よく聞く話に、これからは日本の時代だ、世界を救えるのは日本の思想だけだというものがある。外国がー、世界がー、永遠の平和がーと叫ぶ人も多い。あるいは一人はすべてのために、すべては一人のためになども同じ感性の言葉だろう。
世界を相手にする思想は自然に誰にでも起こるものだろうか。自分の場合、この世界はなんてまず考えなかった。親兄弟祖父母がおり、家があり田畠があり、林や森があり、着たり食べたり寝たり運動したりする生活があった。田舎で働いたり喋ったり本もときどき読んだ。世界なんてどこにも見えなかったし考えなかった。ニュースはラジオ新聞から入ってきたが、そんな情報はごく一部の知識だけだと思っていた。つまり様々なことがあり起こっているとだけ感じていた。混沌の言葉が自分の知識の正しい有様だった。
世界を知り語るようになったのは学校で教えられた後のことである。学校では日本史があり世界史があり世界の地理があった。さらに世界の統計、世界の思想があった。ギリシャ思想、インド思想、西欧思想、キリスト教、仏教、回教、儒教。いずれも世界認識が大きな部分を占める考え方である。
問題は学校で学ぶこと、ある宗教の内部で学ぶことが正しいかどうかである。果たして学問知は普遍的真理なのだろうか。そもそも普遍的であれば、つまりuniversalでありcatholicであれば知識認識は正しいと言えるのか。
このような問題の解答は論理の続きでは得られないので結論を示し、実例を述べる。結論は普遍的真理は多くの場合正しくとも絶対正しいとは限らない、普遍的には正しくない。
Kennedy大統領は平和部隊を創設した。大学卒の若者を後進国へ送って現地人と交流させ、教育し援助する計画だった。誰も問題にできない普遍的な正義のように思えた。
平和部隊に反対するアメリカ人も実は居た。若者を貧困社会へ送るだけでその共同体を破壊し、アメリカにトラブルを持ち込むという理由だった。それから数十年、あらゆるトラブルに関わったアメリカは世界一の債務国になり、国内問題でも悩まされ続けている。
ルーズベルトは日本人を列島の中に閉じ込めてしまえと言った。四島の中に閉じ込められて日本はひどい目にあったのだが、気がつけば世界一の債権国になっていた。なぜだろうか。他国の面倒を見る必要がなかったからだろう。
偉大なるルーズベルトは見通しを誤った。憎い日本を潰すためには、おだて上げて世界中のトラブルに関与させるべきだった。拡散された日本人は脆い。歴史上山田長政をはじめ、日本列島から出て行った日本人はすべて消滅した。なぜか。そこに天皇がいなかったからではないか。
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女神を守護する男系男子
日本の最高神は女神なのに、なぜ直系子孫である天皇は男系男子でなければならないのか?最近やっと、洋の東西を問わず、王位につくには王妃を守護することが必要条件のようだと気がつきました。
イギリス、アメリカ、インドなどの映像を参照した結論ですが、王妃を守れなければ周囲が王として納得しないのが人間社会のようです。王妃の第一の守護者は王様と息子です。これが天皇が男子でなければならないもともとの理由でしょう。戦う天皇のイメージは薄れましたが天武帝のようなかたもおられました。
男子でも男系なら忠誠心が後代まで保証される。代を重ねれば偉大な祖母を王と王妃が敬うケースは珍しくない。祖母を長く尊崇するには神様になってもらうのがよい。尊崇対象が事故や病死や不倫などで途切れない。女神は神様だから生身の天皇より位が高い。天皇は自分より高貴な女神とその御意志の守護者となった。
ブルボン家は絶対王朝で、ルイ14世はフランスのトップだった。国の一番上に位置して、周りはみんな自分より下。支配者、独裁者にふさわしい権威と権力を持って好きなことができた。同時に弱点もある、王様一人がコケたら国も滅びる。
アメリカは皇室を西欧の王室と同じとみなして工作した。昭和天皇を無防備でご巡幸させた。失墜を期待したけれど人気はうなぎのぼり。そこで思考停止して伊勢神宮の重要さを見逃した。肉食だから瑞穂を無視したのだろう。
生前退位放送の時、玉音放送だ、陛下の御心はいかにと論争が起きた。国家存亡の秋でもないのに玉音放送とはと違和感ありまくり。そんなに大騒ぎするのは皇室をブルボン絶対王朝と同じレベルで見ているからではないか。
唯一最高の存在なら絶対だ。しかし天皇の上位に天照大神がいますならば天皇は最高位ではない。絶対の皇室と崇め奉るだけではまた同じような騒動が起きる。皇室は唯物論者が考える西欧的絶対王朝と同じではないと思われる。
昭和大帝の節目の詔書には必ず皇祖皇宗のお言葉が記され、国民が間違わないように気を配られた。自分がトップであるとは思われず皇祖神に仕える姿勢を貫かれた。マッカーサーの言が確かであれば国民のために御いのちを差し出されたという。大帝にとってはご自身の上位に国民庶民が位置付けられていた。香淳皇后はお言葉の時は玉音を聴かれるかのように低頭された。
生活にあくせくする庶民もときどき伊勢や橿原神宮にいく。礼法も知らず信仰の何たるかも知らず、信仰心が浅くて申し訳ないと思いながら手を合わせる。皇居にいます神に近い方々は正しく深く清い信仰を保持しておられるにちがいないと思いながら。
気がつけば、皇后はお言葉に低頭せず対等以上の視線で今上陛下を見ている、国のトップに居たルイ14世みたいだ。明仁天皇には他を睥睨するような傲慢さは見られない。しかしビデオメッセージでは、何を本当に尊崇されているのか首をかしげるところがあった。天照大神の御心(玉)の発信でなければ玉音とは言い難いのではないだろうか。