大八洲と八紘一宇

古事記では日本は島国であると言われている。最初に伊弉諾伊邪那美命がお造りになった島が淡路島で、その後から七つの島が加わった。全部を合わせて大八洲と美称される。日本国の創生は宇宙や大陸ではなく島から始まった。
長じて、島から始まる物語って他にあるのかなと考えた。旧約聖書の創世記は有名だが、ノアの箱舟は高い山の上に作られた。海の働きを知らない者の想像の産物なのは明らかだ。ギリシャ神話では海を渡って祖国に帰るシーンがあるが、祖国は大陸である。
古事記は大和の国は島国ですよと言っている。この規定の背景には天智天皇が白村江の戦いの後、日本勢が朝鮮半島から撤退した事実がある。任那や百済など、日本から出かけて行って活動したけれどもどうもうまくいかない。それは半島とはいえ朝鮮は大陸の一部だったからだ。天武天皇は、島国でこそ大和の民は幸福に能力を十分に発揮できると結論された。大八洲に帰れ。
古事記の編纂を命じられた天武天皇は伊勢神宮の式年遷宮も定められ、どのように大和文明を伸長発展させるかに心を砕かれた。伊勢内宮の建物は誰がデザインしたのだろうか。シナ風の寺院とは明らかに違う大和精神の表明だ。今も日本人参拝客を飽きさせない美しさがある。
天武天皇の祖先は神武天皇だが、東征したあと奈良は橿原で初代天皇として即位された。そのとき’八紘を掩うて宇と為す’を即位の理念とされたと伝えられる。
八紘といえば’八紘一宇’の語が人口に膾炙している。岩波書店の広辞苑によれば、八紘は四方と四隅、天が下とあり、一宇は一つの家である。八紘一宇は田中智学が明治36年に世界統一の原理として提唱した。天皇あるいは日本が一で、天が下つまり世界に君臨するという位置付けになる。これはイメージしやすい。
白川静の字統には、紘の原義は冠の紐、広い、天下を覆うことを紘覆といい、八方を八紘という。神武紀に’八紘を掩うて宇と為さん’とある。
諸橋轍次の漢和辞典には、紘の意味は、広い、冠紐の他に、なわばり、境界、はて「八紘」とある。冠そのものが他の冠や無冠との違いを表す、つまり境界を表すし、紐は境界線上に結ばれる。
神武紀の八紘為宇の八は大八洲の八であろうか天下の八であろうか。唐風外国文化に傾斜する大津皇子との路線対立に死闘を演じた末、国風文化の育成に情熱を注がれたのが天武天皇。その天皇が古事記の中で神武天皇に語らせられた言葉は’大八洲の境界内を宇と為す’ がふさわしい。その路線は平安王朝文化に至り、そのあとも明治維新前の大和の国の理念であり続けた。
田中智学は押し寄せる欧米文明に対抗するために八紘一宇を探し出した。欧米の普遍思想に対して日本にも世界統一の思想がありますよと。広辞苑は大東亜戦争を正当化したとも述べる。サヨク唯物思想は物事を単純化し思考の許容性、柔軟性が狭い。頭が良くならない恐れがある。
八紘一宇と八紘為宇では、八紘の意味は前者は世界全体、後者は島国の大八洲であるといえよう。同じ漢字なのに意味内容が異なる。日本語の繊細さを見失わないようにしたい。