表絵文字(1)

 

日本語(2)表絵文字       11/09/2008

大学卒業したばかりのアンドルーという若者が泊りにきたことがあった。サービスついでに紅白歌合戦のビデオを見せた。こんなお祭り騒ぎアメリカにはないよと言いながら興味深そうに鑑賞していた。音感が良いらしく、どの歌手がうまいとか的確な批評をする。英語の発音について聞くと違和感はないという。一流歌手の英語はこなれているようだ。
そのうち「なぜ日本語のあいだに英語が入るのだろう?」と質問してきた。いつから始まったのか知らないが、テレビでは歌と一緒に字幕が映る。その中には単語ばかりでなく短い英文が出てくることがある。それが驚きだったようだ。日本人には当たり前すぎて答えようがなかった。日本のテレビを普段に見る環境にないものにとっても当たり前なのだ。それが日本語なんだよとだけ返答した。
指摘されてみれば盲点だった。あらためて週刊誌のタイムを見直すと、文章は全部英語と数字である。写真とイラストが多くなって読む部分が少なくなったと感じていたけれど、文章は英語だらけだ。店頭に並んでいる雑誌も同じ。ページ数の多いロマンス小説も売れているが全部英語だ。英語の国だから文章は英語で書かれていて当然ではないか、何が問題なんだと言われそうであるが、一種類のアルファベッドだけで書かれている事実に気づいたのが驚きだった。
日本語だったらどうか。漢字ばかり、カタカナばかり、ひらがなばかりの新聞や週刊誌など想像できないであろう。写真やイラストを挿入する以前から文字そのものが多様性を持っているのが日本語だ。小説家なら漢字とひらがなの割合、カタカナやローマ字を使った場合の視覚効果などを計算に入れて文章を書いているだろう。論理や心理、情景描写だけでなく文字そのものをいかに見せて買わせるかを考えるに違いない。読者の心をつかめるならば、文字の代わりに漫画や挿絵を利用する人が出てくるのも当然である。
あるとき香港を旅したアメリカ人から小さな経典を送ってもらった。観音経と般若心経が入っているのだが、とにかく読みづらい。漢字文化圏からの贈り物だから当然ではあるが、漢字ばかりで全体の印象が硬く暗い。眼に優しくない。わざわざ読みづらく印刷してあるのかと思った。
難読本を前にすると自分の学力不足をまず嘆くのが常であったが、アンドルーの発言以来見方が変わった。なぜ読みにくいのか日本語の経本と比べてみた。日本語版にはふりがなが打ってあるのを”発見”した。漢字自体にしても、小さくても読みやすいように工夫されている。印字の太さ、線の曲がり具合、隣の字との間隔など、多方面から気持ちよく読めるように配慮されてある。小説家の苦心を推し量ったけれども、印刷社も同じように苦心しているのだ。経典でさえ、読ませないではおかないという心構えで。
アメリカに進出している日本の本屋はアニメや漫画のコーナーを広くとっている。そこに若いアメリカ人が群がって夢中になっている。彼らや彼女たちに日本文化が理解できるはずはないと決めつけるのはたやすい。しかし何が彼らや彼女たちを夢中にさせるのか。それは漫画家やアニメ作家たちのサービス精神だろう。作家たちは読者や観客たちを楽しませるための物語を創作しようと試みる。絵で性格や動き、喜びや悲しみまで描き尽くそうとする。そんな作家魂に引き込まれる若者たちが足を運ぶのではないか。
売れっ子の有名漫画家が若い貧乏時代に”トキワ荘”というアパートに集まって住んでいた話はよく知られている。なぜ漫画家は集団生活したのか。彼らはそこでサービス精神を磨き上げたのだろう。容易なことではない。最後には精力を使い果たして往く人が多い。喧嘩でもなく闘争でもないのにボロボロになるまで生命を燃焼させる。その凄まじい情熱が、見られ読まれるに堪えうる絵を産み出した。彼らは絵を通してひとびとの感情を揺さぶった。その心意気はアメリカの若者にも届いている。

衝撃と吸収(4)

 

 

衝撃と吸収(4)          09/01/2008

それは健康のための本だったから、自然の間接光をたくさん摂取するようにと指導されていた。あらためて気づいたのだが、曹洞宗の僧侶には長生きする人が多い。鎌倉時代に道元禅師の後継者となられた方々は80歳、90歳の長寿を全うされた。いまも老僧と呼ばれる人は少なくない。釈尊も2500年前のインドで80歳の寿命を生きられた。仏道修行、面壁打坐は寿命を延ばす効果があるようだ。眼の生理を合わせ考えると蓋然性は高い。
僧堂では面壁して間接光をふんだんに吸収するので体中の栄養がムダなくエネルギーに励起される。その活動が蓄積されて長寿という結果につながるのではないか。壁が修行者の、僧侶の生命力を強健にしたのではないか。
ただし直接光を避ける目的でサングラスをかけるのはまた弊害があるそうである。それは必要な自然光を遮ってしまうからだという。全身の無数無量の微量要素が活性化するには豊富な光エネルギーを要する。光の量が少なくなると体内を十分に活性できない。雨や曇りの日々が続くと元気を失ったり陰気になったりするのも同じ理由による。昼寝て夜働く生活が不自然なのも当り前だと分かる。偉大な自然光の恩恵に浴さないからだ。
深編笠を発明したのは誰だろうか。普及したのは日本だけのようだ。炎天下で間接光を摂取するのには理想的である。雲水も編笠をかぶって歩く。若い女性が夏の日に日傘をさして野原を散歩するのは健康の面からも美容の面からも素敵な生活様式だ。田植えの季節には大勢が集まって仕事していたが、全員が幅広の帽子を被り、手ぬぐいで顔を覆っていた。最適のスタイルが確立されていた。日本人はお互いに伝統的な知恵を学習し合いながら長寿社会を実現してきた。
逆に引きこもりとて部屋の中に閉じこもっているのは自殺に等しい。苦を逃れて楽を求めているつもりが、じつは緩やかに自らの命を殺している。生きている限りはどんなことをしても燦々と輝く日の下に出て行くしかない。それがじつは救いだ。しかも簡単なことだ。マラソンはどうか。直接光が過ぎて寿命を縮めるかもしれない。
朝、ほとんどの人は寝ぼけ眼で起きる。子供も初めから元気はつらつではない。のろのろと歯を磨いたり顔を洗ってトイレに行ったりする。急いで朝食をとって身だしなみを整える。その間に動作が機敏になりだんだん眼が輝いてくる。会社や学校に向かって駆け出すまでが四十分だろう。それはすべての血が眼底を通る時間だ。
学校や職場を意識するからシャキッとすると思っていたけれど、じつは十分な光を吸収するから背筋がピンと伸びるという方が当たっている。寝ぼけているのは光エネルギーを十分に受け取っていない間だ。血液内の成分が十分に働き始めるまでには時間がかかる。その間に朝食をとる儀式がある。朝食は粗食軽食が良い。目を開いていることが根本だから、腹具合によっては大食してもよし、コーヒーだけでも良い。相撲取りは朝食をとらないで稽古する。朝食の力より光の力の方が強いということだろうか。
澤木老師は宇宙とぶっ続きの坐禅と言われた。内山老師は天地いっぱいの自己と言われた。論理的にも感情的にも倫理的にもその通りだ。限定された肉体を持つ個人がどうして無限とぶっ続きになれるのか?小さな自己がいかにして天地いっぱいと言えるのか?もうひとつピンとこなかったというのが正直な感想だ。
宇宙にみなぎっている光の衝撃を眼を通して受け取ることで身体が活性化するとすれば、宇宙と自己とは分け隔てがない。光エネルギーの正しい受容の仕方は道元禅師が示された。生理的、生物学的に見ても面壁坐禅は自己の修行であり、同時に生命の修行だ。修行はまた生命増長でも安楽増進でもある。
この項終わり

衝撃と吸収(3)

衝撃と吸収(3)            09/01/2008

坐禅儀には目はすべからく開くべしとある。実際に坐ってみると目の周りの筋肉は、身体がじっとしている時でも動かすことができる。目は心と肉体の微細な動きが最も現れやすい器官ということができる。衝撃の吸収説が正しいとすると、目は光の衝撃を吸収しているはずだ。目はただ開くことによって外界の明るさや色彩という徳を吸収する。光を吸収するのが目の第一の機能だ。眼を閉じ続けると楽なようだがすぐ辛くなる。光に接する機会を奪われると目の機能はたちまち減衰する。
光の衝撃を吸収するというのは、脳に一番近い神経が外光と交流することだ。静慮にふさわしい静かな交流である。血が流れ呼吸している限り身体の完全な静止はあり得ない。肉体に不動停止はない。生きている限り身体は激動と静穏のあいだにある。坐禅は限りなく静穏に近い。それでも外界の光と交感している。
意識の力を用いず、筋肉に力を入れないで光を吸収する。一番効率がいいのはどこにも力を入れないで瞼を開いていること。光は勝手にやってくる。この時自己は全世界と繋がっている。外と内との戦いはなく平静、安楽である。坐禅の自己は孤立してはいなかった。
ここで肩を壊して床に付すこと二ヶ月、積読本を片付けることにした。その中に興味深い文章があった。要約する、ノーベル賞受賞者の研究とあったので信用できるだろう。目の水晶体は皮膚や毛髪と同じようにいつまでも成長し続けるそうである。大事な器官だから毛細血管が張り巡らされているのは知っていたが、レンズだから変化しないとばかり思っていた。肉体はどの部分も生長変化し続けるものらしい。
水晶体の場合は、毛や皮膚が外側に向かって生長するのとは反対に、内側に、中心に向かって生長する。だから水晶体であるレンズは外側が一番若い。誰でも目が綺麗なのは、磨く必要もない生まれたてを見ているからだ。中心部の古い細胞は死に、血やリンパ液によって運び出される。全身の血液は40分で目に張り巡らされた毛細血管を通る。
目の機能については、紫外線はやはり有害だそうである。そして直接光も良くない。目が柔らかい自然の間接光を受けると酵素やホルモンやビタミンやミネラルが活性化される。毛細血管を通る血液の中の微量成分が刺激されて全身に流れていく。これらはたんぱく質や脂肪などのような身体の土台となる栄養ではないが、各栄養素を美味に料理するときになくてはならない調味料である。美味でないと肩こりや、関節炎や、糖尿病などいろいろな病気になる。われわれの身体は精妙に作られている。
光の微量要素を活性化する力は500%効率が良いとあった。何に比べているか失念したが、この場合、目を閉じたとき、つまり無光に対してということだろう。確かに暗闇の中でも直ちに死ぬことはない。しかし健康を保つことは難しい。何ヶ月耐えられるだろうか。
健康を維持するにはいろいろな方法が考えられる。栄養を摂る、果物を食べる、マッサージ、鍼灸、投薬、運動などなど。その中でも、光が一番効くらしい。というより日光は生あるものの外してはならない土台であろう。そして林の木漏れ日のような間接光が一番良いという。生命は快適、快美の中で最高に顕在潜在を問わず能力を発現する。
というわけで面壁の意味がやっとわかった。われわれは壁に向かって坐るわけだが、なぜ対座はいけないのかと問われて明確に答えられなかった。面壁の方が自己に出会いやすいからだと説明した。壁は目の前にあって動かないから坐っているこちらも安定する。壁を背にして坐ると目の前には広々とした世界が広がる。虫や風にそよぐ葉も見える。どこまでも際限がない。自己に出会うのは難しい。だがそれは好き嫌いの問題ではないかと言われても仕方ない。
眼が柔らかい間接光を受容して全身が活性化するということに着目すると、壁に反射した光が眼に入ってくる。面壁坐禅は身体活性化が保証される方法だということができる。仏道修行は苦行ではないとは真っ当な真理だった。苦行どころか元気はつらつになるのが修行だった。じつに面壁坐禅は安楽な修行だ。眼を常に開くのは光のエネルギーを受け取る扉を開いておくということだ。エネルギー摂取に一番効率良いスタイルが面壁だった。対座では縁側で座るとか公園で座ってみようとかいうことになりやすい、ベストの方法が何かはっきりしない。
内山老師が面壁を当然視して強調されるのには時々閉口したものだった。新参者が来ても面壁しないと怒られた。また釈尊は大きな菩提樹に向かって坐られたと説明された、見てきたように。そこまで面壁を盲信する必要はないのではないかと思った。
眼の生理を知った現在から見直せば、内山老師だけが絶対に正しかった。だから必死になって指導された。ありがたいことである。普通、人は樹下で座ると聞くと木を背にして座ると思う。それはインドの修行者たちも同じだったに違いない。ひょっとしたら釈尊だけが大樹に向かって坐る方法を発見されたのかもしれない。そして大きな利益を享受する自覚を持たれたのではないか。

衝撃と吸収(2)

衝撃と吸収(2) 09/01/2008
このように考えているうち、衝撃の吸収は生命体の生きる原理ではないかという気がしてきた。歩くとき、身体は大地からの衝撃を吸収している。舗装された道、石ころだらけの道、田んぼのあぜ道と、道といっても表面の質は違う。身体は硬さや荒さの違いに応じて衝撃を吸収する
消化は異物である食物を消化器官で肉体に同化する。消化は異物の衝撃を吸収する一つの方法である。寝る子は育つという言葉もある。眠っている間の方が栄養摂取の効率は良いはずだ。吸収しなかったら子供は成長しない。
アメーバが異物に当たると逃げたり方向転換したりする映像はよく見られる。微生物の段階ですでに、衝撃にいかに対応するか生き物は知っている。必要なものに出会ったら食べて生長する。有害なもの、不必要なものからは離れていく。
物理の教科書では剛体と剛体の衝突反応が数式で表される。衝突の前後で剛体そのものの変化は無視されるほど小さいということになっている。衝撃を吸収するメカニズムは観察されない。
生物学では刺激と反応だ。アメーバが異物と出会ったときの反応は良く観察されているが、アメーバ自身の体内の変化はあまり注目されない。全然変化しないのかもしれないが。ニュートンの運動法則や刺激と反応説は、同一刺激には同じような反応をする。受容体自身は変化しない。
日本に畳が普及する前、人々はどんな生活をしていたのだろうか。板の間や土間に正座していたのだろうか。正座を避ける工夫をしていたのだろうか。柔術を板の間で稽古したらどうなるか。畳がなければ板の間で練習するしかない。あるいは大地の上で転げ回ることもあったのか。いずれにしても練習だけでも大変な苦痛を伴っただろう。また実際の決闘や喧嘩は設備の整った剣術場の中とは限らない。荒地や草地や林でも通用する格闘技でなければ役に立たない。
安易な生活からは想像もできない厳しい状況を昔の人は生き抜いてきた。それはわかっているが、そんな時代に投げ込まれたら行き延びることは不可能だと思っていた。テレビの時代劇を見てよくわかる。電気も車もなかった時代の人々の生活は容易ではなかったはずだ。飲み水を桶で運び、鈍い斧で木を切って薪に割る。トラクターなしで巨石を積み上げる。あばら家に帰ってもソファーや柔らかい寝具はない。苦界から逃げ出そうにも自動車はない。
しかし衝撃の吸収が生命の原理なら、昔の生活も想像することはできるようになる。歩いたり座ったり走ったりするたびに身体は衝撃を吸収する。そして身体が衝撃に適応するようになる。根本的にはどんな環境の下でも人は生きて行くことができる。苦痛に慣れ、快適に慣れ、貧乏に慣れ、金持ちに慣れ、艱難辛苦に慣れ、飽食怠惰にも慣れる。そして誰もがより良い生活を目指して努力する。
古人の厳しい生活環境に想いを馳せたが、未来は明るく楽しく優しい時代だろうか。数年前から地下資源の枯渇が叫ばれている。食糧生産は人口増加に追いつかない。金はあっても買う食料がない時がやがてくる。水の値段が何倍にもなる日を迎えるかも。そしていつか文明発生以前の世界に戻らないと誰が断言できよう。すでに核兵器は何千発も使用されるのを待っている。
暗い予測ばかりでは生きる希望もなくなる。自分はまだしも子や孫の世代はずっと長く辛い時間を生きねばならない。希望なくしてなんのための人生か。内山老師からは悲観論を聞かされた。老師の見方は現実と矛盾しない。数年前に知ったのは、かなりの日本人が悲観論を抱いて生きているということだった。深刻そうに見えるのは格好いい。しかしみんなが将来を悲観しては。
将来の見方や心理についても、衝撃の吸収が生命の原理なら見方は変わってくる。どんな環境にあってもいかに衝撃を吸収しようかと考えればいい。別の言葉では環境に適応するということだ。適応さえすれば、相撲取りが強くなっていくようにみんな生長し生き延びられる。悲観論だけで世界を見るのは偏見の一種と言える。どんな環境でもいつの時代でも強くたくましくなっていけばいい。新技術も新知識も衝撃だ、学び吸収すればいい。艱難も幸福も衝撃だ、ともに吸収して自己の栄養にしていけばいい。

衝撃と吸収(1)

 

衝撃と吸収(1)          09/01/2008

雪に閉じ込められて何もできない冬のある日、鈴木大拙師のDVDの広告が入ってきた。深山で身動きできないときも世の動きが伝わってくる。インターネットが世界を変えたことを実感する。参詣者にサービスする必要を感じて注文した。日本文化に触れてもらいたいとも思ったので、いっしょに歌舞伎と相撲のDVDも追加した。
相撲のDVDは相撲協会による入門編だった。内容は盛りだくさんで、国技館の紹介、横綱の作り方、水や塩の意味、決まった挨拶の仕方、行司、呼び出し、髪結いなどなど。行司はとてつもなく忙しい職業だった。土俵で判定を下すのは仕事の一部で、番付書き、口上、各種儀式を次から次へ執り行っている。相撲世界が複雑華麗なことが良くわかる。伝えたいことがありすぎて、取り組みは三番しかなかった。
貴乃花と曙が立ち会ってがっぷり四つに組む場面がある。両者とも肩の筋肉が盛り上がって全盛期である。腕も大きいだろうが胸の厚さで小さく見える。塩を撒いて仕切り直し数番の後、気合い十分で立ち上がった瞬間、両方もろ差しになった。画面は切り替わって国技館の説明へと移った。
両者激突の場面を見直すと、二人の突進力はどこへ消えたのかと考えさせられた。ふたりとも世界最強の関取である。大の男十人を跳ね飛ばすくらいの力はあるだろう。そのふたりが正面からぶつかる。胸や肩の骨が粉々になっても不思議ではない。物理学の公式で剛体と剛体が衝突する計算をすると、両者が壊れる結果が出るに違いない。
衝撃というか衝撃の力はどこへ行ったのか。ふたりの肉体に吸収されたに違いない。あるいは分散されて無力化されたとも言える。しかし正面から組み合っているのだから吸収の方が適語だろう。盛り上がった肩や背中や胸板は衝撃を吸収する役割を果たしている。衝撃の吸収が相撲の本質だったのか。貴乃花の盛り上がった肩は攻撃のためではなく、まず衝撃を吸収するために使われていた。
力士は毎日稽古するが、彼らは四股や鉄砲の鍛錬を通して、自らを強い衝撃を吸収する体に作り変えている。一日の変化は小さくとも、五年、十年経てば本番の衝撃にあっても耐えられる。自分の体を作り直すことが稽古の眼目だ。対戦相手に勝つか負けるかは究極の目的ではない。
衝撃の吸収が目的になると、吸収するのは自分の体全体である。稽古は自分の肩や背中の使い方を練習する。目の前の相手を見るよりも、背中の筋肉の動きを感じ取る。相手と組んでいるときも背中の目ははっきりと見開かれていなければならない。ひとりやふたり倒したって仕方ない、その間に自分が成長しなければ。
では相撲取りは衝撃や吸収や背中の目とか考えているかというと、そんな暇はない。余計なことを考える前に、食って飲んで寝て、文字通り体を作らなければならない。相撲部屋の生活様式に従って強くなる基本を学び、実践する。各部屋には先人の知恵が受け継がれている。相撲が相撲道に、生き方にまで磨き上げられている。
相撲はライバル同士が稽古で激突して切磋琢磨する。衝撃を吸収しながら強くなる。相手がいなければさらに強くなることは難しい。栃若時代、白鳳時代と称揚される所以である。稽古相手、アドバイザーは仲間であり恩人である。お互いに親しみもわくし、相手の体を知ることは自分の体を知ることでもある。綺麗事だけで済むわけではないが、理念がなければ喧嘩の明け暮れで終わる。
相撲の起源は竹内の宿禰ということになっている。実際には人類出現の時が相撲の起源だろう。腕相撲や力自慢はどこでもある。相撲がユニークなのは、怪力や強力の持ち主が生活できる組織であることだ。強者は粗暴者になる可能性が強い、関取は体が一瞬のうちに凶器に変わりうる。そのような、力と体を持て余している大男同士がぶつかり合って文句が出ない環境は数多くあるものではない。日本の相撲文化は、並外れた精力の持ち主達を社会の中に上手に取り込んだ。素晴らしい興行を発明したものだと感心する。
相撲では対戦相手は稽古相手でもある。お互いに手の内を知り尽くしている。勝っても負けてもそれきりバイバイというわけにはいかない。八百長すれすれの心理が働きやすい。お客の人気も考えなければならない。勝ち負けがはっきりしない要素が多い。相撲には勝ち負けだけを争う近代スポーツとは一線を画する面があると思われる。

肩(5)

 

肩(5)            04/28/2008

アメリカで驚くのは膝を手術している人の多いことである。四十代を越えるとわれもわれもと手術をする。手術の詳細は知らないが、膝の痛みを薬で抑えられなくなったというケースが多い。しばらくは手術してよかったと言っている。新品の間は故障が少ない。しかし医者の会話を聞いたことがある。「あの患者もとうとう右膝の手術をした。次はバランスが悪くなるから左膝だね。その次は腰になるだろう。」
なぜアメリカで膝の故障が多いのか考えると、椅子と車の生活が原因ではないかと思う。椅子に座ると楽だ、しかし膝は半分もストレッチしない。どこへ行っても椅子に座るから膝を伸ばしきる機会がない。膝が悪いのは、膝が弱いというよりも膝を使わないからだ。
自動車は便利すぎる。誰しも旅行好きだが、車に乗れば千キロ先でもすぐ行ける。どこにもガソリンスタンドがあり、モテルもホテルも待っている。大きな移動であるが、足も膝も使わない。膝を使わないことが一番膝に悪いのだ。ほとんどの膝の不具合は歩けば治る。膝や腰に負荷を掛けるのが根本的な治療法だ。百歳でもせっせと歩けば足腰を心配する必要はない。
日本間で正座すると膝の表側は伸びきる。立ったり座ったりするたびにストレッチする。これは理想的な生活様式ではないか。一銭も使わないで、堂々と、しかも行儀よくストレッチできるのだ。正座は太ももの裏も伸ばしている。ダンスに比べると十分ではないけれど、柔軟体操にはなっている。
日本はなんでも遅れていると思う人がいて、宮沢元首相などは娘に正座しないようしつけたそうである。そういえば足が曲がるから坐禅しないと言った人が居た。どちらも浅慮偏見と言わねばならない。西洋人の足がすらりと伸びているのはダンスをするからだ。どんな田舎町にも二つや三つダンス教室がある。逆にダンスに関心がない人は女性でも足が曲がっている。原因結果は逆かもしれないが。
坐禅修行と膝や軟骨の故障に問題はないだろうか。正身端坐を長時間、何年も実践すると身体の重さで脊椎の軟骨が押しつぶされる恐れはないだろうか。潰れなくとも特定部位だけが圧迫されて変形するとか。じっとしているのだから筋肉の伸張どころか支持筋肉の強さが減衰しないか。膝だって使わない、まともに負荷をかけられない。悪くするとまっすぐ座れなくなるかもしれない。坐禅修行が原因で坐禅できなくなる可能性がある。
というわけで身体機能の面から作務の役割を見直すべきではないかと思うようになった。坐禅は仏教にとって最重要で理論的にも掘り下げられている。しかし作務はインドの経典には出てこない。シナで、寺院の中で集団生活するようになってから出てきた。生活のため、必要に迫られてする労働である。
作務が大事だと強調する人は、坐禅の真理より生活の方が大事だと言っているように聞こえる。坐禅ばかりした人もいたが、そんな人には作務は付随的な意味しか持たないだろう、労働するだけなら出家する意味はないわけだし。労働するのはいいのだが、坐禅より低くみられて当然ではあった。
しかしまともな坐禅の姿勢をとるためには背筋も腹筋も肩や膝の筋肉も適正な強さを維持するのが前提条件になるとすれば、身体を使って働くことは坐禅修行の必然的な要素になる。仕事をするとか金を稼ぐとかが目的ではなく、健康な体を作ることが作務の目的になる。貧弱な土台の上では坐禅も神経障害者の知見に終わるかもしれない。衰弱した体で坐った時はいくら坐っても気分が晴れなかった。慧日破諸闇の坐禅は健康な身体がなければできない。
してみれば、作務は伝統的な農作業だけで終わらない。身体の正しい動き方、正しい座り方を実践するためにはストレッチや、ダンスや、ヨガなどの知識や動きを研究するのもありかも。空手、柔道、合気道などもおすすめだ。重労働する必要がなくなった都会人は特に心すべきだろう。坐禅修行は身体運動を除外しては成立しない。
(肩) 終わり

肩(4)

肩(4) 04/28/2008

あの元旦に教えてもらった首のストレッチを続けた。言われた通り左右だけでなく前後にも首を曲げた。要点は力を入れないことである。力を入れると変なくせがつく。二十数えて三回終わったところで首をぐるぐる回す。誰でもする運動だが、あれっと思った。それまではいつも聞こえていたコリコリという音がしない。何十年も同じ音が聞こえていたのだが、あの音が消えた。
コリコリの音は固体と固体が当たって出る。首にある固体は骨だけである。骨と骨とが当たっていたのだ。固体と固体が当たれば傷がつく。身体が傷つくのは外であれ内であれ健全であるはずはない。だから骨を守るために軟骨がある。けれども軟骨があってもコリコリしていた。
想像するに、首を構成している筋肉や腱が伸びたのであろう。それで骨と軟骨が中空に浮くことになった。だから摩擦も衝突もなくなった。これがストレッチ(伸ばす)の意味だと悟った。世にはストレッチと称するいろいろな運動があるけれども、それまでは型をなぞっていただけだった。本当は特定の筋肉をどれだけ伸ばすかという計算までして運動すべきだったのだ。
筋肉は瞬間的に伸びるだけでなく静的状態でも伸びる。特に関節部分は伸張することを考えてトレーニングすべきだろう。一般的な運動に関する教科書では、収縮力を増すために筋肉を太く強くすることばかり説明する。これでは事柄の反面しか語っていない。かえって美容体操の雑誌などに重要な情報が載っている。正しい動き方を身につけるには、筋肉の伸張と収縮をバランスよく実践することが肝心のようだ。
アメリカに絞首刑がないのは、あるプロレスラーが、絞首刑になっても死なないと公言したからだという。よくある売名行為かと放っていたら、どうも本気らしいとわかってきた。同意の上で実際に吊るしたという。首の筋肉が太く鍛え上げられていたのだろう、彼は死ななかった。そこで死刑には確実に死ぬ方法が新たに採用された。現在の薬物注入だ。法を公正に執行するためには例外は許されないということだ。これは少年雑誌から得た知識なので、中学生の頃知ったと思う。それ以来、首の筋肉を鍛える方法はあるだろうと思っていた。
初代若乃花はうっちゃりの名人だった。今も目に焼き付いている写真があるが、それは松登にのど輪で攻められている場面だ。背骨が弓なりになっている。周りはハラハラしている。実際はそれほど追い詰められていなかった、というのは、背筋が伸びているせいでのど輪が効いていなかった。若乃花は頃合いを見て右か左にうっちゃる余裕があった。脊椎は小さな骨と軟骨が重なってできている。軟骨の力は侮れない。
軟骨を英語では disc と書く。意味は薄い板である。医者の間でも、骨や筋肉については詳しいのに、軟骨は軽視されているような感じがする。解剖図を見ても、軟骨図というのは見たことがない。骨格や筋肉は詳細に説明されるのだが。視野に入っていないためか、知識も少なく大切にしようとする気持ちも起こらない。悪くなれば人工の板をはめ込めばいいと思っている人が多い。

肩(3)

肩(3)           04/28/2008

永平寺に安居したとき、応量器を鼻の高さに捧げてたつ修行があった。重くはないのだが長時間になると辛い。みんな必死で頑張った。指導する方も苦しいのは経験済みだから、精神修養させるつもりである。後になってわかったのだが、この単純な立ち方には途方もない奥深さがあった。
まず応量器そのものが問題だった。応量器は食器なのだが、食は生命の素である。命の素だから仏のお椀で、一番大きいのは頭鉢と呼ぶ。五椀一組が普通で、得度するときに師匠からいただく。これはお経にも書いてある正しい授かりものである。ところで曹洞宗では漆塗りのお椀を応量器という。漆は日本発祥といっても良いくらいで、インドで釈尊は使われなかったはずだ。そこで曹洞宗は仏教か日本教かという問題が出て来る。この問題は徹底的な研究を要しよう。
正しい姿勢については、相撲やバレエを研鑽していれば修行の絶好の機会になったはずだ。肩の力を抜くとか二の腕を返すとか、筋肉ではなくて呼吸で応量器を支えるとか工夫できたのではなかったか。そのころは坐禅以外のことは考える余裕がなかった。知識不足は恐ろしい。
ある澤木老師のお弟子さんであったが、お袈裟の縫い方を教えておられた。経行のとき叉手の姿勢を採ることが話題となった折、「叉手の方が難しいですよ。」と言われた。難しいことをするから修行になるのだし、それが誇りでもあるということだったのだろう。縫い物を専業にしている女性が叉手の姿勢を採ると胸や腕を引っ張り上げる感じになるから難しいかもしれない。バレエを習われていたら全く別の見方を披露されたのではないかとおもう。
澤木老師門下は当たり前のように叉手して経行する。叉手が当然だとして疑わない。それははじめに叉手を教えられたからである。別の型を教えられていたらどうなっていただろうか。叉手はバレエの両腕を前に置く型にほぼ一致する。西でも東でも行われている無理のない姿勢といえる。澤木老師の知識の深さ、修行の確かさを改めて思い知る。師の苦心の成果をただで伝授していただいている。甘露の法雨はありがたい、お礼の言いようがない。
あれから一年、肩が凝る、肩が張るなどは不健康だとはっきりした。肩でバチを打ち下ろすのもすでに間違っている。武術もダンスも肩に力を入れる動きは一つもないようだ。無知から来たことではあるが、肩に力を入れて歯を食いしばった日々が悔やまれる。何のために懸命に努力したのか。
正しい動きでなければおかしな癖を増長するだけ、何もしないほうがよかった。腕も鎖骨も肩甲骨も一つ一つの筋肉も、独立に自由自在に動くのが理想的な身体だった。軽く柔らかい肩を動かしていれば、凝ったり痛くなったりする理由はない。
ある合気道場で坐禅を教えるついでに練習仲間に加えてもらった。まずは子供のクラスだった。練習は相手の手首を握るところから始まる。子供だから柔らかい。そのなかで一人だけ肩で握ってくる子がいた。握るときたなごころから肩まで力が連動している。体が硬いと感じる。逆に言うと掌と肩が分離していない。かつての私と同じ質の筋肉の使い方である。神経回路も似ているのだろう。はっとして名札をみると、10才くらいの日本人の男の子だった。彼も漢字を書いて覚えるのだろう、本を読んで勉強するのだろう。
力が連動すると、腕が棒のようになっているからポキリと折れやすい。肩を支点にするから一点に負荷がかかってケガをしやすい。気になって肩を揉んでやったが、間違った力の回路は他人がマッサージしても言葉で指摘しても正せるものではない。本人が自覚して内側から変革するしかない。一日も早く正しい動き方を発見してもらいたいと願わずにはいられなかった。

肩(2)

 

肩 (2)             04/28/2008

肩が大事だということはわかったが、どのように何をすれば良いかわからなかった。くだんの指圧師に話しても進展はなかった。彼女は指圧の学校で習ったことをビジネスにしているだけのようである。ビジネスならお客は何度も通ってきたほうがよい。お客の自我に触れないように和やかな暖かいムードだけを与えようとしている。個人社会で自我と自我との衝突を避けようとして指圧も変容しているようだ。根本的に癒したい気持ちはない、だから研鑽もしない。根本的解決を求めるなら他に頼らず自ら研究するしかなくなった。
なんとかヒントを得たいと思っていたときバレエの先生に出会った。バレエではルイ14世の頃から身体の動きが研究されている。まっすぐ立って深呼吸する。胸が膨らむ。胸の位置を動かさないで息を吐く。背筋はまっすぐだ。これが上体の姿勢になる。バレエダンサーがすらりとしているのは、道理にかなった正しい姿勢を身につけているからだ。
右腕が曲がっていると言われたのですがと訴えた。先生はすぐに、掌を下にして両腕を水平に左右に伸ばすように言った。それから、肘から先だけを九十度回転させた。手の平は鉛直方向に変わる。「ほらまっすぐになったでしょ。」 笑った。簡単に曲がり具合が矯正できる。いっぺんに肩の重さが取れた。
改めてバレエのビデオを見直してみると、ほとんどの踊りが掌を下にした姿勢でなされている。そうしないと肩が腕に連動して上がり力が入りやすい。何も知らない時はてんでんばらばらに手と腕が舞っているように見えたのだが、実は運動と演出の法則に従って動いていた。掌を上にするのは最後の挨拶くらいだ。
ふだんの生活では必要以上に絡み合った筋肉が邪魔しあったり牽制しあったりしてぎこちなく動いているようだ。筋肉の動く道理を知らないと損するだけでなく怪我をすることもある。股割りなどは間違えると危険な目にあう。
上記のように肘の前と後ろが別々に動くことを分離というそうだ。一般的に筋肉はひとつひとつ独立して運動できる。太ももは四つの筋肉が絡まってできているが、それらを別々に動かす人もいるという。電気刺激を使って訓練するというのだ。太鼓に戻ると、左右の手で自由自在に打つには分離の動きを体得しなければならない。右腕と左腕に別々の信号を送らなければならない。難しい。
分離を徹底的に研究してできたのがジャズダンスである。ジャズダンスでは首や胸や尻が独立に動いている。局所の動きを強調するのが売りになっている。その代表例は「ウエストサイド物語」だ。華麗なダンスの背後に確かな理論的裏付けがあった。ダンスをするのもダンサーになるのもまぐれではできない。ちなみにそのバレエの先生にダンスを教えた人は、映画に不良役で登場していると言っていた。
分離に特化した方向で進化したのがヒップホップで、人体がここまで動くかと驚かされるほどの動きが売りだ。見ている人は予想外の動きに驚くのだが、ひとつひとつの動きの裏には、肉体についての安全で奥深い理解がある。ダンスというよりはスポーツと言ったほうがふさわしい。演技時間も一分以内になる。生命を燃焼させる気分を味わえる。
剣道では上段に振りかぶって面を打つ、一番素直な決め方がある。初心者としては手と腕を一直線に伸ばして打とうとする。竹刀だけでなく腕まで一本の棒になる。肘関節が独自に動く余地はない。大雑把に言えば、私は上段の型をモデルにして筋肉運動をしてきたのだった。分離とは反対の一体感の思想だった。一体だと運動の種類も変化も少ない。運動の多様な要素を考える必要もない。思考も単純になる。坐禅中心の動きの少ない生活だったから自分の運動モデルの弊害は表面化しなかったけれど。

 

 

肩 (1)

肩 (1)      04/28/2008

2007年の元旦は忘れられない日になった。アメリカの大晦日にはどんちゃん騒ぎをして新年を迎える風習がある。郷に従って友人たちと隣町のレストランで飲んだり食ったりした。暖かい夕方だったが、午前二時の閉店になって店を出ると、外はみぞれに変わっていた。道が凍って歩けない。転んで腰を打つ人もいた。坂の上の友人の家まで帰ったが、坂道でスリップしたらどんな事故になるかわからない。みんなその家に泊まることになった。
翌朝は元旦、八時に起きるとまだみぞれである。新年だからであろうが車は一台も走っていない。帰るのは昼まで待ったほうがいいなと思ってお茶を飲んでいると昨夜会った女性が起きてきた。ダンスが上手ですねというとこんなのも知っていますとくるりと回る。ダンスの先生ですかと聞くと実は指圧師だという。思わず「右肩を見ていただけませんか。」と頼んでいた。太鼓が進歩しないのは肩に問題があるらしいと見当がつき始めた頃だったからだ。「昨夜の夕食代誰が払ったのかしら。指圧でお返しするわ。」という展開になった。
右肩だけでいいですよと何度も念を押して横になったのだが、掌のツボから始まって胸、耳の後ろ、首筋となかなか肩までいかない。とうとう一時間半かけて全身マッサージになった。時間を使わせて申し訳ないのと終わった後のなんとも言えない快感で複雑な気持ちになった。肩が軽くて柔らかい。どこへ旅行してもマッサージを頼む人がいるが、気持ち良くなるからだとわかった。それまで指圧をしたことはなかった。
指圧が気持ちいいのはわかったが、こちらは時々指圧に行くほどの時間も金もない。気持ち良さの秘密をできるだけ聞いておかねばならない。その時教えてもらったのは、肩は、腕、首、背中などの筋肉が複雑に集まってできているということだった。肩だけ診てくださいと言われても掌から始めなければならなかったわけだ。「肩の力を抜く。」という言い方もあるが、やってみると難しい。一箇所や二箇所力を抜いたつもりになっても腱や筋肉のもつれをほぐすことができないからだという。
しかし肩の力が抜けている人もいるわけだから、工夫のしどころはあるに違いない。肩を健康に保つ簡単にできる運動はないか尋ねると一つだけ教えてくれた。それは床に座って、首だけを右左に曲げるストレッチだった。力を入れないでまず右に曲げて二十かぞえる。次に左に同じ時間力を入れないで曲げる。3回ずつしたらいいと言われた。
正午に禅堂に帰り、建物に異常がないのを確かめて地下に降りて行った。練習用の太鼓を一発叩く。するとそれまでとまったく違う音がした。音の質が違う。昨日と変わったのは肩が軽く気持ち良くなったこと。肩が柔らかくなっただけで音に劇的な変化が起こった。
肩が重い、肩が張る、肩が凝るなど不快な表現はよく聞く。反対に肩がとっても気持ちいいなどとは聞いたことがない。自分の経験では、明らかな肩痛は坐禅を始めた学生時代にあった。長時間座ると肩だけが痛くなった。しかし坐禅したい一心で坐相を工夫しているうちに痛みは消えてしまった。それ以来特に困ったことはない。だがどんな状態の肩がいいのか自問してみれば答えはない。肩は爽快になれるのか、気持ち良い状態を自分で作り出すことは可能なのか。肩の不快や痛みは病いかあるいは故障なのか。そんな疑問も持たず腕を振り回してきた。
重擔を肩におけるがごとしとは弁道話のフレーズだが、重荷を担いで堪えながら歩む気分できた。天秤棒を担いで土や水を運ぶのは楽ではない。楽でない仕事や使命に堪えて生きるのが大事だと思っていた。短躯だからいくら頑張っても大したことはできないのだが、肩が軽く感じられると物足りなかった。何かを支えて仕事するとやりがいを感じた。
肩といっても細かく見ると右肩ばかりで生きてきた。右の肩が左より大きいのは子供の時からなんであれ効き肩で支えてきたせいだ。漢字を右手で書いて覚えた。毎日100回ドリルをした。手や指で書いていると思い込んでいたが、手紙を書きながら姿勢を見直すと、重心をぐっと右に寄せている。そして指ではなく肩で書きつけているみたいだ。箸を使うのも右手だが、右手は右肩に直結する。書いて、食べて、思考することが右肩を中心になされてきた。
右手、右腕、右肩から脳まで神経の回路が完成していた一方、左側の神経は休眠していたようだ。左右同じように打てなければならない太鼓では致命的な欠陥だ。太鼓に挑戦して初めて自分は身体障害者、というよりも神経障害者だったことに気がついた。左右均等に動くために左手で右手の動きを真似る方法も教えてもらったが、いかんせん、右手が正しく動かなかったら二重に間違うことになる。