この世にブログなるものがあると気がついた頃だから三年ほど前になるだろうか、’秋せつら’氏の個人ブログを見つけた。社会経済政治と興味の範囲が広く、鋭いコメントが管理者の聡明さを表していた。一個人で多様な関心を持ちつつ、発信したり返答したりが可能なことに瞠目した。
様々な問題が取り上げられたのだが、団塊世代が死に絶えれば解決するという結論が多かった。諸悪の根源は団塊世代というわけだ。で、団塊世代に属する私はどうかというと、悔しいけれど九割がたは受け入れざるをえなかった。現在進行形でど真ん中にいるからわからないことが、後輩や外部から観察されると客観的に見られるようになるということか。苦い思いを交えながら毎日読んだ。
大衆団交したりゲバ棒を振り回す同級生に言ったことがある。「自己批判や総括という名目で若気の至りでおとなや社会を糾弾しても、お前たちが指導者の位についた時は同じように非難し返されるんじゃないか。建設は考えないのかよ」と。彼らは言った、「まず破壊しなければ出発点にも立てない。破壊ありきだ。」氏のブログは私が危惧した通りのことを発信されたのだ。
三年前には全く自覚しなかったのだが、団塊世代の問題は、直近の敗戦や占領政策だけではなくて、ウィルソンやルーズベルト一族のアメリカ支配、日本開国以来の欧化政策などと深い関係があるようである。アメリカの盛衰と日本の行く末やいかん。昭和220年の日本は。望んだわけでもないのに日本史が世界史にさせられる、考えなければならない問題だと思う。
閑話休題、言葉使いについて違和感を時々感じた。こちらが古臭くなっているのだろうか。例えば、グンクツガーだが、軍靴(グンカ)の音だろ。映画を見ていても、暖簾に手押しって、腕押でしょ。寝違えたは、ねちがえたではなく、ねたがえただろ。俳優はもっと言葉の勉強をしていると思っていた。手向けるは?