自然食と頭痛(1)

    自然食と頭痛 (1)       01/28/2012

  昨年の初夏、昼下がりに隣のボブがリュックサックを背負って現れた。
「しばらく顔を見なかったが元気だったかい。」
「いろいろあったよ。このパンをもらってくれ。こっちの二つは彼女が二日前に買ってくれたのだが食べられないと分かった。別の二つはもっと古い、食べ始めてから頭痛がするのでやめた。悪くなってはいないと思う。冷蔵庫に入れておけば大丈夫だ。」
「全部自然食品だ。俺が買いたいものばかり。目の前で彼女に買ってもらったものなんだろ。」
「その通りなんだが、その時はラベルの不備に気がつかなかった。」
「自然食品は全部信用できると思っていたけどな。信用があるから高い、高いからたくさん買えない。」
「俺はいつもバーゲンセールで買うからいっぱい溜まるんだ。このパスタ類ももらってくれ。」
「半年分くらいあるね。何があったんだ。」
「俺がアルカリ性食品を発見したことは話しただろ。」
「酸性食品は体に良くない。健康を維持しようと思えばアルカリ性食品を摂るべきだという説は二十代の頃聞いたことがある。海藻や小魚、野菜に果物、玄米中心の食事が良いと聞いた。それだけだ。しかし君の場合はアルカリ性食品をリストアップした。緻密な研究心に舌を巻いたよ。」
「世の中酸性食品ばかりだからね。加工食品は全部酸性だ。砂糖もコーヒーもアイスクリームも。ハンバーガー、ホットドッグ、ピザ。おかげで視力は落ちるし疲れやすいしいつも病気していた。ずっと不幸だった。ある日アルカリ性食品の話を聞き、試してみたところ体調がぐんと良くなった。憂鬱や病気は遺伝と思っていたのだが、どうやら誤った食事法によるところが多いと気がついた。それからだね、明るく生活できるようになったのは。」
「現代的な新しい食事法は疑ってみるべきだな。
「いくらアルカリ性食品と言ったって農薬や殺虫剤を振りかければ化学薬品の害が出てくる。アルカリ性でも厳密な自然食品でなければ安全ではない。」
「このパンは自然食品と書いてあるよ。」

「話は少し長くなる。俺がときどき頭痛で寝ていたのは知っているだろ。」
「深刻だったらしいね。頭痛の経験はあまりないので想像するのが難しい。大変だったらしいなとしか言えない。」
「半年ほど前から頭痛がひどくなった。持続期間も長くなって、一週間寝込むことがあった。本も読めず、書き物もできず、もちろん外で働く元気もない。辛いぜ。じっと頭痛が過ぎ去るのを待つしかないんだ。一番困ったのは原因がわからなかったこと。医者に聞いてもわからない。食事はどうですかと聞くから自然食品に飲み水は蒸留水と答えると、そこまで気をつけているのにどうしてなんだろうという顔をする。冷蔵庫が壊れているかなと思ったり、食べ物が古くなったのかなとも考えた。水も信頼できないので蒸留水製造機を買った。お前が持っていたモデルだ。」
「一つ持っていたけど一年で壊れた。当時は高い品物だった。」
「一ヶ月に二回頭痛を起こしたら何もできない。医者は薬をくれるんだがだんだん効かなくなる。すると別の薬に変えてくれるがまた効かなくなる。その繰り返しだった。」
「あんがい、運動するのが解決策じゃないのか。」
「いや一日三回散歩している。」
「散歩といってもお前のは歩幅も狭いしゆっくりすぎる。汗をかくくらい速歩でないと運動とは言わないんだ。」
「いやジョギングや速歩は心臓や膝に負担がかかる。科学的にも体に良くないと証明されている。ヨガはやっているよ。汗をかくのは嫌いなんだ。」
「あいかわらず人の意見には耳をかさないな。」
「ある日図書館でコンピューターを借りて頭痛について調べた。すると五十くらい原因が羅列されていた。」
「頭痛の原因?五十も?科学的に調べられるのかな。」
「科学の最新の成果だね。ここ二十年ほどで解ったことらしい。インターネット上に発表されている。科学は日進月歩で進んでいると実感した。驚いたことに頭痛の原因の一つは自然食品だった。」
「毎日食べているパンやパスタか。」
「そうだ。頭痛が怖いのでもう食べられない。ここに持ってきた理由だ。
というのも小腸が傷つくのが頭痛の直接の原因だった。小腸は管だが、一層の細胞でできている。細胞の外側は血管が張り巡らされている。細胞が濾過器になって消化された栄養分が血管に吸収される。小腸壁の細胞が傷つくと血が小腸内に出るが、同時に小腸内の流動体も完全濾過されないで血管に入り込む。それが頭痛を起こす。
グルテンを知っているだろ。」
「小麦に含まれているタンパク質だろ。カナダ産の小麦はグルテンが多いので良質だと教科書に書いてあった。」
「パンはどうして膨らむと思う。」
「あらためて聞かれれば、考えたことなかったな。グルテンと関係あるのか。」
「パンを焼くと全体が風船のように膨らむ。グルテンがゴムのように伸びるからだ。グルテンがあるから小麦粉のパンが焼ける。ライ麦やオーツにもグルテンがあるからパンになる。蕎麦にもグルテンがある。米や芋にはない。米や芋を使ってパンを焼こうとすると小麦粉を混ぜる必要がある。小麦粉のグルテンを利用している。
ところがグルテンは小腸で消化されない、強固なタンパク質のままだだ。タンパク質はアミノ酸に分解されなければ消化されない。」
「ポロポロとコマ切れになるならパンが膨らまないというわけか。」
「その通り。パンやパスタを食べると硬いグルテンが小腸壁を擦って損傷する。若い時は傷ついても回復力が強いけれど、年取るとなかなか傷が治らない。そこへまたパンを食べるとさらに損傷する。ついに余計な異物が血管に入って神経を刺激し頭痛がする。
グルテンフリーという言葉を知っているか。」
「近頃スーパーで見るね。」
「あれはグルテンの害が解ってきたので、グルテンを使用しない食品だけを並べたコーナーだ。これからはグルテンを含む食品は誰も買わなくなるだろう。」
「この粉はなに?」
「グルテンフリーの粉だと思っていたのだが、ラベルの見方を知らない頃に買ってしまったものだ。粉屋にすれば小麦粉でも米粉でもジャガイモ粉でも連続して粉製品にしていくのが効率的だ。それでジャガイモ粉にも米粉にもグルテンが混じってしまう。そんなのはやっぱり頭痛の原因になる。
グルテンが全く混じらない、米粉専用、ジャガイモ粉専用などのラベルの見方を知る必要があった。そこまで厳密に観察しなければ頭痛から逃れられない。
グルテンなしでパンを焼く方法も工夫されている。卵も伸びるだろ。同じように考えて、グルテンほど効率は良くないけれど、伸びる食品を探してきてミックスしたパン粉が売られている。グルテンフリーで良いのだが、パンを焼き上げるのに四十分以上かかるからガス代がもったいない。」
「マフィンなら二十分で焼けるよ」
「そうか、試してみる。」

不戯論( 7) 善

     不戯論( 7) 善 と 順

  善については古今東西多くのことが考えられ語られてきた。カントをはじめ近代西欧の哲学者やアリストテレスを代表とする古代ギリシャ哲学者たち、また多くの神学者たちも善を論じてきた。しかしああそうかと腑に落ちたためしがない。
  善の説明がなぜピンとこないかというと、善いものを並べ上げただけの説が続くからだ。正義や勇気や慈悲や寛大さなどを善の例としてあげられることが多いが、これら四例だって相互に必然性が見られない。御都合主義に感じられる。
  「善の研究」(西田幾多郎)は日本の歴史のなかで、哲学書で唯一ベストセラーになった。文章は堅苦しく難しいが、内容は体系的に叙述されていてわかりやすい。この一冊で自分が解り、世界が判り、善が分かる構成になっている。哲学に生きる指針を求める人には必読の書だ。
  西田幾多郎は近代日本の思想を樹立したと言われる。学者といえば西欧の文書を翻訳するのが仕事と思われた時代に日本人のあり方を探究した。
  純粋経験や意識現象の語に戸惑いながら読んでいくと、この書は西欧思想を咀嚼してエッセンスをまとめたものだとわかる。デカルトやカントや聖書の影響が見て取れる。通説とは異なって日本思想ではなく近代西欧思想の総括の趣が強い。
  該書を下敷きにして「実在」について論文を書いた。それから五年間、純粋経験や実在や善の語が頭にこびり付いて離れなかった。若輩にとっては、「善の研究」は真理の書に違いないと思い込ませる説得力があった。
  実在は真実の存在という意味だが、どこかに真なるものがあるのではなく意識現象だけが唯一の実在だという。金や名声や肩書きや合格点を求めて四苦八苦する若者には衝撃的な指摘だった。
  実在は個々人の認識能力内の存在だから真理であるとは証明できない。真理を得ることは認識でもダメ、言葉でもダメ。真理なるものはあるか、それは獲得できるのか。この名著にしても、真理ではなく妄想でしかないという議論が出てくる。その問題を解決していないことは知っておくべきだ。
  すべての知識が妄想ということは、知るとは認識の結果だから、解った時はすでに認識のフィルターを通しているということだ。知識はゆれ動く五感を通して外界と接して得られる。したがって絶対確実な知識、真理、実在は存在しない。
  真理とは何かを問題にするとき、釈尊が悟られたという物語はヒントになる。その結果世界に冠たる仏教文明が創出された。四聖諦、八正道が真理そのものではないか。

  善はさっぱり解らなかった。自分の立脚点がわからないでうろうろしていた頃で、大袈裟にいうと生きるか死ぬかの問題に直面していた。善や悪は価値の問題で、食物を得たあとの課題だ。善を考える余裕はなかった。
  それでも読んだ。しかしイメージがわかない。善があるあると言って種類をあげたり例をあげたりしているのだが、素直に受け取れない。不可解な理由は、日本語的と言えばそうだと今ではわかるのだが、善についての説明だけなので輪郭が分からなかったことが大きい。善と悪と対比して語られるとイメージがはっきりしたはずだ。
  古代ペルシャの地ではゾロアスター教が有名だ。ユダヤ教ができる時参考にされた宗教とされているが、善悪二元の教えといわれている。ペルシャは今のイランでアーリア人が居住し印欧語が話されていた。イランはアーリアという意味だ。インドを征服したのはアーリア人で、ヒンドスタン語も印欧語だ。インド人が英語に違和感がないのは両方とも印欧語族だからだ。
  印欧語は英語を勉強するとわかるように、肯定語と否定語のどちらも主語になる。A でもB でも言挙げされると、反対語が反射的に返ってくる。議論、討論に適した言語である。
  印欧語では肯定と否定、善と悪は等価である。ゾロアスター教は印欧語の文法をそのまま表現した教えだということができる。正数と負数は数直線上で等価なように、この世には善も悪もある。小善があり大善がある、小悪があり大悪がある。悪と対比すると善が明確になるところがある。「善の研究」にはなかった視点である。
  キリスト教がペルシャに来ると、ゾロアスター教に影響されて景教になったとされる。景教は東方へ伝わり日本でも知られ、聖徳太子が厩戸皇子と呼ばれるようになったという。このような歴史を研究したことはないが、興味深い話だ。ペルシャを通ると思想宗教が変わるのはなぜか。ムスリムもイランではシーア派になってしまう。
  聖書が語る物語にはよく悪魔が出てくる。有名なのはアダムとイヴの物語で、悪魔が蛇の皮をかぶってイヴに知恵のリンゴを食べるよう誘惑した。神がつくった楽園でなぜ悪魔が活躍できるのか。一神がでてきても善と悪の対立は消すことができない。

  善が理解できなかったもう一つの原因は、善の定義が判らなかったからだ。善を定義できるのか。じつは仏教は善を定義している。仏教学は歴史上燦然と輝く叡智で、二千年前の学僧の成果であるとは想像できない精緻さがある。あらゆる物事が議論され、考究され、定義された。不知を前提とする近代科学思想とは大違いである。
  善 (Kusala) とは三性「善、悪、無記(中性)」の一つ。順を義とす。法に順じ理に順じ自他の順益をなすべき勝用力あるものをいふ。(仏教辞典、宇井伯壽監修)
  善はサンスクリットで Kusala と云う。善について、ふつうは善と悪の二項で考えるが、仏教では善でも悪でもない場合も取り上げる。全体を見渡しすべての可能性を数え上げるのがインド思考の特徴で、善については善とも悪とも決められない場合があり、無記と名付けられた。裁判になっても結論が出ないことがあったりするのが無記が想定される理由だ。仏教学においては善と悪の二元論では片付かず、三性を調べる必要性があった。
  三性の中の善は順を義とす。これが善の定義で、善とは何かという問いに対する答えだ。善とは順の義、生命に順じ、自然に順ずる。人間性に順じ、真実、誠実、晴明、美、正直、勇気、柔和に順じると肯定的に徳目が数え上げられる。
  順の反対は逆で、順境と逆境、順縁と逆縁、順風と逆風、良順と悪逆のように言葉の意味も明らかになる。慈雲尊者は十善戒を著されたが、戒の殺すな盗むなと否定形で戒める表現を、活かせ施せと肯定形で書きなおされた。十善戒は十八空の真逆を行っている。正数が善、順で、負数が空、逆だ。
  法は仏法の法だが、仏の教え、普遍的な法理、法に則った存在物の三種の意味を包含する。存在物は物だから質量つまり力が前提されている。順益は理に適った利益だ。勝は優れる、勝れるの意味で、用は有用で、機能すること、働くこと。善は勝用力あるもの。この定義から見直すと、無記は勝も用も力も欠けるから善でもなく悪でもない。戯言を垂れ流す無責任な評論家が好例だ。
  仏教では世間の善法として五戒、十善が挙げられた。出世間の善法としては三学六度が列挙される。それぞれ研究されるだけでなく実践されてきている。近くのお寺を訪ねれば聞法できる。善という価値が知識として確立されると実践躬行する人も出てくるし、個人、家族、社会全体が安定する。

  現今、世界を見渡すと、文化や伝統の破壊行為が激しくなる一方に見える。フランス革命以来というか大航海時代以来というか、サヨク破壊思想の勢いが続いている。善悪の基準が現実社会で崩れてきた。革命、犯罪、暴虐、嘘、欺瞞、断絶などの言葉が氾濫している。そのせいか善について語られることは少なくなった。

真理とは何か

      真理とは何か          11/22/2020

  禅が解るためには仏教とは何かを理解する必要がある。三法印の第一、諸行無常は世界観としても矛盾のない理論で、仏教は無常だと説明するのが常であった。何の疑問もなく四十年近く無常を説いた。
  十年ほど前左肩に激痛を覚え、半年間七転八倒した。重症の五十肩だったが、朝目が覚めるのが怖かった。辛い一日が始まる、痛みが去らない。痛は無常しないのか。
  手元の文献を調べ直して、無常には刹那無常だけでなく一期無常があることを知った。痛の一期、薪の一期、生の一期、春の一期、縄文文明の一期など、世界は一期の共存共栄でできている。無常で死ぬまでの間、われわれはそれぞれの一期を生きる。
  仏説は一期の生が生老病死だと教える。生老病死はわれわれの生々しい現実だ。切れば血を吹く生老病死と言葉だけの諸行無常との違いは明らかだ。無常は実人生と関係ないイデオロギーだった。
  直近の二年間は病院通いが増え老病死を実感する。完全な健康回復は望めず、少病少悩ならもうけもの。同じように坐禅の意味、法の意味も変わってきた。正法眼蔵が読めるようになった。葛飾北斎翁は七十才過ぎて生きた猫が描けるようになったと喝破されたが、年の功はあるかもしれない。
  無常は普遍妥当性を備えた概念だが、小学生でも理解できる。そんなやさしい言葉が仏の出現を待って得られたとは考えにくい。釈尊以前のインド人は数千年間、真理を求めて得られなかったと仏典は語る。真理を求めるとは三毒の一つ貪欲の発揚である。毒心が真理を得るのは自己矛盾する。
  釈尊とそれ以前の求道者との違いは何か。釈尊は真理を求めたのではなく人生苦からの解脱を問題にされた。解脱が成就されたとき、副次的に真理が見えてきたのではないか。四門出遊の故事は、参学の動機が貪欲ではなかったことを示している。

 

 では若い頃心躍らせて勉強した華麗な大乗仏教の思想、唯識や如來蔵、法華経、華厳経、般若経などは何だったのか。
池田 永晋

糖病記(9)

        糖病記(9)

  令和二年十月十六日、YouTube に坐骨神経痛の治し方が配信されているのを見つけた。五、六人の整体師が発信元で、二十通り以上のポーズが示されていた。一つの症例に多様な解釈とそれぞれの治療法がある。みんな努力している、大変だなと感心しながら見た。
  坐骨神経痛は痛い、座れなくなる。炎症部分が背中の下部、尻、太腿の裏で、ふだんは見ることもないし手で触ることもない箇所ばかりだ。突然痛み出したら恐怖に襲われる。治し方が分からない。治らないかもしれない不安がある。
  神経が解りにくいのは、幹細胞が八十年代に発見されるまで、最新医学界でも神経細胞は再生されないと信じられていたことも大きい。脳細胞は生後数年で成長が止まると言われていた。神経の毀損は神経の死を意味した。じつは血液が流れないから修復が極端に遅いということらしい。リンパ液には触れるから干からびることはない。
  神経は軸索で保護されていて筋肉並みに強くしなやかだ。一本の管だから、切断されない限りは、引っ張りすぎか圧迫が苦痛の原因になる。そこで神経痛の治し方は張りや圧迫を緩めるのが基本になる。
  一方法として、寝転がって、片足を胸に引っ張り上げ、尻をゴロゴロと動かす運動があった。力を入れないで、緩めるのが目的だからという注意点が面白かった。簡単だから動画を見ながら二十回ばかりゴロゴロ揺すった。
  翌朝起きると背が高くなった気がする。尻が前にでた感じで姿勢が微妙に変化している。昨日と同じ姿勢でゴロゴロ寝転がってみると、痛かった部位の面積が小さくなっていた。歩くと体が軽い。鍛えたわけではないのに下半身に力が行き渡った気がした。尻の力ってあるんだ、鍛える代わりにゆるゆるにすることで発揮される力が。
  老人には背中が前傾し曲がった人が多い。自分でも前傾すると気持ちよく感じることが多かった。これが老いかもしれないと観念していた。尻がゆるくマッサージされ正常な位置に戻ってくると、前傾姿勢が不自然になった。生活習慣病を老化と誤解していたらしい。老境になっても人生の奥は深い。
  坐骨神経痛は完全に治ったわけではないが、症状が悪化したとき尻を緩める方法があることを知った。ある程度コントロールできる。一年近く大騒ぎしたが、一難は乗り越えることができた。それまでも日常生活に差し障りはなかったけれど、これからは坐禅にも取り組むことができる。
  
  令和二年 (2020) 三月、全米にコロナウイルスが蔓延し人々はパニックに陥った。老人の死亡が多いことは早く分かったが、不可解なことが多く若者もマスクをするようになった。図書館もレストランも営業停止になった。歯科医だけでなく病院まで閉鎖になった。患者は電話のやり取りだけ、来るなという。救急事態には病院でなく警察に電話しろと指示があった。
  四月一日に血液検査の予定が組まれていたのだが、電話しても返答がない。文字通り医者に見放された。検査されるのは嫌だが万が一のことが起こったらどうなるのだろうかと不安が募った。
  七月からは部分的に営業再開が始まった。人々もコロナ大流行下での生活に慣れてきた。大統領選挙運動も活発になった。歯医者も診療所も徐々に再開し、血液検査への催促メールが来るようになった。
  ところでこちらは、診療所が勝手に閉鎖したおかげで、検査なしでも医者なしでも健康な生活が送れることを知ってしまった。唯一の不安材料は老化だが、若い医者には想像もできないことだ。検査しても言われることは血圧、血糖値、コレステロールと決まっている。倒れるか新たな苦痛が起きるまでは病院には行かないことにした。

  整体師たちの動画に戻ると、治療法は膝の痛みから足裏まであって面白いのだが全部見切れない。時間が足りない。問題が起きたら見せてもらう。
  膝下と足裏のマッサージについて、脹脛や足首の部位には血流を押し上げる機能があると説明された。足は体の最下部だから血が停滞しやすい、したがって血瘤ができやすいという。足にできた血瘤が押し上げられて脳に達し脳梗塞を起こす可能性が高い。脳梗塞の予防には足裏のマッサージが効く。えっ!?
  脳梗塞は脳内血管が詰まって起こる。その仕組みを図解した絵はもらっている、脳内血管が破れる概念図だ。見るからに怖い。しかし血瘤がどこで出来るか明快な説明はなかった。足裏で出来るのは本当か?
  近年、三月末にめまいを起こしたことが二、三回ある。頭がフラーっとして気持ちが悪い。めまいは治るのだが気分の悪さは1週間ほど続いた。脳梗塞へ至る症状だった気がする。
  この地の冬は寒く長い。部屋に篭りがちになり運動不足になる。その頃は運動の重要性を知らず雪かきは無駄な労働と思っていた。 冬籠の間に足裏に血瘤ができていたと考えればめまいになった辻褄が合う。予防法はとにかく動き回ることだ。
  左足を切った時左足首の血の流れを測定してもらったのだが異常なかった。どっくんどっくんと音が聞こえた。右足首も測定しておくべきだった。

  平成三十年(2018)九月九日に脳梗塞発症、前期糖尿病と診断される。令和元年(2019)六月四日、チェーンソーで左足を切った。軽傷だが完治に四ヶ月かかった。同年十一月二十六日、坐骨神経痛発症。直接の原因は膝まで届く強い靴下だった。
  二年間で真新しい病気や事故が続き、絶望感に襲われた。老病死というが、一気に死に向かって坂道を転がり落ちる感じだった。医者に頼りたくもなる。
  コロナ禍で診療所閉鎖になったのは神風のようなものだったか。真っ先に医者が逃げ出すとは思いもよらなかった。こんな事態は百年に一度の出来事だろう。薬がない、相談する相手がいない中で、最後は自分力だけ、自然力だけが頼りだと気づかせてくれた。
  医者の知識も頼りになるかどうか。血を薄めるとてアスピリンを勧められるのだが、血瘤が少なければ脳梗塞になる確率は低いだろう。長期服用に副作用はないのだろうか。足のマッサージの方が大事だったりする。
  足のマッサージなら歩いたり走ったり、こまごまと動き回ったりする方が効果的だ。健康であるためには、動け、働け、汗を流せということだ。そんなことを言う医者に遇ったためしがない。認識を新たにさせてくれたコロナ騒動に感謝する。
  歳をとっても老病死は一直線に進行するものではないようだ。治療法がどんな痛みにも病気にも試みられている。時間が治すこともあろう。一進一退しながら最後に死に至る。生きている間は安心して動き、働き、人生を楽しむことが決定の説だ。

不戯論( 6)

不戯論( 6)  空

日本人が一番よく読むお経は般若心経だ。一番短く、大部な大品般若経の真髄をまとめたものとされている。心経の心は肝心の心で、仏教を知りたい人は般若心経を研究することから始めるのが常道だ。
般若心経には空という言葉が多出し、色即是空、空即是色は落語でも演られる有名な熟語だ。色(シキ)は目に見え触れるあらゆる存在者のこと。空(クウ)は一切否定の概念、存在及びすべてを否定し、否定も否定する、それを空と名付ける。小乗仏教では諸行無常というが、無常も無常しなければ論理が徹底しない。空は無常が無常することでもある。
空はサンスクリットでは Sunyata で、スニャータと発音される。原義は数学で使うゼロだ。ゼロがくう(空)だ。すべて常住が無く無常住もないのが般若経の基で、般若経は大乗仏教の源だから空は大乗仏教の根幹だ。
妙法蓮華経、華厳経、涅槃経、無量寿経など華麗な大乗経典はみんな般若経にある空の概念に依拠して書かれた。いわゆる学問仏教と呼ばれる教派以外は、日本の仏教は禅や浄土教などみな大乗仏教である。空がいかに重要か分かるだろう。

空について手ほどきを受けたのは「般若心経講義」( 高神覚昇)で大学一年生だった。般若心経なるお経があることもそのとき知った。日本の教育って何なんだろうか。重要なお経の名前を知らさず歴代天皇の名前も教えない。歌って踊って英語は外国はと外に目を向けさせるばかりのようだ。人生を全うするための基礎知識は学校教育の外に自分自身で獲得するしかない。
空は分からなかった。色、一切のものは空だというのは、物には自性がなくすべて因縁性だと説明された。この世にあるものはすべて因縁和合の産物で、因縁が離散すると物が崩壊する。生と死に当てはまる。この程度は理解できるし教えることも可能だ。しかしいつまでたっても理屈を組み立ててから空を説明する不自然さが残る。
空即是色はどうなる?無自性だから物があるって?仏教徒はそう信じてもいいけどさということにならないか。しかも色不異空、空不異色とも書かれてある。空は絶対否定だ。絶対否定が絶対肯定に異ならないという。これってあり得るだろうか。お経は真実を説くもののはずだが、色と空の二つが同じといかに証明できるのか。

空は一切否定だからすべてが空ずる、空のほかには何も無いはずだ。理解するのは難しいが、すべてが空で無自性と決まってしまえば問題はない。空が結論で矛盾は起きないはずだ。
ところが大乗仏教には十八空が語られる。一切空の一つが解らず四苦八苦しているところへ、十八種の空が大品般若経で説明される。内空、外空、大空、第一義空、畢竟空、無始空、諸法空、不可得空、無法有法空など十八項目ある。邪見が多いからすべての邪見を破すために一つ一つ対応するうちに十八あげられたという。
十八空は十八種の空があるのではなく、空に対する偏見が十八種あるので一々の偏見を正すための薬として提出された。空があることを前提とした上で、十八の形容詞が付加された。十八空を論ずるとき、空の存在を前提としている。空はすでに理解されている。絶対否定はある。空はある。
空、絶対否定は思考の産物で見たり触ったりできない。それは言葉で表現される。言葉には論理がある。一言でも正か偽か、美か醜か、上か下か、いずれでもないかどちらでもあるかなどと検討され得る。論理が問題になる。

アメリカでは私は健康だ、私は二十歳であるのような日常語の肯定文が基本で、中学校の英語力で会話ができる。抽象語、業界語、流行語を使うとおもしろいが基本は同じだ。I am a boy. This sofa is not comfortable. When it rains, it pours.
英語表現を華麗にする技巧の一つに否定語を使うことが挙げられる。 He is not smart but wise. No picture is more expensive than the Van Gough. Nothing glitters like a diamond does.
最後の例文を Diamonds are forever. と比べてもらいたい。否定語を使うほうがよりキラキラと宝石が輝く様が目に浮かぶだろう。否定語が主語にくる構文は英語では普通で、日常生活のなかのありふれた話し言葉だ。
日本語に訳すと、ゴッホより高価な絵はありません、ダイアモンドのようにキラキラ輝くものはありません、のようになる。日本語は述語で否定する。否定語が主語になるケースは日本語ではほとんどない。
英語は主語でも述語でも否定できる。否定語の使用頻度が日本語より二倍多い。詩でも小噺でも小説でも否定語が主語としてふんだんに使用される。仏教が使う言葉はサンスクリットである。印欧語族と言われる。英語も印欧語に属する。
述語とは何か。主語を説明するもの、主語に追随するものだ。主語は主人で責任主体のもと、述語は従者だ。従者から見ると主人がいるから自分がある。文章は主語と述語からなるから、文章が出来たときすでに主人の存在は前提されている、在ったものとされている。
日本語は肯定語しか主語になれないが、サンスクリットや印欧語では肯定語も否定語も主語になる。絶対否定の空も主語になる。主語になった瞬間、空は在る。空は説明される側、論理が始まる前の主体だから当然在る、存在する。空は文法の問題だった。

ゼロの発見はインドでなされたと言われる。ゼロは正数と負数との中心だ。数直線の中心が決まれば左右は正数と負数に分かれる。古代インドの数学は正数と負数を自在に扱う論理を持っていた。印欧語の肯定語と否定語は数学の正数と負数に当たる。
空、 Sunyata は人類史上燦然と輝く大乗仏教の基本原理だ。大乗仏教はゼロを中心に正数と負数を自在に扱える印欧語の能力を最大限発現した大思想だ。大乗経典を読めば壮大な思想に驚嘆するだろう。大乗思想はサンスクリット文法の成果だった。
日本語はゼロを発見しなかった。その理由のひとつは否定語が主語になれなかったからだろう。肯定語の正数だけではゼロの一点が決まらない。無自性の空も主語にならなかった。主語にならなければ説明できない、理解することは難しい。
空についての論文や研究書は無数にあるのだが、説明が続くだけで判った気にならない。それは日本語文法で理解しようとしたからだ。空について読み、検討するだけで終わり、空を創造力として体現具現することは想像できなかった。

主語になるということは、言葉が実体化されるということでもある。述語は主語を説明するのだが、なぜ説明できるかというと実体、実態があるからだ。実体が無ければ説明できない。肯定語の海や山は問題ないが、主語になれば無も、絶対否定語の空も実体として受け入れられ説明される側になる。空は文章のトリックの上に成立する。
無いものを在ると見做すことを実体化と言う。正数は並べたリンゴの数に対応するので実体化する必要はない。ゼロは無い数だから実体化して使用する。そのためゼロの割り算はできないような約束事が必要だ。空は絶対否定だから絶対に無い。ところが空が主語になると在るものと見做して文章にする。では空は在るのか無いのか。
肯定語だけが主語になる日本語では事実、真実が主語となり実体となる。事実、真実は実体として在るから否定語の実体視は不自然として主語から除外された。在るものが在る、事実、真実と言葉が一致すれば良い。
サンスクリットで絶対否定を在ると実体化した空を理解する方法を、日本語話者は知らない。仏教徒は今も空と格闘している。色即是空はいかに理解され得るか。解ったとしても実体視された言葉、虚構、イデオロギーの説明に終わるのではないか。このような文章の特質、文法の差異を見抜かれたのだろうか、道元禅師は、色是色、空即空と言われた。色はそのまま色であり、空は実体覗された空であると。

不戯論( 5)

不戯論( 5)  三法印と四法印

仏教とは何かと説明する際には三法印を挙げることが多かった。三法印は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静で、辞書にも解説書にも掲げられている。三つの標語だから三法印で、三法印は仏教の根本義を端的に表し、仏教を学ぶ出発点だ。
仏教には三に関した術語が多い。三帰、三阿僧祇劫、三有、三界、三学、三観、三句、三衣、三三昧、三時、三心、三身、三拝、三宝、三無間業など。三が特別な数に見えてくる。三角形はもっとも安定しかつ強固な図形である。確乎たる教えがあるはず。

日本人なら諸行無常の語を知らない人はいないだろう。平家物語は「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色盛者必衰の理りを表す」から始まり、琵琶法師によって日本中に伝えられた。平家滅亡の物語と諸行無常の言葉は日本人の心に沁み渡った。巷間無常が死を意味するまでになったのは平家物語の影響によるところが大きい。以後多くの文章が書かれたが、滅亡に対する哀切の情を基本にしている。
鴨長明の方丈記、「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と棲み家と、またかくの如し。」の言葉を暗誦している人は多いだろう。庶民だけでなく僧侶の中でも、方丈記をモデルにして諸行無常を解釈する人は多い。
諸行はもろもろの存在物、無常は常住で無いこと。存在物が変わることなく在るのが常住で、説一切有部では「三世実有、法体恒有」と言われた。仏教は無常だとばかり思っている人が多いので、無常ではない教説があったことを記しておく。根拠がある説なので、研究すれば面白い。
現代の宇宙論でも変化運動ばかりが語られるが、恒常宇宙論も研究されている。ビッグバンから宇宙が拡大し続けるモデルでは終わりがない。個人的には恒常宇宙論が正しいのではないかと思っている。

「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる身なれば、」は蓮如上人のお言葉のようであるが、今ではカレンダーに刷られている。諸行無常を表した代表的な句だ。禅語では「生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎勿放逸」の偈がよく知られている。お寺の版木に書されていることが多い。かくて無常の概念は日本列島を覆った。
しかし精査してみると無常も簡単ではない。たとえば野球やバレーボールに打ち込んでいる十代の青年に、「朝には紅顔ありて夕べには白骨となる、」と言ったらどうなるか。余計なことを言うなと反発されるだろう。精根傾けて練習しているのだから足を引っ張るな、うざいと思われるのが普通だ。
真面目に正面から無常の精神と原則を生きようとしたらどうなるか。すべてが変化するならば大地も動くはず、地震の時の不安感が毎日襲う生活ができるか。安心は何か不変恒常なものを信頼できるから得られると分かる。母の変わらぬ愛、父の会社の終身雇用制は根本的に重要だ。恒心は恒産によるという言葉もある
無常は原則も精神も変化する。最後は無常の大原則も変化する。それが空や無になるのだが、そこまでいかなくとも頼れるものが何もない。では何もないからしっかりした実績を作ろうと心がけるとする。経済的成功や政治的主張を広めようと志す場合でも、諸行は無常なのだ。計画を立てるのは何か恒常なるものが裏付けになければならないが、すべては無常だから計画も樹てられない。明日の予定が決められなければ日常生活もままならない。無常は常住の否定だが、ついには日常生活まで否定する。
諸行無常は仏教の根本原則を表すと言うが、日常生活を送れないような教説が仏教なのだろうか。仏教はお釈迦様の教えだが、お釈迦様は本当に諸行無常だとお教えになられたのだろうか。じつは仏説ではないかもしれない。
さらに古代ギリシャ思想の中には万物流転の思想もある。すべての物は変遷して止まることがないと言う思想だ。諸行無常とどこが違うか。ギリシャ人が考えたことをお釈迦様が私も同じ考えですと言ったのか。無常だけでは解決することは何もない。
お釈迦様が悟られた直後の事例を記録したお経がある。仏になられたと知って人々の訪問が絶えない。そこで話されるのは個人的な悩み事の相談だった。様々な苦悩、苦痛が訴えられる。人生相談の記録が元々のお経だった。あれっ、無常は仏説ではなかったのか。

四法印は三法印に一切皆苦を付加した。三法印ほどではないが、正式に仏教説とされる。三と四との違いではなく言葉の質の違いについて違和感を覚えた。洗練された抽象的な三語に比べて、一切皆苦は各人の苦悩苦痛の話だ。
もし一切皆苦を挿入するのなら釈尊が出家された問題意識として最初に来るべきであろう。涅槃寂静は釈尊にしか到達できない悟りだ。そこまで示していながら庶民の誰もが苛まれる苦に引き戻すのは奇異だ。
諸行無常については、これが仏教だという決論は出てこない。決め所がないのが仏教かと思ってしまう。専門的には決定の説というが、三法印では明確な結論は出ない。
諸法無我にしても理解するには高度に抽象的な思考が要求される。我は個人的な俺のことかそれともいわゆる実体のことか。学僧によって種々の見解が提出された。法もまた存在者であったり存在だったりとはっきりしない。
辞書や世間で広がっている印象とは裏腹に、三法印は仏教の決定の説ではないようである。無常は時間だし無我は物質のあり方に関係する。涅槃は釈尊の心が分からぬ限り深い理解はできようがない。不明瞭なことばかりだ。
一切皆苦は誰もが経験する具体的な事実を表した概念だ。高尚にして抽象的な言葉の間ではあまりにも現実的で泥臭さい。人はみな肉体的精神的な苦を生きている。現実は否定できない。一切皆苦だけが四法印の中で決定の説ということができる。仏教の出発点と根本問題は一切皆苦というべきであろう。

釈尊は人が苦しむ世を見て苦を克服することはできないかとさまざまに功夫参究された。六年の修行の結果悟られた。それで涅槃寂静を得られた。その結果と経緯
を語られたのが経典に編纂された。諸行無常や諸法無我は後から付加された。
日本人は無常という語に千年以上洗脳されてきた。正確に言葉を吟味すれば何かがおかしいと分かるのだが、僧侶から文学者、歴史家や思想家までが無常、無常、無常と唱和するので異論を語る勇者が出なかった。変わり者として無視され、あなたの賛同者は少ないでしょと口撃された。
仏教伝来の初めから一般常識になっている諸行無常もじつは戯れ言ではないかと考究する知性は持ち合わせるべきだ。四法印の中での戯れ言と不戯論の違いは曖昧な抽象語と具体的な一切皆苦の線引きだ。
われわれは洗脳と誤解の中で生きてきた。「閉ざされた言語空間」は第二次大戦後の占領政策による洗脳を暴露した。洗脳の影響は今なお続いている。外来思想にねじ曲げられる不快は十分経験した。
千五百年前の仏教伝来は外来語で書かれた外来宗教の経典を通してなされた。文字と教説の衝撃はまだ続いているのかもしれない。日本文明は仏教をまだ消化、同化していない。道元禅師は不戯論の原則を確立して正しい教えを示されたが、常識が禅師の教えを曖昧にしてきた。
ちなみに「常 楽 我 浄」という言葉がある。四法印のように仏教の真髄を表したものとされている。それは大乗仏教の本質だ。
諸行無常は小乗仏教の理念を表している。聖徳太子は大和の国は大乗相応の地と言われたという。無常が流行るのは太子のお志にももとるのではないか。

なでしこジャパン(2)

なでしこジャパン(2)

東日本大震災では現場の生々しい映像が世界中に配信された。写真や動画を撮れる携帯電話のおかげだった。テレビやラジオは電気が止まると役に立たない。ガソリンも電気がなければ注入できない。混乱状態の中でバッテリーさえあれば活躍できる携帯電話の有用性が周知された。大震災は新しい情報社会の到来を促進した。
以前に書いたが、浜辺に打ち上げられた小型金庫の写真をめぐる千人以上の書き込みに出会った。次から次へとなされる書き込みに驚きながらアメリカ人のユーモアと積極性を見た。新聞を読みテレビを見るだけの環境は変わっているようだった。
ネットの要約記事を見てタイトルや写真をクリックすることに慣れた。産経新聞にニュースのまとめサイトがあり、サンケイニュースを読むようになった。
記事の画面に広告のような別のサイトのアドレスがあった。それらをクリックするとサンケイとは関係ない個人やグループが出てくる。ブログという名を知った。ブログを梯子する日が続いた。
あるブログは論評するたびに団塊世代が諸悪の根源と決め付けていた。団塊世代から見れば気持ちよくないが、指摘の九割には納得した。保守親父のブログもあった。会社経営しながら毎日のように記事を上げている。投稿者とのやりとりが面白かった。

いつだったか思い出せないが、皇室に関する問題を扱っているブログを見つけた。一つや二つではなく、常時二十を越えるブログ群があるようだった。ブログ間で非難しあったり応援しあったりしている。別世界があった。
皇室は殿上人の世界だと思っていたし、歴史的にも政治的にも手が届くところの話ではないので関心は薄かった。今上天皇が第百二十五代で女系天皇は概念としても実在しないくらいの知識で停滞していた。皇室問題を語り合うって可能なのか、不敬に当たらないか。正確な情報は得られるのか。
そしてある女性のブログに目が止まった。閲覧者が多くランキング上位に入っていた。毎日のように記事が更新されるのだが、一記事に対して平均二十件以上の書き込みがあった。時には百件以上のコメントが集中するといえばどれほどの人気ブログであるか想像がつくだろう。毎日二万人以上のアクセスがあるとブログ主が書いている。
現ブログには五年以上の過去記事があった。最初に立ち上げたブログは十年以上前だからベテランだ。記事だけでなくコメントの質が高い。上品な日本語が行き交い、知らない情報が満載だった。日替わりの最新記事を読んだ後、過去記事を遡って漁る日々が続いた。すべての過去記事を読了するのに一ヶ月かかった。それから二年ほどは更新を追いかけ、皇室の現状、過去未来について勉強した。
皇居の奥に鎮座ましますすめらみことの観念だけでは、天皇と自分との繋がりや国家国民との関係が実感できない。日本の中心は天皇だが、日本とは何か、中心とは何か、天皇の人格や思想は問題にならないのかなど多くの視点があることを知った。個人ブログを読むことによって天皇と天皇がいます国が身近になった。
ブログ主は異見を受け入れ論争を奨励する姿勢で、参加者が大いに議論して確実な知識を得るのを助ける方針だと明らかにしていた。だからコメントは歓迎なのだ。愛国心と世界観と知識と文章力に自信がある証拠だ。
投稿する人々もまた、篤い愛国心を持つと同時に文章の達人である方々が多かった。出版すれば論文集や資料集として立派に通用する。自らのブログを持っている方も多かった。
文章力で敵わないと思ったことは多々あるが、わかりやすい例を示す。感興が湧いたのでと断って、和歌を投稿する方がおられた。すると、では私もといって返歌というか、関連する和歌が書き込まれる。別の人がまた和歌と感想を披露するというリズムで投稿が続くことがある。和歌とともに見事なやりとりを堪能させてもらった。和歌を詠む知識と文才と感性はどうしたら得られるのか。
天皇位は万世一系、男系男子で継承されてきた。だから男性のブログが天皇擁護の論陣を張るのは当たり前だ。表面的なロジックではそれで終わり。しかしそれでは男尊女卑思想とか攻撃されやすい。女性が男系男子を擁護するなら鉄壁の守護神だ。
男系天皇の下に国民として男と女がいる。ひとりひとり独特の人生がある。それぞれ異なる見方を持ち能力経験が違う。男女間の自己主張や権利闘争など天皇の下では意味がない。男女協力して伝統的天皇位を支えるのが理想的だ。
ブログ群を見わたすと、天皇守護の志操はこの女性ブログが格段に強いように思われた。記事も書き込みも簡潔華麗な文章で、情報の多彩さ正確さは頭を抜いていた。男性投稿者も参加していた。教養の深い日本人が静かに誠実に関心を寄せ守護しているから天皇位は続いてきた。

女性宮家推進者や、女性女系天皇推しの政治家や有名人は少なくない。彼らは近代思想のつもりで男女平等や英王室を見習えなどを理由に挙げる。側室が居なければ男系は絶えるとか皇族の減少とか持ち出す。国民を混乱させる目的で大口を叩く。
このような為にする偽情報は Misinformation というが、皇族の減少はアメリカ占領軍の政策が根本原因だったことを言わない。さらに神武天皇の血を継いでおられる天皇位を継承される資格のある方は、現在でも百二十名以上おられることに触れない。まず正しい情報を知ることが肝要だ。
女性が筆鋒鋭く女性宮家推進者や女系天皇賛成者を攻撃論破するのを見るのは痛快だった。深く戦後教育に侵されているはずなのに、西欧文明発の男女同権思想や階級闘争史観によるフェミニズムは超えられていた。戦後の偏向教育は賢い大和撫子によって乗り越えられている。大学の教授たちや文科省の役人たちの方が古臭く狂っている。
しかしながら、投稿者の多くは戦後教育から出発しているらしい。どういうことかというと、たとえば、テレビや映画はすべて戦後に作られたと思い込んでいるようだ。重要な情報の一つとして映画があるが、ブログでは戦前の映画にまで遡って議論されたことはなかった。
原節子の「青い山脈」は戦後作られた。女学校が舞台で、新任の原節子と古参の先生との見方の違いがテーマだ。自由恋愛は賛美、伝統的価値観は陋習とされる。ところが問題を深く見つめるのではなく主人公の医者が襲われる。暴力が政治と社会の一要素になった。戦後、暴力は映画の必要条件だと刷り込まれた。
戦前作の、田中きぬよ主演の「愛染かつら」も恋愛物語だが、女性看護婦たちが大活躍する。登場人物が伸び伸びと飛び跳ねるあいだ、陰謀策謀、暴力沙汰めいた場面はない。信頼と明るさと清純さと透明さは戦前日本に充ち満ちていた。誰が暴力を持ち込んだのか。梅棹忠夫「文明の生態史観」に暴力が歴史を変えるとあったような。
戦後教育から出発するということは、アメリカ占領政策で変わった日本精神と感覚から物事を判断するということだ。洗脳された戦後教育を克服し、自分がよって立つ精神的美的基盤を疑うことは難しい。
古事記は神武王朝を支える文書でもあり、現天皇も古事記の権威によって即位された。神話的には天照大神の子孫が天皇だ。今では遺伝学からみて、天皇はすべて同じY染色体を継承しておられると認識されている。
歴史的には、日本民族は古事記編纂以前から存続し、細石器文明、縄文文明を創った。文字で記録されなかった日本文明は、確認されているだけで三万年以上続く。縄文文明をどう捉えるか、文字による理解はどこまで信頼できるか。古事記に書ききれなかった真実が日本文明には蔵されてあるのではないか。

ブログを無料で読んで天皇と皇室について勉強させてもらった。授業料なしで知識を得るのは窃盗に当たるかも。何か恩返しはできないか。自分もコメントすれば貢献できるのではないか。一行でも二万人の目に晒されるのだが。

なでしこジャパン

なでしこジャパン      12・20・2011

七月十六日、ジムで走っているとテレビ放送が流れていた。女性レポーターがマイクを持って話す。「明日はフランクフルトで、女子サッカー世界選手権の決勝戦があります。アメリカチームはこれまで奇跡的な逆転の連続で勝ち上がってきました。選手たちは万全の態勢で最後の試合に臨みます。世界チャンピオンまであと一日です。相手は日本です。」続けて、「日本とは過去25戦して負けたことがありません。」とにっこり微笑んだ。
女子がサッカー?、世界選手権?そして決勝戦で戦う?なんて考えたことなかったのでびっくりした。それにしても相手がアメリカではもうダメだろうと、レポーターの余裕に同調した。
翌日参禅者が引き上げてからヤフーニュースを開いた。なでしこジャパン逆転優勝の見出しが飛び込んできた。三月十一日の東日本大震災以降暗いニュースが続いたなかで爽やかなホームランだった。
ヤフーの記事は短文で客観的だった。前日の入れあげ様に比べると期待を裏切られた。負けたから微に入り細にわたって書く気にならなかったのだろう。読者だって負け組について色々読みたくない。それよりも日本チーム称賛の論調に驚いた。判官贔屓がアメリカにもあった。大地震、大津波で打ちひしがれているかわいそうな日本人よ頑張れという気分が漲っていた。
動画もあったが、映画の一部分を短く切り取っただけに見えた。詳しいことはわからない。今から振り返れば、ユーチューブが普通になる前だった。技術的にも映像的にも未熟であって不思議はない。十年後の洗練された動画の方が瞬間のテクニックや現場の雰囲気をよく伝えている。
スポーツ誌は特集を組んだ。もっとも起こりそうでなかった勝利と書かれていた。体格の差がある、競技人口がまるで違う。なでしことヤンキー娘ではスポーツに対する態度が根本的に異なる。前日まで女子サッカーの世界大会を知らなかった日本人は自分を含めて大勢いただろう。前評判が低いチームだったが、決定的瞬間に勝利を手にした快挙は手放しで素晴らしいと結ばれていた。
勝利を決定的にした数枚の写真があった。二転三転の攻防だったので名場面が多い。その中で、勝利確定直後に中央に駆け寄ろうとする五人の選手の写真が印象的だった。駆け出そうとする姿勢は、全員が虎が走り出そうとするような気迫に満ちていた。上半身の傾き具合と一歩踏み出そうとする脚の角度が、身をもって走り込んだ厳しい練習を表していた。
七月末の通信で次の様に書いた。「女子サッカー世界選手権大会でなでしこジャパンが優勝した。これは伝統の勝利であり、神話の再創造である。日本には国難が迫ると女性が立ち上がって困難を乗り越える伝統がある。今回の国難は千年に一度と言われる東日本大震災だ。大津波と福島原発の爆発もあった。暗い現実と不快なニュースだけが続いた。日本中が欣喜する初めての朗報は女性チームによってもたらされた。神話は千三百年前に書かれた。そこでは天照大御神が国母とされている。かくのごときドラマをわが目でみようとは夢にも思わなかった。」

日本最大の国難は第二次世界大戦と戦後処理だった。国を挙げての大事件、大変革が続いたので何が問題か分かり辛い。情報隠蔽もあるし偏向報道も酷かった。自国や自国民や歴史のつながりをどう考えるか混乱が続いている。平和ボケ、お花畑にもなりたくなる。「アメリカと戦争したの?」という、原型はアメリカ発のジョークで笑ってごまかす。困難事の片鱗すら記憶にない人が多くなった。
昭和二十七年の夏だった。暑い昼下がり、近所の大人が集まって話をしていた。情報交換の場だ。広島に新型爆弾が落ちたそうだという声が聞こえた。それから新型、爆弾、広島はずっと意識の底に残った。当時はビーニジュークが来た!と叫んでかくれんぼしていた。B29爆撃機のことだった。戦争の名残が所々で見られた頃だった。何人か傷痍軍人も居た。
貧しい山間部の村だったから情報伝達が遅かったのかなと思った。広島に原爆が投下されたのは終戦直前の八月六日だった。七年経ってから新しいニュースを聞くように大人が話題にしている。バカじゃないかと思った。早く正しい情報を知ることはいつの時代も大切なことだ。
二十一世紀に入った頃、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)に出会った。情報統制がマッカーサー司令部によってなされたと第一次資料を駆使して解き明かされた書物だった。そこでは広島原爆の話題は報道禁止になっていた。日本独立まで原爆について語ることはできなかったのだ。あの暑い夏は日本が独立した年だった。原爆報道が解禁になり、田舎の大人たちも事実を知りその意味を語り合っていたのだった。
情報の遮断や偏向が自分自身の心と見方を変える力があると実感した。ということは現在の見方や知識も、事実真実ではなくて偏向した情報や少知によって出来上がっているのかもしれない。その可能性のほうが高い。自分の見方や意見に自信がなくなった。自分とは何だろうか。

鈴木貫太郎首相はポツダム宣言受諾が決定された後すぐに辞職した。終戦に導くまでが自分の使命と割り切って仕事されたことがよく分かる。偉大な宰相だった。使命感だけでご老体に鞭打って責務を果たされた。二・二六事件で負傷されていたから普通の老人以上に大変だったはずだ。
後を継いで東久邇稔彦総理大臣が指名され、八月十七日に内閣が発足し、十月九日まで戦後処理の任務に当られた。昭和天皇に一番近い皇族の一人だった。日本を任せられる人材は払底していた。戦争の惨禍は凄まじかった。
マッカーサーが厚木飛行場に降り立ったのだが、最初に発した命令の一つは慰安所、いわゆる売春宿の設置だったそうだ。日本軍は欧米植民地へ攻め入ったのだが、占領地で同じような命令を発しただろうか。日本人の常識にはない発想だ。
主権を失った日本である。総理大臣は命令を聞くしかない。詳しいことは知らないが、首相は吉原の娼妓界を統べている女性に、花魁というのかな、日本の婦女子を守るために力を貸してほしいと懇願された。最高権力者が卑しい職業だとされている女性に頭を下げた。その結果日本は生き延びた。
昭和天皇の側近中の側近が吉原で頭を下げるなんてひどいことだと思うだろう。しかし終戦まもなくの日本ではもっとひどいことが方々で起こっていた。考えるのも嫌なのだが、本でもネットでも様々な情報があるから関心ある方は調べてほしい。
簡単に言うと第二次大戦後日本では男がいなかった。国家の担い手は女性だった。戦前から女性は強かったと思うのだが、戦後はますます強くなった。それは男女平等とかの観念ではなく、実際に国家を救ったからだと思う。
日本人は国家として民族として、何が正義で何を守らねばならないか。「パール判事の日本無罪論」(田中正明)は基本文書だ。本書を読むと、論壇、学者間で論争が数々あったが、いずれも枝葉末節な言いがかりの類いだったと分かる。この一冊で戦後の問題はほぼ把握できていたのに、時間を無駄にしてしまった。

不戯論(4)

不戯論(4)

浅間山荘事件は1972年2月だった。連合赤軍を名乗る青年五人が人質をとって立て籠もり、銃撃戦になり警官三人が死亡した。事件の捜査が進むと榛名山連合赤軍アジトリンチ殺人事件が明るみになった。多くもない仲間のなかから半数の同士が殺された。日本中が震撼し、学生運動とサヨク活動は生理的に嫌われるようになった。
連合赤軍が革命闘争を進める中で起きた全共闘運動最後の大事件で、参加者は全員が大学生あるいは大学卒業生だった。全共闘運動は10年前の安保闘争をモデルにした学生運動で、一般人から見たらエリート集団だった。オウム真理教のサリン事件に関わったのも大学卒業生、それも優秀な成績の者が多かった。
六十、七十年代、大学ではイデオロギーという語が日常的に使われていた。主に共産主義イデオロギーの意味だった。世界の歴史は階級闘争の歴史であり、資本主義の後は必然的に共産主義社会になる。共産主義運動に協力する方が得だという雰囲気が出来上がっていた。朝日新聞や岩波書店が出版物を通して思想拡散を公然と行った。右翼運動はほぼなかった。
連合赤軍参加者は銀行や銃器店を襲撃したり、よど号で北朝鮮に向かったり反社会的な行動に走った。生き残った者も裁判を受け、多かれ少なかれ犯罪者となった。理想という言葉に準じて人生が狂った若者は少なくなかった。
学園封鎖とかゲバ棒振るっての戦いと聞くと凶暴な若者が暴れているイメージを持つかもしれないが、彼らはよく勉強し、教科書に書いてあることで会話ができた。左がかっていただけだ。おそらく戦後教育の欺瞞を身体で感じていたのだろう。何かがおかしい。欺瞞と不可織の間でフラストレーションが爆発した。
同時に思い出したのは、江戸時代の寺子屋教育で暴動が起こったという記録は見たことがないことだった。また永平寺では常時百人以上の若者が集団で修行生活しているがリンチが報じられたことはない。各僧堂でも若者の集団でありながら不祥事は聞こえてこない。この対照はどうしたことか。教育とは何か理想とは何か根本的に考え直す必要がある。
マルクス共産主義ではっきりするが、イデオロギーと云われるものは外国発、他文明発の思想がほとんどだ。だから特定イデオロギーの信奉者や紹介者、あるいは伝導者には高学歴者が多い。翻訳や思想家との交流は大学や学会を通して行われる。学歴社会、学校社会は機能している。
思想と現実の乖離は誰もいつも経験する。外国発の思想を日本で実践しようとすれば行き過ぎや誤解、軋轢が起こるのは避けられない。しかもよくよく検討すれば、ばかばかしい曲解をもとにしている思想だったりする。プラウダというのはロシアの権威ある新聞社で、その論説をサヨク人士は毎日チェックしていた。プラウダは真理という意味で、共産主義は真理であり、機関紙のプラウダには真理の声が書かれていると云われていた。
ある人がプラウダという単語はロシアの日常語で、日本語では「ほんとう」に当たると暴露した。「ほんとう?ほんとうよ。」とやり取りするレベルだった。それが日本人信奉者の間では絶対の真理であった。日本古来からの伝統や思想を省みないで、他所の思想を嬉々として取り入れようとする日本人エリートの情熱は何なのか。
今でも日本共産党やサヨク政党の話を聞くと理想と未来の話しかしない。薔薇色の幻想を語るっていい年こいた大人のすることか。イデオロギーとは戯論の別名だとよく判る。
あべさんも実現できない未来の話ばかりするようになった。憲法改正とか日本を取り戻すとか、実質が伴わない言葉はいくら巧言でも戯論に過ぎない。そして近代西洋式学校は何をしているのか。実生活に役立たない、真理でも道理でもないハンパな知識を弄んでいるだけではないか。戯論を広める仕組みが学校のようだ。

明治維新以来というよりも種子島の鉄砲伝来以降という方が正しいかもしれないが、日本人はいわゆる西欧近代思想によって混乱させられてきた。いまでは正しい人生観や世界観は何だろうと模索する人は良い方で、人生や世界のまとまった理解の仕方があるのだろうかと途方に暮れる人が多いのではないか。
強大な軍事力と華やかな文化を見せつけられて、日本やアジアにはない何か特別なものが西欧文明の中にあるのではないかと考えた。それはキリスト教だろうか、神話だろうか、社会思想だろうか、資本主義だろうか、科学技術だろうか。人生観は個人主義でいいのか、民主主義は普遍的な政治体制なのか。日本語を捨てて英語やフランス語にしようと提唱する人まで居た。
拝外思想の猖獗はなんとかならないものかと思ってきたが、海外旅行に行く人が増え、インターネットが普及して、外国文化や他文明が珍しくなくなった。外国崇拝者が馬鹿にされるようになった。二十一世紀になってついに反グローバリズムでなければ国家の存在も民族家族の存続も危うくなるとはっきりした。日本は日本独自の道を見出し歩むしかない。
幸いにしてというか必然的にというか、日本には人生観、世界観と言われるものが二つあった。一つは聖徳太子の十七条憲法と天武天皇の古事記に代表される和の精神だ。それらはあるときポッと現れたものではなく、縄文時代から続く日本精神だ。一言でいうと神道である。神道といっても滝で水にうたれるとか手甲脚絆で山野を駆け巡る修行などがイメージされてよく解らない。「里山縄文文明」の名はいかがだろうか。
伊勢神宮をお参りするときまず大鳥居に出会って頭を下げる。五十鈴川にかかる橋を渡って神域に入り、最初にすることは手を洗う。伊勢神宮を皇室の最尊神社とされ式年遷宮等を定められたのは天武天皇だったが、当時から日本人の生活は禊、手洗い、清潔が基本だった。身体も心も清潔、正直から出発する、そして神道と総称される精神文化になった。
古事記だけでなく万葉集や御伽噺、歴史物から日記文、たくさんの和歌集など日本には古典文学が残されている。美の探究、歴史の真実の探求、言語の問題など解明を待っている宝庫が無数にある。
もう一つは仏教で、仏教は釈尊の人生苦からの解脱に基づく。人生は苦であるがすでに人生観だ。苦を解脱すれば出発点とは異なる世界が見えてくる。インド文明の精華であるが、日本には発祥地では雲散霧消した経典や大蔵経も完備しており、修行道場としてのお寺もたくさんある。
膨大な経典は無量無辺の智慧の凝集だ。仏典には日本語では発想できない概念や事柄が鏤められている。千年以上も仏典が研究され続けてきたのは、僧侶の仕事だけではなく経典に魅力があるからだ。読めば、汲めども尽きぬ智慧の泉水を味わえる。読経を一生の仕事にする学者もいる。
読経知だけでなく出発点の人生苦を解脱するための実践修行方法も日本の仏教界は忘れていない。仏教知だってイデオロギーになる。厭世的人生観や行き過ぎた布教が問題になったこともあった。実修実行は戯論としての仏教思想を正す役割も果たす。
今しなければならないことは、自分の正しい人生観とは何か、家族や国家の正しいあり方は何かを知ることだ。日本には縄文遺跡、古墳、文学、工芸品などの底知れない文明の蓄積がある。仏教は日本語には出来なかった知の宝庫をもたらした。ついに西欧文明も畏怖すべきものではなくなった。
三つの文明を手がかりに新しい文明創造が始まるのが今という時代ではないか。 創造はイデオロギーを叫んで人を動かし社会運動してできることではない。広く深い見通しを持ちながら、日々畑を耕し地道に木を植え、自己を参学実現する地味な人生だ。戯論ではない具体的な人生創造が文明の道だ。

不戯論(3)

不戯論(3)

近代西欧文明は科学技術の発達に依存するところが大きい。科学的方法は信頼できるかどうか。科学的真理の基礎づけをしたといわれるのはカントの「純粋理性批判」である。超難解な書物として有名で読みきれなかった。
該書では、人はいかに木や花を認識するかという問題が語られている。桜はいかに桜と見え、琴の音はいかに耳に捉えられるかという問題だ。普通の人は問題にしない、というより考える手がかりさえない。たまに哲学者や賢人の中に鋭い切り込みをする人がいる。インド人もまた同様な問題を追求した。
映像文化が発達した今日では情報発信に従事する人も多い。視聴者がいかに映像を認識するか調査する過程で、錯覚や捏造や偏向報道が注目されるようになった。物は在るだけではなく認識されてはじめて在るという事実が常識となった。認識には必ず認識者の心の仕組みが関与していると論じたのが純粋理性批判である。
それまでは在るものは客観的に在り、人は在るものをそのまま見たり触ったりして覚知していると思っていた。対象と主体、客観と主観は独立して対峙し、相互関係は不明だった。認識は人の心、理性が捉えるのか、外界から多数の似た刺激を受けることで経験から形成されるのか決着がつかなかった。
純粋理性批判にカテゴリー論がある。範疇論と訳されて、文字を見ただけで読む気が失せた。カテゴリーは現代語では認識パターンが当てはまる。認識パターンは自然科学者がよく使う概念である。物事を認識するとは、こちら側の認識パターンというフィルターを通して対象が見えたり聞こえたりすることだ。
カントのカテゴリーは量、質、関係、様相に区分され、それぞれが三項の論理パターンに従って分類されている。分類だからカテゴリーだ。「A はBである」「 Aであれば Bである」「 Aであるか Bである」のようなケースが数えあげられる。論理パターンは思考の形式で心に内在する。「関係」の中の上の三項はそれぞれ実体性、原因性、相互性に対応するとされた。
関係性のパターンは現実世界では空間と時間の中で働く。上の三項目はそれぞれ実体持続性の原則、因果律に従った継起の原則、相互作用の法則に従った共在の原則として働く。因果律が認識パターンの一項として位置づけられた。
他の認識パターンは可能性、現実性、必然性とか、直感と類推、単一性、数多性、全体性、実在性、否定性、制限性などがあげられた。たくさん挙げられた中の一つの認識パターンが因果律だった。

カテゴリー論で図式化され体系化されて緻密な思考がなされたことはわかる。緻密すぎ完璧すぎはカントの名声に現れている。しかし認識パターンはこれだけなのか?複数の認識パターンが並列されると論理的必然性が曖昧になる、提言の初めから確実性に欠ける。そしてカントの認識論は正しいのか。
原因結果の認識パターンによって科学的実験は検証できる。科学的成果が再現可能な実験によって判定されるのは常識になっているが、これは原因結果の認識パターンが適用されているからだ。ロケットの燃焼やガソリン車の安全など最新科学の応用には厳密な再現性と検証の確実性が欠かせない。
カントが因果律を複数の認識パターンのうちの一つに数えたのは西欧思想の現実を反映する。多様な外界を捉えるとき一箇の認識パターンでは対応できない。量的にはどうか、質的にはどうかと最適解をケースバイケースで求めることになる。十二パターンあるとほとんどの状況に応じられる。応用性の広さがカントの偉大さになった。
しかし特定のパターンを採り上げるのは誰か。個人、自我の判断による。個人の概念が認識パターンを支えている。科学的真理の探求だけでも突き止めるのは困難だが、社会、道徳、歴史問題になると複数パターンでは逃げ道が多く論点ずらしも容易だ。
ハリウッド映画ではよく爆発シーンが見られる。退屈になったり筋が行き詰まると爆発炎上させて場面転換する。認識パターンは選択できると思っているから、伝統文化や歴史的な社会慣行は破るためにあるとする主張も通りやすい。暴動革命思想にもなる。因果や常識を破壊したい衝動が漲っているのが西欧社会だ。
一方で、科学的因果律は普遍的客観的な真理で人の見方や感情が介在する余地はない。純粋科学は人の手が入ってはならない。自然の因果だけを追求した結果が原爆の製造になり細菌兵器の出現になった。動物行動学を手本にする人も居る。相対論的人生論、量子論的世界観などを唱える人もいる。
科学的真理は客観的普遍的で絶対正しいと言われるが、カントの「物自体」は認識できない。それはプラトンが把捉できるのは真理の影であって真理自体ではないと言ったことに等しい。真理の根拠はまだ明らかにされていない。

釈尊、仏教の因果律
仏教は因縁果の考え方でできている。釈尊の十二因縁を嚆矢とし、後に続く仏教徒は縁起論を展開してきた。業感縁起論、阿頼耶識縁起論、如来蔵縁起論、重々縁起論などが代表格で、それぞれ深い真理が述べられている。一つ一つ学問するには何年もかかり、「唯識三年倶舎八年」と聞いた。学問研鑽は容易でない。
そもそもなぜ仏教理論は縁起論でなければならないのか。縁起論は因果論だから、仏教はなぜ因果論で語られるのかと問うてもいい。仏教は世界観、人生観も提示し、是非善悪、真偽美醜とは何かの教えでもある。すると因果論だけが正しい世界観と人生観を示す必然性はあるのかという問題提起も起こりうる。
因果論とは物事の変化を、原因があって結果が起こる、現在の物事は過去の原因があって存在していると考える。すべてのものが原因結果の関係で生起すれば因果論は世界観になる。個人も原因があって生まれたとすれば、また行く末も原因結果の連鎖が起こるとすれば、因果論は人生観になりうる。
釈尊は御自身の苦悩を直視し、苦を克服しようと発心された。出家して六年苦行したのち苦悩からの解脱を得られた。ただし苦行は解脱の原因ではないといわれる。解脱の内容は十二因縁としてまとめられた。
前稿と重複するが、当面の人生苦の原因は深く考えると生きているからであり、生き続けているからであり、生誕したからだ。生誕の原因は両親から生まれたから、両親が産んだ原因は愛し合ったから、と遡り、最後は無明を想定する。無明が原因、老病死苦が結果である。十二支の原因と結果の連鎖のなかに自分が居る。これが人生だ。人生観が明らかになった。
十二因縁を人生観とすれば、苦を解脱するには無明を明とすれば良い。容易ではないが理屈はわかる。出家して修行し、釈尊と同じ道を歩もうと志向する人が出てきてもおかしくない。人生観が人生を変える。天皇が出家された例も少なくない。
また苦を少なくすることが善で苦を増やすことが悪になる。善悪が決まる。抜苦与楽というが、慈悲が仏教の根本といわれるのは釈尊の発心修行と解脱を手本とするからだ。修行ばかりではなく論理的な研究の結果、無明を本とする十二因縁を確証されたので、智慧もまた仏教の根本となった。因縁果の論理が人生を解明したので、縁起論が真理となった。
釈尊は、個人的に苦が嫌だから、老死が恐ろしいからという理由だけで苦の克服を発心されたのではない。インドの数千年の真理探究の成果を参照しながら修行された。ゼロの発見がインドだったことを鑑みれば、無明の発見はインドでしか為されなかったと得心できる。古代インドの知識レベルは高かった、仏典の夥しい知識量に明らかだ。それでも釈尊以前、真理は得られなかった。
真理を正面から求めた人々は真理に到達することはできなかった。ノーベル賞を獲得しても我欲の結果であり、絶対真理に到達したとは言えないようなものか。釈尊が人生苦を解脱されたとき真理が見えてきた。因果論、縁起論が世界観として確立していった。