天皇の祈り(6) 05/20/2011
古事記のイザナギの命とイザナミの命の物語は日本人の起源と日本建国のお話である。男女が結婚して家庭を作り、夫婦が協力して子供を育てることが生命継承の方法だと教える。日本では千三百年前に家族像が明示されていた。明確な家族像があったから日本民族は存続し得た。
古事記は神話だと言われるが、前文では天武天皇が編纂を企画されたと書いてある。当時の最高権力者が皇民の安寧と将来の発展に寄与する物語を書くように命令された。現役の政治家が理性的に思考しまとめた物語だということを忘れてはならない。
だからかぐや姫や桃太郎のような荒唐無稽なお伽話であるはずはない。神話なる言葉は西洋人が学問分類上作り出したにすぎない。
ミコトは尊と書かれたり命であったりする。生命あるもの、尊敬されるべきものだ。祖父母から受け継いだ生命、子孫に続く生命だから尊や命と表された。神と書かれることもあるが、天武天皇は神をいかに理解されていたか。キリスト教の唯一神ではなく、多神教の神のはずだ。それは当時の日本人の日常生活と矛盾しない神だった。
ヒンズー教では結婚の契りは七世に及ぶと教えられる。現今、健全な家族像があるのはインドと日本だけではないかと思われる。安定した常識は安定した社会を作り、安定した家族、安定した国家を作る。
豊葦原の瑞穂の国は日本だ。それは稲作中心の自然再生、生命継承の社会思想である。毎日、そして生涯かけて瑞穂の国の思想を実践すれば良い結果がついてくる。考え方に矛盾はない。欲を言えば当たり前すぎてドラマ性に欠けるところか。新奇なドラマが溢れる人生が良いとは限らないのだが。
稲作文化が最先端産業だった頃は瑞穂の国は現実でありその思想は無条件で受け入れられた。明治維新以降は工業商業が産業の中心になった。瑞穂の国に則りながら新しい状況にいかに対処するか。IT 産業の力を無視できなくなった現在、適切な社会思想と歴史観の提出が必要ではないかと思われる。
子供の頃、誰もが父母はどんな人か、祖父母はどこからきたかと聞いた覚えがあるだろう。出自についての関心は本能的なもので、庶民は五、六代前まで遡って判る例が多い。家族の歴史であり家系の話であるが、各家族の物語が集合して社会の歴史になり国家の歴史を形成する。
皇族に生まれたらどうだろうか。百二十代以上の先祖のエピソードが語り継がれるだろう。学校で暗記する天皇の名前が日常語だ。各天皇の生き方や教訓の積み重ねは膨大だ。それらの知恵が日常生活に生かされ、危機に際してどう対処すべきか参考になる。家系が続くというだけで知識量が格段に増える。
皇統は百代以上続いたので、日本人で皇室と血縁関係がない人はいないと言われている。誰でも二十代くらい家系を遡ればどこかで血がつながっている。だから皇室の問題は他人事ではない。誰が天皇か、誰が皇后かはいつも意識にある。二千年の天皇の物語は国民の物語だ。STORY 物語は HISTORY 歴史だ。
生物に喩えるのは適切ではないと感じるのだが、考え方として挙げる。蜂が庇の下に大きな巣を作ったので放水して破壊した。巣が壊れて二、三日は蜂は飛び回っていたが、いつの間にかいなくなった。女王蜂がいなくなれば他の蜂はどうしていいか分からなくなる。蜂の巣、つまり社会がなくなると巣に集う個々の蜂も生きていかれない。
人々もまた蜂と同じように、存続するためには具体的な生命の中心を必要とするのではないか。女王蜂は働き蜂やオス蜂と血でつながっている。蜂の社会構造は天皇と日本人との関係に相似している。つまり天皇がなければ日本人は無い。日本人と日本国家が存続するためには天皇の御存在が不可欠だ。
ローマ帝国には確固たる家族のモデルはなかった。始祖はオオカミに育てられた。初代皇帝アウグスツスはジュリアス シーザーの後継者だが養子だった。次の代で血は絶えた。皇帝の称号としてシーザーの名は伝承されたが血のつながりはなかった。庶民から皇帝に至るまで家族観は安定しなかった。そのせいだろう、いつの間にかローマ人はいなくなりローマ帝国は崩壊した。
アメリカ人はつねにローマ帝国を意識しながら国を運営している。アメリカでは離婚率が50%だ。離婚の多さの原因はあるべき家族像のモデルが不安定だからだろう。テレビでも映画でも家族崩壊の話ばかりだ。離婚専門の弁護士も多い。カトリックでは結婚は聖行とされたが、現今は教義や儀式をけなす人が大多数だ。一神教と家族の絆は相容れないかも。神様を選ぶか家族を選ぶか選択を迫られる場合が多い。
LGBT なる言葉が氾濫し始めたのはここ三十年来だろう。突然レスビアンやゲイやトランスジェンダーなどが聞かれるようになった。巷間言われているのは、革命に失敗した共産主義者がフランクフルト大学に集まり、暴力革命路線から伝統社会破壊路線に方針転換したのが始まりだという。ユダヤ人学者のグループが批判哲学の名で理論化したと言われている。
健全な男女関係を破壊すれば社会が混乱する見通しのもとに宣伝工作が始まった。その武器は言葉狩りだというから日本人の発想を超えている。Political Correctness 政治的正語と言いながら社会的発言を規制する。ドイツではヒトラーやナチス礼讃どころか学問的研究まで規制される。社会秩序を破壊したい凄まじい欲求が働いている事実は知っておく方が良い。
ギリシャ悲劇は有名だが、アテネの民主政治下で作られた。アテネだけでなく地方の田舎町にも野外劇場があった。半円形の石造の劇場はギリシャ人には社交と娯楽の場であった。地中海沿岸の劇場での演し物のジャンルに喜劇と悲劇があった。喜劇は日常生活を再現するので忘れられる。悲劇は極端なシナリオに基づく意外な演出で大衆に受けた。原作から後世に語り継がれるにつれシナリオが洗練されていった。王族や親子の間で殺人や近親相姦が起こる。悲劇物語を集めると社会全体に異常な事件や悲しい運命があふれているみたいだ。
アテネ時代のギリシャ人と現在のギリシャ人とは民族が違うと言われている。国家興亡どころか人が入れ替わった。ギリシャ人ってなんだろうか。二千年間に断絶をくりかえしているようだ。
1週間ほどぶらりとギリシャを旅したことがあった。大木がない、大森林がない。痩せた土地にオリーヴとみかんの木が植わっていた。オリンピアの博物館では首が切られた人物の彫像が並んでいた。全土が荒涼だった。エンタシス柱は石造だが、もともとは木造だったらしい。大木がなくなったから石や漆喰で作られるようになったという。断絶思想を実践したから大地も貧弱になった。
ギリシャ文明は近代西欧文明の源流と言われる。古代にロマンを求めるのもいいが心許ないところがある。現今見るプラトンやアリストテレスの著作などはアラビア語から翻訳された。翻訳を読んでギリシャ思想やギリシャ文学を語るのに違和感はないのだろうか。原書を読めないで文明の源と称するのは妥当か。実は太古の昔から連続性の希薄な文明だったようだ。