無理筋にニーチェが神は死んだと宣言するまで苦しんだ。

小乗大乗仏教とはなんだったのか。常見と断見を駆使して法を究極まで追究したが真理に到達できなかった。どちらも人見であり仏見ではない。二見をとことん究めながらインド人は智慧の文明を創造した。

ひとり釈尊は、悟りや真理の追求ではなく、苦からの解脱を求められた。苦痛苦悩を克服されたとき真理が顕現した。仏滅のあと法は衰微するという末法思想は間違いではなかった。

おじさん学者たちが若いタレント女性に尋ねた。「遠交近攻という言葉を知っているかね?」「聞いたことありません。」「近くの国と対抗するために遠い国と仲良くするという意味だ。隣国と仲が悪いのは世界の常識だよ。」少し考えてタレントが答えた。「わかりました。適正な距離を保てということですね。」

印欧語では大小、内外、真偽、善悪、有無、個人と世界などの相対概念が頭の中で共存する。All or Nothing, Free or Die, Good or Evil など、文法的に二項対立である単語が湧き出でる。ゾロアスター教には善悪の神があるというが、文法を神様にしている。欧米人は、神が造ったエデンの園で突然邪な蛇が現れるのを不思議に思わない。善悪の併立を前提に思考するから矛盾を感じない。

一切皆苦は絶対真理であろうかそれとも楽と苦の二項対立の片方の苦だろうか。解脱すれば楽になるなら、苦が絶対真理であるとは言えない。釈尊は印欧語の中におられたから苦と楽の二項対立があたりまえの真理だった。

日本語は二項対立を嫌う。というより二項共存では真理だと納得できない。苦に対する楽は本当の楽ではない。腹痛も治ったら楽で健康だとするのでは浅い。胃の存在を忘れているのが本来の健康だ。意識に上るようでは本物の楽ではない。

1980年八月のある朝、坐禅中にガラッと心識が一変した。焦慮と混迷の中で坐っていたが、あらゆる懊悩苦悩が一瞬にして雲散霧消した。晴朗快活の気に満たされた。苦痛だった坐禅が快適になった。正気なのだが、数分前何を悩んでいたか思い出せなかった。内山老師が何を伝えようとされたか腑に落ちた。坐禅業を通して以心伝心があった。時が経っても元の苦悩が蘇ることはなかった。 

老師の「自己」に同じような体験が描写されている。懊悩の中で出家生活も止めようかと迷っておられたある夕べ、一人で坐っていると思いがけなく安心の境地が訪れたとある。同じ坐り方が同じような体験をもたらしたと考えられる。

「自己」には「手放しの身構え」とあるのだが、安泰寺では「思いの手放し」を耳鳴りするまで指導された。しかしあの朝の転回は思いの手放しでは合点できない。手放しなら主体である自我は手付かずで残り、思いの変化があっただけだから悩みは再来しただろう。

大転回は坐禅力、定力のしからしめたことではなかったか。必死で坐り続けたから、いつのまにか定力が充実して苦悩が砕破したのではなかったか。相撲取りが四股を踏んで稽古していると、ある日横綱に勝てるほど強くなるようなものか。

「自己」を読み返して、内山老師の言葉の洪水に圧倒される。なぜ「思いの手放し」を唱道されたか不思議だったが、御自身が思いの申し子であられたからだろう。思いを否定する思いが湧く無限ループを楽しまれた。

正法眼蔵坐禅儀には「兀兀と坐定して思量箇不思量底なり。不思量底如何が思量。これ非思量なり。これすなはち坐禅の法術なり。」とある。思量とは小乗と大乗、常見と断見、悟と迷、時間と存在などなど。思量は偏見に陥る、坐定力は人見を正す。思量は文法の問題であり真実ではないと見切られた

坐禅儀は「坐禅は習禅にはあらず大安楽の法門なり。不染汚の修證なり。」と結ばれる。真実人体は苦でもなく楽でもない、解脱も要しない大安楽である。坐禅は習い事ではなく、染汚せざる確かな定力を増大増長することだ。 

* * *

普勧坐禅儀はどう位置づけられるか。宋禅の坐り方であろう。道本円通という観念、イデオロギーから始まり現世利益に終る。

正法眼蔵弁道話は道元禅師の卒業論文であろう。参学の大事ここに終れりとある。知識の追求なら終わりもある。

大安楽の法門不染汚の修證は、神道の誠実、清き明き心や、本居宣長の大和心を博く深く表詮する。

池田永晋

神谷宗幣の日本語

神谷宗幣の日本語

令和四年七月十日、参議院議員選挙が行われ、神谷宗幣率いる参政党が一議席獲得した。五人の比例区候補者は合わせて176万票、地方区合計は200万票を越えた。

神谷宗幣、武田邦彦、松田学、吉野敏明、赤尾由美の五名は全国比例区候補となり文字通り全国を飛び回った。同時に四十五の地方区に一候補ずつ擁立された。全国区候補者と地方区候補者が応援し合う形式で、連日演説が繰り広げられた。毎夜九時に一日の反省と翌日の予定が話し合われ、YouTubeで配信された。

参政党は政治に参加する党という意味で、党員は傍観者ではなく積極的な活動家だ。選挙期間中に党員数は毎日二千人ほど増え、最終日には九万人を突破した。正式候補者と、サポーター、名もなきユーチューバーたち全員が活躍した。

2022年にはアメリカ中間選挙が十一月に控える。共和党の圧勝が予想される。フランスではルペン女史の右派政党が五月に議会選挙で躍進した。世界の潮流がグローバリズムからローカリズムまたはナショナリズムに変わろうとしている。

七月八日に奈良の大和西大寺駅前広場で選挙演説中だった安倍晋三元首相が銃撃され死亡した。自民党は選挙に大勝したが、暗殺事件による同情票が指摘された。

事件捜査の過程で自民党と統一教会との癒着が明るみに出た。選挙時、信者たちは無料でポスター貼り、電話番や車の運転など実働部隊として働いた。安倍晋三は統一教会の大会にメッセージを送った。自民党が国民の思惑を軽視できる構図があった。

安倍晋三の治世は憲政史上最長を誇るが輝かしい実績が思い浮ばない。靖国参拝を仄めかして保守層の支持を集めたが、国会議員中の国士や正義漢は選挙で落とした。外国には大盤振る舞いし、移民でないと偽って外国人を大量に入れ、大事な企業を外国資本に売った。芸能人不審死は自殺と片づけられ外国人犯罪者は無罪放免だ。日本を漠然とした闇と不安が覆った。

安倍亡き後日本と世界は大きく変わると予想される。暗殺の真相は不明だ。奈良県警と執刀解剖医の説明が食い違う。真相がうやむやなのは安倍政治そのものみたいだ。

参政党は日本を売り飛ばす自公政権に対して立ち上がった。保守政権のはずなのに三十年、日本の停滞は放置された。何を期待して現政権に投票してきたか、投票した結果良くなったか。ノー!の叫び声が響いた。グローバリズムに対する違和感が表に現れた。

参政党候補者は、教育、食と健康、国の守りを中心政策に据えた。選挙カーの上で日本の危機を訴えるには論理だけでは不十分だ。勇気がなければ壇上に立てない。情熱がなければ国民運動にまで持っていけない。聴衆は神谷宗幣の知性と勇気と情熱に共感した。

神谷氏をはじめとする候補者の演説は素晴らしかった。一時間も聞かせる。最終日は二時間のマイク納めから三時間の全候補者参加の反省総括もあった。それでも飽きない。

自主的に動画を配信するユーチューバーたちが演説会場に並ぶ。魂の十八日とか驚きの演説のようなタイトルが多い。会場はいつも数百人超え、最後の夕べは芝公園で一万五百人が集まった。ただ聞くだけでなく演説者と聴衆の間で応答拍手が止まなかった。候補者の思いと聴衆の危機感が一致した。

テレビや動画で学歴が高い文化人や学者がコメントする。知識は豊富だがどこか物足りない。別の見方もあるでしょ、理屈は分かるんだけど、そもそも論評の意味は何かなど疑問が尽きない。言葉だけが議論されて創造力が感じられない。言葉は社会全体の交歓でできる。上手な模倣者が幅を利かせる。

欽明天皇の御代、538ADに仏典が初めて本邦にもたらされた。604AD、十七条憲法が公布された。聖徳太子は、仏教の智慧の深さに驚愕されたであろう。人と心と世界を知るには仏教を理解する必要がある。仏典を読むためには漢字を学ばねばならない。その後の漢字の学習は凄まじく、百年後の712ADには万葉仮名で長編の古事記が編纂された。

海の向こうの大陸で漢字が使用されていることは知られていた。しかし漢字の習得は何千年もされなかった。日本列島内で意志の疎通はできたし会話の文法も確立されていた。漢字を使う必要がなかった。漢字の使用は文明の発展だと決めるのは偏見ではないか。もし仏教がなければ公的な漢字の使用はなかったあるいはずっと後世だったかもしれない。

本居宣長は仏教も漢字文化も外来思想と位置付けた。漢字以前、仏教以前の日本語こそ大和心だとした。文字に汚染される前に本当の大和心があったのではないか。

西洋思想や現代科学、金融資本は伝統的な日本を押し潰そうとしている。それでいいのかという問題意識から参政党の活動が始まった。

神谷宗幣の演説は、真理も力も弱い言葉の氾濫に耐えられなくなって奔り出た本音だ。文字輸入以前の大和魂が爆発した。日本の危機を直視しているゆえに多くの魂と共鳴した。

糖病記(14)病いとは何か

糖病記(14) 病いとは何か

2018年9月9日に脳梗塞発症、後遺症はなかったものの糖尿病と宣告された。処方された薬を服用するにつれ鬱になった。説明書には症例が載っているだけで糖尿病とは何かわからない。死ぬときは臓器不全や癌と書かれることが多い。なぜだろう?正体がわからないで適切な治療法が有るだろうか。

四年勉強して、糖尿病はインスリンの欠如が根本原因だと気づいた。インスリンは膵臓で作られるホルモンで、血液中の糖分を抑制する。老齢になるとインスリンが枯渇し、糖分抑制の機能が働かなくなる。糖分過多の弊害が糖尿病として顕現する。

あらゆる老人が糖尿病患者ではない。糖分過多にならないよう気をつければ糖尿病にならない可能性は高い。インスリン注射や食事療法が考えられる。血糖抑制剤もある。

糖分増加はグルコンというホルモンが担当する。こちらは一生分泌され、ある意味インスリンより重要だ。糖分がなければひとは生きられない。若い活動期には二つのホルモンがバランスをとりながら生体を維持する。

糖尿病はホルモンのバランスが崩れた後に起こる症状だ。老化に伴う自然な出来事だ。病気だとして血中糖分を薬で制御し続けると本当の病人になってしまう。

坐骨神経痛は坐ると神経がピリッと反応する。腿の裏に痛みが直撃する。神経は再生が難しい、老化がここまできたかと絶望した。

若い医者は整体師を紹介する以上のことは知らなかった。整体師は十種類ほどストレッチの型を教えてくれた。痛みは改善するといったが治るか否か断言しない。動画には多くのストレッチ例があるが、どれも完治するとは言わない。

二年格闘して坐骨神経痛の原因は運動不足だと気づいた。ストレッチしても運動しなければ治らない。幼児のように常に這いずり回り動き回るなら神経痛にはならない。

老人や大人はどうすべきか。まずジムなどで歩くこと、ボート漕ぎや柔軟体操がおすすめだ。神経は切断や屈曲されない限り丈夫なようだ。次は神経軸索周りの、特に尻の血流を促す運動をする。四股を踏むのは最も効果がある。

坐骨神経痛の治療法を探しているうちに慢性的な膝痛が治った。膝の手術をしている人は多く、自分もいづれ同じ運命かと予想していた。運動不足で膝に負荷をかけないことが膝痛の原因だ。正しい運動を心がけることが肝要だ。

自然食運動が流行った頃、漂白された砂糖や小麦は不健康だと広く知られた。スーパーでは小麦全粒粉のパンやパスタが健康食品として売られた。小麦の中のタンパク質グルテンはパンを膨らませるのに使用され、同時に消化しないので排出を助けるとされた。

いまはグルテンフリー(グルテン無し)食品が流行だが理由がある。グルテンはじつは腸壁内に貼りついている。消化を助けるどころか妨害している。そのため頭痛、肥満、倦怠感、低体温など半病人になるひとが多い。体調不良を訴える人が小麦粉食品を止めると健康になる例が多数見られる。

グルテンによる健康被害は甚大だ。日清製粉は GHQ の後押しで大きくなった。米粒食から小麦粉食へと宣伝する広告もあった。粉食が最先端の食事だと教育された。

瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が米を日本に伝えられたことを思い起こしたい。病いから解脱してひとは真理を知る。ひょっとしたら自己を知り、歴史も知ることになるかもしれない。

COVID-19 コロナパンデミックは2019年に始まった。不思議なことに三年経っても治療法が確立されない。重篤な伝染病なら医者と科学者は総力上げて治療法を見つけようとするはずなのに。

医術は病人を治療する、ワクチンは健康人に接種する。以下、「ワクチン不要論」内海聡著による。

自然界で生物は皮膚、消化器官、呼吸器官を通して外界から体内へ異物を摂取する。その間に自然に備わったセンサーが危険物を取捨選択する。その仕組みが第一の免疫機能である。ワクチンは皮膚の保護機能を無視して注射する。自然の摂理に反する。

ジェンナーの種痘は天然痘を撲滅したと言われる。種痘の成功のあと次々とワクチンが作られた。アメリカの子供は三十種以上のワクチンを接種される。

みんなジェンナーの物語を知っていた。みんなが当然のように知っている話は洗脳を疑った方がよいかもしれない。

イギリスは1970年代に種痘を廃止した。種痘をすると天然痘が発生することが分かったからだという。種痘を止めると天然痘も止んだ。ジェンナーの母国での結論だ。

ワクチンの中には水銀、ホルマリン、アルミニウムなど、自然状態では体内に入らないものが入っている。コロナワクチンは超低音で保存される。理由は明らかにされていない。mRNAも入っているが副作用は未知数だ。体内に注入して大丈夫だろうか。

日本仏教、外来思想

外来思想としての仏教、日本篇 

仏教はインドに起源を持つ宗教である。日本伝来は西暦五百三十八年、欽明天皇の代に仏像と漢訳経典が送られてきたのが最初だと正法眼蔵弁道話にも書かれている。道元禅師はいかにして六百年以上前の事蹟をご存知だったのか。

西暦六百四年に聖徳太子によって十七条憲法が公布された。篤く三宝を敬えと記され、仏教の影響が強い国家人民の規範であった。三教指帰を著されるほど太子の仏教に対する造詣は深かった。仏教は国を上げて摂取すべき深い教えだと理解された。

国家事業として国ごとに国分寺が建てられ、百万巻の写経が収められた。写経によって漢字が覚えられ、仏教が庶民にも知られることとなった。深い精神的価値がなければ文字の使用は意味がない。そして百年後、七百十二年に歴史物語である古事記が製作されるまでに漢字は使いこなされ普及した。

仏教受容の過程で推進派の蘇我氏と反対派の物部氏との間で抗争があったと伝えられる。物部氏は従来の神道を擁して仏教に反対したという。いまも神道には教義がないとされる。物部氏はいかに神道が仏教より価値あると主張したのか。建物としての社さえなかった時代に。

仏教経典を開けば大波のごとく知識が目に跳び込んでくる。仏像も仏閣も眩いばかりの光彩を放っている。仏教は最先端文化であった。

仏教流入に伴う文物の往来は盛んになり仏教文化は特別でなくなった。神仏習合説が唱えられ両者の融和が図られた。観音像が作られ、地蔵さんは全国津々浦々に樹てられた。仏教と日本精神は区別できないほど親密になった。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」は平家物語の第一句だ。諸行無常を和訳、意訳すると方丈紀の「ゆく川の流れは絶えずして」になる。以来、漢語も和訳も日本人の骨肉になっている。

和をもって尊しとなす、は十七条憲法の第一条で日本人なら知らない者はない。日本精神であり大和心と言われる。神社やお寺が何百年も樹ち続けて廃墟にならないのは、代々人々が和を重んじて生きてきたおかげだ。

本居宣長は古事記、万葉集、源氏物語などの研究を通して日本精神を問うた。「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」は有名な解答である。そして漢籍も仏教も日本精神を汚すものとした。物部氏の主張が代弁された。

外来思想や外来宗教が入ってくると問題になることがある。その神様は存在するのか、どこにいるのか。その思想や制度は正しいのか。解答が見つかるまで自己同一性、Identity が引き裂かれる。世界観、人生観が混乱する。

同じことは仏教と日本精神の間でも起きた。圧倒的に豊かな仏教思想を吸収することは多大なエネルギーを要する。一生かけて研究実践した結果真理は見出されるのか。仏はどこにいるか。複数ある仏教説の中でどれが正しいか。宗派ごとに神学論争、存在論の探求が続く。

道元禅師は正法眼蔵坐禅儀を、「坐禅は習禅にはあらず、大安楽の法門なり、不染汚の修證なり。」と結ばれた。よく考えたら、神道の「清き赤き心」を敷衍宣明されている。

曹洞宗は坐禅を柱とした教えである。坐禅はただ坐ることで、文字知識によらない身体の実践修行だ。教外別伝と言われる。釈尊は結跏趺坐して覚悟された。そのあと経論や仏智が噴き出した。同じことをこの身で行じ再現する方法が坐禅儀に書かれた。

「仏道をならふといふは自己をならふなり。」は道元禅師の参学の出発点だ。その学道の帰結ははじめから終わりまで日本精神の遵守創造だった。われわれが華麗多彩な仏教思想の枝葉に迷惑する必要がないまでに、禅師は正見正思を示された。

池田永晋

インド仏教通史

インド仏教史 04/08/2022

インドは古来よりヒンズー教の地域であった。印欧語の構造による要素も大きかったと思われるが、インド人は論理を駆使して真理を探究した。真理に迫る精神が豊穣なインド文明として花開いた。

五千年ほど前から、マハーバーラタやラーマーヤナのような物語を通して人間性の精緻な考察が行われた。ウパニシャド哲学と呼ばれる論理的な研究もあった。ヨガや瞑想もそれぞれ人間性の解明に深く寄与した。

紀元前七百年頃には真理到達への見通しと修行方法が絞られた。無所有処定、非想非非想処定はよく知られている。

無所有処定は争いの原因は所有にある、所有が無ければ無琤であるとする。非想非非想処定は、真理は人の想いではなく、また想いで無いのでもないとし、想いを断滅する瞑想を勧めた。

同じような考え方は今日も見聞きされる。古代インド人の知性の高さと論理的明晰さは特筆されるべきだ。釈尊はこれら瞑想を師について修行され、絶対真理たりえないと身証された。

紀元前六百年頃、釈迦族の王子シッダルタは結跏趺坐して明星を見たとき正覚を得られた。すべての苦から解脱され、あらゆる真理が顕現した。それはインド文明の到達点であった。 

釈尊によって見出された真理は四聖諦として遺された。苦諦は人生は苦であるという真理、集諦は苦の発生を十二因縁を通して説明した。滅諦は苦は滅することができるという真理で、道諦では苦の滅に至る修行徳目が八正道として示された。

釈尊は正法を示されただけでなく、八正道を実践して高邁な人格を得られた。真智の獲得はひとに存在根拠を与える、必然的に人格向上を促す。

仏教教団では釈尊が見いだされた仏法に従って、仏とは何か、法とは何か、因縁とは何かなど、学問的な探求が行われた。業感縁起論や阿頼耶識縁起論が大成された。倶舎論は「我空法有」を追求して「三世実有 法体恒有」を唱えあらゆる存在物を分析研究した。後に小乗仏教と称された。

ところで法体、存在物が恒有なら、三世、すなはち過去、現在、未来は存在しなければならない。現在において未来はすでに存在することになる。未知の領域はない。いくらなんでも現実の時間感覚とかけ離れる。

そこで法体恒有の否定が志向された。「人法二空」が徹底され、常の否定である無常が主語になった。常は無い、すべては刻々に無常する。無常の究極は無常も無常する。無常が無常することを空とした。空に則った経典や論稿が量産された。大乗仏教といわれる。

空に基づいた大乗仏教は人類史上最も生産的な精神運動であった。われわれがよく聞く法華経、華厳経、般若経、維摩教や涅槃経などは大乗経典である。読むと魂が揺さぶられるような圧倒的な力と深い叡智を実感する。

しかし根本原理が空では現実の存在物の説明が難しい。目前の物を幻影とみなす言はよく聞く。空も空ずるとしたり、空即是色としたりするのも、空と現実との乖離を解決する試みだ。一切空の中に因縁や時間は存在できるか、自己は存在し得るか。

その後インド仏教は大日経を中心とした密教へと進んだ。密教は全世界を包摂する教えをめざした。チベット仏教では金剛乗とされ、日本では弘法大師の真言宗となった。密教はヒンズー教に近づき、両者の区別はなくなっていった。

インド仏教史を俯瞰すると、断見思想(断滅見)と常見思想(常住見)が交代しながら発展してきたことが分かる。断見も常見も究極の可能性まで探究された。人類史上無比の知恵は経典の形で万人に遺されてある。

仏教は釈尊の時代を正法とし、像法、末法と時が経つとともに法が衰微すると説く。縁起論が大成されるまでが像法、そのあとは常見と断見が仏教思想をを左右した。常見も断見も人法であり、追い求めると偏見に終わる。末法の世となり仏法は衰えていった。

池田永晋

糖病記(13)いかに死ぬか

糖病記(13)いかに死ぬか                04/08/22

六十代以降、隣人との間で死について会話することが多くなった。彼らも老齢期であるとともに、私自身が怪我しがち、病気がちになった。誰もが死期が近いと感じている。

死は予知できない。古来大宗教家も大哲学者も死について考察してきたが、不安と恐怖だけが残った。現代医術も病院で死を管理する体制はできたものの、死の真実はわからない。いかに死にゆくかは各人に残された問題だ。

昨年末にコロナが発病してから二週間、間断なく咳が続き、食欲無し、十キロ痩せて起き上がるのが辛かった。十五メートル離れた薪小屋へ歩き、薪を搬入してハアハア息しながら5分休む、という行動を繰り返した。肺が直撃されて酸素不足だった。

にもかかわらず発熱も悪寒も苦痛もなかった。筋肉は細くなったが無力にはならず、心地よい断食状態だった。無苦痛のせいか恐怖感は覚えず、快復への希望を失うことはなかった。無医者無薬でじっと自然治癒を待った。八週間でほぼ全快した。

隣人の一人はワクチン打ったがコロナを発症した。医者は検査しただけで治療はしなかった。十歳若いのだが快復後は十歳老けたように見える。体内で免疫の戦いが続いているみたいだ。

人工呼吸器を使用したケースでは、肺までチューブを通すために全身麻酔を十日間続けたそうだ。喉の損傷はないか、麻酔薬の副作用はないか。

ワクチンで予防する、最新医療機器で治療する、薬で炎症を抑えるのが現代医療の常識だ。手洗い、うがい、隔離からゼロウイルスまで実施される。高齢者にはしかし快復後も死期は遠ざからない。

現代医術による治療は必須か。投薬には薬害、大手術には器官損傷の危険がある。強すぎる免疫は病気を引き起こす。人工的な治療は苦痛を長引かせるデメリットも伴う。コストだけでなく肉体的にも、医療による得失は慎重に勘案すべきだ。

自分の中では、生きる限りは自然とともに生き、死のときは自然にまかせるつもりだ。生死をコントロールできるとは考えない方が、苦痛も迷いも少ないであろう。

池田永晋

糖病記(12)

糖病記(12)   01/28/22 

12/13/21 朝、突然咳が始まった。肺に異変が起きたみたいで、肺胞が風船のようにフワフワ動く感触があった。日中は間断なく咳が続く。疲れて眠ろうとするとさらに咳がひどくなった。眠る前が一番苦しい。安静の姿勢が悪いらしい。恐怖で眠れなくなった。バタンキューと倒れるまで動き続けることにした。

食欲がなくなり二週間で十キロ痩せた。身体が衰弱した自覚があった。薪を十五メートル移すとはあはあと息がする。五分間立ち止まって休む。息が収まってまた薪を移す。雪が降らなかったので助かったが、細くなった筋肉で雪かきは苦しい。筋肉の瞬発力はあるのだが、酸素の供給が不十分で次の動作までに休息時間が必要だった。

不思議なほどに熱、悪寒、腹痛、筋肉痛などはなかった。安楽感があったので快癒する希望は失わなかった。四週間、食事とストーブ暖房以外はほとんど寝ていた。五週目に人と対面できるかどうか試そうと外出した。店で話そうとすると咳き込んで声が出せない。買い物できず逃げ帰った。

医者は検査はするがコロナの治療法はないという建前だ。またへんな注射をされるのも怖い。無薬、無医者で自然治癒を待った。八週目、少し胸が重いが、文章を書く気力が回復した。肺と呼吸の重要さを思い知った。 

人の身体は兆を越える細胞でできているが、一つひとつ細胞膜で囲まれて完結している。細胞膜と隣の細胞膜とはペクチンなるタンパク質が糊付けしている。ウイルスや細菌はペクチンを溶かす。ペクチンが溶けると隙間ができてウイルスが侵入し風邪やコロナの症状が出る。

感染経路やテストの陽性か陰性かで大騒ぎしてきたが、あまり意味がなかった。いくら思いだしてもいかに感染したかまったくわからない。それよりも風邪と同じで、全員がウイルスを保持している前提で考えた方が現実的だ。

ウイルスは喉や鼻や肺の入り口に付着している。それらは各々ペクチンを溶かすのだが、数百や数千では被害を与えられない。しかし好条件下ではウイルスが幾何級数的に分裂増殖する。百万単位のウイルスがペクチンを溶かせば多くの細胞膜に穴が開く。問題は爆発的な分裂増殖が起こるかどうかだ。急速な増殖が起こらなければ症状が出ることはない。

人工呼吸器はコロナ治療の最終兵器のように報道された。しかし実際に使用される場面を見たことはなかった。ところが最近動画で使用法が解説された。それによると。

人工呼吸器は小さい管が喉を通して肺まで届く。喉に異物があるときは苦しく咳が出る。人には耐えられない。それで人工呼吸器をつけるときは全身麻酔をかけ、意識がない状態にするという。

コロナの場合、経験から十日ほど管の装着と全身麻酔が必要だ。喉の機械的損傷と麻酔剤の副作用はいかばかりだろうか。

重症と判断されて病院に収容されるとどんな結果になったか想像がつく。治療の恐ろしさ後遺症との戦いという問題もあったのだ。完全回復など望むべくもない。

いかなる意味でも身体に異物を入れることは自然に反する。自然に無いものから自己防衛するのは容易ではない。コロナも無薬、無医者、自然治療が一番よかった。

池田永晋

糖病記(11)

糖病記(11)運動がすべて

一切皆苦は四法印の一つである。仏教の教えを四標語にまとめてあるうちの一つで仏教の背骨だ。十二因縁は人の一生を生老病死とする。仏教では人生は苦悩苦痛だ。

青年壮年では病気をほとんどしない。風邪は病いのうちではなくケガもすぐ治る。大事故に遭わなければ死ぬこともない。現実生活と一切皆苦は乖離している感覚があった。

整体法を知ったのは五十肩で七転八倒したときだった。半年の激痛で体力消耗した挙句に、一瞬で痛みが消える方法を学んだ。2010年の夏だった。

整体法の前提は、自然の身体は楽であり快である。痛苦は不自然であり、身体が自然の状態へ回帰すれば楽と快を覚える。一切皆苦と正反対だ。人性は楽快なのか痛苦なのか。

2018年九月九日に脳梗塞を発し、右腕が冷え右手が震えて茶碗を持てなかった。病院で Stroke と診断された。ひどければ言語障害、半身不随、そして死ぬところだった。原因は糖尿病とされ三種の薬を処方された。定期的な病院通いが始まった。

2019年六月三日チェーンソーで左足ケガ。手術があって退院するとき松葉杖をもらった。一ヶ月松葉杖生活、そのあとびっこ歩き、十月末にケガが完治した。

2019年十一月二十六日に座れなくなった。坐骨神経痛 Sciatica だった。医者にも整体師にも治癒の自信はないみたいだった。診断書も全身関節炎の始まりかとなっていた。

2020年四月一日は血液検査の予定だったがコロナ禍で病院閉鎖、緊急時には警察に電話せよと通知があった。

神経痛とコロナに加え、医者に相談できない不安が重なった。その後数ヶ月、無医者無薬状態が続いた。整体術では坐骨神経痛は快復しなかった。

2021年二月、思い立って街のスポーツジムに通い始めた。歩行やボート漕ぎもおぼつかないほど体力が減衰していた。連日のように通い、軽い運動と柔軟体操で痛みが一つ一つ解消した。若いころの軽快さを思い出した。

2021年十月、左小指と小指下辺がむくみ、冷えた。今度は左腕の番か、脳梗塞の記憶が蘇った。冷え防止用に布団の中でも手袋を着用して寝た。運転中も手袋を離さなかった。

手袋を見て友人が血行障害かと尋ねた。五十肩は左肩が痛んだ、左肩は弱い。ジムで肩を動かす器具を見つけ、左肩周辺の筋肉を三百回ほど動かした。翌日手袋は必要なくなった。

左手小指恢復の成功体験から、坐骨神経痛の治癒には尻の毛細血管の回復が重要だろうと類推した。いかに尻の筋肉を動かすか。

解剖図からも経験からも、尻の筋肉を動かすには脚を屈伸するのが手っ取り早い。動かし方は二種類あった。伏臥して膝からぶらぶら曲げる、片脚ずつ尻から上げる。軽い動作を五十回ずつ行った。

翌朝、痛みが劇的に軽くなった。二年かかったが、坐骨神経痛を治す方法が見つかった。死ばかり考えた三年間の闇に光が差した。

脳梗塞以来ずーっと憂鬱だった。松葉杖からびっこの生活が五ヶ月あった。坐骨神経痛になって整体師に指示を受けたが捗々しい成果は得られなかった。時系列を辿ると、災厄の大きな原因は運動不足だった。

整体法の本にはあらゆる苦痛が解消すると書かれている。効く場合には効くのだが、いつもうまくいくとは限らない。整体法には静態法としての限界があるのだろう。多くのポーズをゆっくり繰り返すだけなので退屈になりやめてしまう。

歩行や肩甲骨をぐるぐる回したり脚をぶらぶら屈伸するのは動態だ。運動すると体温が上がり、毛細血管が修復され血が流れ始める。筋肉の動きが熱を発生し、血行を促し生体活動を活発にする。赤ん坊がニコニコ笑っているのは、手足をバタバタさせ血が滞りなく流れるからだ。生存の根本原理は運動 MOTION ではないか。

運動は身体の根源であるだけでなく、細胞から分子原子に至るまで運動しないものはない。熱があるのは運動があるからだ。宇宙も運動しずめである。過去も今も未来もすべて運動ならざるはない。運動は宇宙と自己を存続させる普遍的な原理と言える。

自然界の運動は決まった理由があって動いているように見える。多くの銀河系の写真を見ると、星々が渦を巻いて回転運動している。速度、質量、エネルギー量なども計算できるらしい。川の流れも海の波浪も自然運動そのものだ。身体の血は決まった方向に流れる。運動はある法則の上で行われている。運動の法則を解明したのがお釈迦様で因縁または因果律という。

四聖諦のなかの集諦は十二因縁の説で、自己生命を因縁果の法則で説明する。自己はいつか必ず死ぬが、その原因は産まれたからだ。生誕の因は父母の愛で、父母の結びつきは無数の縁と因果が絡まって結実した。その父母の前はと、生命の因果関係は無限の過去に遡る。もちろん現在から未来にも継起してやまない。

自己のことは分からないのが凡夫の常だが、成功失敗も幸運も災難もあとから因果を辿ると合点できることが多い。人生を左右する才能性格まで親の因果が子に報いと言われた。遺伝子では説明できないことも因縁ではお見通しのことが多い。

仏教はあまり強調しないが、因果の法則は宇宙自然も歴史も社会現象も説明する。因果の原理で説明できないものはこの世にないであろう。釈尊のお悟り、お教えが甚深広大と讃えられる所以である。

苦痛苦悩ばかりをうたう一切皆苦では生きるのも苦しい。また快楽だけでも人生を誤りやすい。一切皆苦ではなく一切因縁と標語する契機はなかったのだろうか。楽にも苦にも偏らない因縁の見方は間違っていないと思うのだが。

小学生でも物理学の本を読む児なら、運動がすべての元である原理は理解できる。リハビリに励む老人は、薬ではなく肉体運動こそ自己の生存がかかっていることを痛感する。「運動がすべて」一切運動は具体的かつ普遍的な宇宙を貫く法則だ。

因縁または因縁果の法則は少し抽象的だが、具体的な事例に当てはめて説明できないものはない。釈尊の智慧が無限であることと同じである。

一切空はどうであろうか。色即是空、空即是色と言われて納得できるだろうか。究極の超抽象的な概念である空は、因縁や運動と比べて異質な言葉ではないかと感じる。これからの残された余命の研究課題になるだろう。

池田永晋