仏教の結論と始源 C 四聖諦

初転法輪は釈尊が悟りを開かれた後の初めての説法である。得悟とその内容を述べられた。以後、説法されるたび何度も開陳された。最初に遇った人物は’俺はそうは思わぬ。’といって立ち去ったことまで仏典には書かれてある。説法の内容は四聖諦として経典にまとめられた。四聖諦は四つの聖なる真理と訳される。
第一諦は苦諦で、人生は一切苦である。四門出遊の話では老病死の苦を見られたのが出家発心の原因とされている。四苦八苦と言われるが、四苦は生老病死であり、さらに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の四つを加えて八苦という。病は克服できても誰もが老死に直面する。一切苦は紛れもなく人生の事実、真理であろう。科学技術が進んだ現代でも真っ当な現実認識と言わねばならない。
第二諦は集諦(じゅっ諦)で、一切苦の原因を明かす。老死の苦が現実で、老死はなぜどこから来たかと追求する。それは生まれて活動するからだ。つまり老死苦の原因は生である。何もないところから生が出現することはない。人は両親から生まれる。では生の原因は何か、それは有である。有の原因は何か、それは取、さらに取の原因は愛である。このように苦の原因を遡って最後に無明に行き着く。この過程を公式化したものが十二因縁と云われる。併記すると、老死、生、有、取、愛、受、触、六処、名色、識、行、無明となる。
苦の原因を探して無明に行き着いた。逆に無明から行、識と辿って老死の結果にいたることもできる。順観、逆観という。しかし十二支でなければならないとはいえないだろう。要は根本原因が無明だということと、因縁業果の論理で無明に至ったというのが大事だ。
また無明という原因を無くせないものかと思考するのは自然だ。無明ではなく明から出発すれば苦はなくなるかも知れない。現実にそんなことが可能かどうか、挑戦してみる価値はあるのではないだろうか。釈尊は身をもって発心修行なされたのだから。
第三諦は滅諦で、別言すれば涅槃寂静。苦諦が現実ならば滅諦は理想である。しかし釈尊は得悟され涅槃寂静を獲られた。理想は現実となった、苦は克服することができる。仏の身心と悟られた世界を膨大な仏典は解説しているわけだが、その根拠は釈尊が滅諦を体現された事実に基づく。
第四諦は道諦で、滅諦に至る方法が説かれた。それが八正道で、八正道を行ずることが原因となり結果として涅槃寂静、無苦の人生に至る。ここにも因縁業果の論理は貫徹されていて、出発点は無明でなく八正道である。八正道は以下の通り。正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定。八つの徳目であるが、八は多いという意味も内包している。また何が正しいかと考え始めると正が適訳かどうかも問題だ、八聖道とされる方もおられる。