MUJHSE DOSTI KAROGE! (4)

MUJHSE DOSTI KAROGE! (4) 番外編

「久しぶりだね。十年ぶりなので見間違えた。あの頃は投資会社で働いていたけど今も同じかな?元気だった?」
「あれからソフトウェアの会社を興したのだが、三年前に不況に陥ったので会社をたたんだ。今は別の会社で働いている。」
「インド人は数理に強いと聞いたけど、その強みを生かしたわけだ。インドのどこ出身だっけ。」
「ラジプトだ。現在はラジャスタンという。パキスタンとの国境に近い。」
「そこは JODHAA AKBAR というボリウッド映画の舞台じゃないか。映画は歴史に残る超大作だ。豪華キャストで最高だった。」
「ボリウッド映画は大好きだが、日本人の君がどうして知っているんだ。」
「二年前に MUJHSE DOSTI KAROGE! をゴミ捨て場で見つけてから病みつきになった。二百回以上見たよ。仏教教典の中では妙法蓮華経にあたるかな。最高傑作という意味だ。俳優がいい、シナリオがいい、音楽がいい、ダンスがいい、演技に惚れ惚れする。インドの映画は素晴らしい。以来めぼしい作品を見ているが、JODHAA AKBAR は歴史物として一級品だ。」
「MUJHSE DOSTI KAROGE! はまだ見ていない。ここでボリウッド映画の話が出てくるなんて、因縁というか、業というか、運命というか。」
「いや大発見と言おうじゃないか。おれの法華経は見るべきだよ。ハミングに圧倒された。人生観、世界観、仏教観まで変わった。」
「法華経といえばサンスクリットの原本があるかなあ。調べてみる。鳩摩羅什の翻訳はよく知られている。」
「ぜひ調べてくれ。もしサンスクリット本がなければ、世界中で法華経を読めるのは日本人だけということになる。」
「鳩摩羅什は中国語に訳したんじゃなかったのか。」
「その通りだが、毛沢東が漢字を無原則に簡略化してしまった。だから中国では古典は読まれない。人類史上に燦然と輝く名訳を読めるのは日本人だけになった。創価学会は法華経を読む集団だ。過激で好きじゃなかったけれど、彼らの活動は無意識的に人類の遺産を継承する活動なのかもしれない。インドも日本も存続の文明なんだよ。JODHAA AKBAR には象が出てくる。」
「二百頭くらいいるね。COMPUTER GRAPHICS も使っているんじゃないかな。」
「ラジプトでは象が村の中を歩いているだろう。」
「うんよく見る。象は草食動物でおとなしい。みんなに大事にされている。」
「おれの方がインドについては詳しいみたいだ。(笑)それではハリウッド映画にはなぜ象が出てこないと思う。」
「象がいないからだろ。」
「彼らも象がどこにいるかは知っているんだ。しかしたくさん目の前に居ないと象の映像を撮ってやろうと発想できない。調教師が必要だし化粧もしなければならない。食料も大量だし運搬も一苦労だ。人と共存しなければ映画にまではならない。存続があって初めて象の存在を映像化できるんだ。」
「アメリカには象は居なかったのだから問題ありとは思わないけどな。」
「アメリカ狼は絶滅した。国立公園にカナダ狼を輸入している。バッファローは食肉用だけ。西欧文明は人間主義というが、動植物を絶滅してきた文明のように見える。’ベン ハー’ や ’十戒’ にも象は出てこない。」
「映画の舞台は中東の砂漠だよ。」
「ハンニバル戦役は知っているだろう。」
「象をアルプス越えさせた話しか。」
「ハンニバルは敵国で十年以上連戦連勝だった。希有の名将だった。しかし彼も戦術を研究されて、201BC のザマの決戦でローマの若き将軍スキピオに敗れた。そのとき八十頭の象を正面に押し立てて戦った。うまくかわされたけれども。講和条約には、カルタゴのすべての軍象をローマに引き渡すという条項があった。
ローマ軍の主力戦闘部隊は重装歩兵で、甲冑と槍や剣で武装した兵士たちが人間の壁のようになって戦った。ローマは人間力が勝って作った国だ。兵士自身も国民も人間力の偉大さを実感した。勝つのは気持ちいい。それがヒューマニズムだ。そして象は地中海沿岸から消滅した。人が栄えて象が滅んだ。」
「文明論が好きなんだな。」
「ハンニバルは第二次ポエニ戦役で戦った。その頃は象軍を作ろうと思えばできるほど象がたくさん居た。第三次戦役のあと、ローマはカルタゴの地に塩を撒いて農耕できないようにした。農産物が主要産業だと知った上での政策だ。豊かな農耕地を不毛の砂漠にする感覚はどこから出てくるのか。どうした。」
「憂鬱になってきた。」
「 ’十戒’ はハンニバルより1000年以上前の話しだ。だからもっとたくさん象が居たはずだがどこにも出てこない。チャールトン ヘストンより小さい鶏やヤギや犬とかばかり。エジプトがローマ領に組み入れられた理由の一つは小麦の供給地だったからだ。その頃はレバノン杉も鬱蒼としていたしシチリアも靴の半島も樹木が繁っていた。なぜ分かるかというとその木でローマの軍船を作ったからだ。映画では単調な砂漠の光景ばかりだ。」
「ボリウッド映画に興味があるなら CHAKDE! を勧める。インドの国民的映画だ。満足できると思うよ。」

インドを旅したひとに聞くと、村の中を象が悠々と歩いているそうである。牛だけが保護されているのではなかった、多くの生き物が人とともに共生している。牛を殺さないのは神聖な生き物だと信仰されていると聞いたが、本当の理由は別のところにあるのかもしれない。結果として牛だけでなく他の多くの生物も存続してきた。
唯物論、孤人主義の西欧文明圏からは大型獣も大森林も姿を消した。それは存在と時間、実は非存在と無時間の思想を人が実践した結果ではないか。無存続の思想を実践すれば多くの種が存続しなくなる。存続しないものは実在しない。実在しないものは想像できない、映画を作ることもできない。
インド文明は古代からなぜか実在は存続、存続が一等大事だと気付いた。実在は存続で存続の変化が原因結果の法則で理論化され、五千年前から大前提となった。因果といい因縁というのは存続を理論化したものだ。存続を第一義にして数千年、ボリウッド映画は世界最大の娯楽大作を作った。そこでは人より大きい象やラクダが活躍している。

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